122 / 526
第一部
第十二話 肉腫(7)
しおりを挟む
会話を聞いているだけで疲れたのか、フランツは部屋に戻るとすぐに眠りに落ちた。
ベッドに横になって毛布を被ると意識がなくなっていたのだ。緊張がゆるんだのだろうか。
眠りが浅くなった時、
「ねえ、起きてくださいよぉ。起きてったらぁ。こんな美女の誘いを断っていていいんですかぁ?」
甘ったるい声でオドラデクが耳元で話しかけてきた。
「もう夜の二時ですよぉ。通算九時間も眠っちゃってますよぉ」
襟元に手を掛けてくるのでフランツは空かさず振り払った。
「うるさい」
目を覚まして起きあがる。気分は爽快だった。
窓の外は真っ暗だ。
冬の夜風がしみじみと身に染みる。
オドラデクときたら、カーテンを閉める心遣いすらやった痕跡がない。
「なんとねえ、クローゼットの隙間から、寝息が聞こえるんですよぉ。ぼくぅ、怖くて眠れなぁい!」
両手で頬を押さえ、怯える振りをしながらオドラデクはガタガタと逃げ回った。
――あの母親の真似かよ。馬鹿らしい。
オドラデクは寝る必要がないのだ。
フランツはベッドから起き上がり、クローゼットに耳を当てた。宿に到着して以来、全く使っていなかったはずなのだが。
確かに寝息が聞こえてくる。
「おい、鞘の中に入れ。お前は武器らしくしろ」
フランツはクローゼットから離れ、鞘から空っぽの刀身を抜き放った。
「その必要はないみたいです」
オドラデクはクローゼットに近づき、フランツが止める暇もあらばこそ、一気に開けた。
中ではサロメが寝息を立てて眠っていた。背中の肉腫を板に押し付け、身を細めながら。
頬がこけ、涙が乾ききったその顔を哀れに思ったフランツは起こすのをやめることにした。
「寝かせてやる」
そう言ってサロメの身体を持ち上げ、ベッドに移した。大きな肉腫が間近に迫り、少しでも触って苦しめてしまったらと考えるとひやひやした。
幸い起きることはなく、サロメはうつぶせのまま枕に横たえられた。
「へえー、あなたがやるんですねえ」
オドラデクはふざけた声を上げた。
「仕方ないだろ」
フランツは頭を掻きながら言った。
「ぼくがやっても良かったのに。今、おっぱいだって付いてるんですよ?」
「やる気ないだろ」
サロメが起きるまでフランツは椅子に坐って本の残りを読んで過ごした。オドラデクも邪魔しようとはしてこなかった。
夜明け近くなって、サロメは目を覚ました。
「起きたか」
「はい」
サロメはうつぶせのまま言った。昼間とは違って、落ち着いているようにも見えた。
「どうやって逃げた?」
尋問するようにフランツは言った。
「ドアの後ろに隠れていました。母とあなた方が行ってしまった後に出てこの部屋へ忍び込んだんです。扉が開いたままでしたから。ちょうどクローゼットにも服が入ってなかったし」
「まあそうだろうな。そんなにしてまで、あの母親と離れたいか?」
出来るだけ冷酷にフランツは続けた。
「はい。さんざん話は聞かされたでしょう。母は私をどこまでも管理したいんです。いや、それだけじゃありません。生き続ける限り母は必ず私を哀れみの道具に使う。あなたにお願いしたいことは一つだけです」
「?」
首を曲げてこちらに向かって微笑み掛けるサロメを、フランツは見た。微笑みながら、その眼からは絶え間なく涙が滴っていた。
「私を、殺してください」
ベッドに横になって毛布を被ると意識がなくなっていたのだ。緊張がゆるんだのだろうか。
眠りが浅くなった時、
「ねえ、起きてくださいよぉ。起きてったらぁ。こんな美女の誘いを断っていていいんですかぁ?」
甘ったるい声でオドラデクが耳元で話しかけてきた。
「もう夜の二時ですよぉ。通算九時間も眠っちゃってますよぉ」
襟元に手を掛けてくるのでフランツは空かさず振り払った。
「うるさい」
目を覚まして起きあがる。気分は爽快だった。
窓の外は真っ暗だ。
冬の夜風がしみじみと身に染みる。
オドラデクときたら、カーテンを閉める心遣いすらやった痕跡がない。
「なんとねえ、クローゼットの隙間から、寝息が聞こえるんですよぉ。ぼくぅ、怖くて眠れなぁい!」
両手で頬を押さえ、怯える振りをしながらオドラデクはガタガタと逃げ回った。
――あの母親の真似かよ。馬鹿らしい。
オドラデクは寝る必要がないのだ。
フランツはベッドから起き上がり、クローゼットに耳を当てた。宿に到着して以来、全く使っていなかったはずなのだが。
確かに寝息が聞こえてくる。
「おい、鞘の中に入れ。お前は武器らしくしろ」
フランツはクローゼットから離れ、鞘から空っぽの刀身を抜き放った。
「その必要はないみたいです」
オドラデクはクローゼットに近づき、フランツが止める暇もあらばこそ、一気に開けた。
中ではサロメが寝息を立てて眠っていた。背中の肉腫を板に押し付け、身を細めながら。
頬がこけ、涙が乾ききったその顔を哀れに思ったフランツは起こすのをやめることにした。
「寝かせてやる」
そう言ってサロメの身体を持ち上げ、ベッドに移した。大きな肉腫が間近に迫り、少しでも触って苦しめてしまったらと考えるとひやひやした。
幸い起きることはなく、サロメはうつぶせのまま枕に横たえられた。
「へえー、あなたがやるんですねえ」
オドラデクはふざけた声を上げた。
「仕方ないだろ」
フランツは頭を掻きながら言った。
「ぼくがやっても良かったのに。今、おっぱいだって付いてるんですよ?」
「やる気ないだろ」
サロメが起きるまでフランツは椅子に坐って本の残りを読んで過ごした。オドラデクも邪魔しようとはしてこなかった。
夜明け近くなって、サロメは目を覚ました。
「起きたか」
「はい」
サロメはうつぶせのまま言った。昼間とは違って、落ち着いているようにも見えた。
「どうやって逃げた?」
尋問するようにフランツは言った。
「ドアの後ろに隠れていました。母とあなた方が行ってしまった後に出てこの部屋へ忍び込んだんです。扉が開いたままでしたから。ちょうどクローゼットにも服が入ってなかったし」
「まあそうだろうな。そんなにしてまで、あの母親と離れたいか?」
出来るだけ冷酷にフランツは続けた。
「はい。さんざん話は聞かされたでしょう。母は私をどこまでも管理したいんです。いや、それだけじゃありません。生き続ける限り母は必ず私を哀れみの道具に使う。あなたにお願いしたいことは一つだけです」
「?」
首を曲げてこちらに向かって微笑み掛けるサロメを、フランツは見た。微笑みながら、その眼からは絶え間なく涙が滴っていた。
「私を、殺してください」
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。


世界の端に舞う雪
秋初夏生(あきは なつき)
現代文学
雪が降る夜、駅のホームで僕は彼女に出会った
まるで雪の精のように、ふわりと現れ、消えていった少女──
静かな夜の駅で、心をふっと温める、少し不思議で儚い物語
スキルが【アイテムボックス】だけってどうなのよ?
山ノ内虎之助
ファンタジー
高校生宮原幸也は転生者である。
2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。
異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。
唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる