月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚

浦出卓郎

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第一部

第三十三話 悪魔の舌(3)

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「ブラヴォ! 五回も跳んでる! 勢いが良いですね!」

 ルナは拍手した。

「私は革を商っておりまして。この鞄も商品の一つなのです」

 ヴラディミールは怖ず怖ずと言った。

「不気味だな」

 ズデンカは顔を顰めた。もちろんすぐにでも引き裂ける用意は出来ている。

 「悪魔の舌を実際に手にとって眺めて見たいものですよ」

 ルナは目を輝かせていた。

「やめとけ、危険だ」

 ズデンカは言った。今ズデンカはさっき喧嘩したばかりのカミーユと隣り合っている。それだけでもずいぶん居心地が悪いのだが、ルナの横に坐って、いつもやっている耳打ちをできないのは不安になる。 

 そもそも、ヴラディミールという男を信用していないのだ。

「悪魔と言っても舌ですから、触ったからと言って人に危害は及ぼさないはずですが……」

 ヴラディミールは口ごもるように言った。

「なるほど、じゃあ」

 とルナはズデンカが制止する暇もあればこそ、鞄を開けて中に入っていた小函を取り出した。

 蓋を取ると、綿が詰められた中に乾涸らびた肉片が入っていた。

 ルナは平気で指で摘まんで取り出した。

「へえ、これが悪魔の舌かぁ」

 ズデンカは心配で堪らなかった。

「どこで入手されたんですか?」

 舌を観察しながらルナは訊く。

「それはすぐには説明できない理由があるのです」

 ヴラディミールは言った。

「さっそく教えてくださいますね。全てお聴かせくださったらわたしの出来る範囲であなたのお願いを叶えてさしあげますよ。もっとも、こんな列車の中じゃ、出来ることは限られているでしょうけれど」

 ルナは言った。

「願いなどありませんが……お話し致します」

 ため息を吐いてヴラディミールは語り始めた。
 
 

 これは、収容所から出て数年後の話です。

 私は妻も娘も亡くしてしまって、独りで暮らさなければならなくなりました。

 それでも発足したばかりのシエラレオーネ政府から年金を貰って元の職業である革商人として復帰していました。

 でも、誰もいないがらんとした部屋の中独りでいると、いろいろと思い出が蘇ってしまいます。

 娘が幼い頃、乗っかってはしゃぎまくり壊してしまった椅子。

 妻が台所で料理を作っていた姿。

 次から次へと思い出が溢れ返って止まらなくなります。

 幸い、収容所では男女を分けられていたので、その最期を目にすることはありませんでしたが。

 親族の死に目にあえないのは平時には残酷なことですが、こういう場合にはむしろ幸いです。

 家を換えようと決意しました。うら寂しい故郷からハシェクへ引っ越ししたのもその頃のことです。

 ハシェクは戦前から繁栄した町で、さまざまな仕事の機会も増え、次第に過去のことを忘れていきました。

 そんなある日です。悪魔と会ったのは。

 懇意にしている皮革製造所と交渉した時のことです。

 革を剥がれて、天井から幾つも吊り下げられた牛の屍体の一つと、たまたま眼が合ってしまったんですよ。

 私は鞣《なめ》された後の革にこそ用がありますが、牛の屍体に興味はありません。ただ所長室の近くにあったため偶然目に入ってしまいました。

 上を向いた牛の瞼がパチパチと動いているから妙だと思ったんです。

 最初は幻覚かと思いました。

 でも、喋り始めたんです。
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