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第一部
第十六話 不在の騎士(16)
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「矛盾ばっかりですね、この人」
オドラデクは呆れた。
「どういうことだ?」
「とぼけないでくださいよ。最後に言ったこと聞いていたでしょう」
――やっぱり耳に入れていたのだな。
フランツはため息を吐いた。
「ビビッシェ・ベーハイムは生きている。確かにテュルリュパンはそう言った」
ミュノーナ西部、ミュラーの森で殺害されたはずなのに。そのことは多くの新聞や本も記している。
「なら、その理由を探しましょうよ。後の文章を読んでいかなくちゃ」
「うむ」
フランツはあまり乗り気ではなかった。
「あれれ? どうしたんです?」
「なんか、知らんけどな」
よくはわからないが心のどこかで読み進めることを拒むものがあるのだった。知りたくて堪らないはずなのに。
「じゃあ、ぼくだけで読み進めますよーだ」
オドラデクは勝手にした。
どれぐらい時間が経ったのか。どれぐらい独りでいたのか。
俺にはわからなかった。
すくなくともずっと闇の中で独りでいたことは間違いない。
光も差さぬ、灯りも点さぬ小屋の中で。
ビビッシェが行ってからずっとそうしていた。
俺には全てと言えるものがなくなった。いなくなって初めて、大事な存在だったと気付いたのだ。
俺はビビッシェの騎士になりたかった。
たとえそれを受け入れてくれなかったとしても。
ようやくここを去ろうと決意したのは半年ぐらいたってだった。
驚くことに俺は何も食わなくても死なない身体になっていた。水すら飲まなくても。透明なのだから仕方ないのかも知れない。餓え死ぬことは不可能だった。
つまり、なかなか元の身体には戻れないということだ。
誰も気付きもしないし、何も言ってこない。俺は自由の身だった。
俺は西へさらに西へ逃げた。追われないとは言え、テュルリュパンとしての経歴は良く知られている。少しでも暴れたら追捕の兵が差し向けられるだろう。
幸いロルカは連合軍には付かず、中立を保っていたし、俺でも暮らしやすいと思って目指したのだ。
聖なる山へはあまり近付くものが少なかった。当時はまだ周辺をうろうろしている者もいたが、俺は夜を狙ってこの山小屋へ忍び込んでいた。
しかし、殺しへの欲求は収まらなかった。
それはある種の自慰行為のようになっていた。
済まさずには終わらないのだ。最初のうちは騒ぎになってしまうことを恐れて何もしないでいた。
だが、若い、むちりとした身体を持つ女巡礼が山へ訪れてきたとき、つい衝動に負けて絞め殺してしまった。
それからだ。殺しに次ぐ殺しが始まったのは。
ある時、馬車に四角い木箱が乗せられて通りかかるのを見た。
俺は即座に馭者をくびり殺し、それを奪った。
中にはあんなに夢見た。騎士の鎧があった。何百年以上前に作られたものだろうか。俺は何も言わず、それを身に纏った。
俺は騎士だ。
ビビッシェ・ベーハイムの騎士なのだ。
それからしばらくして、俺はビビッシェが生きていることを確信した。
とまで読んだところで、紙が引きちぎられていた。処分して燃やしたようだ。
「くそう!」
オドラデクはあからさまに不機嫌になった。
「ここまで読ませられて、これってないですよぉ!」
「少し、貸して頂けませんか?」
それまで黙っていたホセが突然言った。
オドラデクは唇を尖らせながら、手記を渡した。
敗れた箇所からさらに何頁も繰って見ていった後、ホセは静かに、
「妹について書かれていました」
とその場所を示してみせた。
オドラデクは呆れた。
「どういうことだ?」
「とぼけないでくださいよ。最後に言ったこと聞いていたでしょう」
――やっぱり耳に入れていたのだな。
フランツはため息を吐いた。
「ビビッシェ・ベーハイムは生きている。確かにテュルリュパンはそう言った」
ミュノーナ西部、ミュラーの森で殺害されたはずなのに。そのことは多くの新聞や本も記している。
「なら、その理由を探しましょうよ。後の文章を読んでいかなくちゃ」
「うむ」
フランツはあまり乗り気ではなかった。
「あれれ? どうしたんです?」
「なんか、知らんけどな」
よくはわからないが心のどこかで読み進めることを拒むものがあるのだった。知りたくて堪らないはずなのに。
「じゃあ、ぼくだけで読み進めますよーだ」
オドラデクは勝手にした。
どれぐらい時間が経ったのか。どれぐらい独りでいたのか。
俺にはわからなかった。
すくなくともずっと闇の中で独りでいたことは間違いない。
光も差さぬ、灯りも点さぬ小屋の中で。
ビビッシェが行ってからずっとそうしていた。
俺には全てと言えるものがなくなった。いなくなって初めて、大事な存在だったと気付いたのだ。
俺はビビッシェの騎士になりたかった。
たとえそれを受け入れてくれなかったとしても。
ようやくここを去ろうと決意したのは半年ぐらいたってだった。
驚くことに俺は何も食わなくても死なない身体になっていた。水すら飲まなくても。透明なのだから仕方ないのかも知れない。餓え死ぬことは不可能だった。
つまり、なかなか元の身体には戻れないということだ。
誰も気付きもしないし、何も言ってこない。俺は自由の身だった。
俺は西へさらに西へ逃げた。追われないとは言え、テュルリュパンとしての経歴は良く知られている。少しでも暴れたら追捕の兵が差し向けられるだろう。
幸いロルカは連合軍には付かず、中立を保っていたし、俺でも暮らしやすいと思って目指したのだ。
聖なる山へはあまり近付くものが少なかった。当時はまだ周辺をうろうろしている者もいたが、俺は夜を狙ってこの山小屋へ忍び込んでいた。
しかし、殺しへの欲求は収まらなかった。
それはある種の自慰行為のようになっていた。
済まさずには終わらないのだ。最初のうちは騒ぎになってしまうことを恐れて何もしないでいた。
だが、若い、むちりとした身体を持つ女巡礼が山へ訪れてきたとき、つい衝動に負けて絞め殺してしまった。
それからだ。殺しに次ぐ殺しが始まったのは。
ある時、馬車に四角い木箱が乗せられて通りかかるのを見た。
俺は即座に馭者をくびり殺し、それを奪った。
中にはあんなに夢見た。騎士の鎧があった。何百年以上前に作られたものだろうか。俺は何も言わず、それを身に纏った。
俺は騎士だ。
ビビッシェ・ベーハイムの騎士なのだ。
それからしばらくして、俺はビビッシェが生きていることを確信した。
とまで読んだところで、紙が引きちぎられていた。処分して燃やしたようだ。
「くそう!」
オドラデクはあからさまに不機嫌になった。
「ここまで読ませられて、これってないですよぉ!」
「少し、貸して頂けませんか?」
それまで黙っていたホセが突然言った。
オドラデクは唇を尖らせながら、手記を渡した。
敗れた箇所からさらに何頁も繰って見ていった後、ホセは静かに、
「妹について書かれていました」
とその場所を示してみせた。
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