上 下
55 / 526
第一部

第六話 童貞(6)

しおりを挟む
「ペルッツさま!」

 ズデンカは嫌な顔をしながらルナを近くへ引き寄せた。

「あの『綺譚集』の編者ペルッツさまですよね!」
「うん、いかにも。ちーん!」

 ルナは胸を張ってポーズを取りながら、また鼻をかんだ。

 さすがに鼻頭が赤くなってきている。

「ペルッツさま、お風邪ですか?」
「大したことないですよ。それより、綺譚《おはなし》はありますか?」

 ――また始まったぜ。

 ズデンカは呆れた。ルナの行動原理は何を措いてもそれなのだ。

「お聞かせ出来るようなお話があればいいのですが、残念ながら! でも、ペルッツさまのご本はいつも肌身離さず持っていまして」

 と鞄から本を取り出す女子学生。

「ふむふむ。サインして欲しいんですね」

 本を受け取ってルナは言った。

「えっ! いいんですか!」
「お名前は?」

「イヴォナです」
「ほう、こちらのご出身じゃないですよね?」

 ルナは見事な筆跡で、その本に名前を記して渡した。

「はい。ゴルダヴァの生まれです」
「あー、ならうちのメイドのズデンカもですよ! ちーん!」

 ルナは顔を輝かせた。

「余計なこと言うなよ」
「そうなんですか! 私アイバル好きでなんでもつけて食べちゃうんです。ズデンカさまはどうですか?」

「ん? アイバル? パプリカを使った調味料だろ。かなり昔に食ったことあるぜ!」

 話が弾むイヴォナとズデンカ。

「そういえば、ズデンカさまのお肌の色は私たちと違いますね。どうしてなんでしょうか。あ、差別的な意味で訊いたわけじゃないですよ! 不思議だなあって思って」

 ズデンカの浅黒い肌を見てイヴォナは言った。

「まあ、これには色々理由があってだな……」

 口ごもるズデンカ。

「大学に進むまで、いろいろあったんじゃないですか?」

 ルナは訊いた。

「はい。私は元々移民なのでお金がなくて。親に勉強なんて受けないでいいから早く結婚しろって言われました。……国から奨学金を得られなきゃ、とてもここまで来れなかったです。私一人の力でじゃありませんよ」

「でも、勉強は出来るんでしょう? わたしの本を読むぐらいだ」

 ズデンカは笑いを噛み殺しながらルナの裾を引いた。

「それほどでも! 試験は通りましたけど、ギリギリってところで! まだまだ精進が必要です!」 

「大学を出たら、どうされるか決まっているんですか?」
「決まっていません! でも、せっかく色々学べるんだから、ペルッツさまのように各地に広がるお話を集めようかと!」

「それは光栄だ! わたしも助手が欲しいと思ってたんだ。大学を出たらぜひ連絡をくれ。すぐにでも来て!」

 ルナは顔を輝かせた。

「はい! もっとお話したいのですが、時間なので失礼します!」

 イヴォナは笑顔で頷き、少し足早に講義室の方へと歩みを進めた。

「皆こんなに勉強熱心なんだなあ。予もますます頑張らねばと思えてしまう」

 他の生徒から話を聞き取っていたアデーレは感心していた。

 イヴォナと別れた後もズデンカとルナは他の生徒たちと話をした。
 中には働きながら通っている者もいた。


「周りから変な目で見られたりします」
「女が学ぶと言うだけで、どうしてあれこれ言われるんだろうね。ちーん!」

 ルナは鼻を拭きながら言った。

「結婚しながら学ぼうとすると同期生の男性から色々言われますよ。奥様のお遊びだって。でも、ここで学びたいことが自分にはあるんです。お遊びなんかでここに来ているんじゃありません」
「自立しろ、と言われるのだろうな」

 ズデンカは真顔で言った。

「確かに私は自立出来ていません。お金も出して貰っている身です。でも、それでも、いつかは何とか出来るかなって」
「いつかいつかじゃ、なんにもなんねえさ」

 ズデンカは厳しかった。

「まあまあ、ズデンカは厳しいけど自立ってそう簡単にできるものじゃない。不労所得のあるわたしでも、いまだに出来てるか分からないほどで。ちーん!」
「お前は出来てねえよ」

 ズデンカは苦々しく笑った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

30年待たされた異世界転移

明之 想
ファンタジー
 気づけば異世界にいた10歳のぼく。 「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」  こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。  右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。  でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。  あの日見た夢の続きを信じて。  ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!  くじけそうになっても努力を続け。  そうして、30年が経過。  ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。  しかも、20歳も若返った姿で。  異世界と日本の2つの世界で、  20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。

処理中です...