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三者三様のコンプレックス

紅茶専門店『sky』

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 課長が教えてくれた紅茶専門店は、奥まったわかり辛い場所にひっそりとあった。
 丁寧な地図のおかげで迷うことはなかったけれど、自分がこの店の場所を口頭で説明できるかと考えると、まず無理だと思う。
 課長の説明能力の高さに改めて感心しながら、今日はまだ営業中の店に入る。
 扉を開けると、軽やかなベルの音が響いて、来客を知らせるようになっていた。
 店主らしき長身の男性がカウンターの中にいて、その奥に厨房が見える。
 

「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」


 声を掛けられて店内を見渡してみると、6つくらいあるテーブル席は、ほとんどが埋まっていた。
 オフィス街でこの時間帯にこれだけ賑わっているということは、わかり辛い場所にあるけれど、人気のある店なのかもしれない。
 一人でテーブル席を占拠するのは申し訳ないので、カウンター席に腰を落ち着けると、すぐに水とおしぼりが出てきた。
 メニューを見て、課長もお勧めしていたオリジナルブレンドの紅茶とスコーンを注文した。
 私は自分でお菓子を作るけど、人が作ったものを食べるのも好きだ。
 社会人になってからは、たまに凛と食べ歩きに出かけるようになった。
 凛は流行のアイテムをよく知っているので、凛が教えてくれる店には、はずれがあまりなかった。


「お待たせしました。ごゆっくりお寛ぎください」


 バッグに入れていた文庫本を開いてから、たいして時間もたたないうちに、紅茶のポットやカップ、スコーンの皿が丁寧に並べられる。
 白に赤と緑が鮮やかなベリーの模様が入ったカップは、可愛いのに甘すぎなくて、店の雰囲気によくあっていた。
 温めてあるカップに紅茶を注ぐと、白に紅茶の綺麗な色が映えて、目でも楽しめる。
 ストレートのまま一口飲むと、芳醇な香りが広がった。
 フレーバーティーじゃないのに、ほのかに甘い香りがして、とても美味しい紅茶だ。
 張り詰めていた気持ちがほっと緩むような、そんな感じがした。
 スコーンはそのままでも美味しかったけれど、添えられていたジャムをつけると、相乗効果でもっと美味しかった。
 甘過ぎない苺のジャムは香りがよくて、紅茶にもよくあった。
 クロテッドクリームも添えてあるけど、クリームだけよりも、ジャムと一緒につけた方が美味しい。
 美味しいものを食べると幸せな気分になる。
 この店を教えてくれた課長に心の中で感謝しながら、つかの間のティータイムを楽しんだ。


「お客様。もしよろしければ、2杯目はミルクティーにしてみてください。お茶が濃くなってますから、温めたミルクと、とてもよくあいますよ」


 カップの紅茶を飲み干したところで、カウンターの中にいた店員さんに声を掛けられて、新たに出されたミルクピッチャーを受け取った。


「どれくらい入れると美味しいですか?」


 ミルクピッチャーが割と大きめで、ミルクもたっぷりと入っているので、おすすめの量を聞いてみる。
 身を乗り出して、「これくらい」と、カップの三分の一くらいの部分を指し示されたので、言われるままにカップにミルクを入れてから、紅茶を注いだ。
 最初に飲んだ時よりも濃い目の紅茶とミルクが混ざって、綺麗な色になる。
 一口味わうように飲んでみると、さっきよりも少し渋みの出た紅茶とミルクのまろやかさが合わさって、また違う味わいだった。


「美味しい、です。ストレートとミルクティー、どちらも楽しめて、得した気分です」


 自然と微笑んでしまいながら、カップを両手で包み込んだ。
 指先に温もりが伝わってきて、それが何だかとても心地いい。


「気に入っていただけて良かった。これはオリジナルブレンドをポットでオーダーしたお客様専用のサービスですので、次回からも遠慮なくご利用ください」


 まるで執事みたいな恭しい仕草で一礼した後、茶目っ気のある笑みを向けられて、気持ちが和んだ。
 容姿は目立ってかっこいいというわけでもないのに、姿勢がよくて、一つ一つの所作がとても洗練されているから、ずっと見ていたくなるような雰囲気の素敵な人だ。


「オリジナルブレンドの、お茶の葉の販売もしているって聞いたんですけど……」


 言いかけたところで、店員さんが唇に人差し指を当てるのに気づいて口を噤んだ。


「もしかして、ここを紹介したのはケイ? えーっと、ケイじゃなくてメグムだ、天堂恵」


 さっきまでと違う若干崩れた口調で、苦笑交じりに問われたので頷きを返すと、店員さんが大げさな仕草で天を仰いだ。
 何が何だかわからないけど、この人は課長と親しいっぽい?
 お茶の葉は、課長だから譲ってもらえてたのかもしれない。


