1 / 526
第一部
第一話 蜘蛛(1)
しおりを挟む
ルナ・ペルッツは『綺譚蒐集者』だ。世界各地を巡って、奇妙な話、面白い話=綺譚を集めて回っている。
月のごとくまんまるまるな顔にきらりと光るモノクル。長いマントと外套の下に、改造したフロックコート。いつもパイプを手に持っている。
彼女には噂があった。
素晴らしい話を提供した者の願いを一つだけ叶えてくれる。
――という。
オルランド公国南端ボッシュ――
首は町を見おろすかたちで、大きな教会の鐘楼にある風見鶏の尖端に突き刺されていた。
早朝の散歩で通りかかった商人が、真っ青になって声を上げると、いつしか野次馬は集まってきた。
熟睡していた寺男は起こされてベッドから身をもたげ、鐘楼の屋根を伝って登る。首は風見鶏からおろされた。
少女のものだった。周りを囲む野次馬の中には嘔吐く者もあった。その瞳は眼窩からくり抜かれて、代わりに蜘蛛の巣が張られていたのだ。中は虚ろだった。血は流れないほどに乾いていた。
胴体は近くの納屋の中に無造作に投げ出されていた。藁の束の間から見えるぐらいはっきりと。
やがて少女はボッシュに住む靴屋オットーの娘マルタと分かった。三日前、家から忽然と姿を消したのだ。
疑われたのはマルタの母リーザだった。娘の失踪前からだが、いつも夜になるとこっそり外へ出ていたことが確認されたからだ。
「日頃からマルタを打擲することが多かったですからな」
自宅の書斎に坐り、肥満した巨体を揺すりながら町長は言った。傍では召使いの女が無言のまま火掻き棒で暖炉を弄っている。
マルタにはあざがあった。それも、顔ではなく身体の服で隠れて見えない部分に幾つも殴った痕が出来ていたのだ。マルタの遺体の損傷は酷く、生々しいミミズ腫れまでついていた。
「頭もおかしくなっているという噂があります」
町長の家の中まで上がり込んできていた野次馬連は言った。
「全く蛇のような、業の深い女ですよ」
町長は目をつぶり、手を組んだ。
「そうですか」
皆を前にして安楽椅子に坐ったルナ・ペルッツは言った。
先日たまたまふらりと時代遅れな馬車に乗ってやってきて、町を騒がせている事件について聞きたいと乞うたからここにいる。
「父親はどんな方で?」
ルナは聞いた。
「オットーは実に大した男ですよ。あれぐらい見事な靴を作れるやつはいません。うちの町民はほとんどやつの作ったものを穿いています」
町長は答えた。
「なるほど」
ルナは薄く笑んだ。
「なぜあんな女を妻にしたのでしょう。縁家からの紹介だとは思いますが、それにしてもひどいもので」
「きちがい沙汰を口走っているのですからな」
また野次馬達が嘴を入れてきた。
「どのようなことを?」
「子供を産ませられて面倒を見切れない、夫も構ってくれないと」
「それが変なのですか?」
野次馬も町長も目を瞠った。
「子供の面倒は妻が見るのが当たり前でしょう。十人の子を立派に育て上げた女もいる。他の女たちの手だって借りられる。リーザは人付き合いすらろくにできないから、一人で抱え込んだんです。で、それなら始末してやろうと考えた訳だ」
「浅ましく、おぞましい発想ですな」
「しかし鐘楼の上など、簡単に登れるでしょうか」
「できないことはないですよ。登りやすいように梯子は掛けたままだったのですし、誰にも気付かれないはずです。この町の人間はみな脳天気ですからね」
町長は自信たっぷりに言った。
ボッシュは山岳近くの小規模な町だ。鐘楼を中心として建物が集まり、開拓されていない地域も多い。
町人たちもほとんど互いに顔見知りのようだ。
「長閑な町で恐ろしい事件を起こすとは、リーザのやつめ」
「じゃあリーザさんに会わせて頂けませんか」
ルナは立ち上がった。
月のごとくまんまるまるな顔にきらりと光るモノクル。長いマントと外套の下に、改造したフロックコート。いつもパイプを手に持っている。
彼女には噂があった。
素晴らしい話を提供した者の願いを一つだけ叶えてくれる。
――という。
オルランド公国南端ボッシュ――
首は町を見おろすかたちで、大きな教会の鐘楼にある風見鶏の尖端に突き刺されていた。
早朝の散歩で通りかかった商人が、真っ青になって声を上げると、いつしか野次馬は集まってきた。
熟睡していた寺男は起こされてベッドから身をもたげ、鐘楼の屋根を伝って登る。首は風見鶏からおろされた。
少女のものだった。周りを囲む野次馬の中には嘔吐く者もあった。その瞳は眼窩からくり抜かれて、代わりに蜘蛛の巣が張られていたのだ。中は虚ろだった。血は流れないほどに乾いていた。
胴体は近くの納屋の中に無造作に投げ出されていた。藁の束の間から見えるぐらいはっきりと。
やがて少女はボッシュに住む靴屋オットーの娘マルタと分かった。三日前、家から忽然と姿を消したのだ。
疑われたのはマルタの母リーザだった。娘の失踪前からだが、いつも夜になるとこっそり外へ出ていたことが確認されたからだ。
「日頃からマルタを打擲することが多かったですからな」
自宅の書斎に坐り、肥満した巨体を揺すりながら町長は言った。傍では召使いの女が無言のまま火掻き棒で暖炉を弄っている。
マルタにはあざがあった。それも、顔ではなく身体の服で隠れて見えない部分に幾つも殴った痕が出来ていたのだ。マルタの遺体の損傷は酷く、生々しいミミズ腫れまでついていた。
「頭もおかしくなっているという噂があります」
町長の家の中まで上がり込んできていた野次馬連は言った。
「全く蛇のような、業の深い女ですよ」
町長は目をつぶり、手を組んだ。
「そうですか」
皆を前にして安楽椅子に坐ったルナ・ペルッツは言った。
先日たまたまふらりと時代遅れな馬車に乗ってやってきて、町を騒がせている事件について聞きたいと乞うたからここにいる。
「父親はどんな方で?」
ルナは聞いた。
「オットーは実に大した男ですよ。あれぐらい見事な靴を作れるやつはいません。うちの町民はほとんどやつの作ったものを穿いています」
町長は答えた。
「なるほど」
ルナは薄く笑んだ。
「なぜあんな女を妻にしたのでしょう。縁家からの紹介だとは思いますが、それにしてもひどいもので」
「きちがい沙汰を口走っているのですからな」
また野次馬達が嘴を入れてきた。
「どのようなことを?」
「子供を産ませられて面倒を見切れない、夫も構ってくれないと」
「それが変なのですか?」
野次馬も町長も目を瞠った。
「子供の面倒は妻が見るのが当たり前でしょう。十人の子を立派に育て上げた女もいる。他の女たちの手だって借りられる。リーザは人付き合いすらろくにできないから、一人で抱え込んだんです。で、それなら始末してやろうと考えた訳だ」
「浅ましく、おぞましい発想ですな」
「しかし鐘楼の上など、簡単に登れるでしょうか」
「できないことはないですよ。登りやすいように梯子は掛けたままだったのですし、誰にも気付かれないはずです。この町の人間はみな脳天気ですからね」
町長は自信たっぷりに言った。
ボッシュは山岳近くの小規模な町だ。鐘楼を中心として建物が集まり、開拓されていない地域も多い。
町人たちもほとんど互いに顔見知りのようだ。
「長閑な町で恐ろしい事件を起こすとは、リーザのやつめ」
「じゃあリーザさんに会わせて頂けませんか」
ルナは立ち上がった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
[恥辱]りみの強制おむつ生活
rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。
保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
御機嫌ようそしてさようなら ~王太子妃の選んだ最悪の結末
Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。
生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。
全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。
ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。
時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。
ゆるふわ設定の短編です。
完結済みなので予約投稿しています。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる