月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚

浦出卓郎

文字の大きさ
上 下
249 / 526
第一部

第二十四話 氷の海のガレオン(8)

しおりを挟む
「仕方ない。廊下を通るしかないだろう」

 オドラデクの助力は期待せず、一人で動くことにした。

 埃を吸い込まないように口元を押さえ、もう片方の手で、蜘蛛の巣を掻きわけながら進んでいく。

 廊下も床板はガタピシとしていて今にも崩れ落ちそうだった。今は船の半ばにいるわけだが、そこからさらに落ちたら、船の下へ、下へ、奈落へと沈んでいくのだろう。

 そう思うだけで身震いがした。

 両の足先に力を入れ過ぎないよう、フランツはしっかり歩んだ。

 後ろを振り返ると、オドラデクがのろのろ尾いてくるのが見えた。二人が一緒に乗れば床板が沈むかもしれないので、正直来て欲しくはなかった。

 距離を取って先に行く。思いの外多くの部屋がこのガレオンにはあった。中には白骨がベッドに倒れこんでいる様子が覗えるものもあったが、気にしなかった。

――襲いかかってこないのならどうでもいい。

 あの海賊たちの髑髏とこの船室にいるものの違いはわからない。何かの力を得て動いているのかも知れない。それがオドラデクの言う『幻想』なのかも知れない。

――関係ない。

 フランツは焦りをひたすら身体の奥深くへ埋めた。

 廊下の突き当たりで左側に上へ繋がる階段があった。ようやく脱出できると思って足を掛けた途端それが砕けた。さっきまで階段があったそこには黒い闇が見えた。

 フランツは反射的に後ろにとびすさっていた。

 口を押さえているため脳にあまり血が回っていないことに気付いた。急いで呼吸するが即座に埃でむせて咳をした。

――このままじゃやばいな。

「ヘイ!」

 陽気な声が聞こえた。もちろんオドラデクだ。勢いよく壁を破壊して、そこから空気を入れていた。

「息苦しいでしょ?」

 勢いよく走り寄り、キラキラ目を輝かせて訊いてくる。

 だが、正直フランツは助かった。まだ、床板が沈下しないか気にはなっていたが。

「ぼくだけ置いてきぼりにして、悲しいじゃないですかぁ」

 と無理矢理肩を組んできた。

 意外にもそれで少しだけ焦りが和らいだような気がした。

 フランツは初めてオドラデクに感謝した。

 しかし、考え直せばそもそもこんな苦労をしなければならなくなったのはオドラデクのせいなのだ。

 階段を降りようとしたが、

――そうか、やつの開けた穴から出れば良いか。

 と思い直して、壊れた壁に近付いた。冷気に相変わらず身を切られるようだが、我慢して顔を外へ出した。

 船の脇腹から覗いた格好となる。絶壁と言うほどではなかったが、飛ぶにはいささか難しい位置だ。

 だが、幸いオドラデクが引き摺り下ろした縄がそう遠くない場所に掛かっていた。

 フランツは穴から身体を這い出させ、壁の隙間に指を突っ込んで縋りながら縄を引き寄せた。

 手がかじかむ。感覚すらなくなりそうだ。

 それでも力を振り絞り、軽く跳躍して縄を掴んだ。

 身体のバランスを調えなおしたら、一段一段、下へと降りる。

 ようやく、足が氷の上に着きそうになった時、不思議な姿が、船の甲板の上に見えた。

 雪のように白い肌。

――いや、これは白子《アルビノ》というやつだ。

 風に靡く藍色のローブを被った幼い娘が船の甲板にすっくと立っていたのだった。

――幽霊か。

 フランツは思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

処理中です...