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第一部
第十一話 詐欺師の楽園(2)
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――ランドルフィ王国西端パピーニ
「良い匂いがする」
綺譚収集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツは鼻をひくつかせた。
軒を並べる酒場から肉の臭いが風に乗って流れて来たのだろう。
夕暮れ刻の歓楽街は賑やかだ。パピーニは西部ランドルフィ王国最大の都市のため、まず訪問することにしたのだった。
「そうか」
メイド兼従者兼馭者の吸血鬼《ヴルダラク》ズデンカは同意しかねるようだった。
「君は嗅覚も味覚も鈍いからなぁ」
ルナは嘲笑った。
「お前らの言う食欲が端からないからな。まあ、肉の臭いぐらいは分かるぜ」
「美食という人生最大の悦びが分からないとは情けないね。だからわたしは吸血鬼にだけはなりたくないと思ってるんだよ」
「勝手にしやがれ」
ズデンカは歩きながら腕を組んだ。
「いってみよう!」
ルナはそういって店の中に飛び込んでいった。
「生トマトいやー! 生ピーマンいやー!」
ルナはわめいていた。偏食家のルナは野菜の好き嫌いが激しい。豆など火を通したものは食べる癖に、生の野菜が出ると残してしまう。
肉ばかり綺麗にかたづけて皿の縁には苦手なサラダが取りのけられていた。
「食え。新鮮な証拠だろ。他の街ならサラダなんて出なかったぞ」
ズデンカは厳しく言った。衛生環境が悪いと食中毒が頻繁に起こるため、サラダの提供を差し控える街は多い印象だっいた。
「嫌だよ」
だからと言って、ズデンカが代わりに食べてやることも出来ない。
「食え」
二人は火花を散らして睨み合い、膠着状態に陥った。
「うわあ、あれ、ルナ・ペルッツだろ?」
ランドルフィ語で囁く声が聞こえてきた。部屋の隅で集まっている酒場の客たちからのようだ。
「シエラフィータ族でも名前だけはあるやつだよな」
「連中のことは悪く言えねえからな。戦争前までは……」
「何であの席に坐るんだ? あいつは坐れないはずだぞ」
「特権なんだろうさ。全く勝った側は良いねえ」
ズデンカはルナと視線を外し、そっちへ向かってずんずん歩いていった。
「おいお前ら、話したいことがあんなら面と向かって言えや!」
「何だおめえは?」
男が立ち上がった。
「こいつ混血だな」
「全くいつから動物園になったんだ、この酒場はよぉ!」
そうぼやいた別の男の襟首をズデンカが掴んだ。
「なんだと?」
「まあまあ、君」
後ろからなだめるようなルナの声が響いた。
「わたしたちが退散するとしよう」
「お前、あんなに言われて嫌じゃねえのか?」
振り向いてズデンカが言った。
「もういいから、行こう」
ルナは帽子を頭に乗せて、酒場の出口に向かっていた。
「何でだよ。クソッ!」
持ち上げた男を放り投げ、ズデンカはルナを追って外へ出た。
「なんでゴネないんだ? あいつらの方がおかしいだろうがよ!」
ズデンカは声を荒げ、先を歩くルナを呼び止めた。
「いいんだよ。差別には慣れてるし、いくら説いて聞かせても無駄だ。彼らは訊かないんだよ」
振り返らずにルナは答えた。
「訊かないなら、身体に教えてやったらいい。これでな」
ズデンカは掌に拳をぶつけた。
「暴力の応酬になるよ。君なら簡単に彼らを殺しちゃえるだろうし。そうなるとこの町を離れないといけなくなる。もう少し見て回りたいんだよ」
「だがな……」
ズデンカは言葉に詰まった。
「面倒臭いことになりたくないだろ。それにわたしだって差別心はある。どうにも嫌悪感を覚えるものってのはいくらでもある。口に出しこそしないけどね」
「出すのと出さねえのでは大違いだろ!」
ズデンカは怒鳴った。
「でも、一瞬でも思ったことに違いはないさ。わたしは彼らを責められない」
