250 / 526
第一部
第二十四話 氷の海のガレオン(9)
しおりを挟む
無視して降りようと心では思っていたのだが。
フランツは縄梯子を逆の方向に進んでいる自分に気付いた。
――馬鹿な。今さら色惚《いろぼ》けるか。
だが、不思議な力で押さえられるかのように身体の動きは止まらなかった。
おそらく、あの少女は何か特異な力の持ち主なのだろう。
戻ることが出来ないとわかると、フランツは観念して身体の行くがままに任せた。
甲板に上がってもまだ足は勝手に動き続ける。
舳先にいる少女はフランツが近付いても振り返らずにいた。
「お前は、誰だ」
フランツは直立して立ち止まった。一歩も進めなくなった。
手足のこわばりを感じながら鋭い声で問うた。
「我はファキイル」
少女は振り返った。
その瞳は燃えるが如く紅く、表情は全くといっていいほどわからなかった。僅かに小首を傾げただけだ。
フランツはその名前に心当たりがあった。
「ファキイル――? 神話に出てくるファキイルか?」
神話の中で、故郷を失った老人アモスと旅をしたと伝えられている犬のかたちをした神獣。
それがファキイルだ。
「まさに然《しか》り」
短く少女は答えた。声はやや嗄《しゃが》れて老人のようにも聞こえる。
「お前は犬のはずだ」
フランツは叫んだ。
「なるほどですね。神獣クラスなら海を一瞬で凍らせることも可能だ」
オドラデクが後ろからのこのことやってきた。
「汝《なれ》も人ではないな」
オドラデクの姿を一目見てファキイルは言った。
「ええそうです。ぼくはオドラデク。こう見えて本当はなかなかユニークなかたちしてましてね。あなたが今話しているのがフランツさん」
「勝手に言うな」
フランツは怒鳴った。
「良いじゃないですか。どう見ても敵意はなさそうですし」
オドラデクは目配せした。
「骸骨に俺たちを襲わせたのはお前だろ」
フランツはファキイルを睨んだ。
「然り。だがそれは我が汝らを見知らなかったからのこと。迷惑を掛けたのであれば詫びる」
とファキイルは頭を下げた。
フランツはふと自分の身体が軽くなったようになった。
自由に動けるようになっていた。後退して身構える。
「なんで海を凍らせたんですか?」
フランツが実は一番訊きたかったことを、オドラデクが代わりに言った。
「そろそろ、この船を海の底に沈めようと思ってな。他の者に見られてはまた要らぬ伝説を産む。巨万の富が眠っている、と言ったような」
「なるほど。確かに人間というやつぁ想像力がたくましいですからねえ。でも、そろそろということは、あなたはこの船に住んでいるわけではないですよね」
オドラデクは勝手に話を進めていく。
「然り。我は三百年振りにここに戻った。この船に乗っている者どもが我に無礼を働いたのでな。三百年、この船は彷徨い続けるように我は命じた」
――それがあの髑髏たちだな。
フランツは瞬時に感じ取った。
「無礼とは? あなたはどう見ても温厚そうなのに」
「あの者たちはアモスを馬鹿にした。いまだかつて見たことすらないのに伝え聞いた話だけを拠り所に」
一瞬だけファキイルの顔に感情の影が走ったようにフランツは思った。
「たったそれだけで?」
オドラデクは驚いていた。
「たったそれだけでも我にとっては大きかった」
「ほえー! じゃあぼくらもあなたの前じゃ口を慎まなくちゃなぁ。こわいこわい」
オドラデクは嘘っぽく怯えて見せた。
「我の前でなければ何を言っても構わない。聞きはしないからな」
そう言ってファキイルは少しだけ笑ったようだった。
フランツは縄梯子を逆の方向に進んでいる自分に気付いた。
――馬鹿な。今さら色惚《いろぼ》けるか。
だが、不思議な力で押さえられるかのように身体の動きは止まらなかった。
おそらく、あの少女は何か特異な力の持ち主なのだろう。
戻ることが出来ないとわかると、フランツは観念して身体の行くがままに任せた。
甲板に上がってもまだ足は勝手に動き続ける。
舳先にいる少女はフランツが近付いても振り返らずにいた。
「お前は、誰だ」
フランツは直立して立ち止まった。一歩も進めなくなった。
手足のこわばりを感じながら鋭い声で問うた。
「我はファキイル」
少女は振り返った。
その瞳は燃えるが如く紅く、表情は全くといっていいほどわからなかった。僅かに小首を傾げただけだ。
フランツはその名前に心当たりがあった。
