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第一部

第八話 悪意(8)

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「やめてっ、やめてええ!」

 ルナは繰り返すばかりだった。

 腕を押さえられ、頬を舐められた。ナメクジに這い回られるように感じた。

「ぎもちわるい! たすけてぇ! たずけでぇ!」

 命乞いをするかのように叫んだ。もう、まともに考えがまとまらなくなっていた。

 口を塞がれた。ルナは息ができなくなって顔が真っ赤になった。

 男の手を掴んでどけようとしたが、全くビクともしない。

 力の違いを思い知らされた。

「もしかして、こいつ生娘かぁ?」

 手が離された。

「ぶふぁ……はぁ……はぁ」

 ルナは息を吐いた。床に崩れ落ちる。

「男とやったことはないはずだよ。使い物にならないんで『通して』おいてよ」

 エスメラルダは笑った。

「いやだぁ! やぁだぁ!」

 ルナは咳をしながら喚いた。

「へっへ、そいつぁ良いぜ! 誰が貰う?」

 ルナから離れて男たちが円を作り、話し合いを続ける中、エスメラルダはルナの首根っこを掴んで言った。

「あたしが毎日どんな思いしてたか知れば、傲慢なあんたも少しは変われるんじゃない?」

「いぁやだっ、絶対にいやだぁ! いやあだああ!」

「あたしはね、それしかなかったんだ。そう生きることしか出来なかったんだ! それをあんたは心の中で馬鹿にしていた。悪意のある、蔑む眼であたしを見てきてた! それが許せなかったんだ!」

 エスメラルダは突然真顔になって、叫んだ。 ルナは体が震えるのを感じた。

「ごめん……えすめらるだぁ……ごめんなさぁい!」
「謝ってもムダ。あんたは娼婦になるんだ!」
「それだけはぁ……かんべんしてぇ……おねがいぃ!」

 ルナは眼の周りを赤くしながら叫んだ。

 話が付いたのだろう。男たちが一斉に振り返り、近寄ってきた。

 悪意に満ちた笑みで。

 ルナはうつろな目でそれを見ていた。

――おしまいだ。
 
 安穏とあの善き夜に身を任せてはいけない
 老いぼれは日の暮れにこそ 燃え 喚け
 怒れ 去りつつある光に 怒れ
 
 どこかから、声が囁くのが聞こえる。
――ああそうか、そうだ。怒ればいいんだ……でも。

 ルナには、もう怒る気力すらなかった。

 だらんと、力なく肩を落とす。

――もう、ダメなのかな。

 男たちに立ち上がらされた。

 その時。

「ルナ! ルナ! 大丈夫か?」

 どこからか、別の声がした。

 聞き覚えのある、優しい声だった。 

――ズデンカ?

 ルナは上を見た。

 天井の電球の放つ光がひときわ大きく広がって部屋の中に満ちた。
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