83 / 526
第一部
第九話 人魚の沈黙(6)
しおりを挟む
オドラデクが一切話さないので静かだ。
「少し、わたしのことを話させて頂いても宜しいですか」
ケートヒェンが椅子に腰を下ろして聞いた。
「もちろん」
フランツは素っ気なく言った。
「わたしがここに来たのは六年前です」
「ああなるほど、こちらが知らないわけです。わたしは七年前にここを去りましたから」
もちろん、ただ話を合わせただけだ。
「そうだったんですね! 最初は文字もよく読んだり書いたりできなくって、とても性格の良くない……子供だったんです」
「意外ですね。今のあなたからはとてもそう見えませんが」
フランツは微笑んだ。
「ほんとうにお恥ずかしくって。何も教えて貰っていない状態だったんで、仕方ないですけど。泥だらけで野山を転げ回っていたんですよ」
「お転婆ってやつですね」
フランツは皮肉った。こう言うテクニックも相手の懐に入る際は使わざるを得ない。
「ふふふ。そうなんですよ。すごくお転婆だったんです。先生――夫のことですが、いろいろ教えてくれなかったら、今でもそのままだったことでしょう」
「ケッセル先生は偉大な方ですからね」
フランツはとりあえず話を合わせた。
「はい。かけがえのない存在です。ラファエルがいなければ今の私はありませんから」
フランツは答えず、少し目を瞑って考えた。
――何か違和感がある。
フランツは、昔ルナ・ペルッツと話したことを思い出した。
「結婚は対等な両性の合意だ、という話を良く聞くね」
「いきなりどうした」
フランツは怪訝に思って問い返したものだ。
「ふと、思ったのさ。対等だとしたら二人の年齢も釣り合わなけりゃおかしくないかって。でも、二十歳以上ぐらい年が若い妻を貰う成功者の男もいるだろ」
「別におかしなところはない。両性が合意してればそれでいいじゃないか」
フランツはまだ納得できなかった。
「おかしいと思わず、みんなが受け入れてることの方がおかしいって場合もあるさ」
ルナらしい持って回った言い方だった。
「お前のような輩にとったらおかしいかもしれない。だが、子供の頃からの知り合いで結婚したとか、そんな話はしょっちゅう聞くぞ。美談のように語られることもあったな」
「問題はそこさ」
ルナのモノクルが光った。
「男があえて女を幼い頃から飼い慣らしてるのかも知れない。すごく言い方は悪いけどね」
フランツはルナの弟子ではないし、そう呼ばれたくもない。だが、時折ルナの頭の中に言葉が甦ってくることがあるのだ。
今目の前にいる自分より若いケートヒェンの六年前と言えば少女だろう。
そう考えるとあまり良い思いはしなかった。
グルムバッハとは三十歳近くの開きがある。
「ケッセル先生と結婚されたのはなぜでしょう」
するとケートヒェンは顔を赤らめて、
「自然と、教えて頂いているうちに……」
字も読めない少女を先生が救い出して読み書きを教え、その後に結婚した。
確かに傍目から見れば美談だろう。しかし、その先生は虐殺者なのだ。
フランツの心の中にまた怒りが湧き上がった。
「先生は村では評判なんですか。当時は私もあまりに幼かったので、どう評価されていたまでは覚えていなくて」
フランツは鎌を掛けた。
「ラファエルはこの村で一番偉い人です。私が言えば変ですけど! でも、一人が好きな人でもあってたまに家を空けることがありますね」
子供たちの評判に誤りはないらしい。誰からも愛される人間――それがグルムバッハのヴェルハーレンでの評価だ。
「いえいえ、先生は大したお方ですよ」
飽くまで柔《にこ》やかな態度を崩さないよう努めた。
――家を空けるとは、また何か良からぬことを企てているのだろうか。
フランツは不審に思った。
「少し、わたしのことを話させて頂いても宜しいですか」
ケートヒェンが椅子に腰を下ろして聞いた。
「もちろん」
フランツは素っ気なく言った。
「わたしがここに来たのは六年前です」
「ああなるほど、こちらが知らないわけです。わたしは七年前にここを去りましたから」
もちろん、ただ話を合わせただけだ。
「そうだったんですね! 最初は文字もよく読んだり書いたりできなくって、とても性格の良くない……子供だったんです」
「意外ですね。今のあなたからはとてもそう見えませんが」
フランツは微笑んだ。
「ほんとうにお恥ずかしくって。何も教えて貰っていない状態だったんで、仕方ないですけど。泥だらけで野山を転げ回っていたんですよ」
「お転婆ってやつですね」
フランツは皮肉った。こう言うテクニックも相手の懐に入る際は使わざるを得ない。
「ふふふ。そうなんですよ。すごくお転婆だったんです。先生――夫のことですが、いろいろ教えてくれなかったら、今でもそのままだったことでしょう」
「ケッセル先生は偉大な方ですからね」
フランツはとりあえず話を合わせた。
「はい。かけがえのない存在です。ラファエルがいなければ今の私はありませんから」
フランツは答えず、少し目を瞑って考えた。
――何か違和感がある。
フランツは、昔ルナ・ペルッツと話したことを思い出した。
「結婚は対等な両性の合意だ、という話を良く聞くね」
「いきなりどうした」
フランツは怪訝に思って問い返したものだ。
「ふと、思ったのさ。対等だとしたら二人の年齢も釣り合わなけりゃおかしくないかって。でも、二十歳以上ぐらい年が若い妻を貰う成功者の男もいるだろ」
「別におかしなところはない。両性が合意してればそれでいいじゃないか」
フランツはまだ納得できなかった。
「おかしいと思わず、みんなが受け入れてることの方がおかしいって場合もあるさ」
ルナらしい持って回った言い方だった。
「お前のような輩にとったらおかしいかもしれない。だが、子供の頃からの知り合いで結婚したとか、そんな話はしょっちゅう聞くぞ。美談のように語られることもあったな」
「問題はそこさ」
ルナのモノクルが光った。
「男があえて女を幼い頃から飼い慣らしてるのかも知れない。すごく言い方は悪いけどね」
フランツはルナの弟子ではないし、そう呼ばれたくもない。だが、時折ルナの頭の中に言葉が甦ってくることがあるのだ。
今目の前にいる自分より若いケートヒェンの六年前と言えば少女だろう。
そう考えるとあまり良い思いはしなかった。
グルムバッハとは三十歳近くの開きがある。
「ケッセル先生と結婚されたのはなぜでしょう」
するとケートヒェンは顔を赤らめて、
「自然と、教えて頂いているうちに……」
字も読めない少女を先生が救い出して読み書きを教え、その後に結婚した。
確かに傍目から見れば美談だろう。しかし、その先生は虐殺者なのだ。
フランツの心の中にまた怒りが湧き上がった。
「先生は村では評判なんですか。当時は私もあまりに幼かったので、どう評価されていたまでは覚えていなくて」
フランツは鎌を掛けた。
「ラファエルはこの村で一番偉い人です。私が言えば変ですけど! でも、一人が好きな人でもあってたまに家を空けることがありますね」
子供たちの評判に誤りはないらしい。誰からも愛される人間――それがグルムバッハのヴェルハーレンでの評価だ。
「いえいえ、先生は大したお方ですよ」
飽くまで柔《にこ》やかな態度を崩さないよう努めた。
――家を空けるとは、また何か良からぬことを企てているのだろうか。
フランツは不審に思った。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです
秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。
そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。
いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが──
他サイト様でも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる