月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚

浦出卓郎

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第一部

第九話 人魚の沈黙(9)

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「もったいない。面白い情報がたくさん載っていたのに」

 少しもそう思っていなそうな声でオドラデクは言った。

 フランツは飽くまで沈黙を守った。

 と、いきなりオドラデクが動いた。剣の先に集まっていた糸が一本、ピンと広がったのだ。

 フランツを狙って放たれた弾丸を真っ二つにしてはじき飛ばしていた。

 ケートヒェンだった。煙を上げる猟銃を手に震える顔で立っていた。

 何か予感を覚えたのか夫が心配になって付けてきたのだろう。中は近くの小屋に放置されているものを急いで持ってきたのか、いささか錆びているようだった。

「なかなかしっかりした撃ち方ですね。さすが、野山を駆けまわっていたのは伊達じゃない」

 オドラデクは笑った。そう言いながら、ケートヒェンの手から猟銃を糸で絡め奪い取った。

「何で夫を! 罪のないあの人を!」

 フランツは黙ったままだ。

「罪がないってね、奥さん。あの人は本名ゴットフリート・フォン・グルムバッハって言ってケッセルなんて名前は偽りなんですよ。経歴だって全部嘘で塗り固めたもの。旧スワスティカ親衛部特殊部隊『火葬人』の一人と言やあ少しはお分かりでしょう。あなたも子供の時に戦争を経験しているはずですからね」

 オドラデクはかえって饒舌に喋り立てた。

 ケートヒェンは何か思い当たる節があったのか呆然とした顔をしていたが、じきに、

「それが……本当だったとしてもこの村に、来てからはとても偉い人でした! いえ、私にとって大事な人だったんです!」

 フランツは何か言おうと口を開き掛けた、しかし、それを遮るように、

「あなた、グルムバッハとはだいぶ歳が離れているでしょ? 単に子供の頃好きだったおじさんへの延長線上で結婚したんじゃあないですかね? それとも向こうから色々されちゃったんですかね」

 オドラデクは馬鹿にしたように言った。

 ケートヒェンの青ざめた顔に急激に血の気が昇った。

「私はあの人を好きだったんだ! 他人からどうこう言われる筋合いはない!」

 フランツの顔にふいに物憂い影が走った。そのままケートヒェンの懐に飛び込み、頭を強く殴った。

 たちまち気絶してどさりと崩れ落ちるケートヒェン。

「結局最後まで会話せずに済ましましたね。なるほど、大した『沈黙』だ」

「お前は喋りすぎだ」

 鞄から出した捕縛用の縄でケートヒェンを木の幹に縛り付けながらフランツは言った。

「いいでしょう? さっきまでずっと黙らされていたんですから喋りたくもなりますよ」

 まだ目覚める様子のないケートヒェンを眺めながらフランツは歩き出した。

「殺さなくていいんですか。目撃者ですよ」

 糸を鞘の中にスルスルと治めながらオドラデクが言った。

「無駄な殺しはしない。俺が殺すのはスワスティカだけだ。名前も変えてるしな」

 やっと長めに話すフランツ。

「顔を覚えられているでしょう」

「もうこんな村来ることはない。俺は西へ行く」

「エルキュールの警察庁に届けられるかも知れませんよ」

「この国にそこまでの警察力はない。出発直前に起こった某大学の襲撃事件も結局うやむやのままだからな」

 フランツはそれだけ言いきると後は喋りかけてくるオドラデクを無視して歩き続けた。
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