136 / 342
第一部
第十四話 影と光(1)
しおりを挟む
――ランドルフィ王国西端パピーニ
朝の光の中、メイド兼従者兼馭者の吸血鬼《ヴルダラク》ズデンカは街の大通りを歩いていった。
一体に吸血鬼は光が苦手とされるが、ズデンカはそうではない。ただ、微かに肌がこそばゆく感じられるぐらいだった。
痛覚のほとんどないズデンカにとって、それは存在している証のようでわずかに喜ばしかった。
影を持たないズデンカは怪しまれやすい。普通は誰も他人の足元など気にしないものだが、中には物好きもいるのだ。ジロジロと全身を眺められて通り過ぎられた。
普段は綺譚収集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツと一緒に歩くことも多く、目立つことがなかったが、今は独りだ。
ルナとは昨日、山の中ではぐれてしまったのだった。
宿で一緒の部屋にいた自称反救世主大蟻喰は勝手にどこかへ行ってしまった。
さあ、自由に動けるとなれば、何をしていいか困ってしまう。
――それぐらいここ数年あたしはルナのためにばかり動いていたということだ。
一応ルナが戻ってきた時のために市場で買い物をして置こうと思い、外へ出たのだが、やはり心なしか寂しい。
――寂しい。
言葉にしてしまえば、単純だった。
一人で買い出しにいったことは何度もあるが、今は笑顔で待っていてくれる相手はいないのだ。
自然と足どりはそれ、街の中をぶらぶらと歩いてしまうことになる。
パピーニは古い町で、中世以前に立てられた石造りの建築を数多く残していた。
かつて剣闘士が闘った闘技場《コロッセウム》の誰もいない座席に一人座って、物思いに耽った。
――そうだ。
ズデンカは懐からまた紙切れを取り出した。持参した鉛筆でさらさらと書き記して、詩を書き付けた。
いや、詩とも言えない断片のようなものだったが。
――ろくな言葉が浮かんでこねえ。
己の詩藻《しそう》の乏しさを実感しながら、ズデンカは鉛筆をしまった。
ずっと昔もこう言う廃墟に佇んでいたことが多かった。
ズデンカは廃墟が好きだ。
人の行き交う往来より、誰もいない場所を好んだ。
自嘲的な笑みが口元に浮かんでくる。
――そう言うとこはルナも同じだな。
いや、ルナは社交場やカジノなども大好きだ。そう言うところは自分とそりが合わないが、独りでいることも好きなことは良く知っている。
だからズデンカもこっそり構わないでやることもあった。
――『構わない優しさ』とか七面倒なことを言ってやがったな。
また、ルナのことを考えてしまう。
大蟻喰にルナを抜きにした存在意義が不明と嘲笑われたが、本当にその通りだと思った。
ルナがいないと何をして良いのか分からないのだ。
詩を書くことに没頭出来るかと思ったが、そうではなかった。
――このままルナが戻らなかったら、あたしはどうなるんだろう? また百年ばかり、一人で彷徨うことになるのか。
そう思いながらぼんやり草生したコロッセウムの中心部を眺めていた時だ。
朝の光に包まれて、一人の少年が歩んでいた。古風な貫頭衣《トゥニカ》を身に纏っていた。
ズデンカは目をこすった。そんな人間じみた動きをしてしまうぐらい、自分の見た光景が信じられなかったのだ。
なぜなら、そんな少年の姿はさっきまでかけらも見えはしなかったからだ。
「なんだ、なんだってんだよ」
思わず口に出して、ところどころ大理石が砕けた座席を下っていき、中心部へと近づいた。
「お前、一体何者だ?」
鋭く聞いた。
少年はうわの空のようだった。
「言え。さもないと……」
今のズデンカにはルナの制止すらない。殺そうと思えばすぐに殺せた。
昔のように。
朝の光の中、メイド兼従者兼馭者の吸血鬼《ヴルダラク》ズデンカは街の大通りを歩いていった。
一体に吸血鬼は光が苦手とされるが、ズデンカはそうではない。ただ、微かに肌がこそばゆく感じられるぐらいだった。
痛覚のほとんどないズデンカにとって、それは存在している証のようでわずかに喜ばしかった。
影を持たないズデンカは怪しまれやすい。普通は誰も他人の足元など気にしないものだが、中には物好きもいるのだ。ジロジロと全身を眺められて通り過ぎられた。
普段は綺譚収集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツと一緒に歩くことも多く、目立つことがなかったが、今は独りだ。
ルナとは昨日、山の中ではぐれてしまったのだった。
宿で一緒の部屋にいた自称反救世主大蟻喰は勝手にどこかへ行ってしまった。
さあ、自由に動けるとなれば、何をしていいか困ってしまう。
――それぐらいここ数年あたしはルナのためにばかり動いていたということだ。
一応ルナが戻ってきた時のために市場で買い物をして置こうと思い、外へ出たのだが、やはり心なしか寂しい。
――寂しい。
言葉にしてしまえば、単純だった。
一人で買い出しにいったことは何度もあるが、今は笑顔で待っていてくれる相手はいないのだ。
自然と足どりはそれ、街の中をぶらぶらと歩いてしまうことになる。
パピーニは古い町で、中世以前に立てられた石造りの建築を数多く残していた。
かつて剣闘士が闘った闘技場《コロッセウム》の誰もいない座席に一人座って、物思いに耽った。
――そうだ。
ズデンカは懐からまた紙切れを取り出した。持参した鉛筆でさらさらと書き記して、詩を書き付けた。
いや、詩とも言えない断片のようなものだったが。
――ろくな言葉が浮かんでこねえ。
己の詩藻《しそう》の乏しさを実感しながら、ズデンカは鉛筆をしまった。
ずっと昔もこう言う廃墟に佇んでいたことが多かった。
ズデンカは廃墟が好きだ。
人の行き交う往来より、誰もいない場所を好んだ。
自嘲的な笑みが口元に浮かんでくる。
――そう言うとこはルナも同じだな。
いや、ルナは社交場やカジノなども大好きだ。そう言うところは自分とそりが合わないが、独りでいることも好きなことは良く知っている。
だからズデンカもこっそり構わないでやることもあった。
――『構わない優しさ』とか七面倒なことを言ってやがったな。
また、ルナのことを考えてしまう。
大蟻喰にルナを抜きにした存在意義が不明と嘲笑われたが、本当にその通りだと思った。
ルナがいないと何をして良いのか分からないのだ。
詩を書くことに没頭出来るかと思ったが、そうではなかった。
――このままルナが戻らなかったら、あたしはどうなるんだろう? また百年ばかり、一人で彷徨うことになるのか。
そう思いながらぼんやり草生したコロッセウムの中心部を眺めていた時だ。
朝の光に包まれて、一人の少年が歩んでいた。古風な貫頭衣《トゥニカ》を身に纏っていた。
ズデンカは目をこすった。そんな人間じみた動きをしてしまうぐらい、自分の見た光景が信じられなかったのだ。
なぜなら、そんな少年の姿はさっきまでかけらも見えはしなかったからだ。
「なんだ、なんだってんだよ」
思わず口に出して、ところどころ大理石が砕けた座席を下っていき、中心部へと近づいた。
「お前、一体何者だ?」
鋭く聞いた。
少年はうわの空のようだった。
「言え。さもないと……」
今のズデンカにはルナの制止すらない。殺そうと思えばすぐに殺せた。
昔のように。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
9
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる