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第一部
第十二話 肉腫(1)
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ロルカ諸侯連合東部――僻村キローガ
スワスティカ猟人《ハンター》フランツ・シュルツは眼を見張っていた。
寝台にうつぶせに横たわる少女の背中には大きな肉腫が開いて中が見え、表皮にはかさぶたのように赤黒い血がわだかまっていたからだ。背骨や肋骨が浮いて見えるほど痩せこけている。
その栄養全てを貪食するかように、肉腫は太りきっていた。身体の半分ほどの皮膚が膨れ上がっているのだから。少女は背中の部分だけ大きく穴を開けられた服を着ている。
よく眼を凝らしてみると、その中には人の顔があった。黒い血の中に出来た歪んだ皺が、そうであるかのように見えたのだ。
少女はあえいで枕を握り締めていた。熱があるようで顔も赤くなっている。
その身体が揺れるごとに肉腫も動き、まるで人のかたちをした皺が喋り出すかのようにも見えた。
「スワスティカの残党の仕業、ですかねえ」
青年の姿となったオドラデクは横に立ち、小首を傾げる振りをしていた。本来は人ではないのだから、そのようなことはしなくて良いのだ。
事の起こりはこんな風だった。
フランツとオドラデクは二三時間前にこの町に辿り着いたばかりだった。
総選挙が近いため各村で政治運動が盛り上がり、駅ごとに熱く議論しながら多くの客が乗り込んでくるトゥールーズ国内とは違って、民主制を採用していないロルカ諸侯連合では打って変わって静かな汽車旅を楽しむことが出来た。
ここから乗り換えて北部に移ろうとしたのだが、なんと明日にならないと汽車が来ないという。
仕方なく宿の二階に部屋を借り、フランツはベッドに横になって旅の疲れを休めようとした。
「相変わらず気難しい顔しちゃって」
オドラデクはふざけていた。
「……」
すぐに眠気はやってこないと分かっていたので、フランツは無言のまま本を読んでいた。親交があった綺譚収集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツを真似たわけではないが、フランツも読書は好きだ。
「本で旅をするとか言う気取った御仁もいますけど、あなたの場合旅をしているのに本を読むんですか」
逆にオドラデクが本を読んでいる姿を見せることは少ない。ほとんど鞘の中にいるからだが。
「……」
フランツは返事をしなかった。
「つれないですねえ。なら、ぼくは勝手に出ていっちゃいますよ」
「やめとけ」
そう止める暇もあらばこそ、オドラデクは外へ飛び出していった。
――まったくどこかの誰かのようだな。
ルナの顔を思い浮かべながら、フランツは本を読んだ。
「ねえねえ」
だが十分もせずにオドラデクは戻ってきた。
「面白いものを見付けたんですけど」
「知らん。お前にとって面白いものが俺にとって面白いとは限らん」
「相変わらず理屈っぽいんですね。なら、見てみないことには分からないでしょ。近くの部屋ですよ」
「面白くなかったらなんかくれるのか?」
「さあ、ぼくの糸で良ければ存分に」
オドラデクはにこりと笑った。
「いるか。そんなもん」
「じゃあ、死んでしまうかも知れませんね」
「お前が? なら望むところだ」
「悲しいなあ。でも死にかけてるのはぼくじゃない。女の子です」
フランツは立ち上がった。
「へー。あなたも年頃なんだな。女の子なら救いたいと思うものなんですか?」
「……」
フランツは無視して部屋の外へ出た。
「どこだ?」
「三つ扉を置いた部屋」
扉の間隔は短い。フランツは足早に近づき中に入った。
そして、今の光景を目の当たりにしたというわけだ。
スワスティカ猟人《ハンター》フランツ・シュルツは眼を見張っていた。
寝台にうつぶせに横たわる少女の背中には大きな肉腫が開いて中が見え、表皮にはかさぶたのように赤黒い血がわだかまっていたからだ。背骨や肋骨が浮いて見えるほど痩せこけている。
その栄養全てを貪食するかように、肉腫は太りきっていた。身体の半分ほどの皮膚が膨れ上がっているのだから。少女は背中の部分だけ大きく穴を開けられた服を着ている。
よく眼を凝らしてみると、その中には人の顔があった。黒い血の中に出来た歪んだ皺が、そうであるかのように見えたのだ。
少女はあえいで枕を握り締めていた。熱があるようで顔も赤くなっている。
その身体が揺れるごとに肉腫も動き、まるで人のかたちをした皺が喋り出すかのようにも見えた。
「スワスティカの残党の仕業、ですかねえ」
青年の姿となったオドラデクは横に立ち、小首を傾げる振りをしていた。本来は人ではないのだから、そのようなことはしなくて良いのだ。
事の起こりはこんな風だった。
フランツとオドラデクは二三時間前にこの町に辿り着いたばかりだった。
総選挙が近いため各村で政治運動が盛り上がり、駅ごとに熱く議論しながら多くの客が乗り込んでくるトゥールーズ国内とは違って、民主制を採用していないロルカ諸侯連合では打って変わって静かな汽車旅を楽しむことが出来た。
ここから乗り換えて北部に移ろうとしたのだが、なんと明日にならないと汽車が来ないという。
仕方なく宿の二階に部屋を借り、フランツはベッドに横になって旅の疲れを休めようとした。
「相変わらず気難しい顔しちゃって」
オドラデクはふざけていた。
「……」
すぐに眠気はやってこないと分かっていたので、フランツは無言のまま本を読んでいた。親交があった綺譚収集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツを真似たわけではないが、フランツも読書は好きだ。
「本で旅をするとか言う気取った御仁もいますけど、あなたの場合旅をしているのに本を読むんですか」
逆にオドラデクが本を読んでいる姿を見せることは少ない。ほとんど鞘の中にいるからだが。
「……」
フランツは返事をしなかった。
「つれないですねえ。なら、ぼくは勝手に出ていっちゃいますよ」
「やめとけ」
そう止める暇もあらばこそ、オドラデクは外へ飛び出していった。
――まったくどこかの誰かのようだな。
ルナの顔を思い浮かべながら、フランツは本を読んだ。
「ねえねえ」
だが十分もせずにオドラデクは戻ってきた。
「面白いものを見付けたんですけど」
「知らん。お前にとって面白いものが俺にとって面白いとは限らん」
「相変わらず理屈っぽいんですね。なら、見てみないことには分からないでしょ。近くの部屋ですよ」
「面白くなかったらなんかくれるのか?」
「さあ、ぼくの糸で良ければ存分に」
オドラデクはにこりと笑った。
「いるか。そんなもん」
「じゃあ、死んでしまうかも知れませんね」
「お前が? なら望むところだ」
「悲しいなあ。でも死にかけてるのはぼくじゃない。女の子です」
フランツは立ち上がった。
「へー。あなたも年頃なんだな。女の子なら救いたいと思うものなんですか?」
「……」
フランツは無視して部屋の外へ出た。
「どこだ?」
「三つ扉を置いた部屋」
扉の間隔は短い。フランツは足早に近づき中に入った。
そして、今の光景を目の当たりにしたというわけだ。
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