月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚

浦出卓郎

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第一部

第五話 八本脚の蝶(8)

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 毎年開かれる展覧会の初日に私が行って、展示されている中にこっそり八本脚の蝶を刺しておくことにしていたのです。

 仕事が清掃員だってお伝えしましたよね。当然公会堂にも出入りして、展覧会場のトイレや床を掃除することもやっていたので入るのは簡単でした。

 ところが不思議なことに誰も気付かないのです。展覧会に来る殿方は実は蝶に興味がないのかも知れません。刺したのが端っこの方だったからかも知れませんが。

 今日あなたたちがやってこられるまで誰も蝶が不自然だなと気付いた人はいなかったのです。

 展覧会が終わる日になって蝶を回収するのはエロイーズの役目になっていました。

 「うしし、本当に誰も気付いてなかったよ」

 エロイーズは八本脚の蝶を手に持って、笑いながら帰ってくるのがいつものことでした。

  私がやるよって言ってもエロイーズは、

 「いやだよ、私だって作ったんだし」

 と言い張ってましたっけ。

 もう、私たちにとって慣例行事みたいな感じになっていたんですね。

 そうこうするうちにお隣の国に成立したスワスティカが台頭してきて、ドールヴィイも占領下に置かれるようになりました。

 自国拡大戦争の最中に、蝶の展覧会などけしからんということで、開かれないことになりました。

「残念だなあ」

 エロイーズは悔しそうでした。もうその頃には私たちもだいぶ皺が寄ってきておばちゃんになってましたけどね。

 別に悲しくはありませんでした。変な誘われ方をすることもなくなりましたし。

 もちろんその間も蝶はたくさん作りましたよ。家の物置にも眠ったままです。


 二人で作っている時間はとても楽しかったなあ。

 もう、ぜんぜんアルフレッドの話はしないんです。私は毎度の仕事場である公共のトイレがどれだけ汚く汚れているか、エロイーズは下の子供たちがどんなに手に負えないか、上の子の結婚相手を見付けるのが大変かとか、そんなことばかりで。

 でも、たわいない話が一番楽しかったな。

 戦争は長引きました。十年前ですね。スワスティカが軍を引いて街が開放されたときにはエロイーズはもう病気になっていました。

 ガンでした。四十の後半は若いけれど、クラスメイトもけっこう命を落としていて、昔を話せる相手はほとんどいなくなっていました。私と交流している中で話せるのは彼女が最後でした。

 仲が良いことを知っていたのか、旅籠屋の仕事を継いだエロイーズの長男が私を家に入れてくれ、ベッド際まで連れていってくれました。

 話を聞いて想像していた通り、いい方でした。

 二人きりにして置いてくださったし。

 でも。

 意識がもうろうとしたエロイーズは私の手を握ってこう囁いたのです。

「私の人生って何だったのかな。意味があったのかな」

 って。

 言いようのない思いが胸の中に溢れてきました。私と比べたらどう考えても、エロイーズは人生が上手くいっていたように見えたからです。

 どうして、って訊き返すのすら怖かった。

 もちろん、それがアルフレッドに関わる後悔ではないことは分かりました。

 エロイーズは自分の人生を後悔しているのでした。

 旅籠屋の奥さんとして生きて、街の外へ一度も出ずに。

 やせ衰えたエロイーズの手を私はしっかり握りました。

 命が消えていくってこういうことなんだ。もちろん、私は父も母も見送りましたが、初めて実感したんです。

 蝶が舞い立つように儚く。

 お葬式にはちょっと出ただけですぐ教会を立ち去りました。死に顔を長くは見ていられませんでしたから。

 短い間、私は首都のエルキュールへ旅をしました。ドールヴィイの外を見てみたくなったので。

 そこでちょっと恋もしましたけど、すぐに戻ってきました。他のところではとても生きていけないと思ったんです。

 ちょうどそれが展覧会が開かれる頃でした。私は独りで蝶を作り、針で留めては回収を続けました。

 もう、エロイーズはいませんので。

 お話はこれだけです。あなたがたはよくぞ見付けてくださったという感じです。

 もうこれで、ささやかなお遊びは終わりにしますね。
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