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第一部
第二十三話 犬狼都市(5)
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犬は牙を剥き出し、涎を垂らしている。
電灯の明かりに尾っぽが照らされて黄金のように輝いた。
「これは挨拶だ! 綺譚収集者、ルナ・ペルッツ!」
少年がこちらにコツコツと歩いてきた。
「お前は誰だ?」
ズデンカは訊いた。
「『詐欺師の楽園』席次四、イヴァン・コワコフスキ」
少年の口から漏れてきた言葉はさきほどのあどけないものとは打って変わって、鋭く響く声だった。
「襲うならさっき出来たはずだが?」
ズデンカはコワコフスキを睨み付けた。
「俺の目的はペルッツの捕縛。でも、こんなに人の集まる場所ならこの力を試せる。幻想展開《ファンタジー・エシャイン》『異形の犬』を!」
少年は提げた笛を吹き鳴らした。音はしなかった。
いや、ズデンカは細々とだが聞き取った。
――これは、犬笛だ。
人間には聞こえず、犬たちにだけに通じる音だ。
半ばにある不死者も聞くことが出来る。
一瞬の静寂。
続いて滝壺を打つ瀑布のような轟音が、サーカスのテントの外から聞こえ始めた。
ズデンカにはわかった。
これは跫音、物凄い数の跫音だ。
何者かがテントの周りを取り囲んでいるのだ。
観客たちは恐慌状態に陥って顔を見合わせたり、頭を抱えて踞ったりしていた。
「皆々さま方、落ち着いてくださりませ」
焦りながら、騒ぎを静めようと躍起になっているバルトルシャイティス。
「犬ども、やれぇ!」
コワコフスキは銅鑼声を上げた。
布が破れる音。
サーカスの幕に次々と穴が開いた。そこから匕首《あいくち》のようなものが無数に飛び込んできた。
犬たちだ。雑種のものがほとんどだったが、中には狼を思わせるように牙が長く鋭いものも混じっていた。
皆飢えきって、涎を垂らしている。
テントの中は大騒ぎになった。
逃げ惑う観客。どこに逃げていいかわからないまま互いにぶつかり合い、地面にこけつまろびつしていた。
その喉首を目掛けて赤い口を広げながら齧り付く犬たち。
一匹が電灯にぶつかり、ロザリオの数珠を手繰るがごとく、するすると他の電灯が地に落ち、割れていった。
「ルナ!」
ズデンカはルナの身体に覆い被さり、ガラスの破片などが刺さらないよう努めるので精一杯だった。
――そうか。ルナの能力と奴らの使う技のようなものは関係があるって話だからな。何となくルナがわかっても当然だ。
身体の下でルナの潜めた息遣いを感じながら、ズデンカは思った。
「苦しくないか」
「うん」
ルナは平気そうだった。
「どうする。このまま逃げるか」
「そうもいかないよ。わたしの力で何とかしなきゃ」
「お前は、別に、皆を救うとか、しなくていいんだぞ」
ズデンカは言葉を句切りながら言った。
「救う気ないよ。せっかくオラウータンを届けられたのに、それが台無しになるのが嫌なだけ」
ルナは立ち上がろうとした。
ズデンカが助け起こす。
他の観客に食らいついていた犬たちがすかさず走り寄ってきた。
ルナはさっと手を振った。
二匹の犬が弾かれる。
「今度は透明な牆壁を張ったよ。ほら、パイプを使わなくてもできるだろ?」
微笑むルナの顔には少し疲れの色が見えていた。
ズデンカは不安になった。
「次の手もある」
電灯の明かりに尾っぽが照らされて黄金のように輝いた。
「これは挨拶だ! 綺譚収集者、ルナ・ペルッツ!」
少年がこちらにコツコツと歩いてきた。
「お前は誰だ?」
ズデンカは訊いた。
「『詐欺師の楽園』席次四、イヴァン・コワコフスキ」
少年の口から漏れてきた言葉はさきほどのあどけないものとは打って変わって、鋭く響く声だった。
「襲うならさっき出来たはずだが?」
ズデンカはコワコフスキを睨み付けた。
「俺の目的はペルッツの捕縛。でも、こんなに人の集まる場所ならこの力を試せる。幻想展開《ファンタジー・エシャイン》『異形の犬』を!」
少年は提げた笛を吹き鳴らした。音はしなかった。
いや、ズデンカは細々とだが聞き取った。
――これは、犬笛だ。
人間には聞こえず、犬たちにだけに通じる音だ。
半ばにある不死者も聞くことが出来る。
一瞬の静寂。
続いて滝壺を打つ瀑布のような轟音が、サーカスのテントの外から聞こえ始めた。
ズデンカにはわかった。
これは跫音、物凄い数の跫音だ。
何者かがテントの周りを取り囲んでいるのだ。
観客たちは恐慌状態に陥って顔を見合わせたり、頭を抱えて踞ったりしていた。
「皆々さま方、落ち着いてくださりませ」
焦りながら、騒ぎを静めようと躍起になっているバルトルシャイティス。
「犬ども、やれぇ!」
コワコフスキは銅鑼声を上げた。
布が破れる音。
サーカスの幕に次々と穴が開いた。そこから匕首《あいくち》のようなものが無数に飛び込んできた。
犬たちだ。雑種のものがほとんどだったが、中には狼を思わせるように牙が長く鋭いものも混じっていた。
皆飢えきって、涎を垂らしている。
テントの中は大騒ぎになった。
逃げ惑う観客。どこに逃げていいかわからないまま互いにぶつかり合い、地面にこけつまろびつしていた。
その喉首を目掛けて赤い口を広げながら齧り付く犬たち。
一匹が電灯にぶつかり、ロザリオの数珠を手繰るがごとく、するすると他の電灯が地に落ち、割れていった。
「ルナ!」
ズデンカはルナの身体に覆い被さり、ガラスの破片などが刺さらないよう努めるので精一杯だった。
――そうか。ルナの能力と奴らの使う技のようなものは関係があるって話だからな。何となくルナがわかっても当然だ。
身体の下でルナの潜めた息遣いを感じながら、ズデンカは思った。
「苦しくないか」
「うん」
ルナは平気そうだった。
「どうする。このまま逃げるか」
「そうもいかないよ。わたしの力で何とかしなきゃ」
「お前は、別に、皆を救うとか、しなくていいんだぞ」
ズデンカは言葉を句切りながら言った。
「救う気ないよ。せっかくオラウータンを届けられたのに、それが台無しになるのが嫌なだけ」
ルナは立ち上がろうとした。
ズデンカが助け起こす。
他の観客に食らいついていた犬たちがすかさず走り寄ってきた。
ルナはさっと手を振った。
二匹の犬が弾かれる。
「今度は透明な牆壁を張ったよ。ほら、パイプを使わなくてもできるだろ?」
微笑むルナの顔には少し疲れの色が見えていた。
ズデンカは不安になった。
「次の手もある」
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