93 / 526
第一部
第十話 女と人形(6)
しおりを挟む
朗読する役目を負っていたのはもともと母でした。
私は幼い頃からその姿を見て育ちました。
物心ついたのが母とロランが結婚してからだったんですね。実の父親の顔も知りません。
ただ、黄水仙《ジョンキーユ》という姓だけが一族を偲ぶよすがです。
初めのうちは朗読会が性的なものだと理解するのに時間がかかりました。
でも、あの地下室で座っている男たち――いずれも良く知られた人で、新聞などで姿を目にする方ばかりでした――の様子から何となくそう思ったんです。
ご覧になったとおり、物凄い表情になって母を食い入るように見つめています。
私はあまり面白くなかったので、部屋の隅で遊んでいました。
するとロランが近付いてきて一枚の絵を見せました。
「これはな、東洋の『春画』というものだぞ」
絡み合う男女の姿が描かれていました。しかし、幼い私ではよく分かりませんでした。
「男と女はな、みなこんな姿態で結び、ほぐれ合うものだ……悦びを知るものだ。そうでない者は片輪だけだ」
力強い口調でロランは言いました。
でも、わたしは正直今でもその意味がよく分かっていません。
その『春画』とやらで描かれる行為が好ましいものだとは思えないのです。もちろん、頭では子供を作る行為だし、重要なものだとは分かっています。
でも、でも悦びは理解できませんでした。わたしは片輪なのでしょうか?
少し大人になった後、母に質問してみることもありました。
「母さんはなぜ、こんな家にいるの」
心なしか、違和感を覚え始めていたのでしょうね。
「仕方ないの。いれる場所を探していたらここになったってだけ」
返事はいつもこうでしたっけ。結局私も似たような運命でしたね。
今から考えると戦争が関係していたのかも知れません。母はスワスティカに占領されたエルキュールからここへ疎開してきて、仕事もなく路頭に迷っていたようですから。
先祖代々ヴィルヌーヴ荘を引き継ぐ地主のロランからの誘いはありがたかったでしょう。
殿方に気に入られるよう声を高めてよがり、あえぎ、母の演技は上手いものでした。
端から見て充実しているように見えたものです。
あの頃は毎日のように朗読会が開かれていましたね。知らない顔が入れ代わり立ち代わり訪れてきました。
その皆から母は拍手を受けるのです。
でも、私は退屈でした。庭の外に出て月を眺めている方が良かったんです。
庭にはサルスベリの木が生えていました。花が落ちてしまって、月は少し捩れた枝の間から覗いて、満月の時でも半ば欠けたかのように見えるんです。
今度覗いてみてください。この屋敷の庭にはたくさんの植物がありますが、一番鮮やかな花を咲かせます。
月《ルナ》は……ああ、そうでした。ペルッツさまのお名前と同じでしたね……今も昔も変わらず、私を見てくれています。
色んな角度から眺めましたよ。
欠けてまた満ちる。その繰り返し、でもいつかは元に戻るのですから、安心出来ますよね。
辛い時もいずれ過ぎ去る。
母もそういう風に安心できれば良かったのに。
はい、そうです。
母は自ら命を絶ちました。
あのサルスベリの枝に縄を掛けて首を吊っていたんです。
理由ははっきりわかりません。
その日も私は月の昇るのを見に、庭に出ていました。するとぶらぶらと黒い影が揺れているのです。
朗読会は終わっていました。もう私は参加することすらしていなかったのですけれど。
月光に照らされて一層白く見える足を見たのです。
「母さん」
私は母の膝にすがりついて泣きました。その頬はこけていました。
今では苦悩していたとわかります。でも、当時は幼くてそんなこと理解できませんでした。
私がそれを知るのは自分にその番が回ってきてからでした。
私は幼い頃からその姿を見て育ちました。
物心ついたのが母とロランが結婚してからだったんですね。実の父親の顔も知りません。
ただ、黄水仙《ジョンキーユ》という姓だけが一族を偲ぶよすがです。
初めのうちは朗読会が性的なものだと理解するのに時間がかかりました。
でも、あの地下室で座っている男たち――いずれも良く知られた人で、新聞などで姿を目にする方ばかりでした――の様子から何となくそう思ったんです。
ご覧になったとおり、物凄い表情になって母を食い入るように見つめています。
私はあまり面白くなかったので、部屋の隅で遊んでいました。
するとロランが近付いてきて一枚の絵を見せました。
「これはな、東洋の『春画』というものだぞ」
絡み合う男女の姿が描かれていました。しかし、幼い私ではよく分かりませんでした。
「男と女はな、みなこんな姿態で結び、ほぐれ合うものだ……悦びを知るものだ。そうでない者は片輪だけだ」
力強い口調でロランは言いました。
でも、わたしは正直今でもその意味がよく分かっていません。
その『春画』とやらで描かれる行為が好ましいものだとは思えないのです。もちろん、頭では子供を作る行為だし、重要なものだとは分かっています。
でも、でも悦びは理解できませんでした。わたしは片輪なのでしょうか?
少し大人になった後、母に質問してみることもありました。
「母さんはなぜ、こんな家にいるの」
心なしか、違和感を覚え始めていたのでしょうね。
「仕方ないの。いれる場所を探していたらここになったってだけ」
返事はいつもこうでしたっけ。結局私も似たような運命でしたね。
今から考えると戦争が関係していたのかも知れません。母はスワスティカに占領されたエルキュールからここへ疎開してきて、仕事もなく路頭に迷っていたようですから。
先祖代々ヴィルヌーヴ荘を引き継ぐ地主のロランからの誘いはありがたかったでしょう。
殿方に気に入られるよう声を高めてよがり、あえぎ、母の演技は上手いものでした。
端から見て充実しているように見えたものです。
あの頃は毎日のように朗読会が開かれていましたね。知らない顔が入れ代わり立ち代わり訪れてきました。
その皆から母は拍手を受けるのです。
でも、私は退屈でした。庭の外に出て月を眺めている方が良かったんです。
庭にはサルスベリの木が生えていました。花が落ちてしまって、月は少し捩れた枝の間から覗いて、満月の時でも半ば欠けたかのように見えるんです。
今度覗いてみてください。この屋敷の庭にはたくさんの植物がありますが、一番鮮やかな花を咲かせます。
月《ルナ》は……ああ、そうでした。ペルッツさまのお名前と同じでしたね……今も昔も変わらず、私を見てくれています。
色んな角度から眺めましたよ。
欠けてまた満ちる。その繰り返し、でもいつかは元に戻るのですから、安心出来ますよね。
辛い時もいずれ過ぎ去る。
母もそういう風に安心できれば良かったのに。
はい、そうです。
母は自ら命を絶ちました。
あのサルスベリの枝に縄を掛けて首を吊っていたんです。
理由ははっきりわかりません。
その日も私は月の昇るのを見に、庭に出ていました。するとぶらぶらと黒い影が揺れているのです。
朗読会は終わっていました。もう私は参加することすらしていなかったのですけれど。
月光に照らされて一層白く見える足を見たのです。
「母さん」
私は母の膝にすがりついて泣きました。その頬はこけていました。
今では苦悩していたとわかります。でも、当時は幼くてそんなこと理解できませんでした。
私がそれを知るのは自分にその番が回ってきてからでした。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。


スキルが【アイテムボックス】だけってどうなのよ?
山ノ内虎之助
ファンタジー
高校生宮原幸也は転生者である。
2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。
異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。
唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。
天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜
八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。
第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。
大和型三隻は沈没した……、と思われた。
だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。
大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。
祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。
※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています!
面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※
※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる