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第一部
第九話 人魚の沈黙(6)
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オドラデクが一切話さないので静かだ。
「少し、わたしのことを話させて頂いても宜しいですか」
ケートヒェンが椅子に腰を下ろして聞いた。
「もちろん」
フランツは素っ気なく言った。
「わたしがここに来たのは六年前です」
「ああなるほど、こちらが知らないわけです。わたしは七年前にここを去りましたから」
もちろん、ただ話を合わせただけだ。
「そうだったんですね! 最初は文字もよく読んだり書いたりできなくって、とても性格の良くない……子供だったんです」
「意外ですね。今のあなたからはとてもそう見えませんが」
フランツは微笑んだ。
「ほんとうにお恥ずかしくって。何も教えて貰っていない状態だったんで、仕方ないですけど。泥だらけで野山を転げ回っていたんですよ」
「お転婆ってやつですね」
フランツは皮肉った。こう言うテクニックも相手の懐に入る際は使わざるを得ない。
「ふふふ。そうなんですよ。すごくお転婆だったんです。先生――夫のことですが、いろいろ教えてくれなかったら、今でもそのままだったことでしょう」
「ケッセル先生は偉大な方ですからね」
フランツはとりあえず話を合わせた。
「はい。かけがえのない存在です。ラファエルがいなければ今の私はありませんから」
フランツは答えず、少し目を瞑って考えた。
――何か違和感がある。
フランツは、昔ルナ・ペルッツと話したことを思い出した。
「結婚は対等な両性の合意だ、という話を良く聞くね」
「いきなりどうした」
フランツは怪訝に思って問い返したものだ。
「ふと、思ったのさ。対等だとしたら二人の年齢も釣り合わなけりゃおかしくないかって。でも、二十歳以上ぐらい年が若い妻を貰う成功者の男もいるだろ」
「別におかしなところはない。両性が合意してればそれでいいじゃないか」
フランツはまだ納得できなかった。
「おかしいと思わず、みんなが受け入れてることの方がおかしいって場合もあるさ」
ルナらしい持って回った言い方だった。
「お前のような輩にとったらおかしいかもしれない。だが、子供の頃からの知り合いで結婚したとか、そんな話はしょっちゅう聞くぞ。美談のように語られることもあったな」
「問題はそこさ」
ルナのモノクルが光った。
「男があえて女を幼い頃から飼い慣らしてるのかも知れない。すごく言い方は悪いけどね」
フランツはルナの弟子ではないし、そう呼ばれたくもない。だが、時折ルナの頭の中に言葉が甦ってくることがあるのだ。
今目の前にいる自分より若いケートヒェンの六年前と言えば少女だろう。
そう考えるとあまり良い思いはしなかった。
グルムバッハとは三十歳近くの開きがある。
「ケッセル先生と結婚されたのはなぜでしょう」
するとケートヒェンは顔を赤らめて、
「自然と、教えて頂いているうちに……」
字も読めない少女を先生が救い出して読み書きを教え、その後に結婚した。
確かに傍目から見れば美談だろう。しかし、その先生は虐殺者なのだ。
フランツの心の中にまた怒りが湧き上がった。
「先生は村では評判なんですか。当時は私もあまりに幼かったので、どう評価されていたまでは覚えていなくて」
フランツは鎌を掛けた。
「ラファエルはこの村で一番偉い人です。私が言えば変ですけど! でも、一人が好きな人でもあってたまに家を空けることがありますね」
子供たちの評判に誤りはないらしい。誰からも愛される人間――それがグルムバッハのヴェルハーレンでの評価だ。
「いえいえ、先生は大したお方ですよ」
飽くまで柔《にこ》やかな態度を崩さないよう努めた。
――家を空けるとは、また何か良からぬことを企てているのだろうか。
フランツは不審に思った。
「少し、わたしのことを話させて頂いても宜しいですか」
ケートヒェンが椅子に腰を下ろして聞いた。
「もちろん」
フランツは素っ気なく言った。
「わたしがここに来たのは六年前です」
「ああなるほど、こちらが知らないわけです。わたしは七年前にここを去りましたから」
もちろん、ただ話を合わせただけだ。
「そうだったんですね! 最初は文字もよく読んだり書いたりできなくって、とても性格の良くない……子供だったんです」
「意外ですね。今のあなたからはとてもそう見えませんが」
フランツは微笑んだ。
「ほんとうにお恥ずかしくって。何も教えて貰っていない状態だったんで、仕方ないですけど。泥だらけで野山を転げ回っていたんですよ」
「お転婆ってやつですね」
フランツは皮肉った。こう言うテクニックも相手の懐に入る際は使わざるを得ない。
「ふふふ。そうなんですよ。すごくお転婆だったんです。先生――夫のことですが、いろいろ教えてくれなかったら、今でもそのままだったことでしょう」
「ケッセル先生は偉大な方ですからね」
フランツはとりあえず話を合わせた。
「はい。かけがえのない存在です。ラファエルがいなければ今の私はありませんから」
フランツは答えず、少し目を瞑って考えた。
――何か違和感がある。
フランツは、昔ルナ・ペルッツと話したことを思い出した。
「結婚は対等な両性の合意だ、という話を良く聞くね」
「いきなりどうした」
フランツは怪訝に思って問い返したものだ。
「ふと、思ったのさ。対等だとしたら二人の年齢も釣り合わなけりゃおかしくないかって。でも、二十歳以上ぐらい年が若い妻を貰う成功者の男もいるだろ」
「別におかしなところはない。両性が合意してればそれでいいじゃないか」
フランツはまだ納得できなかった。
「おかしいと思わず、みんなが受け入れてることの方がおかしいって場合もあるさ」
ルナらしい持って回った言い方だった。
「お前のような輩にとったらおかしいかもしれない。だが、子供の頃からの知り合いで結婚したとか、そんな話はしょっちゅう聞くぞ。美談のように語られることもあったな」
「問題はそこさ」
ルナのモノクルが光った。
「男があえて女を幼い頃から飼い慣らしてるのかも知れない。すごく言い方は悪いけどね」
フランツはルナの弟子ではないし、そう呼ばれたくもない。だが、時折ルナの頭の中に言葉が甦ってくることがあるのだ。
今目の前にいる自分より若いケートヒェンの六年前と言えば少女だろう。
そう考えるとあまり良い思いはしなかった。
グルムバッハとは三十歳近くの開きがある。
「ケッセル先生と結婚されたのはなぜでしょう」
するとケートヒェンは顔を赤らめて、
「自然と、教えて頂いているうちに……」
字も読めない少女を先生が救い出して読み書きを教え、その後に結婚した。
確かに傍目から見れば美談だろう。しかし、その先生は虐殺者なのだ。
フランツの心の中にまた怒りが湧き上がった。
「先生は村では評判なんですか。当時は私もあまりに幼かったので、どう評価されていたまでは覚えていなくて」
フランツは鎌を掛けた。
「ラファエルはこの村で一番偉い人です。私が言えば変ですけど! でも、一人が好きな人でもあってたまに家を空けることがありますね」
子供たちの評判に誤りはないらしい。誰からも愛される人間――それがグルムバッハのヴェルハーレンでの評価だ。
「いえいえ、先生は大したお方ですよ」
飽くまで柔《にこ》やかな態度を崩さないよう努めた。
――家を空けるとは、また何か良からぬことを企てているのだろうか。
フランツは不審に思った。
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