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第一部
第二十九話 幻の下宿人(7)
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「どんな理由です?」
ヤナーチェクは身を乗り出して訊いた。
「ヴァーツラフさんは、部屋を出ていったんじゃないんです。ここで黒い人型になってずっと存在していたんです」
ルナは床を指差した。
「まさか……」
ヤナーチェクは半信半疑のようだった。
「ヴァーツラフさんは悪魔の召喚に成功したんです。でも、普通の学生で大した能力もない人間に悪魔が興味を持つはずもない。何でも犠牲に捧げるから願いを叶えてくれと言っても取り付く島もなかった。で、あまりにもしつこかったので黒い煤のようなものに姿を変えられたんですよ。悪魔は残酷ですから」
ルナはヘラヘラ笑いながら言った。
「連れて……いかれたのではなかったんですね……」
ヤナーチェクは項垂れた。思っていたのとは違うとでもいった風だ。
「そうなんです。あなたが部屋を封じ込めていた間もずっと、ヴァーツラフさんはここにいたんですよ」
「元には戻せないんですか?」
ヤナーチェクが言った。
「戻せますよ」
ルナはあっさり答えた。
「お願い出来ますか?」
「本当に良いんですか?」
「えっ? どういうことですか? ヴァーツラフくんが生きているなら、甦らせた方が良いでしょう」
ヤナーチェクは怪訝そうだった。
「よく考えてください。ヴァーツラフさんは悪魔に一旦身体をバラバラにされて、それであんな黒い形状になったんですよ。元に戻したらどうなると思います?」
「そっ、それは……」
ヤナーチェクが言い澱んだ。
「肉屑、ですよ、肉屑」
ルナはかっと眼を大きく見開き、ヤナーチェクの前に顔を突き出した。
「脅かすな」
ズデンカはルナの肩を叩いて注意した。
「人間のかたちに戻すことは出来ないんですか」
ヤナーチェクの声は震えていた。
「わたしの力では不可能です。わたしは自分を含め人の心にあるものを実体化出来るだけでしてね」
「そうですか……」
「残念ですけど、ご協力出来るのはここまでです。でも、ありがとうございました。これで、綺譚《おはなし》として書き記すことが出来ました」
ルナは手帳を目の前で左右に揺らめかしながら言った。
「はあ……」
ヤナーチェクはため息を吐いた。
ルナは部屋から出ていった。
「それでは、お部屋の方に下がらせて頂きますね」
ズデンカは何も言わず従った。カミーユもとくに異論はないようだった。
カミーユもルナも長く仮眠を取った。
朝早くにデュレンマット郊外の『霰弾亭』を出立、ラミュの北部へ移動し、途中襲撃を受けながらも正午過ぎて検問所通過というハードな行程だ。ずっとベッドの中にいたルナが寝るにはまだ早いが、『霰弾亭』でもあまり寝ていなかったように見えるカミーユが眠くなるのは当然だろう。
二人とも同じベッドとシーツを分けて、重なり合って寝ていた。
ズデンカはそれを見て良い気分にはなれないまま、ランプの灯りも付けず、濃くなっていく闇の中で佇んでいた。
ズデンカは寝ないので、別にそれ自体はいつも通りで普通のことだったが。
やがて、静かにドアノブが回った。鍵を掛けられたこの部屋に入ってこられる人間は限られている。
息を殺した足音が響いた。
「お前だな」
ズデンカは声を出した。
ヤナーチェクだ。
「何が望みだ? 返答次第では殺す」
「手帳を……」
闇の中でもその顔面蒼白がよくわかった。
「そこまでしてヴァーツラフを甦らせたいのか。話を聞く限り、単なる愚か者としか思われないが」
ズデンカには理解不能だった。
「好きだったから、だよ」
ルナの声だった。
「ふぁー、よく寝た」
盛大にあくびをしながら。
ヤナーチェクは身を乗り出して訊いた。
「ヴァーツラフさんは、部屋を出ていったんじゃないんです。ここで黒い人型になってずっと存在していたんです」
ルナは床を指差した。
「まさか……」
ヤナーチェクは半信半疑のようだった。
「ヴァーツラフさんは悪魔の召喚に成功したんです。でも、普通の学生で大した能力もない人間に悪魔が興味を持つはずもない。何でも犠牲に捧げるから願いを叶えてくれと言っても取り付く島もなかった。で、あまりにもしつこかったので黒い煤のようなものに姿を変えられたんですよ。悪魔は残酷ですから」
ルナはヘラヘラ笑いながら言った。
「連れて……いかれたのではなかったんですね……」
ヤナーチェクは項垂れた。思っていたのとは違うとでもいった風だ。
「そうなんです。あなたが部屋を封じ込めていた間もずっと、ヴァーツラフさんはここにいたんですよ」
「元には戻せないんですか?」
ヤナーチェクが言った。
「戻せますよ」
ルナはあっさり答えた。
「お願い出来ますか?」
「本当に良いんですか?」
「えっ? どういうことですか? ヴァーツラフくんが生きているなら、甦らせた方が良いでしょう」
ヤナーチェクは怪訝そうだった。
「よく考えてください。ヴァーツラフさんは悪魔に一旦身体をバラバラにされて、それであんな黒い形状になったんですよ。元に戻したらどうなると思います?」
「そっ、それは……」
ヤナーチェクが言い澱んだ。
「肉屑、ですよ、肉屑」
ルナはかっと眼を大きく見開き、ヤナーチェクの前に顔を突き出した。
「脅かすな」
ズデンカはルナの肩を叩いて注意した。
「人間のかたちに戻すことは出来ないんですか」
ヤナーチェクの声は震えていた。
「わたしの力では不可能です。わたしは自分を含め人の心にあるものを実体化出来るだけでしてね」
「そうですか……」
「残念ですけど、ご協力出来るのはここまでです。でも、ありがとうございました。これで、綺譚《おはなし》として書き記すことが出来ました」
ルナは手帳を目の前で左右に揺らめかしながら言った。
「はあ……」
ヤナーチェクはため息を吐いた。
ルナは部屋から出ていった。
「それでは、お部屋の方に下がらせて頂きますね」
ズデンカは何も言わず従った。カミーユもとくに異論はないようだった。
カミーユもルナも長く仮眠を取った。
朝早くにデュレンマット郊外の『霰弾亭』を出立、ラミュの北部へ移動し、途中襲撃を受けながらも正午過ぎて検問所通過というハードな行程だ。ずっとベッドの中にいたルナが寝るにはまだ早いが、『霰弾亭』でもあまり寝ていなかったように見えるカミーユが眠くなるのは当然だろう。
二人とも同じベッドとシーツを分けて、重なり合って寝ていた。
ズデンカはそれを見て良い気分にはなれないまま、ランプの灯りも付けず、濃くなっていく闇の中で佇んでいた。
ズデンカは寝ないので、別にそれ自体はいつも通りで普通のことだったが。
やがて、静かにドアノブが回った。鍵を掛けられたこの部屋に入ってこられる人間は限られている。
息を殺した足音が響いた。
「お前だな」
ズデンカは声を出した。
ヤナーチェクだ。
「何が望みだ? 返答次第では殺す」
「手帳を……」
闇の中でもその顔面蒼白がよくわかった。
「そこまでしてヴァーツラフを甦らせたいのか。話を聞く限り、単なる愚か者としか思われないが」
ズデンカには理解不能だった。
「好きだったから、だよ」
ルナの声だった。
「ふぁー、よく寝た」
盛大にあくびをしながら。
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