「天堂課長は、直属の上司なんです。ランチもやってる紅茶専門店があるからって、先日、お店の場所を教えていただいて」

「ケイから聞いたことがあったよ、仕事熱心で可愛い子がいるって。店の場所を教えたから、来るかもしれないっていうのも知らされてる。君が紅茶を気に入ったようなら、茶葉を譲ってやってくれってケイが言ってたから、逢えるのを楽しみにしていたんだ」


 課長が私のことを話していたとは思いもしなくて驚いたけど、同時に、可愛い子というからには、私じゃない他の誰かのことなんじゃないかと、ちょっと心配になった。


「見ての通り、可愛いとは程遠い容姿ですし、課長がお話されていたのは、他の人のことかもしれません」


 危惧していることを口にすると、笑いながら軽く手を振られた。


「それはない。君、優美花ちゃんでしょ? 優美な花って名前がとてもよく似合う可愛い子だって、ケイが話してた」


 課長がそんなことを言っていたなんて想像もつかなくて、恥ずかしさで頬が火照ってくる。
 可愛いなんて、身内にしか言われたことがないから、物凄く照れくさい。


「課長と、仲がいいんですね」


 恥ずかしいので話を逸らすと、チェシャ猫みたいに人の悪い笑みを浮かべられた。
 それでも、私の話に乗ってくれるのか、頷きを返される。


「ケイは幼馴染なんだ。あいつが海外育ちなのは知ってる? 親父さんの転勤についていって、世界中転々としてたんだけど、俺も似たような環境で育っててさ。似たような境遇だったから、すぐに仲良くなって、イギリスに住んでた5年間は、家も近かったし、ほぼ一緒に過ごしてた。ケイは兄弟が多いから、一人っ子の俺はケイの家に預けられることも多かったんだ」


 課長が語学堪能なのは知っていたけど、生い立ちまでは知らなかった。
 兄弟がいることすら、初めて聞いた。それくらい、課長とプライベートなことを話すことはなかった。
 会社の飲み会で集まることがあっても、課長は他の部署の女子社員に囲まれていることが多いので、あまり話をする機会がない。
 それに私はそういった場では、凛がいるときは凛と、いないときは杉野や他の同期と一緒にいることが多かった。


「課長が語学堪能な裏には、そんな事情があったんですね。ケイというのは、あだ名ですか?」


 一瞬、本名が出てこないほどだったから、本名ではあまり呼んだことがないんだろうと察せられた。
 多分、名前の読みを変えただけなんだろうけど、会社で忙しく働く課長しか知らないから、この人が親し気に呼ぶケイという名と、課長が結びつかない。


「通り名に近いかな? メグムより、ケイの方が海外の人には発音しやすいから。俺の知るあいつの友人は、みんなケイって呼ぶ。優美花ちゃんが天堂課長って呼んでるのが、凄く新鮮に聞こえるよ」


 この人にとっては、天堂課長の方が耳慣れないのか。
 ただの部下と親友の差と思えば、当然のことだろう。


「ちなみに俺は、黒峰奏楽。32歳、独身だからよろしくね。奏楽とか奏楽ちゃんとか、何ならダーリンって呼んでくれてもいいよ?」


 名刺を出しながら、バチンと、それは見事なウィンクをした奏楽さんの頭を、一緒に働いている店員さんがトレイで叩く。


「客を口説いてないで、お仕事してくれませんかね、マスター」


 黒髪のまだ大学生くらいの店員さんが、寒風吹きすさぶようなひんやりとした笑みを浮かべている。
 顔立ちの整った人なので、そんな表情もとても綺麗だけど。


「シロちゃん、その顔、怖いから」


 全然怖がってない素振りで奏楽さんが笑いかけると、もう一度、今度はゴンっと、音を立ててトレイで頭を叩かれてる。


「人を犬みたいに呼ばないでくださいと、いつも言っているでしょう。僕はシロじゃなくて、真白です。しっかり働かないと、ケイさんが来た時に、あることないこと言いつけますよ?」


 課長に言いつけられると困ることがあるのか、「しっかり働きます!」と宣言してから、奏楽さんは厨房に逃げた。
 残されたシロくんじゃなくて、真白君は、やれやれと言った様子でため息をつく。


「騒々しい店主で申し訳ありません、お客様。あれでも、紅茶に関することと、料理の腕だけは優れておりますので、これに懲りず、またお越しください」


 丁寧に一礼して、謝罪してから、真白君も仕事に戻る。
 二人のやり取りを思い出すとおかしくて、思わず笑ってしまった。
 これに課長が混ざったらどうなるんだろう?と、想像してみたけれど、想像がつかなくて、私は課長のことをほとんど知らないんだなぁと感じた。



 
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