上 下
9 / 526
第一部

第一話 蜘蛛(9)いちゃこらタイム

しおりを挟む
オルランド公国南端エンヒェンブルグ――



「おい、ルナ!」


 シャワー室の磨りガラスが嵌められた扉をノックする音。

 何度も繰り返されるが返事はない。


 激しく扉が蹴破られ、ズデンカは中へ躍り込む。


「こりゃ、また弁償だな。って、おい、ルナ」


 ルナが突っ立ったまま青い顔になって、天井に設置された鉄の管に開いた穴から流れるシャワーの滴りを見つめていた。


「いきなりどうした? 固まって」


 撒かれる水に打たれるまま、ルナは返事がなかった。目はうつろになっていた。傍目からわかるほど震え、怯えていることが分かった。


「あ……君か」

「何が『あ』だ! どうしたんだよ。水、冷たいんじゃないのか?」


 ズデンカは水滴を手で受けたが、その肌は熱さや冷たさを感じ取ることができない。ただ、ルナの唇の色と全身が震えていることから判断したまでだ。


 急いで蛇口を捻り、水の流出を止める。


「お前ら生身の人間は……風……邪引いちまうだろ。肺炎、だったか? になったらどうする」


 と言いながら掛けてあったタオルでルナをくるみ、外へと連れ出した。


「せっかく設備の整っているホテルにしたのに、こんなざまじゃ元が取れねえ。さあ、暖炉に当たれ」


 ズデンカはタオルを足してルナをグルグル巻きにした。


 ルナはなかなか答えなかった。ズデンカは不安になり、あたりを見回した。


 ルナと一年近く旅をしているズデンカだったが、いつも強気なルナがこんな状態になったことは初めてだった。まあ、ズデンカにとって一年などあっという間だが。


「やっぱり、風邪を引いたのかも知れないな」


「そんなんじゃないよ」


 タオルにくるまったルナが答えた。その声は弱々しかった。


「何かあったんだろ? 教えろ」


 髪を綺麗に拭いてやりながらズデンカは訊いた。


「大したことじゃない」

「じゃない、じゃないって、そればっかだな!」


 ズデンカの声はわずかに潤んでいた。


「涙もろいな、君は」


 軽口を叩ける程度は余裕が戻ってきたのか、ルナは言った。


「過去に何かあったんだろ?」


 ズデンカはぽつりと言った。


「言いたくないんだ」

「あたしにもか」

「君は、わたしの何だっけ?」


 珍しくルナは顔を伏せていた。


「さあ、なんだろうな。家族でも友達でもない。ただ旅してる相手だ」

「なら、言う義理はない」


 ルナは強情だった。


「言わないならいい」


 ズデンカは黙った。二人はしばらくの間黙っていた。


「……抱きしめて」


「は?」


 ズデンカは驚いてルナに振り返った。いきなり何を言い出すのだと思ったからだ。


「二度は言わない」


 ズデンカは無言でルナに近づき、両腕を広げてタオルごと覆った。


「これで……いいのか」

「ありがと」

「怖かったんだろ」


「ちょっとね」

「ちょっと、じゃねえだろ」

「うん」

「やっぱり」


 ズデンカの長いウェーブする黒髪はルナの顔をすっかり隠していた。


「息苦しい」

「そうか」


 ズデンカは退けなかった。


「もういいだろ。ちょっとやって貰いたかっただけなんだ」

「いや、ルナはもっとこうしたがってる」

「そんなこと……」


「あたしには言えないけど、昔怖いことあったのを思い出したんだろ。抱きしめてもらいたいんだろ、なら、そうしてやるよ」

「……」


 ルナは何も言わなかった。


「お前の言う通り、人は誰もが他人の人生の傍観者だ。あたしは人なのかも分からないけどな。お前のことは何もわかんねえよ。でも苦しいなら、あたしがこうしておいてやろう」


 ルナは黙って俯いたままでいた。

 何も言わないまま二人はそうやって過ごした。ときおりズデンカは、


「寒くないか」


 とルナの耳元で囁く。


「むしろ暑いぐらいだ。バスローブが欲しい」

「あたしが着換えさせてやるよ」

「いい。自分でする」


 だが、なかなかズデンカはルナを離そうとしなかった。


「まだ身体が凍えてる」

「……」


 沈黙が続いた。ズデンカはいつしかルナが寝息を立てていることに気付いた。

 名残惜しく身を離し、自分のベッドにあったものも剥ぎ取り二重にした毛布を掛ける。


「明日は軍事パレードか。まったく金ばかりかけやがる」


 暖炉の炎を見つめながらその熱さを感じ取ることの出来ないズデンカは、皮肉屋のルナならパレードで雇用が発生するなら御の字じゃないか、と言うだろうと思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

処理中です...