ルナは悠然と歩く。周りから向けられる奇異の目線など、全く気にしないかのようだった。
「良い匂いがする」
綺譚収集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツは鼻をひくつかせた。
軒を並べる酒場から肉の臭いが風に乗って流れて来たのだろう。
夕暮れ刻の歓楽街は賑やかだ。パピーニは西部ランドルフィ王国最大の都市のため、まず訪問することにしたのだった。
「そうか」
メイド兼従者兼馭者の吸血鬼《ヴルダラク》ズデンカは同意しかねるようだった。
「君は嗅覚も味覚も鈍いからなぁ」
ルナは嘲笑った。
「お前らの言う食欲が端からないからな。まあ、肉の臭いぐらいは分かるぜ」
「美食という人生最大の悦びが分からないとは情けないね。だからわたしは吸血鬼にだけはなりたくないと思ってるんだよ」
「勝手にしやがれ」
ズデンカは歩きながら腕を組んだ。
「いってみよう!」
ルナはそういって店の中に飛び込んでいった。
「生トマトいやー! 生ピーマンいやー!」
ルナはわめいていた。偏食家のルナは野菜の好き嫌いが激しい。豆など火を通したものは食べる癖に、生の野菜が出ると残してしまう。
肉ばかり綺麗にかたづけて皿の縁には苦手なサラダが取りのけられていた。
「食え。新鮮な証拠だろ。他の街ならサラダなんて出なかったぞ」
ズデンカは厳しく言った。衛生環境が悪いと食中毒が頻繁に起こるため、サラダの提供を差し控える街は多い印象だっいた。
「嫌だよ」
だからと言って、ズデンカが代わりに食べてやることも出来ない。
「食え」
二人は火花を散らして睨み合い、膠着状態に陥った。
「うわあ、あれ、ルナ・ペルッツだろ?」
ランドルフィ語で囁く声が聞こえてきた。部屋の隅で集まっている酒場の客たちからのようだ。
「シエラフィータ族でも名前だけはあるやつだよな」
「連中のことは悪く言えねえからな。戦争前までは……」
「何であの席に坐るんだ? あいつは坐れないはずだぞ」
「特権なんだろうさ。全く勝った側は良いねえ」
ズデンカはルナと視線を外し、そっちへ向かってずんずん歩いていった。
「おいお前ら、話したいことがあんなら面と向かって言えや!」
「何だおめえは?」
男が立ち上がった。
「こいつ混血だな」
「全くいつから動物園になったんだ、この酒場はよぉ!」
そうぼやいた別の男の襟首をズデンカが掴んだ。
「なんだと?」
「まあまあ、君」
後ろからなだめるようなルナの声が響いた。
「わたしたちが退散するとしよう」
「お前、あんなに言われて嫌じゃねえのか?」
振り向いてズデンカが言った。
「もういいから、行こう」
ルナは帽子を頭に乗せて、酒場の出口に向かっていた。
「何でだよ。クソッ!」
持ち上げた男を放り投げ、ズデンカはルナを追って外へ出た。
「なんでゴネないんだ? あいつらの方がおかしいだろうがよ!」
ズデンカは声を荒げ、先を歩くルナを呼び止めた。
「いいんだよ。差別には慣れてるし、いくら説いて聞かせても無駄だ。彼らは訊かないんだよ」
振り返らずにルナは答えた。
「訊かないなら、身体に教えてやったらいい。これでな」
ズデンカは掌に拳をぶつけた。
「暴力の応酬になるよ。君なら簡単に彼らを殺しちゃえるだろうし。そうなるとこの町を離れないといけなくなる。もう少し見て回りたいんだよ」
「だがな……」
ズデンカは言葉に詰まった。
「面倒臭いことになりたくないだろ。それにわたしだって差別心はある。どうにも嫌悪感を覚えるものってのはいくらでもある。口に出しこそしないけどね」
「出すのと出さねえのでは大違いだろ!」
ズデンカは怒鳴った。
「でも、一瞬でも思ったことに違いはないさ。わたしは彼らを責められない」
ルナは悠然と歩く。周りから向けられる奇異の目線など、全く気にしないかのようだった。
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