上 下
45 / 526
第一部

第五話 八本脚の蝶(6)

しおりを挟む
 もう十四歳ぐらいにはなっていたでしょうか。

「なんだ、まだやってるのかよ」

 夏に近づく春のことでした。蝶たちは今を盛りと飛び回っています。家から出て一人で野山を駆けまわっていたわたしは、後ろから声を掛けられてビックリしました。

 アルフレッドでした。

「どうしてきたの?」

 私が皮肉っぽく言ってみました。

「久しぶりに来てみたんだよ。お前いるかって思って」

 その手には網も握られていませんでした。

「もう、私とは話したくないんだよね」
「そんなことねえよ。お前の方から話さなくなったんじゃねえか」

 声には怒りが籠もっていました。

「私のこと、避けてたでしょ」
「避けてねえよ」

「じゃあ、なんで?」
「今から遊べばいいだろ。さ」

 アルフレッドは私から網をひったくって走り始めました。追いかけはしましたが、とても速くなっていて私はついていけませんでした。

「それっ、それっ」

 アルフレッドはデタラメに網を振り回しまくりました。それでも一匹捕らえてしまうのだから、力の違いを感じてしまいます。

「どうだ? 俺もちゃんと出来るようになっただろ」

 覚えていてくれたのは嬉しかったけど、なぜか寂しい思いもしました。過去の思い出のような言い方で語らないでって言いたかったんです。

 網に手を突っ込んで凄く乱暴な手付きでパタパタする蝶の翅をつかみ、鱗粉がつくのも構わず私の前へ差し出しました。

「それにしても蝶の脚って六本なんだな。八本あるって思ってたわ」

 ショックでした。昆虫は六本脚で、八本脚の蝶は存在しない。幼いころから熱心に追いかけ回していた彼がそんな当たり前の知識を知らなかったなんて。

 知っていたとして、忘れてしまったのでしょうか。

 アルフレッドの中ではそうだったのでしょう。

 私はアルフレッドから受け取った蝶を手放して、空へ放ちました。

 蝶は最初はよろめきながらも、ゆっくり羽ばたきながら向きを立て直して飛んでいきました。

「あっ、何すんだよ!」

 アルフレッドは怒って叫びました。

「いい。私が見たいのはこんな蝶じゃない。八本脚の蝶は、いる」

 デタラメでした。彼が許せなくなって怒りのあまり口から出任せを言ったんです。

「へえ、実在するのかー」

 素直にアルフレッドは感心しているようでした。そのきょとんとした顔が憎らしくなったのです。

「するよ。この世のどこかにはいる。捕ってこれる?」
「へえ、なら捕ってきてやってもいいよ。好都合だ。俺もこの街を出て広い世界を見て歩こうと思ってな。八本脚の蝶がいるってんなら、どこかで見つかるだろうさ」

 私はしばらく言葉も返せませんでした。

「船乗りになるんだよ。こんなちっぽけな街でずっと暮らしていたら腐っちまう。親戚のおじさんに伝手があってな。甲板掃除として雇ってくれるってよ」

 骨董屋のことはどうなるの? と言葉が喉元までせり上げてきたけれど止めました。

 私自身、その時まで店をアルフレッドが継ぐなんて具体的に考えていた訳ではなかったからです。ぼんやりと、親が言っていることを信じていただけでしたから。

「俺は男だからな。冒険に生きて冒険に死にたいんだ」

 そう言ってアルフレッドは両手を広げて空を仰ぎました。

 その姿は勇ましくはありましたが、そんなことしないでいいのにって正直思いました。

 この街でずっと暮らしてくれたら良いのにって。 

 アルフレッドはそれから二週間もしないうちに街から出て行きました。

 父はとても怒りました。何も聞かされていなかったからです。事前に告げ口していたら、何か変わったでしょうか?

 「店はどうする? あいつがいないとやっていくことができんではないか」
 父は常日頃家に来たアルフレッドに骨董品に関する知識を授けていたのです。
 落胆した父はしだいに病気がちになり、アルフレッドが出て行って二年後には亡くなりました。

 音信は一切途絶えてしまったのです。手紙が来たのは最初の年だけでした。

 残された骨董品の中にはかなり高価な物もあったのでしょうが、知識のない私と母では買いたたかれてしまい、二十年後母が亡くなるときには私が今の清掃の仕事で働いて家計を支えないといけないほどになっていました。

 その間まあ色々ありましたよ。私は結局結婚しませんでした。アルフレッド以上にいい人がいなかったので。父の後ろ盾もなくなったから見合いの話も来ませんでしたし。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

[恥辱]りみの強制おむつ生活

rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。 保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。

RUBBER LADY 屈辱の性奴隷調教

RUBBER LADY
ファンタジー
RUBBER LADYが活躍するストーリーの続編です

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

処理中です...