月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚

浦出卓郎

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第一部

第三十二話 母斑(7)

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「じゃあ何が起こしたって言うんだ? 物の怪か?」

 ズデンカは嗤った。

「直感が舞い降りてきてるんだけど、今ひとつ傍証が足りない。訊き込みを続けるしかないな」

 と、ルナは振り返って後ろから来る皆に手を振った。

 合流を済ませた後は急いで引き返した。周りは人だらけで到底話せるような環境ではなかったのだ。

 ホームに戻り、空いていたベンチにルナはちょこんと腰を掛けた。

 だが、ヒュルゼンベックも、エルフリーデも真似しようとはしなかった。

 仕方がなくズデンカはルナの横に掛けた。カミーユも倣う。

「とりあえず、お二方の身体検査をしたいんです」

 ルナは静かに言った。

「どうぞ」

 エルフリーデは身を差し出した。

 ルナは立ち上がり、エリフリーデの手荷物やら、ポケットやらを確認した。

「ふむふむ。お次はヒュルゼンベックさんだ」

 ヒュルゼンベックは不快そうな顔になった。

 だが、エルフリーデの悠然とした態度を見て、同じようにルナの前に立った。

 ルナは同じように丹念に調べた。

 ルナに従うように立ち上がってその横に控えていたズデンカはあまり良い気分ではなかった。

「なるほどね、あらかたわかりましたよ」

 ルナは言った。

「何がわかったんだ?」

 ズデンカはその耳元で囁いたが無視された。

 「昔わたしは、オペラにはまっていましてね。その演目に『二人の幽霊』というものがありました」

 ルナは再びベンチに腰掛けた。

 「それが何か関係があるんですか?」

 ヒュルゼンベックは苛立たしそうに言った。

「あると言えばあるって感じですかね」

 ルナははぐらかした。

「この作品はちょっと変わってましてね。まあ、戦後作られた新作なんで前衛的なわけです。演出家も新鋭だった。冒頭、一人の女が舞台中央でアリアを歌っている時に、幕の左側からまた一人が歌いながら現れます。これは実は既に死んでいる幽霊なんですよ。中央の女の方へ幽霊はだんだんと寄っていく。と、一枚の布に幽霊は姿を包み、舞台の右側へとこっそり退く。これは演劇的なお約束ですね。すると、女の様子が変わり、その声音もこれまでとまた違ったものになる。早い話、取り憑かれたんです」

「それがどうかしたのですか」

 エルフリーデも焦れてきたようだった。

「いえね、わたしの推測ですが、エルフリーデさん。あなたの身に起こったことも、それに近いんじゃないかと思うんですよ。さっき、自分とそっくりの女と擦れ違ったって仰いましたね」

「はい」

 エルフリーデの唇は震えていた。

「ここでヒュルゼンベックさんに話を振りますが、あなたはエルフリーデさんとさっきどのようにして離ればなれになりましたか?」

――それは最初に訊いてけよ。

 ズデンカは内心で突っ込んだ。

「突然、物に憑かれたように走りだしたんですよ……顔を押さえて……確かに言われてみれば、そのオペラと似ている」

 ヒュルゼンベックは驚愕していた。

「つまり、エルフリーデさんはドッペルゲンガーを見たんではなく、生身の自分を見たわけだ。そしてその中に入り込んだってことなのですよ」

「はあ?」

 ズデンカは今ひとつ分からなかった。

「じゃあ、今目の前にいるのは誰だ?」

「エルフリーデさんですよ。でも肉体はヒュルゼンベックさんの奥方だ。さっき、身の回りの物を確認したんですよ。そしたらちゃんと抜いた指輪に、身分証明書があった」

「じゃあ、エルフリーデの言ってることは嘘なんだな」

 ズデンカは睨んだ。咄嗟に怒りを感じたのだ。

「そうではないよ。こちらを欺くつもりなら身体検査は拒否するはずだ。指輪は無意識に抜いたんだろう。いや、普段からそれを入れ代わりの合図にしていたのかも知れない。さっき確認したんですけど、ホームの向かい側に大きな鏡が設置されてたんですよ」

 と、ルナはさきほどまで自分がいた場所――ズデンカの故郷であるゴルダヴァ行きの列車が停まるホーム――を指差した。確かに、天蓋を支える柱に大がかりな鏡が取り付けられている。

 ズデンカは見落としていたことを悔いた。

「でも、話に出たお屋敷にあったものとは別だ。だからとくに気に掛けてはいなかったんですが、話を聞けば訊くほどこれは怪しい」

「そんな……私は……」

 エルフリーデは青い顔になって、震え始めていた。

「じゃあ、この母斑《あざ》はなぜついたんだ?」

 ヒュルゼンベックは怒鳴った。

「ついたというか、多分それが、こちらのエルフリーデさんの正体なんですよ」

 ルナはモノクルを光らせた。
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