330 / 526
第一部
第三十一話 いいですよ、わたしの天使(8)
しおりを挟む
クロエは驚愕の感情を抑えるように、身を縮めていた。遠く離れていく地上を見おろしながら。
ファキイルは悠然と滑空した。
そのありさまを下界から眺めているフランツは気が気でなかった。
誰かに見られてはことだ。
いや、それだけならまだ良い。撃たれでもしたら。
フランツはファキイルの硬さを知っているので、そこは大丈夫だ。
だが、クロエはそうではない。撃たれるだけでなく、ファキイルの手から少しでも滑っただけで命がなくなるのだ。
――そんな儚い命を、預けて本当によかったのか。
ふっと頭の中に浮かんだアイデアを呪った。ファキイルは、打ち合わせもなく、驚きもせず、自然にそれを引き受けてくれた。
そのことに関しては、フランツは感謝した。
犬狼神は優雅にすら思える動きで町を一周りしていく。
それを見ているうちにフランツは自分の心配が杞憂だったと気付いた。
ファキイルは、クロエを固く抱きしめて離さなかったのだから。しかも眼にも止まらぬほど、物凄い速さで動きつつ。
やがて、逆巻きのように空高くまで登り、時間を置いてゆっくり降りてきた。
フランツは駈け寄った。
「これで、いいか?」
ファキイルは手短に言った。
「天使さま」
クロエは小さく呟いた。酔いはしていないようだった。
「我は天使ではない」
「天使さまです。あなたは、天使さまでしか、ありえません」
クロエはファキイルに横抱きにされたまま、服の袖に縋っていた。
「懐かれちゃったようですねえ、ファキイルさぁん」
オドラデクはニヤニヤ笑いながら近付いてくる。
「どうしよう」
ファキイルは表情も変えず真剣に困っているようだった。
「連れていくわけにもいかないからな」
フランツも困った。
「天使さま、私はあなたの言う通りにします」
ファキイルに優しく路面に下ろされたクロエは、いきなり膝を突き、両手を強く握り合わせた。
「信心深いですねえ」
オドラデクはそう言ってくるりと振り返り、勝手に歩き出した。
「おい、どこへ行く?」
フランツは怒鳴った。
「行っていいでしょう。少女は信じていた天使さんに逢えました、ちゃんちゃん。グッドな締めですよ」
「いや、まだ部屋の中には屍体も残っているぞ」
フランツは声を落とした。そろそろ人の影がちらほら往来に見え始めたのだ。
「なんでぼくがやる必要があるんです? 自分で落下して死んだ酔っ払いの面倒をみるのはごめんだってさっき言いましたよねぇ」
「大声をだすな」
フランツは間合いを詰めた。
「はあ、仕方ないですねぇ」
オドラデクはそう言ってくるりと逆の方を向き、家の中に入った。
――何をする気だ?
フランツも入った。
屍体に掛けてあったテーブルクロスは取り払われていた。だが、その下にいたはずのウジェーヌの姿も消えていた。
「何をやった?」
オドラデクは元の姿の糸巻きのようなかたちに戻っていた。糸を次から次へ繰り出して、部屋の中心部に集め、繭のような巨大な球体を作り出していた。
「屍体をあの中に入れたんですよ」
オドラデクは悪戯っぽく言った。だが、今その表情は見えないのだが。
「何をする気だ?」
ぐしゃ。
肉が潰れ、骨が砕ける音がした。
――まさか。ウジェーヌの屍体をすり潰すつもりか?
「この方法しかないでしょ? まず、血を肉を分離してぇー、と」
そう説明して、オドラデクは全身を蠕動させ続けた。
赤黒いゼリーのような塊が一つ、二つと繭のような球体から吐き出された。
「ふう、疲れた」
オドラデクは身体を構成する糸をばらけさせ、元の姿へと戻った。
ファキイルは悠然と滑空した。
そのありさまを下界から眺めているフランツは気が気でなかった。
誰かに見られてはことだ。
いや、それだけならまだ良い。撃たれでもしたら。
フランツはファキイルの硬さを知っているので、そこは大丈夫だ。
だが、クロエはそうではない。撃たれるだけでなく、ファキイルの手から少しでも滑っただけで命がなくなるのだ。
――そんな儚い命を、預けて本当によかったのか。
ふっと頭の中に浮かんだアイデアを呪った。ファキイルは、打ち合わせもなく、驚きもせず、自然にそれを引き受けてくれた。
そのことに関しては、フランツは感謝した。
犬狼神は優雅にすら思える動きで町を一周りしていく。
それを見ているうちにフランツは自分の心配が杞憂だったと気付いた。
ファキイルは、クロエを固く抱きしめて離さなかったのだから。しかも眼にも止まらぬほど、物凄い速さで動きつつ。
やがて、逆巻きのように空高くまで登り、時間を置いてゆっくり降りてきた。
フランツは駈け寄った。
「これで、いいか?」
ファキイルは手短に言った。
「天使さま」
クロエは小さく呟いた。酔いはしていないようだった。
「我は天使ではない」
「天使さまです。あなたは、天使さまでしか、ありえません」
クロエはファキイルに横抱きにされたまま、服の袖に縋っていた。
「懐かれちゃったようですねえ、ファキイルさぁん」
オドラデクはニヤニヤ笑いながら近付いてくる。
「どうしよう」
ファキイルは表情も変えず真剣に困っているようだった。
「連れていくわけにもいかないからな」
フランツも困った。
「天使さま、私はあなたの言う通りにします」
ファキイルに優しく路面に下ろされたクロエは、いきなり膝を突き、両手を強く握り合わせた。
「信心深いですねえ」
オドラデクはそう言ってくるりと振り返り、勝手に歩き出した。
「おい、どこへ行く?」
フランツは怒鳴った。
「行っていいでしょう。少女は信じていた天使さんに逢えました、ちゃんちゃん。グッドな締めですよ」
「いや、まだ部屋の中には屍体も残っているぞ」
フランツは声を落とした。そろそろ人の影がちらほら往来に見え始めたのだ。
「なんでぼくがやる必要があるんです? 自分で落下して死んだ酔っ払いの面倒をみるのはごめんだってさっき言いましたよねぇ」
「大声をだすな」
フランツは間合いを詰めた。
「はあ、仕方ないですねぇ」
オドラデクはそう言ってくるりと逆の方を向き、家の中に入った。
――何をする気だ?
フランツも入った。
屍体に掛けてあったテーブルクロスは取り払われていた。だが、その下にいたはずのウジェーヌの姿も消えていた。
「何をやった?」
オドラデクは元の姿の糸巻きのようなかたちに戻っていた。糸を次から次へ繰り出して、部屋の中心部に集め、繭のような巨大な球体を作り出していた。
「屍体をあの中に入れたんですよ」
オドラデクは悪戯っぽく言った。だが、今その表情は見えないのだが。
「何をする気だ?」
ぐしゃ。
肉が潰れ、骨が砕ける音がした。
――まさか。ウジェーヌの屍体をすり潰すつもりか?
「この方法しかないでしょ? まず、血を肉を分離してぇー、と」
そう説明して、オドラデクは全身を蠕動させ続けた。
赤黒いゼリーのような塊が一つ、二つと繭のような球体から吐き出された。
「ふう、疲れた」
オドラデクは身体を構成する糸をばらけさせ、元の姿へと戻った。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説


百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。


とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

救世主パーティーを追放された愛弟子とともにはじめる辺境スローライフ
鈴木竜一
ファンタジー
「おまえを今日限りでパーティーから追放する」
魔族から世界を救う目的で集められた救世主パーティー【ヴェガリス】のリーダー・アルゴがそう言い放った相手は主力メンバー・デレクの愛弟子である見習い女剣士のミレインだった。
表向きは実力不足と言いながら、真の追放理由はしつこく言い寄っていたミレインにこっぴどく振られたからというしょうもないもの。
真相を知ったデレクはとても納得できるものじゃないと憤慨し、あとを追うようにパーティーを抜けると彼女を連れて故郷の田舎町へと戻った。
その後、農業をやりながら冒険者パーティーを結成。
趣味程度にのんびりやろうとしていたが、やがて彼らは新しい仲間とともに【真の救世主】として世界にその名を轟かせていくことになる。
一方、【ヴェガリス】ではアルゴが嫉妬に狂い始めていて……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる