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第一部
第一話 蜘蛛(1)
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ルナ・ペルッツは『綺譚蒐集者』だ。世界各地を巡って、奇妙な話、面白い話=綺譚を集めて回っている。
月のごとくまんまるまるな顔にきらりと光るモノクル。長いマントと外套の下に、改造したフロックコート。いつもパイプを手に持っている。
彼女には噂があった。
素晴らしい話を提供した者の願いを一つだけ叶えてくれる。
――という。
オルランド公国南端ボッシュ――
首は町を見おろすかたちで、大きな教会の鐘楼にある風見鶏の尖端に突き刺されていた。
早朝の散歩で通りかかった商人が、真っ青になって声を上げると、いつしか野次馬は集まってきた。
熟睡していた寺男は起こされてベッドから身をもたげ、鐘楼の屋根を伝って登る。首は風見鶏からおろされた。
少女のものだった。周りを囲む野次馬の中には嘔吐く者もあった。その瞳は眼窩からくり抜かれて、代わりに蜘蛛の巣が張られていたのだ。中は虚ろだった。血は流れないほどに乾いていた。
胴体は近くの納屋の中に無造作に投げ出されていた。藁の束の間から見えるぐらいはっきりと。
やがて少女はボッシュに住む靴屋オットーの娘マルタと分かった。三日前、家から忽然と姿を消したのだ。
疑われたのはマルタの母リーザだった。娘の失踪前からだが、いつも夜になるとこっそり外へ出ていたことが確認されたからだ。
「日頃からマルタを打擲することが多かったですからな」
自宅の書斎に坐り、肥満した巨体を揺すりながら町長は言った。傍では召使いの女が無言のまま火掻き棒で暖炉を弄っている。
マルタにはあざがあった。それも、顔ではなく身体の服で隠れて見えない部分に幾つも殴った痕が出来ていたのだ。マルタの遺体の損傷は酷く、生々しいミミズ腫れまでついていた。
「頭もおかしくなっているという噂があります」
町長の家の中まで上がり込んできていた野次馬連は言った。
「全く蛇のような、業の深い女ですよ」
町長は目をつぶり、手を組んだ。
「そうですか」
皆を前にして安楽椅子に坐ったルナ・ペルッツは言った。
先日たまたまふらりと時代遅れな馬車に乗ってやってきて、町を騒がせている事件について聞きたいと乞うたからここにいる。
「父親はどんな方で?」
ルナは聞いた。
「オットーは実に大した男ですよ。あれぐらい見事な靴を作れるやつはいません。うちの町民はほとんどやつの作ったものを穿いています」
町長は答えた。
「なるほど」
ルナは薄く笑んだ。
「なぜあんな女を妻にしたのでしょう。縁家からの紹介だとは思いますが、それにしてもひどいもので」
「きちがい沙汰を口走っているのですからな」
また野次馬達が嘴を入れてきた。
「どのようなことを?」
「子供を産ませられて面倒を見切れない、夫も構ってくれないと」
「それが変なのですか?」
野次馬も町長も目を瞠った。
「子供の面倒は妻が見るのが当たり前でしょう。十人の子を立派に育て上げた女もいる。他の女たちの手だって借りられる。リーザは人付き合いすらろくにできないから、一人で抱え込んだんです。で、それなら始末してやろうと考えた訳だ」
「浅ましく、おぞましい発想ですな」
「しかし鐘楼の上など、簡単に登れるでしょうか」
「できないことはないですよ。登りやすいように梯子は掛けたままだったのですし、誰にも気付かれないはずです。この町の人間はみな脳天気ですからね」
町長は自信たっぷりに言った。
ボッシュは山岳近くの小規模な町だ。鐘楼を中心として建物が集まり、開拓されていない地域も多い。
町人たちもほとんど互いに顔見知りのようだ。
「長閑な町で恐ろしい事件を起こすとは、リーザのやつめ」
「じゃあリーザさんに会わせて頂けませんか」
ルナは立ち上がった。
月のごとくまんまるまるな顔にきらりと光るモノクル。長いマントと外套の下に、改造したフロックコート。いつもパイプを手に持っている。
彼女には噂があった。
素晴らしい話を提供した者の願いを一つだけ叶えてくれる。
――という。
オルランド公国南端ボッシュ――
首は町を見おろすかたちで、大きな教会の鐘楼にある風見鶏の尖端に突き刺されていた。
早朝の散歩で通りかかった商人が、真っ青になって声を上げると、いつしか野次馬は集まってきた。
熟睡していた寺男は起こされてベッドから身をもたげ、鐘楼の屋根を伝って登る。首は風見鶏からおろされた。
少女のものだった。周りを囲む野次馬の中には嘔吐く者もあった。その瞳は眼窩からくり抜かれて、代わりに蜘蛛の巣が張られていたのだ。中は虚ろだった。血は流れないほどに乾いていた。
胴体は近くの納屋の中に無造作に投げ出されていた。藁の束の間から見えるぐらいはっきりと。
やがて少女はボッシュに住む靴屋オットーの娘マルタと分かった。三日前、家から忽然と姿を消したのだ。
疑われたのはマルタの母リーザだった。娘の失踪前からだが、いつも夜になるとこっそり外へ出ていたことが確認されたからだ。
「日頃からマルタを打擲することが多かったですからな」
自宅の書斎に坐り、肥満した巨体を揺すりながら町長は言った。傍では召使いの女が無言のまま火掻き棒で暖炉を弄っている。
マルタにはあざがあった。それも、顔ではなく身体の服で隠れて見えない部分に幾つも殴った痕が出来ていたのだ。マルタの遺体の損傷は酷く、生々しいミミズ腫れまでついていた。
「頭もおかしくなっているという噂があります」
町長の家の中まで上がり込んできていた野次馬連は言った。
「全く蛇のような、業の深い女ですよ」
町長は目をつぶり、手を組んだ。
「そうですか」
皆を前にして安楽椅子に坐ったルナ・ペルッツは言った。
先日たまたまふらりと時代遅れな馬車に乗ってやってきて、町を騒がせている事件について聞きたいと乞うたからここにいる。
「父親はどんな方で?」
ルナは聞いた。
「オットーは実に大した男ですよ。あれぐらい見事な靴を作れるやつはいません。うちの町民はほとんどやつの作ったものを穿いています」
町長は答えた。
「なるほど」
ルナは薄く笑んだ。
「なぜあんな女を妻にしたのでしょう。縁家からの紹介だとは思いますが、それにしてもひどいもので」
「きちがい沙汰を口走っているのですからな」
また野次馬達が嘴を入れてきた。
「どのようなことを?」
「子供を産ませられて面倒を見切れない、夫も構ってくれないと」
「それが変なのですか?」
野次馬も町長も目を瞠った。
「子供の面倒は妻が見るのが当たり前でしょう。十人の子を立派に育て上げた女もいる。他の女たちの手だって借りられる。リーザは人付き合いすらろくにできないから、一人で抱え込んだんです。で、それなら始末してやろうと考えた訳だ」
「浅ましく、おぞましい発想ですな」
「しかし鐘楼の上など、簡単に登れるでしょうか」
「できないことはないですよ。登りやすいように梯子は掛けたままだったのですし、誰にも気付かれないはずです。この町の人間はみな脳天気ですからね」
町長は自信たっぷりに言った。
ボッシュは山岳近くの小規模な町だ。鐘楼を中心として建物が集まり、開拓されていない地域も多い。
町人たちもほとんど互いに顔見知りのようだ。
「長閑な町で恐ろしい事件を起こすとは、リーザのやつめ」
「じゃあリーザさんに会わせて頂けませんか」
ルナは立ち上がった。
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