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三者三様のコンプレックス

いつもとは違う

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 待ち合わせ場所に指定されたカフェに、まだ杉野の姿はなかった。
 コーヒーは苦手なので、紅茶を注文してから、携帯で時間を確認する。
 待ち合わせまではまだ5分あるし、杉野からメールは届いていないから、もう少し待てばやってくるだろう。
 こんな風にプライベートで杉野と待ち合わせするのは初めてなので、落ち着かない気持ちになる。
 杉野と二人でどこかに行くときは、仕事の帰りにたまたま一緒になったときとか、取引先に一緒に出掛けた帰りとかだったから、こんな風に待ったことはなかった。
 期待しすぎちゃいけない、そう思うのに、胸が騒いで落ち着かなくて、入り口の方を何度も見てしまう。
 紅茶を味わう余裕もなくしばらく待っていると、走ってきたのか勢いよく杉野が店内に入ってきた。
 どれだけ急いだのか、肩が小さく上下していて、呼吸が乱れている。
 店内を見渡して私の姿を見つけた途端、こっちが恥ずかしくなるくらいに嬉し気な笑みを零しながら近づいてきた。
 

「遅れてごめん。10分の遅刻だな」


 額の汗を拭いながら、杉野が腕時計で時間を確認する。
 急いで走ってきたとわかるから、10分くらいの遅刻なんてどうでもいい。


「予定通りに終わらないことなんてよくあるんだから、気にしないで。お水、飲んだら? これ、手を付けていないから」


 私が席に着いた時に出された水の入ったグラスを、向かいの席に座った杉野に差し出すと、走って喉が渇いていたのか、一息に飲み干した。
 男らしさと子供っぽさが混在したような様子が微笑ましくて、笑みが浮かぶ。
 杉野は二つ年上だけど、少年っぽいというか、可愛いところがあると思う。
 凛には時々、『ヘタレわんこ』と呼ばれているようだけど、確かに大型犬っぽい雰囲気がある。


「行こうか? 大学時代の先輩にいい店を教えてもらったから、実は予約してあるんだ」


 予約の時間が迫っているのか、何もオーダーせずに伝票を手に立ち上がって、杉野が先に歩き出す。
 私が頼んだ紅茶なのに、手早く支払いを済ませてしまった。
 いつもと違い、まるでエスコートするみたいに扉を開けてくれる。
 

「ありがとう、ご馳走様」と、紅茶代を支払ってもらったお礼を言うと、照れたように頬を搔く杉野がやっぱりいつもと違う。
 いつもは仲のいい仕事仲間扱いだけど、今は違ってる気がする。
 連れていかれたビルの最上階にあるお店を見た時、その気持ちはより強くなった。
 いつもは居酒屋なのに、杉野が予約してくれたお店は、デートで使うような雰囲気のリストランテだ。
 ドレスコードがあるほどではないけれど、ちょっとお洒落をして入りたいような素敵なお店で、店内は男女二人連れのお客が多かった。


「急な予約だったから、さすがに個室は取れなかった。でも、味は保証する。先輩と来た時、どの料理もすごく美味しかったから。この雰囲気だから、男二人っていうのは、ちょっと恥ずかしかったけど」


 もしかして女の先輩なのだろうか?と疑いかけたところで、気持ちを読んだみたいに杉野が説明してくれる。
 カップルだらけのところに男二人というのは、確かに目立つかもしれないけれど、でも、女子会でも使われているようだし、きっと杉野がかっこいいから見られていたんじゃないだろうか。
 
 杉野が予約していたことを告げると、奥まったあまり人目につかない席に案内された。
 席に着くと、窓の外には桜並木が見えた。
 もちろん、6月の今は花などなくて、遠目に桜の木であることがわかるくらいだけど、川べりの桜並木はライトアップされているので、とても綺麗に見える。
 明るいところで見れば、都内を流れている川なんてたいして綺麗でもないけれど、こうしてライトアップされてると綺麗に見えるのだから不思議だ。
 もしかして、杉野と二人きりだから、特別なフィルターがかかってしまっているんだろうか。


「桜の季節に来てみたいな」


 窓の外を見ながら呟くと、「そうだな」と、返事が返ってくる。
 窓から杉野に視線を移すと、まっすぐに見つめられていて、鼓動が早くなった。
 強すぎる視線に動揺したのを誤魔化すようにメニューを手に取るけれど、その手を大きな手で包まれて、思わず震えてしまう。
 

「来年の桜が咲くころ、また来ようか。……瀬永が、付き合ってくれるのなら、だけど」


 来年の約束に驚いて顔をあげた瞬間、杉野が照れたように視線を逸らす。
 期待していいのかな?
 仕事仲間以上の気持ちを、杉野も持っているって思ってもいいのかな?
 どう解釈していいかわからないまま、それでも来年の約束が嬉しくて頷きを返すと、杉野が見たことがないほど嬉しそうに微笑んだ。
 

「腹減ったな。どれにする? コースもあるけど、いくつか頼んでシェアするか?」


 照れ隠しなのか、一緒にメニューを覗き込みながら、前に来た時に特に美味しかったものを教えてくれる。
 私は割としっかり食べる方だし、杉野はもっとたくさん食べるから、シェアするならと、あれもこれもと二人で相談しながら料理を選んだ。




 最初こそ、いつもと違う雰囲気にお互い照れてしまっていたけれど、美味しい料理をシェアして食べているうちに、いつもと同じように会話も弾むようになった。
 早紀先輩がいなくなった後、後任としてやってきた潮田さんと私があまり上手くいっていないことを、杉野は気づいていたみたいで、心配しつつも励ましてくれた。
『一緒に仕事をしていれば、お前がいい奴なのはすぐにわかるから』という、杉野の言葉が嬉しくて、明日からまた頑張ろうって思えた。

 楽しくおしゃべりをしながら食べていた料理があらかた片付き、デザートを待っている間に化粧直しに行く。
 直すほどしっかり化粧をしているわけじゃないけれど、珍しく少し酔ってしまったみたいなので、顔が赤くなっていないかどうか確認したかった。
 明るい場所で見ても不自然ではない程度の赤味だと確認してから、化粧室を出て戻ろうとすると、個室のある方から歩いてきた人とぶつかりそうになってしまった。


「すみません」


 軽く抱き留められ、足を止めて謝罪すると、「優美花?」と呼びかけられる。
 思いがけない声を聞いて驚きながらも、久しぶりに逢えたのが嬉しくて、いつものように腕に抱きついてしまった。


「元気そうだね。優美花もここに食事に来ていたの? この店は事務所と近いから、僕も時々来るんだよ」


 顔色を確かめるように頬を撫でられて、その手に擦り寄る。
 促されて顔を上げると、いつ見ても自分の父親だとは思えないほどに若々しい顔に、少しの疲れが見えた。
 新しい映画の撮影も始まっているみたいだし、忙しいのかもしれない。
 母が再婚する数年前から、父の仕事も増え始めて、今ではまとまった休みを取るのも難しいほどに仕事のオファーがくるようになった。
 以前のように外で堂々と逢うのが難しくなって、たまに食事をしたり、ロケ先のお土産を送ってくれたりという交流しかできていない。
 売れない時代が長かった父が夢を叶えたのは嬉しいけれど、中々逢えなくなったのだけが不満だった。
 私の部屋に来てくれてもいいのに、父は私の新しい家族に遠慮して、一度も訪ねてきたことはない。
 父の家の場所は知っているけれど、私の存在がマスコミにばれることを警戒しているから、ほとんど訪ねたことはなかった。
 血の繋がった実の親子なのにと思うと寂しいけれど、私の存在から、母と結婚していた過去がばれてしまえば、大女優の元夫といわれ、売名みたいになってしまうのが嫌だという父の気持ちも理解できるから、我慢するしかない。
 父とはそんな関係だから、偶然でも逢えたのが嬉しくて仕方なかった。


「パパはちょっとお疲れ気味? 健康管理をしてくれる人がいないんだから、あまり無理しちