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第一部
第六話 童貞(3)
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集会場所となったのは、繁華街にあるほとんど客のいない小さなカフェだった。
「ルナァ!」
出迎えたのはアデーレ・シュニッツラーだった。
ズデンカは驚いた。いつのまにルナは会う約束を取り付けていたのだろう。
オルランド公国陸軍軍医総監という有力な地位にある者がトゥールーズ人民共和国に姿を現すなんて滅多にないことだ。
「何でお前がいるんだよ!」
「それはこちらのセリフだ、メイド!」
アデーレはズデンカを指差して嘲笑った。
「実質はともあれ、オルランドとトゥールーズの国交は開かれているからな。予はとある大学の視察に行く途中なのだ! 汽車を使えばあっという間に来れるぞ!」
その両頬にルナはキスした。
「ちーん。あ、鼻水、ついちゃった? だったらごめん。伝染したら大変だ。この国流の挨拶《ビズ》しようって思ってね」
アデーレは顔を真っ赤にしていた。
ズデンカは黙々とルナから渡される使用済みのちり紙を袋に詰めていた。
「いやいやいやっ、そんなことない! 会えて嬉しいぞルナァ!」
頬を押さえながら、あたふたと隅の席に腰掛けた。
ルナとすっかり表情が死んでしまったズデンカも坐る。
席がもう一つ空いていた。
「誰か来るの?」
ルナは訊いた。
「ルナの知り合いだ!」
アデーレは言った。
「今日集まって貰ったのは他ではない。我々シエラフィータ族にとって由々しき事態が起こりつつあるのだ」
「どういう?」
ルナは訊いた。
「スワスティカの残党が動いている」
後ろから別の重苦しい声が響いた。ズデンカは立ち上がって身構えた。
黒髪で背広を着、腰には刀の鞘を下げた痩せ身の男が近付いて来た。
「フランツ! 久しぶり! ちーん!」
ルナは顔を輝かせ、鼻をかみながらフランツと呼ばれた男に近寄っていった。
「挨拶の接吻《ビズ》はいらん。お前風邪引いてるだろ」
神経質そうに太い眉根を細め、顔の前で黒手袋の手を振る男。
ルナはしょんぼり後退した。
ズデンカはまた表情が死にかけるのを感じながら、ほっとした。
「この男はフランツ・シュルツ。スワスティカ猟人《ハンター》だ。シエラレオーネに所属している。ルナにとっては紹介するまでもないな。お前にしてやってるんだぞ、メイド。ありがたく思え」
アデーレが紹介した。
スワスティカ猟人《ハンター》。いまだ生き残っているスワスティカの残党を狩るため、シエラフィータ族の国シエラレオーネによって作られた機関だ。
シエラレオーネはトゥールーズを挟んで黒羊海を南東はるかにくだった土地に、戦後立てられたばかりの新しい国家だった。大虐殺を免れたシエラフィータ族が集結しているのだ。
知人も多いはずのルナも再三呼ばれているが、いつも断っていることをズデンカは知っていた。
「スワスティカの残党かぁ」
ルナはぼんやりと訊いた。
「今までのような小物じゃなく、かなりの大物――旧幹部クラスが関わっていることは間違いない」
席に坐って、フランツは断言した。
「例えば、カスパー・ハウザー」
びくん、とルナが背をそらした。傍目で分かるぐらい青白くなり、両手が震えている。
「どうした?」
ズデンカは心配して訊いた。
「ちょっと寒気がして」
「風邪のせいだ。帰ろうぜ」
「まだ、居たい」
「ルナはハウザーには……」
アデーレは苦虫を噛みつぶすような顔で言いかけた。
「言わないで!」
ルナはいつになく悲痛に叫んだ。
「いい。あたしたちは過去について話さないことにしてるんで」
ズデンカはきっぱり断った。
カスパー・ハウザー。
旧スワスティカ親衛部長・通称『銀髪の幻獣《キマイラ》』。
医学博士を自称したものの、収容所に入れられたシエラフィータ族を使って非人道的な実験を行ったと伝わっている。
そんな大物が戦後忽然と姿を消し、以後一切の消息を絶っているのだ。
これは知識として良く知られたこと。
ハウザーとルナの間で過去に何かあったのは間違いないだろう。
アデーレは詳しく知っているだろうが……。
ズデンカは好奇心を殺した。ルナを苦しませることはしたくなかった。
「推測の域は出ないけどな。各地で妙な事件が繰り返し起こっている。普通の人間がいきなり凶暴化して暴れ出すような事件が。お前の探している『鐘楼の悪魔』。あれもきっと関係があるに違いない」
フランツは両手を組んで静かに言った。
ルナは身震いを押さえるかのようにパイプを取り出し、火を点けた。
「どっちにしても、わたしは君たちの助けは借りないよ」
「あのな、ルナ」
フランツは深く息を吸った。
「俺たちと一緒に来い! ハウザーが関わっていなかったとしても、スワスティカの連中はお前一人でなんとかなる相手じゃない。ろくに実戦経験だってないようなお前が」
「わたしは単純に綺譚《おはなし》を集めたいだけなんだ。他と連むつもりはない」
きっぱりと断ったルナの表情には、だんだん笑みが甦ってきていた。
「ちーん!」
また鼻をかむ。
「相変わらずだな。……俺からは以上だ。気が変わったら連絡をくれ」
諦め顔でフランツは立ち上がり、カフェの外へと歩いていった。
「じゃ、あたしらもいくわ」
ズデンカは早く場を去りたい一心で言った。
「待って」
ルナはそれを止めた。
「アデーレはさっき大学に行くって言ってたよね。わたしも付いていって良い? ぜひ、詳しく教えて欲しい」
「ルナァ!」
出迎えたのはアデーレ・シュニッツラーだった。
ズデンカは驚いた。いつのまにルナは会う約束を取り付けていたのだろう。
オルランド公国陸軍軍医総監という有力な地位にある者がトゥールーズ人民共和国に姿を現すなんて滅多にないことだ。
「何でお前がいるんだよ!」
「それはこちらのセリフだ、メイド!」
アデーレはズデンカを指差して嘲笑った。
「実質はともあれ、オルランドとトゥールーズの国交は開かれているからな。予はとある大学の視察に行く途中なのだ! 汽車を使えばあっという間に来れるぞ!」
その両頬にルナはキスした。
「ちーん。あ、鼻水、ついちゃった? だったらごめん。伝染したら大変だ。この国流の挨拶《ビズ》しようって思ってね」
アデーレは顔を真っ赤にしていた。
ズデンカは黙々とルナから渡される使用済みのちり紙を袋に詰めていた。
「いやいやいやっ、そんなことない! 会えて嬉しいぞルナァ!」
頬を押さえながら、あたふたと隅の席に腰掛けた。
ルナとすっかり表情が死んでしまったズデンカも坐る。
席がもう一つ空いていた。
「誰か来るの?」
ルナは訊いた。
「ルナの知り合いだ!」
アデーレは言った。
「今日集まって貰ったのは他ではない。我々シエラフィータ族にとって由々しき事態が起こりつつあるのだ」
「どういう?」
ルナは訊いた。
「スワスティカの残党が動いている」
後ろから別の重苦しい声が響いた。ズデンカは立ち上がって身構えた。
黒髪で背広を着、腰には刀の鞘を下げた痩せ身の男が近付いて来た。
「フランツ! 久しぶり! ちーん!」
ルナは顔を輝かせ、鼻をかみながらフランツと呼ばれた男に近寄っていった。
「挨拶の接吻《ビズ》はいらん。お前風邪引いてるだろ」
神経質そうに太い眉根を細め、顔の前で黒手袋の手を振る男。
ルナはしょんぼり後退した。
ズデンカはまた表情が死にかけるのを感じながら、ほっとした。
「この男はフランツ・シュルツ。スワスティカ猟人《ハンター》だ。シエラレオーネに所属している。ルナにとっては紹介するまでもないな。お前にしてやってるんだぞ、メイド。ありがたく思え」
アデーレが紹介した。
スワスティカ猟人《ハンター》。いまだ生き残っているスワスティカの残党を狩るため、シエラフィータ族の国シエラレオーネによって作られた機関だ。
シエラレオーネはトゥールーズを挟んで黒羊海を南東はるかにくだった土地に、戦後立てられたばかりの新しい国家だった。大虐殺を免れたシエラフィータ族が集結しているのだ。
知人も多いはずのルナも再三呼ばれているが、いつも断っていることをズデンカは知っていた。
「スワスティカの残党かぁ」
ルナはぼんやりと訊いた。
「今までのような小物じゃなく、かなりの大物――旧幹部クラスが関わっていることは間違いない」
席に坐って、フランツは断言した。
「例えば、カスパー・ハウザー」
びくん、とルナが背をそらした。傍目で分かるぐらい青白くなり、両手が震えている。
「どうした?」
ズデンカは心配して訊いた。
「ちょっと寒気がして」
「風邪のせいだ。帰ろうぜ」
「まだ、居たい」
「ルナはハウザーには……」
アデーレは苦虫を噛みつぶすような顔で言いかけた。
「言わないで!」
ルナはいつになく悲痛に叫んだ。
「いい。あたしたちは過去について話さないことにしてるんで」
ズデンカはきっぱり断った。
カスパー・ハウザー。
旧スワスティカ親衛部長・通称『銀髪の幻獣《キマイラ》』。
医学博士を自称したものの、収容所に入れられたシエラフィータ族を使って非人道的な実験を行ったと伝わっている。
そんな大物が戦後忽然と姿を消し、以後一切の消息を絶っているのだ。
これは知識として良く知られたこと。
ハウザーとルナの間で過去に何かあったのは間違いないだろう。
アデーレは詳しく知っているだろうが……。
ズデンカは好奇心を殺した。ルナを苦しませることはしたくなかった。
「推測の域は出ないけどな。各地で妙な事件が繰り返し起こっている。普通の人間がいきなり凶暴化して暴れ出すような事件が。お前の探している『鐘楼の悪魔』。あれもきっと関係があるに違いない」
フランツは両手を組んで静かに言った。
ルナは身震いを押さえるかのようにパイプを取り出し、火を点けた。
「どっちにしても、わたしは君たちの助けは借りないよ」
「あのな、ルナ」
フランツは深く息を吸った。
「俺たちと一緒に来い! ハウザーが関わっていなかったとしても、スワスティカの連中はお前一人でなんとかなる相手じゃない。ろくに実戦経験だってないようなお前が」
「わたしは単純に綺譚《おはなし》を集めたいだけなんだ。他と連むつもりはない」
きっぱりと断ったルナの表情には、だんだん笑みが甦ってきていた。
「ちーん!」
また鼻をかむ。
「相変わらずだな。……俺からは以上だ。気が変わったら連絡をくれ」
諦め顔でフランツは立ち上がり、カフェの外へと歩いていった。
「じゃ、あたしらもいくわ」
ズデンカは早く場を去りたい一心で言った。
「待って」
ルナはそれを止めた。
「アデーレはさっき大学に行くって言ってたよね。わたしも付いていって良い? ぜひ、詳しく教えて欲しい」
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