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第一部

第十話 女と人形(6)

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 朗読する役目を負っていたのはもともと母でした。

 私は幼い頃からその姿を見て育ちました。

 物心ついたのが母とロランが結婚してからだったんですね。実の父親の顔も知りません。

 ただ、黄水仙《ジョンキーユ》という姓だけが一族を偲ぶよすがです。

 初めのうちは朗読会が性的なものだと理解するのに時間がかかりました。

 でも、あの地下室で座っている男たち――いずれも良く知られた人で、新聞などで姿を目にする方ばかりでした――の様子から何となくそう思ったんです。

 ご覧になったとおり、物凄い表情になって母を食い入るように見つめています。

 私はあまり面白くなかったので、部屋の隅で遊んでいました。

 するとロランが近付いてきて一枚の絵を見せました。

「これはな、東洋の『春画』というものだぞ」

 絡み合う男女の姿が描かれていました。しかし、幼い私ではよく分かりませんでした。

「男と女はな、みなこんな姿態で結び、ほぐれ合うものだ……悦びを知るものだ。そうでない者は片輪だけだ」

 力強い口調でロランは言いました。

 でも、わたしは正直今でもその意味がよく分かっていません。

 その『春画』とやらで描かれる行為が好ましいものだとは思えないのです。もちろん、頭では子供を作る行為だし、重要なものだとは分かっています。

 でも、でも悦びは理解できませんでした。わたしは片輪なのでしょうか?
 少し大人になった後、母に質問してみることもありました。

「母さんはなぜ、こんな家にいるの」

 心なしか、違和感を覚え始めていたのでしょうね。

「仕方ないの。いれる場所を探していたらここになったってだけ」

 返事はいつもこうでしたっけ。結局私も似たような運命でしたね。

 今から考えると戦争が関係していたのかも知れません。母はスワスティカに占領されたエルキュールからここへ疎開してきて、仕事もなく路頭に迷っていたようですから。

 先祖代々ヴィルヌーヴ荘を引き継ぐ地主のロランからの誘いはありがたかったでしょう。

 殿方に気に入られるよう声を高めてよがり、あえぎ、母の演技は上手いものでした。

 端から見て充実しているように見えたものです。

 あの頃は毎日のように朗読会が開かれていましたね。知らない顔が入れ代わり立ち代わり訪れてきました。

 その皆から母は拍手を受けるのです。

 でも、私は退屈でした。庭の外に出て月を眺めている方が良かったんです。

 庭にはサルスベリの木が生えていました。花が落ちてしまって、月は少し捩れた枝の間から覗いて、満月の時でも半ば欠けたかのように見えるんです。

 今度覗いてみてください。この屋敷の庭にはたくさんの植物がありますが、一番鮮やかな花を咲かせます。

 月《ルナ》は……ああ、そうでした。ペルッツさまのお名前と同じでしたね……今も昔も変わらず、私を見てくれています。

 色んな角度から眺めましたよ。

 欠けてまた満ちる。その繰り返し、でもいつかは元に戻るのですから、安心出来ますよね。

 辛い時もいずれ過ぎ去る。

 母もそういう風に安心できれば良かったのに。

 はい、そうです。

 母は自ら命を絶ちました。

 あのサルスベリの枝に縄を掛けて首を吊っていたんです。

 理由ははっきりわかりません。

 その日も私は月の昇るのを見に、庭に出ていました。するとぶらぶらと黒い影が揺れているのです。

 朗読会は終わっていました。もう私は参加することすらしていなかったのですけれど。

 月光に照らされて一層白く見える足を見たのです。

「母さん」

 私は母の膝にすがりついて泣きました。その頬はこけていました。

 今では苦悩していたとわかります。でも、当時は幼くてそんなこと理解できませんでした。

 私がそれを知るのは自分にその番が回ってきてからでした。
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