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第一部
第一話 蜘蛛(9)いちゃこらタイム
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オルランド公国南端エンヒェンブルグ――
「おい、ルナ!」
シャワー室の磨りガラスが嵌められた扉をノックする音。
何度も繰り返されるが返事はない。
激しく扉が蹴破られ、ズデンカは中へ躍り込む。
「こりゃ、また弁償だな。って、おい、ルナ」
ルナが突っ立ったまま青い顔になって、天井に設置された鉄の管に開いた穴から流れるシャワーの滴りを見つめていた。
「いきなりどうした? 固まって」
撒かれる水に打たれるまま、ルナは返事がなかった。目はうつろになっていた。傍目からわかるほど震え、怯えていることが分かった。
「あ……君か」
「何が『あ』だ! どうしたんだよ。水、冷たいんじゃないのか?」
ズデンカは水滴を手で受けたが、その肌は熱さや冷たさを感じ取ることができない。ただ、ルナの唇の色と全身が震えていることから判断したまでだ。
急いで蛇口を捻り、水の流出を止める。
「お前ら生身の人間は……風……邪引いちまうだろ。肺炎、だったか? になったらどうする」
と言いながら掛けてあったタオルでルナをくるみ、外へと連れ出した。
「せっかく設備の整っているホテルにしたのに、こんなざまじゃ元が取れねえ。さあ、暖炉に当たれ」
ズデンカはタオルを足してルナをグルグル巻きにした。
ルナはなかなか答えなかった。ズデンカは不安になり、あたりを見回した。
ルナと一年近く旅をしているズデンカだったが、いつも強気なルナがこんな状態になったことは初めてだった。まあ、ズデンカにとって一年などあっという間だが。
「やっぱり、風邪を引いたのかも知れないな」
「そんなんじゃないよ」
タオルにくるまったルナが答えた。その声は弱々しかった。
「何かあったんだろ? 教えろ」
髪を綺麗に拭いてやりながらズデンカは訊いた。
「大したことじゃない」
「じゃない、じゃないって、そればっかだな!」
ズデンカの声はわずかに潤んでいた。
「涙もろいな、君は」
軽口を叩ける程度は余裕が戻ってきたのか、ルナは言った。
「過去に何かあったんだろ?」
ズデンカはぽつりと言った。
「言いたくないんだ」
「あたしにもか」
「君は、わたしの何だっけ?」
珍しくルナは顔を伏せていた。
「さあ、なんだろうな。家族でも友達でもない。ただ旅してる相手だ」
「なら、言う義理はない」
ルナは強情だった。
「言わないならいい」
ズデンカは黙った。二人はしばらくの間黙っていた。
「……抱きしめて」
「は?」
ズデンカは驚いてルナに振り返った。いきなり何を言い出すのだと思ったからだ。
「二度は言わない」
ズデンカは無言でルナに近づき、両腕を広げてタオルごと覆った。
「これで……いいのか」
「ありがと」
「怖かったんだろ」
「ちょっとね」
「ちょっと、じゃねえだろ」
「うん」
「やっぱり」
ズデンカの長いウェーブする黒髪はルナの顔をすっかり隠していた。
「息苦しい」
「そうか」
ズデンカは退けなかった。
「もういいだろ。ちょっとやって貰いたかっただけなんだ」
「いや、ルナはもっとこうしたがってる」
「そんなこと……」
「あたしには言えないけど、昔怖いことあったのを思い出したんだろ。抱きしめてもらいたいんだろ、なら、そうしてやるよ」
「……」
ルナは何も言わなかった。
「お前の言う通り、人は誰もが他人の人生の傍観者だ。あたしは人なのかも分からないけどな。お前のことは何もわかんねえよ。でも苦しいなら、あたしがこうしておいてやろう」
ルナは黙って俯いたままでいた。
何も言わないまま二人はそうやって過ごした。ときおりズデンカは、
「寒くないか」
とルナの耳元で囁く。
「むしろ暑いぐらいだ。バスローブが欲しい」
「あたしが着換えさせてやるよ」
「いい。自分でする」
だが、なかなかズデンカはルナを離そうとしなかった。
「まだ身体が凍えてる」
「……」
沈黙が続いた。ズデンカはいつしかルナが寝息を立てていることに気付いた。
名残惜しく身を離し、自分のベッドにあったものも剥ぎ取り二重にした毛布を掛ける。
「明日は軍事パレードか。まったく金ばかりかけやがる」
暖炉の炎を見つめながらその熱さを感じ取ることの出来ないズデンカは、皮肉屋のルナならパレードで雇用が発生するなら御の字じゃないか、と言うだろうと思った。
「おい、ルナ!」
シャワー室の磨りガラスが嵌められた扉をノックする音。
何度も繰り返されるが返事はない。
激しく扉が蹴破られ、ズデンカは中へ躍り込む。
「こりゃ、また弁償だな。って、おい、ルナ」
ルナが突っ立ったまま青い顔になって、天井に設置された鉄の管に開いた穴から流れるシャワーの滴りを見つめていた。
「いきなりどうした? 固まって」
撒かれる水に打たれるまま、ルナは返事がなかった。目はうつろになっていた。傍目からわかるほど震え、怯えていることが分かった。
「あ……君か」
「何が『あ』だ! どうしたんだよ。水、冷たいんじゃないのか?」
ズデンカは水滴を手で受けたが、その肌は熱さや冷たさを感じ取ることができない。ただ、ルナの唇の色と全身が震えていることから判断したまでだ。
急いで蛇口を捻り、水の流出を止める。
「お前ら生身の人間は……風……邪引いちまうだろ。肺炎、だったか? になったらどうする」
と言いながら掛けてあったタオルでルナをくるみ、外へと連れ出した。
「せっかく設備の整っているホテルにしたのに、こんなざまじゃ元が取れねえ。さあ、暖炉に当たれ」
ズデンカはタオルを足してルナをグルグル巻きにした。
ルナはなかなか答えなかった。ズデンカは不安になり、あたりを見回した。
ルナと一年近く旅をしているズデンカだったが、いつも強気なルナがこんな状態になったことは初めてだった。まあ、ズデンカにとって一年などあっという間だが。
「やっぱり、風邪を引いたのかも知れないな」
「そんなんじゃないよ」
タオルにくるまったルナが答えた。その声は弱々しかった。
「何かあったんだろ? 教えろ」
髪を綺麗に拭いてやりながらズデンカは訊いた。
「大したことじゃない」
「じゃない、じゃないって、そればっかだな!」
ズデンカの声はわずかに潤んでいた。
「涙もろいな、君は」
軽口を叩ける程度は余裕が戻ってきたのか、ルナは言った。
「過去に何かあったんだろ?」
ズデンカはぽつりと言った。
「言いたくないんだ」
「あたしにもか」
「君は、わたしの何だっけ?」
珍しくルナは顔を伏せていた。
「さあ、なんだろうな。家族でも友達でもない。ただ旅してる相手だ」
「なら、言う義理はない」
ルナは強情だった。
「言わないならいい」
ズデンカは黙った。二人はしばらくの間黙っていた。
「……抱きしめて」
「は?」
ズデンカは驚いてルナに振り返った。いきなり何を言い出すのだと思ったからだ。
「二度は言わない」
ズデンカは無言でルナに近づき、両腕を広げてタオルごと覆った。
「これで……いいのか」
「ありがと」
「怖かったんだろ」
「ちょっとね」
「ちょっと、じゃねえだろ」
「うん」
「やっぱり」
ズデンカの長いウェーブする黒髪はルナの顔をすっかり隠していた。
「息苦しい」
「そうか」
ズデンカは退けなかった。
「もういいだろ。ちょっとやって貰いたかっただけなんだ」
「いや、ルナはもっとこうしたがってる」
「そんなこと……」
「あたしには言えないけど、昔怖いことあったのを思い出したんだろ。抱きしめてもらいたいんだろ、なら、そうしてやるよ」
「……」
ルナは何も言わなかった。
「お前の言う通り、人は誰もが他人の人生の傍観者だ。あたしは人なのかも分からないけどな。お前のことは何もわかんねえよ。でも苦しいなら、あたしがこうしておいてやろう」
ルナは黙って俯いたままでいた。
何も言わないまま二人はそうやって過ごした。ときおりズデンカは、
「寒くないか」
とルナの耳元で囁く。
「むしろ暑いぐらいだ。バスローブが欲しい」
「あたしが着換えさせてやるよ」
「いい。自分でする」
だが、なかなかズデンカはルナを離そうとしなかった。
「まだ身体が凍えてる」
「……」
沈黙が続いた。ズデンカはいつしかルナが寝息を立てていることに気付いた。
名残惜しく身を離し、自分のベッドにあったものも剥ぎ取り二重にした毛布を掛ける。
「明日は軍事パレードか。まったく金ばかりかけやがる」
暖炉の炎を見つめながらその熱さを感じ取ることの出来ないズデンカは、皮肉屋のルナならパレードで雇用が発生するなら御の字じゃないか、と言うだろうと思った。
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