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第一部
第三十話 蟻!蟻!(2)
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厩舎は大きな煉瓦の建物で、たくさんの馬が並べられて嘶《いなな》いてた。
敷き藁をベキベキ踏みしだきながらルナは中へと侵入していく。
ズデンカが止めとけ、人を呼べと言いそうになった時、
「どちらさまでしょうか?」
背の高い暗い感じの眼鏡を掛けた年配の男がその前に立ちはだかった。
「わたし、ルナ・ペルッツという者です」
「はぁ、あの『綺譚集』を編集されたペルッツさまですか」
男は表情も変えず陰気なままだ。
「はい。ご存じなら話が早い。しばらく馬車を使わないのでこちらで預かって頂けませんか。お金はもちろんたんまり払いますよ」
ルナはネルダ語を操って、滔々と述べ立てる。
「もちろん、お預かりすることは可能なのですが……今は少し……」
と、ここで少し相手の顔に当惑の色が見えた。
「おや、何かあったのですか? もしや、何か綺譚《おはなし》でもお持ちで?」
ルナは目をキラキラと輝かせ始めた。
「珍しいと言えば珍しいのかも知れませんが……」
男は口ごもった。
その刹那。
「蟻! 蟻!」
大声が厩全体に響き渡った。
途端に目の前の馬が地面に腹を見せて横転した。口を大きく開け、泡を吹いている。
「おやおや、どうしたんでしょう」
ルナは身を屈めようとした。
「やめろ! 蹴られるぞ」
ズデンカはルナを投げ飛ばした。
「うわあ!」
ルナは空中で一回転して脇の藁山へ落ちた。
「いててて……何するんだよ!」
「こいつぁ……奇妙だぞ」
だがズデンカの関心は馬の方へ移っていた。眼球が裏返ってそこから黒蟻が一匹二匹三匹と次から次へと溢れ出ていたのだ。
よく見れば藁の間のあちらこちらへ黒い絨毯が広がっている。全て蟻が群れなしているのだった。
「はっ……はへえ!」
ズデンカもルナも流石にこの程度では驚かないが、カミーユは後ろの方で変な声を漏らしながら顔面蒼白になっていた。
「参りました……。お客さまから預かった大切な馬なのに。……あ、申し訳ありません。私はボチェクという者で、この厩のオーナーをしています」
「ボチェクさん、よろしくお願いします」
もう気を取り直して戻ってきたルナが握手をした。
「蟻! 蟻! 蟻だらけだ」
また声が響いてきた。若者が馬の間から姿を現し、近付いて来た。
「長男のイザークです」
とボチェク。
「イザークさん、ルナ・ペルッツです。よろしくお願いします」
ルナは一礼した。
「はあ、よろしく」
イザークは関心が無さそうに言った。それより蟻の対処の方で手一杯のようだった。鋤を使って外へ掻き出しているが焼け石に水だ。
「いつからこんなことになったんですか」
ルナが訊いた。
「そうですね。思い返せば……なのですが、次男のサシャが失踪して以来ですね」
とボチェク。
「ほお……それは興味深い。サシャさんの失踪と蟻の出現、これは何か関係がありそうだ」
ルナは自分の靴にも登ってきた蟻を振り払いながら言った。
「話している暇はありません。とりあえず、馬を出すことにしますので、皆様外へお願いします」
ボチェクが大声で言った。
ズデンカも異論なかった。蟻を避けながら、自分の後ろに取りすがっているカミーユを先へ外に送り届けると、続いてルナを移動させる。
さすがにボチェクの作業は手慣れたものだった。
イザークを含む従業員たちは馬の轡を掴んで、次々馬を出していく。
「実はこれ、毎日のようにやっているんですよ。蟻が涌くごとに馬たちを外に繋いで、中を掃除する。ところが、その翌日にはもう蟻で一杯になる。死んだ馬もたくさんいまして。弁償金などを考えると、家計が火の車です」
「うーむ、なるほど、困ったものですね」
ルナはまだ縋ってくる蟻を払いながら言った。
「これ、『鐘楼の悪魔』の仕業じゃねえのか」
ズデンカはルナに耳打ちした。
敷き藁をベキベキ踏みしだきながらルナは中へと侵入していく。
ズデンカが止めとけ、人を呼べと言いそうになった時、
「どちらさまでしょうか?」
背の高い暗い感じの眼鏡を掛けた年配の男がその前に立ちはだかった。
「わたし、ルナ・ペルッツという者です」
「はぁ、あの『綺譚集』を編集されたペルッツさまですか」
男は表情も変えず陰気なままだ。
「はい。ご存じなら話が早い。しばらく馬車を使わないのでこちらで預かって頂けませんか。お金はもちろんたんまり払いますよ」
ルナはネルダ語を操って、滔々と述べ立てる。
「もちろん、お預かりすることは可能なのですが……今は少し……」
と、ここで少し相手の顔に当惑の色が見えた。
「おや、何かあったのですか? もしや、何か綺譚《おはなし》でもお持ちで?」
ルナは目をキラキラと輝かせ始めた。
「珍しいと言えば珍しいのかも知れませんが……」
男は口ごもった。
その刹那。
「蟻! 蟻!」
大声が厩全体に響き渡った。
途端に目の前の馬が地面に腹を見せて横転した。口を大きく開け、泡を吹いている。
「おやおや、どうしたんでしょう」
ルナは身を屈めようとした。
「やめろ! 蹴られるぞ」
ズデンカはルナを投げ飛ばした。
「うわあ!」
ルナは空中で一回転して脇の藁山へ落ちた。
「いててて……何するんだよ!」
「こいつぁ……奇妙だぞ」
だがズデンカの関心は馬の方へ移っていた。眼球が裏返ってそこから黒蟻が一匹二匹三匹と次から次へと溢れ出ていたのだ。
よく見れば藁の間のあちらこちらへ黒い絨毯が広がっている。全て蟻が群れなしているのだった。
「はっ……はへえ!」
ズデンカもルナも流石にこの程度では驚かないが、カミーユは後ろの方で変な声を漏らしながら顔面蒼白になっていた。
「参りました……。お客さまから預かった大切な馬なのに。……あ、申し訳ありません。私はボチェクという者で、この厩のオーナーをしています」
「ボチェクさん、よろしくお願いします」
もう気を取り直して戻ってきたルナが握手をした。
「蟻! 蟻! 蟻だらけだ」
また声が響いてきた。若者が馬の間から姿を現し、近付いて来た。
「長男のイザークです」
とボチェク。
「イザークさん、ルナ・ペルッツです。よろしくお願いします」
ルナは一礼した。
「はあ、よろしく」
イザークは関心が無さそうに言った。それより蟻の対処の方で手一杯のようだった。鋤を使って外へ掻き出しているが焼け石に水だ。
「いつからこんなことになったんですか」
ルナが訊いた。
「そうですね。思い返せば……なのですが、次男のサシャが失踪して以来ですね」
とボチェク。
「ほお……それは興味深い。サシャさんの失踪と蟻の出現、これは何か関係がありそうだ」
ルナは自分の靴にも登ってきた蟻を振り払いながら言った。
「話している暇はありません。とりあえず、馬を出すことにしますので、皆様外へお願いします」
ボチェクが大声で言った。
ズデンカも異論なかった。蟻を避けながら、自分の後ろに取りすがっているカミーユを先へ外に送り届けると、続いてルナを移動させる。
さすがにボチェクの作業は手慣れたものだった。
イザークを含む従業員たちは馬の轡を掴んで、次々馬を出していく。
「実はこれ、毎日のようにやっているんですよ。蟻が涌くごとに馬たちを外に繋いで、中を掃除する。ところが、その翌日にはもう蟻で一杯になる。死んだ馬もたくさんいまして。弁償金などを考えると、家計が火の車です」
「うーむ、なるほど、困ったものですね」
ルナはまだ縋ってくる蟻を払いながら言った。
「これ、『鐘楼の悪魔』の仕業じゃねえのか」
ズデンカはルナに耳打ちした。
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