「ファキイル――? 神話に出てくるファキイルか?」
神話の中で、故郷を失った老人アモスと旅をしたと伝えられている犬のかたちをした神獣。
それがファキイルだ。
「まさに然《しか》り」
短く少女は答えた。声はやや嗄《しゃが》れて老人のようにも聞こえる。
「お前は犬のはずだ」
フランツは叫んだ。
「なるほどですね。神獣クラスなら海を一瞬で凍らせることも可能だ」
オドラデクが後ろからのこのことやってきた。
「汝《なれ》も人ではないな」
オドラデクの姿を一目見てファキイルは言った。
「ええそうです。ぼくはオドラデク。こう見えて本当はなかなかユニークなかたちしてましてね。あなたが今話しているのがフランツさん」
「勝手に言うな」
フランツは怒鳴った。
「良いじゃないですか。どう見ても敵意はなさそうですし」
オドラデクは目配せした。
「骸骨に俺たちを襲わせたのはお前だろ」
フランツはファキイルを睨んだ。
「然り。だがそれは我が汝らを見知らなかったからのこと。迷惑を掛けたのであれば詫びる」
とファキイルは頭を下げた。
フランツはふと自分の身体が軽くなったようになった。
自由に動けるようになっていた。後退して身構える。
「なんで海を凍らせたんですか?」
フランツが実は一番訊きたかったことを、オドラデクが代わりに言った。
「そろそろ、この船を海の底に沈めようと思ってな。他の者に見られてはまた要らぬ伝説を産む。巨万の富が眠っている、と言ったような」
「なるほど。確かに人間というやつぁ想像力がたくましいですからねえ。でも、そろそろということは、あなたはこの船に住んでいるわけではないですよね」
オドラデクは勝手に話を進めていく。
「然り。我は三百年振りにここに戻った。この船に乗っている者どもが我に無礼を働いたのでな。三百年、この船は彷徨い続けるように我は命じた」
――それがあの髑髏たちだな。
フランツは瞬時に感じ取った。
「無礼とは? あなたはどう見ても温厚そうなのに」
「あの者たちはアモスを馬鹿にした。いまだかつて見たことすらないのに伝え聞いた話だけを拠り所に」
一瞬だけファキイルの顔に感情の影が走ったようにフランツは思った。
「たったそれだけで?」
オドラデクは驚いていた。
「たったそれだけでも我にとっては大きかった」
「ほえー! じゃあぼくらもあなたの前じゃ口を慎まなくちゃなぁ。こわいこわい」
オドラデクは嘘っぽく怯えて見せた。
「我の前でなければ何を言っても構わない。聞きはしないからな」
そう言ってファキイルは少しだけ笑ったようだった。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
悪役令嬢の騎士
コムラサキ
ファンタジー
帝都の貧しい家庭に育った少年は、ある日を境に前世の記憶を取り戻す。
異世界に転生したが、戦争に巻き込まれて悲惨な最期を迎えてしまうようだ。
少年は前世の知識と、あたえられた特殊能力を使って生き延びようとする。
そのためには、まず〈悪役令嬢〉を救う必要がある。
少年は彼女の騎士になるため、この世界で生きていくことを決意する。


天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜
八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。
第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。
大和型三隻は沈没した……、と思われた。
だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。
大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。
祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。
※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています!
面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※
※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる