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第一部
第九話 人魚の沈黙(8)
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「出来る限り、穏便に納められないかね。君がどうしてもと言うなら、私も相手をせざるえなくなるがね」
グルムバッハは静かに言った。
「お前に多くを語らせるつもりはない」
フランツは鞘から剣をゆっくり引き抜いた。 と、言ってもそこに刀身はない。糸が伸びていくだけだ。
「やれやれ、仕方ない。幻想展開《ファンタジー・エシャイン》『鉛の夜』」
グルムバッハは地面を殴りつけた。大きな穴が開き、大地がひび割れた。
自分の立っているところまで割れそうになったので、思わずフランツは身を引いた。
「なんだ、その程度か」
フランツは嘲笑った。
「小細工を弄する必要が私にはなかったのだ。この身の力を、最大限まで高められればそれでいい」
グルムバッハはそう言いながらフランツに殴り掛かった。
フランツは軽やかに躱《かわ》した。
――間合いを詰められてはいけない。
端から見れば不思議な光景だった。空の刀身を握った青年が、初老の男の打撃を避けながら、夕暮れ迫る林の中を走り回っているのだから。
フランツの耳元で風が大きく唸った。
グルムバッハの拳を避けた時、背広とシャツが大きく破れたのだ。
肌が覗いて見えていた。
「興味深い」
それを見て、グルムバッハは微笑んだ。
「ちょうどいい。いい加減暑いと思っていたところだ」
フランツはやはりまだ大きく間合いを取りながら、背広を片手で引き裂いた。
半裸の姿が現れる。
酷く痩せてはいたが鍛錬の甲斐あってか筋肉がついていた。
だが、不思議なのはその背中に肌理細かく描かれた人魚《セイレン》の刺青だ。
物語の中も人魚は歌を唄うものだが、描かれた人魚は歌を唄わず、口を閉ざしていた。
「唄わない人魚がいるとはね」
グルムバッハは笑った。
「唄わない人魚は俺だ。俺は言葉を残さない。俺は歴史を語らない」
「じゃあ、一体何を?」
グルムバッハは物凄い勢いで間合いを詰め、フランツを押し潰そうとした。
しかし。
その身体を無数の糸がからめとっていた。
「俺は何も残さない。ただ、消していくだけだ。この『沈黙』という武器で、お前らスワスティカの痕跡を」
フランツは空の刀身を縛られて動けなくなったグルムバッハへ向けた。
「オドラデク!」
「はいはい、わかりましたよ」
すぽんとオドラデクはその星形の尖端を柄の先から突き出した。やがて複数の絡まり合う糸がそこに集まっていき、鋭い刃のかたちになった。
「剣……」
そう言ったグルムバッハの胸が変型したオドラデクに貫かれていた。
「がはっ」
口から血を流し、しかし穏やかにフランツを見つめるグルムバッハ。
「良かった……ようやく……」
「恥じて、死ね」
フランツは相手の膝に足を掛けよじ登りながら、力強くオドラデクを深く差し入れた。
グルムバッハは絶息した。
「意外とあっけなかったですね」
オドラデクはまた例の笑い声を上げた。
フランツは黙っていた。
「これからどうするんです?」
それには答えずフランツは書類入れを鞄から出し、中の紙を取り出してマッチで火を付けた。
フランツは大の嫌煙家でルナのパイプを渋い顔で見つめることが多かったが、火を付けてやる機会も多く、自然と携帯するようになったのだ。
結果として喫煙者のお偉いさんとの会談の時には使える道具になったが。
黒焦げになった書類に残る火を足で押さえつけて鎮める。
グルムバッハは静かに言った。
「お前に多くを語らせるつもりはない」
フランツは鞘から剣をゆっくり引き抜いた。 と、言ってもそこに刀身はない。糸が伸びていくだけだ。
「やれやれ、仕方ない。幻想展開《ファンタジー・エシャイン》『鉛の夜』」
グルムバッハは地面を殴りつけた。大きな穴が開き、大地がひび割れた。
自分の立っているところまで割れそうになったので、思わずフランツは身を引いた。
「なんだ、その程度か」
フランツは嘲笑った。
「小細工を弄する必要が私にはなかったのだ。この身の力を、最大限まで高められればそれでいい」
グルムバッハはそう言いながらフランツに殴り掛かった。
フランツは軽やかに躱《かわ》した。
――間合いを詰められてはいけない。
端から見れば不思議な光景だった。空の刀身を握った青年が、初老の男の打撃を避けながら、夕暮れ迫る林の中を走り回っているのだから。
フランツの耳元で風が大きく唸った。
グルムバッハの拳を避けた時、背広とシャツが大きく破れたのだ。
肌が覗いて見えていた。
「興味深い」
それを見て、グルムバッハは微笑んだ。
「ちょうどいい。いい加減暑いと思っていたところだ」
フランツはやはりまだ大きく間合いを取りながら、背広を片手で引き裂いた。
半裸の姿が現れる。
酷く痩せてはいたが鍛錬の甲斐あってか筋肉がついていた。
だが、不思議なのはその背中に肌理細かく描かれた人魚《セイレン》の刺青だ。
物語の中も人魚は歌を唄うものだが、描かれた人魚は歌を唄わず、口を閉ざしていた。
「唄わない人魚がいるとはね」
グルムバッハは笑った。
「唄わない人魚は俺だ。俺は言葉を残さない。俺は歴史を語らない」
「じゃあ、一体何を?」
グルムバッハは物凄い勢いで間合いを詰め、フランツを押し潰そうとした。
しかし。
その身体を無数の糸がからめとっていた。
「俺は何も残さない。ただ、消していくだけだ。この『沈黙』という武器で、お前らスワスティカの痕跡を」
フランツは空の刀身を縛られて動けなくなったグルムバッハへ向けた。
「オドラデク!」
「はいはい、わかりましたよ」
すぽんとオドラデクはその星形の尖端を柄の先から突き出した。やがて複数の絡まり合う糸がそこに集まっていき、鋭い刃のかたちになった。
「剣……」
そう言ったグルムバッハの胸が変型したオドラデクに貫かれていた。
「がはっ」
口から血を流し、しかし穏やかにフランツを見つめるグルムバッハ。
「良かった……ようやく……」
「恥じて、死ね」
フランツは相手の膝に足を掛けよじ登りながら、力強くオドラデクを深く差し入れた。
グルムバッハは絶息した。
「意外とあっけなかったですね」
オドラデクはまた例の笑い声を上げた。
フランツは黙っていた。
「これからどうするんです?」
それには答えずフランツは書類入れを鞄から出し、中の紙を取り出してマッチで火を付けた。
フランツは大の嫌煙家でルナのパイプを渋い顔で見つめることが多かったが、火を付けてやる機会も多く、自然と携帯するようになったのだ。
結果として喫煙者のお偉いさんとの会談の時には使える道具になったが。
黒焦げになった書類に残る火を足で押さえつけて鎮める。
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