月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚

浦出卓郎

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第一部

第三十話 蟻!蟻!(7)

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 「大丈夫、その一件なら存じております。それも目の前ではっきりと」

 ルナは手で制してボチェクの話を止めた。

 ズデンカはその脇腹を突《つつ》いた。

「どのようにですか? あなたがここに来られたのは、つい先程なのに」

 ボチェクは驚いたようだった。

「わたしは人が見たり頭に思った光景を再現することが出来ましてね」

 ルナは机の上に置かれたランプを見詰めながら答えた。

「どのようにお感じになったでしょうか?」

 ボチェクは訊いた。

「旅をしてそれなりにいろいろ見てきたわたしからすると、とくに変わったものではありません。人が生き物やそれ以外を吐き出す光景にも何度かお目に掛かったことがあります。蟻なんてかわいいものですよ」

 ルナは涼しく言った。

「はあ……そうですか」

「でも、蟻はサシャさんの体内に一度吸収されてるはずだ。だって、この厩舎に溢れる蟻は、新しくこの世の中に生まれたものらしいですから」

 ルナはピンと指を立てた。

「なぜ、そのようなことがわかるのですか」

「ボクが確かめたんだよ」

 椅子に坐ってずっと黙ったままだった大蟻喰が言った。

  「わたしの友人は食べたものの来歴をあらかた知れるんです」

 ルナが説明した。

「あらかたじゃないよ。悉皆《すっかり》だ」

 大蟻喰は捕捉した。

「結局、お前は何が言いたい?」

 ズデンカは話を急かした。

「わたしはサシャさんは蟻を食べていたとしても、それが、蟻を吐きだしたことには繋がらないって思うんですよ」

「そんな。でも、サシャが食べていたのは、黒い蟻で……」

 ボチェクは目を瞠っていた。

「同じ蟻でも違うかも知れない。蟻を作り出したのは別の人かも知れない」

「他に誰が!」

 がたりと音を立てて、ボチェクは立ち上がった。

「もちろんイザークさんですよ。それか、あなたか」

 ルナは微笑んだ。

「まさか、そのようなこと」

「なぜあなたはサシャさんがやったってことにしたいんですか?」

「サシャ以外に誰も蟻など食べてはいない!」

 ボチェクは怒鳴った。

「いえ、あなたが観察していなかったのはイザークさんだって同じでしょう? なぜ、イザークさんだけの証言を信じるんです」

「……」

 ボチェクは黙り込んだ。

「仕方ないな」

 ルナはパイプを取り出した。煙が溢れる。途端に机の上には一面の黒蟻が集り始めた。

「うえ!」

 ボチェクは叫んで、後ろへ退いた。

 蟻たちはやがて机の脚を伝って床へ降り、部屋の外へと向かった。

「さあ、どこに蟻たちが行くかはお楽しみだ」

 ルナは歩き出した。ズデンカと大蟻喰も従う。

 黒い絨毯はその前に広がりながら先へ先へ伸びていく。

――一体ルナは何がやりたい?

 ズデンカは疑問だった。

 出遅れた蟻を指で摘まみ、ポリポリ噛みながら大蟻喰は、

「うーん、美味しい。これがルナの味か」

 と言った。

「気持ちわりいこと言うな」

 ズデンカは吐き捨てた。

「でも、実際ルナが作り出した蟻なんだから仕方ないじゃないか」

「来歴の方はわかるかな?」

 ルナは訊いた。

「うん。しっかりと。卵を破って産まれるところからわかるよ」

 大蟻喰はニヤリと笑いながら請け負った。

「なんか頭がこんぐらがってくるんだが、この蟻は一体何なんだ?」

 ズデンカが訊いた。

「サシャさんが食べていた蟻さ」

 ルナは言った。
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