上 下
47 / 526
第一部

第五話 八本脚の蝶(8)

しおりを挟む
 毎年開かれる展覧会の初日に私が行って、展示されている中にこっそり八本脚の蝶を刺しておくことにしていたのです。

 仕事が清掃員だってお伝えしましたよね。当然公会堂にも出入りして、展覧会場のトイレや床を掃除することもやっていたので入るのは簡単でした。

 ところが不思議なことに誰も気付かないのです。展覧会に来る殿方は実は蝶に興味がないのかも知れません。刺したのが端っこの方だったからかも知れませんが。

 今日あなたたちがやってこられるまで誰も蝶が不自然だなと気付いた人はいなかったのです。

 展覧会が終わる日になって蝶を回収するのはエロイーズの役目になっていました。

 「うしし、本当に誰も気付いてなかったよ」

 エロイーズは八本脚の蝶を手に持って、笑いながら帰ってくるのがいつものことでした。

  私がやるよって言ってもエロイーズは、

 「いやだよ、私だって作ったんだし」

 と言い張ってましたっけ。

 もう、私たちにとって慣例行事みたいな感じになっていたんですね。

 そうこうするうちにお隣の国に成立したスワスティカが台頭してきて、ドールヴィイも占領下に置かれるようになりました。

 自国拡大戦争の最中に、蝶の展覧会などけしからんということで、開かれないことになりました。

「残念だなあ」

 エロイーズは悔しそうでした。もうその頃には私たちもだいぶ皺が寄ってきておばちゃんになってましたけどね。

 別に悲しくはありませんでした。変な誘われ方をすることもなくなりましたし。

 もちろんその間も蝶はたくさん作りましたよ。家の物置にも眠ったままです。


 二人で作っている時間はとても楽しかったなあ。

 もう、ぜんぜんアルフレッドの話はしないんです。私は毎度の仕事場である公共のトイレがどれだけ汚く汚れているか、エロイーズは下の子供たちがどんなに手に負えないか、上の子の結婚相手を見付けるのが大変かとか、そんなことばかりで。

 でも、たわいない話が一番楽しかったな。

 戦争は長引きました。十年前ですね。スワスティカが軍を引いて街が開放されたときにはエロイーズはもう病気になっていました。

 ガンでした。四十の後半は若いけれど、クラスメイトもけっこう命を落としていて、昔を話せる相手はほとんどいなくなっていました。私と交流している中で話せるのは彼女が最後でした。

 仲が良いことを知っていたのか、旅籠屋の仕事を継いだエロイーズの長男が私を家に入れてくれ、ベッド際まで連れていってくれました。

 話を聞いて想像していた通り、いい方でした。

 二人きりにして置いてくださったし。

 でも。

 意識がもうろうとしたエロイーズは私の手を握ってこう囁いたのです。

「私の人生って何だったのかな。意味があったのかな」

 って。

 言いようのない思いが胸の中に溢れてきました。私と比べたらどう考えても、エロイーズは人生が上手くいっていたように見えたからです。

 どうして、って訊き返すのすら怖かった。

 もちろん、それがアルフレッドに関わる後悔ではないことは分かりました。

 エロイーズは自分の人生を後悔しているのでした。

 旅籠屋の奥さんとして生きて、街の外へ一度も出ずに。

 やせ衰えたエロイーズの手を私はしっかり握りました。

 命が消えていくってこういうことなんだ。もちろん、私は父も母も見送りましたが、初めて実感したんです。

 蝶が舞い立つように儚く。

 お葬式にはちょっと出ただけですぐ教会を立ち去りました。死に顔を長くは見ていられませんでしたから。

 短い間、私は首都のエルキュールへ旅をしました。ドールヴィイの外を見てみたくなったので。

 そこでちょっと恋もしましたけど、すぐに戻ってきました。他のところではとても生きていけないと思ったんです。

 ちょうどそれが展覧会が開かれる頃でした。私は独りで蝶を作り、針で留めては回収を続けました。

 もう、エロイーズはいませんので。

 お話はこれだけです。あなたがたはよくぞ見付けてくださったという感じです。

 もうこれで、ささやかなお遊びは終わりにしますね。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

[恥辱]りみの強制おむつ生活

rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。 保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。

RUBBER LADY 屈辱の性奴隷調教

RUBBER LADY
ファンタジー
RUBBER LADYが活躍するストーリーの続編です

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

処理中です...