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第一部
第二十九話 幻の下宿人(8)
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「どういうことだ」
ズデンカは言った。なぜか苛立っていた。
「人を好きになるのに理由はいらないよね。嫌いになるのがそうであるように」
ズデンカは前日、心の中で考えたのと同じことをルナが口にしたので驚いた。
「寝過ぎだぞ」
と注意することで誤魔化した。
「半分起きてたよ。ところで、ヤナーチェクさん、あなたはそんなにまでしてヴァーツラフさんに逢いたいんですか?」
闇の中でヤナーチェクは押し黙っていた。
ルナには見えないだろうが、ズデンカはその向こうで震えながら唾を飲み込む喉を見た。
「どうすんだ、あ?」
ズデンカは睨み付けた。
「は……い」
ヤナーチェクはやっと怯えた声を漏らした。
「わたしは、手帳にヴァーツラフさんとあなたのことを全て書き記していますよ。だから、隠し立ては無用です」
「ペルッツさんの言う通りです。僕とヴァーツラフはそういう関係でした」
ヤナーチェクは言った。
「いつからだ?」
ズデンカは訊いた。
「下宿を借りる前からずっと。でも、親の目もありますから……。なかなか逢うことが出来ませんでした。だから、大学進学を名目に……」
「わかりますよ。世を忍ばねばならないのはわたしだって同じだ。手帳にはあなたとヴァーツラフさんはとても充たされていたと書いてありましたよ」
「はい、幸せな日々でした。でも……」
ヤナーチェクの声は震えた。
「なぜか、ヴァーツラフさんは魔道書にこだわりはじめた」
ルナは穏やかに言った。
「僕は何か悪かったのではないか、何か間違ったことをしてしまったのではないかと自分を責めました。でも、ヴァーツラフくんは違う、そうじゃないと繰り返すばかりで、答えてくれませんでした」
「確かですよ。あなたのせいじゃない。ヴァーツラフさんがああなったのは、悪魔主義の本を読み耽ったからだ。彼の責任です。あなたが悔やむことじゃない」
ルナは諭すように言った。
「でも、僕がもっと、ヴァーツラフくんの心の中に入り込めていたら、こんなことは起こらなかったんじゃなかったかって……」
ヤナーチェクは涙声になっていた。
「人はね。誰かの中に入り込むことなんて出来ないんですよ。もちろん、世の中には悪い奴がたくさんいて、人の心を操ろうとする。でも、あなたは、そんな輩じゃないでしょう?」
ルナはズデンカにはわからないことを言った。
「いえ、僕はヴァーツラフを操ろうとしました。二人で暮らそうって言ったのだって……」
「ヴァーツラフさんはそれを望んでいましたよ。何なら、本人に訊いてみますか?」
「でも、あなたは確か……」
ズデンカは素早く動いてランプに灯りを点けていた。
ルナはパイプを手にとって、ライターをカチリと鳴らした。
既に煙草はたっぷり詰めていたのか、煙が部屋じゅうに薄く薄く広がっていく。
「はい。わたしは人の見た幻想なら実体化することが出来る」
ヤナーチェクは泣き出していた。端で聞いているズデンカが情けないほど声を上擦らせながら。
目の前には整った面立ちの青年が立っていた。
――こいつがヴァーツラフなのだろう。
ズデンカは思った。
ズデンカは言った。なぜか苛立っていた。
「人を好きになるのに理由はいらないよね。嫌いになるのがそうであるように」
ズデンカは前日、心の中で考えたのと同じことをルナが口にしたので驚いた。
「寝過ぎだぞ」
と注意することで誤魔化した。
「半分起きてたよ。ところで、ヤナーチェクさん、あなたはそんなにまでしてヴァーツラフさんに逢いたいんですか?」
闇の中でヤナーチェクは押し黙っていた。
ルナには見えないだろうが、ズデンカはその向こうで震えながら唾を飲み込む喉を見た。
「どうすんだ、あ?」
ズデンカは睨み付けた。
「は……い」
ヤナーチェクはやっと怯えた声を漏らした。
「わたしは、手帳にヴァーツラフさんとあなたのことを全て書き記していますよ。だから、隠し立ては無用です」
「ペルッツさんの言う通りです。僕とヴァーツラフはそういう関係でした」
ヤナーチェクは言った。
「いつからだ?」
ズデンカは訊いた。
「下宿を借りる前からずっと。でも、親の目もありますから……。なかなか逢うことが出来ませんでした。だから、大学進学を名目に……」
「わかりますよ。世を忍ばねばならないのはわたしだって同じだ。手帳にはあなたとヴァーツラフさんはとても充たされていたと書いてありましたよ」
「はい、幸せな日々でした。でも……」
ヤナーチェクの声は震えた。
「なぜか、ヴァーツラフさんは魔道書にこだわりはじめた」
ルナは穏やかに言った。
「僕は何か悪かったのではないか、何か間違ったことをしてしまったのではないかと自分を責めました。でも、ヴァーツラフくんは違う、そうじゃないと繰り返すばかりで、答えてくれませんでした」
「確かですよ。あなたのせいじゃない。ヴァーツラフさんがああなったのは、悪魔主義の本を読み耽ったからだ。彼の責任です。あなたが悔やむことじゃない」
ルナは諭すように言った。
「でも、僕がもっと、ヴァーツラフくんの心の中に入り込めていたら、こんなことは起こらなかったんじゃなかったかって……」
ヤナーチェクは涙声になっていた。
「人はね。誰かの中に入り込むことなんて出来ないんですよ。もちろん、世の中には悪い奴がたくさんいて、人の心を操ろうとする。でも、あなたは、そんな輩じゃないでしょう?」
ルナはズデンカにはわからないことを言った。
「いえ、僕はヴァーツラフを操ろうとしました。二人で暮らそうって言ったのだって……」
「ヴァーツラフさんはそれを望んでいましたよ。何なら、本人に訊いてみますか?」
「でも、あなたは確か……」
ズデンカは素早く動いてランプに灯りを点けていた。
ルナはパイプを手にとって、ライターをカチリと鳴らした。
既に煙草はたっぷり詰めていたのか、煙が部屋じゅうに薄く薄く広がっていく。
「はい。わたしは人の見た幻想なら実体化することが出来る」
ヤナーチェクは泣き出していた。端で聞いているズデンカが情けないほど声を上擦らせながら。
目の前には整った面立ちの青年が立っていた。
――こいつがヴァーツラフなのだろう。
ズデンカは思った。
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