月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚

浦出卓郎

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第一部

第三十一話 いいですよ、わたしの天使(1)

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――トゥールーズ共和国東端アレー上空

 雨が横殴りに吹き付けてくる空を飛翔し続けても、犬狼神ファキイルは疲れないようだった。

 だが、それに取り縋っているスワスティカ猟人《ハンター》フランツとオドラデクは話が別だ。

「冷たい! 体調おかしくなっちゃいますよー!」

 オドラデクはわめいた。

 人ではないため、病気になどなったりしないはずだが、いかにも真に迫った様子だった。

「俺も……限界かもしれん……」

 フランツはオドラデクに突っ込む余裕すらなかった。

「うえっ」

 軽く吐き気を感じる。長時間飛び続けて酔いのようなものを覚えていたのかも知れない。

「まずいまずい! フランツさん、吐いちゃうかもですよ!」

 オドラデクが騒ぎ出した。

「降りるか」

 配慮も何もないように見えたファキイルだが、そう言っていきなり急降下しはじめる。

「うっ」

 胃液が迫り上がってきた。フランツは手の甲で口を押さえる。

「たいへんだー!」

 道化師のような慌てふためき方をしながら、オドラデクは掴んでいるファキイルの服の裾を上下に揺さぶった。

 意識がなくなりかけていたフランツはそれで正気に返り、胃液を押し込んだ。

 ファキイルの緩やかな服は疾風を孕み、大きく膨らんだ。

 着地はそれと同時だった。

 窓々に夕の灯りを連ねた町並みがたちまちぐるりと左右に開かれた。

「ここはどこでしょうかねぇ?」

 オドラデクは早速スキップしながら歩き回り、千鳥足で歩いてくる中年男に聞いた。

「アレーを知らないのかね。トゥールーズ一の町だよ」

 流石にそこまで大した場所ではないとフランツにはすぐにわかった。

 派手に地上に降り立っても気付く人がいないほどなのだから。

「まぁたおじさんったらぁ! 故郷自慢しちゃってぇ!」

 女に変じていたオドラデクは調子よく煽《おだ》てた。

「へへへへへへ、嬢ちゃん。いいこと言ってくれるねえ。そりゃ、やっぱり生まれたとこが一番さね」

 中年男は頭を掻いた。続けて、

「よかったらしんみりどうよ」

 と一献傾ける真似をした。

 酒の臭いがフランツのいるところまで漂ってくる。

「うっそお、奢ってくださるのぉ。でもぉ、連れもいるからねぇ」

 とオドラデクはフランツに流し目を送る。

「何だ、男かよぉ」

 酔っ払いは顔を顰めて、シッシと追い払った。

「いえ、ほとんど赤の他人ですよぉ。ちょっと顔見知りってだけぇ」

 オドラデクはそう言いながら、酔っ払いの肩に手を回した。

「えへへへへ、じゃあ、呑みにいくかぁ」

「やったぁ! お腹ぺこぺこだったんですよぉ!」

 フランツは呆れた。

 隣国のランドルフィへ行き、そこから船で東方を目指すというのが今の旅の目的だった。トゥールーズに留まっている余裕はないのだ。

 だが、見知らぬ町で単独行動はまずいと思ったので、勝手に歩き出す二人へ足を向けた。

 ファキイルは尾いてこない。

「どうした」

 フランツは振り返って声を掛けた。

「我は街を見て回りたい」

 ファキイルは食べ物には興味がなさそうだった。

 本来はオドラデクも食べなくていいはずなのだったが……。

 「じゃあ、すまんが別行動ってことで」

 フランツは軽く謝って、オドラデクの跡を追った。

――仮にも神だ。独りで何とか出来るだろう。それに今の俺にはこいつがある。

 とフランツは新しく腰に収めた剣『薔薇王』を鞘越しに触った。

 先日まで使い勝手の悪い刀身――オドラデクしか持っていなかったのが、この剣を得たことでより迅速に戦えるようになった。

 フランツは自信満々だった。
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