336 / 526
第一部
第三十二話 母斑(4)
しおりを挟む
「どこにいるのかなあ」
広いホームを歩きながら、ルナは周囲を見渡していた。向かい側と違って、こちらにはたくさんの人がいた。
床にトランクを起き、鍵を開けてオペラグラスを取りだした。
「お前、んなもんいつのまに」
ズデンカは驚いた。
「観劇は紳士淑女の嗜みだからね」
「眉唾だなあ」
ルナが芝居を見に行くところなど、ズデンカは見たこともない。
「これでも一時期はペラゴロで鳴らしたことがあるんだよ。まあこれは新しく買ったんだけどね」
オペラグラスを持って立つ方向を変えながらルナは言った。
「なんだそりゃ?」
「オペラ狂い、ないしはマニアのことさ」
「はあ、そうだったのか。知らなかったぜ」
「戦後、なかなかオペラが盛り上がっていた時期があってね。五、六年は前かな」
ルナの経歴を全部ズデンカは知っているわけではない。もちろん当然のことではあるのだが、なんだか落ち着かない気持ちになった。
――馬鹿野郎、すべてを知ってるなんぞ気持ちがわりいぞ。
と自分を叱りながら。
「見つからないなあ」
ルナはつまらなそうにしていた。
「さきほどはあの壁寄りの列に並んでいました。そしたら、目の前をすうと」
エルフリーデが指さしながら言った。
「消えたのかも知れませんね。それならそれでいい。まさにこの世は夢幻≪ゆめまぼろし≫だ」
ルナは笑った。
「あの」
カミーユが控えめに手を上げた。
「どうした?」
ズデンカは訊いた。
「さっき、エルフリーデさんによく似た方と擦れ違いました」
「えっ」
ルナがオペラグラスを外して振り返った。
「引き返すか」
ズデンカは勢いよく人を押し分けて移動した。だが、やはりそれらしい人影は見えない。
「何だよ」
イライラして戻ってきた。
「すみませんすみませんきっと見間違えだったんです私ぃ!」
カミーユはあからさまに恐縮して、何度も頭を上げ下げした。
「いや、お前が謝らんでいい」
ズデンカは自分の態度が怯えさせてしまったことに内心焦っていた。
「うーん、困ったもんだね」
ルナは顎に手をやった。これもよくする癖の一つだとズデンカは知っていた。
「申し訳ありません。わたくしがついお話してしまったばかりに、お手を煩わせてしまいまして」
エルフリーデが言った。
「いえ。まだ、話は決まったわけではありませんよ。ほら、お知り合いが来たようです」
向こうから、燕尾服に身を包み顎髭を生やした男が歩いてきた。
「エルフリーデ、どこへ行っていたんだい? さあ、早く一緒に」
エルフリーデは驚愕しているようだった。
「人違いですわ」
「馬鹿言え、そんなはずが……君! その額の母斑《あざ》はどうしたんだい?」
男は心配した様子で、エルフリーデの手を取った。
「ですから、これは生まれつきです。あなたのお捜しなのは……別の方ですわ」
「あいつがもしかしたら、ドッペルゲンガーの連れか」
ズデンカは言った。
「面白いことになってきたね」
ルナは手帳を取りだし、鴉の羽ペンで何か書き綴り始めた。
「迷惑です。止めてください」
エルフリーデは男の手を振り払っていた。
「何を怒ってるんだ。僕は君の夫じゃないか」
「ちょっとお待ちください。仮に夫婦であっても、辞めてと言われたら辞めるべきじゃあありませんかね」
ルナが口を挟んだ。
「失礼ですが、あなたは?」
むすくれた態度ではあるが流石は紳士、慇懃無礼に応じた。
「わたし、ルナ・ペルッツと申します」
「有名な方ですね。僕はヒュルゼンベックです。カザック自治領より新婚旅行で来ました」
「エルフリーデさんはあなたの奥様で本当に間違いないのですね?」
ルナは質問した。
広いホームを歩きながら、ルナは周囲を見渡していた。向かい側と違って、こちらにはたくさんの人がいた。
床にトランクを起き、鍵を開けてオペラグラスを取りだした。
「お前、んなもんいつのまに」
ズデンカは驚いた。
「観劇は紳士淑女の嗜みだからね」
「眉唾だなあ」
ルナが芝居を見に行くところなど、ズデンカは見たこともない。
「これでも一時期はペラゴロで鳴らしたことがあるんだよ。まあこれは新しく買ったんだけどね」
オペラグラスを持って立つ方向を変えながらルナは言った。
「なんだそりゃ?」
「オペラ狂い、ないしはマニアのことさ」
「はあ、そうだったのか。知らなかったぜ」
「戦後、なかなかオペラが盛り上がっていた時期があってね。五、六年は前かな」
ルナの経歴を全部ズデンカは知っているわけではない。もちろん当然のことではあるのだが、なんだか落ち着かない気持ちになった。
――馬鹿野郎、すべてを知ってるなんぞ気持ちがわりいぞ。
と自分を叱りながら。
「見つからないなあ」
ルナはつまらなそうにしていた。
「さきほどはあの壁寄りの列に並んでいました。そしたら、目の前をすうと」
エルフリーデが指さしながら言った。
「消えたのかも知れませんね。それならそれでいい。まさにこの世は夢幻≪ゆめまぼろし≫だ」
ルナは笑った。
「あの」
カミーユが控えめに手を上げた。
「どうした?」
ズデンカは訊いた。
「さっき、エルフリーデさんによく似た方と擦れ違いました」
「えっ」
ルナがオペラグラスを外して振り返った。
「引き返すか」
ズデンカは勢いよく人を押し分けて移動した。だが、やはりそれらしい人影は見えない。
「何だよ」
イライラして戻ってきた。
「すみませんすみませんきっと見間違えだったんです私ぃ!」
カミーユはあからさまに恐縮して、何度も頭を上げ下げした。
「いや、お前が謝らんでいい」
ズデンカは自分の態度が怯えさせてしまったことに内心焦っていた。
「うーん、困ったもんだね」
ルナは顎に手をやった。これもよくする癖の一つだとズデンカは知っていた。
「申し訳ありません。わたくしがついお話してしまったばかりに、お手を煩わせてしまいまして」
エルフリーデが言った。
「いえ。まだ、話は決まったわけではありませんよ。ほら、お知り合いが来たようです」
向こうから、燕尾服に身を包み顎髭を生やした男が歩いてきた。
「エルフリーデ、どこへ行っていたんだい? さあ、早く一緒に」
エルフリーデは驚愕しているようだった。
「人違いですわ」
「馬鹿言え、そんなはずが……君! その額の母斑《あざ》はどうしたんだい?」
男は心配した様子で、エルフリーデの手を取った。
「ですから、これは生まれつきです。あなたのお捜しなのは……別の方ですわ」
「あいつがもしかしたら、ドッペルゲンガーの連れか」
ズデンカは言った。
「面白いことになってきたね」
ルナは手帳を取りだし、鴉の羽ペンで何か書き綴り始めた。
「迷惑です。止めてください」
エルフリーデは男の手を振り払っていた。
「何を怒ってるんだ。僕は君の夫じゃないか」
「ちょっとお待ちください。仮に夫婦であっても、辞めてと言われたら辞めるべきじゃあありませんかね」
ルナが口を挟んだ。
「失礼ですが、あなたは?」
むすくれた態度ではあるが流石は紳士、慇懃無礼に応じた。
「わたし、ルナ・ペルッツと申します」
「有名な方ですね。僕はヒュルゼンベックです。カザック自治領より新婚旅行で来ました」
「エルフリーデさんはあなたの奥様で本当に間違いないのですね?」
ルナは質問した。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる