月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚

浦出卓郎

文字の大きさ
上 下
306 / 526
第一部

第二十九話 幻の下宿人(9)

しおりを挟む
 ヤナーチェクは言葉も発さずに床に崩れ落ち、ヴァーツラフと思しき者の膝を抱きしめていた。

 でも、ヴァーツラフの方には感動した様子が少しも感じられない。

 しばらく会話のない時間が続いた。

「なんで……君は……悪魔なんかを……」

「僕は呼び出したかったんだ……。この世の全てを知りたかったのに……」 

 ヴァーツラフはぼんやりした面持ちで呟いていた。

 心ここにあらず、といった風で、ヤナーチェクと再会したにもかかわらず、喜んですらいないようだ。

「なぜあいつは」

 ズデンカはルナの耳元へ顔を寄せて言った。 

「あれはヤナーチェクさんの中にある幻想さ。本物のヴァーツラフさんではないよ。わたしの手帳の記された方が本物なんだ」

「それを呼び出すことは出来ないのか」

 ズデンカは心なしか可哀想になってきていた。

「だから、肉屑になるって言ったじゃないか」

「……そうだったな。だが、なんでこんな酷なことを」

「えー、あたりまえじゃないか。わたしは綺譚《おはなし》を提供してくれた人の願いを一つ叶えることにしてるからね」

「願いは、叶ったと言えるか。あれで」

 ズデンカは指差した。

「ヴァーツラフくん! ヴァーツラフくん!」

 何度も何度も叫ぶヤナーチェク。

「あ、そっかー。ヴァーツラフさんのお陰で、綺譚《おはなし》を集めることが出来たわけだから、そのお願いも叶えてあげるべきなのかー。でもそれって悪魔を召喚して連れっていって貰えるよう計らうってことだけど」

 ルナはあっけらかんと頓珍漢なことを言った。

「やめとけ」

 ルナのこう言うところは、ズデンカは本当によくわからない。

「悪魔を呼び出すのは流石に、ね」

 ルナはウインクした。

「うーん」

 ルナの横で寝返りを打っていたカミーユがうっすらと目を覚ました。

「ルナさん、ズデンカさん、どうした……きゃああああああああ!」

 目の前に立っているヤナーチェクとヴァーツラフの姿を見て、叫びをあげるカミーユ。

 顔が青ざめてガタガタ震え、恐怖していた。

「いけない」

 ルナが手を振るとヴァーツラフの姿は消えた。

 カミーユはかつて父親から虐待され、あまり男性が好きではないと言う話は聞いていた。寝室に入ってこられるのは、怖くて仕方がないだろう。

 ルナも少し決まり悪そうな顔になっていた。

 ズデンカも察してランプの灯りを消した。

「ヤナーチェクさん、部屋を出てくださいませんか」

 ルナは丁寧は言った。

「は……はい」

 ヤナーチェクは震えながら立ち上がり、よろよろ部屋を出ていった。

「自殺したりしないだろうな」

 とズデンカは言いながら、カミーユの横に移動し、その肩を優しく抱き寄せた。昼間のように。

「それはわからない。ヤナーチェクさんが強くなるのを期待するしかないね。仮にも宿屋の経営はうまくいってるんだし、大丈夫だろう」

「お前でもうまくいかないことはあるんだな」

「それ、どう言う意味だよー」

「今まで話をしてくれたやつを……何と言ったらいいのか。ちゃんと、ある方向に導いてやっただろ? 悪い奴なら懲らしめて、みたいな感じでさ。だが今回のお前はヤナーチェクの望むものを与えられなかった」

「わたしは導いたつもりなんてないさ」

 ルナは穏やかに答えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

私と先輩のキス日和

壽倉雅
恋愛
出版社で小説担当の編集者をしている山辺梢は、恋愛小説家・三田村理絵の担当を新たにすることになった。公に顔出しをしていないため理絵の顔を知らない梢は、マンション兼事務所となっている理絵のもとを訪れるが、理絵を見た途端に梢は唖然とする。理絵の正体は、10年前に梢のファーストキスの相手であった高校の先輩・村田笑理だったのだ。笑理との10年ぶりの再会により、二人の関係は濃密なものになっていく。

悪役令嬢カテリーナでございます。

くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ…… 気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。 どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。 40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。 ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。 40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

処理中です...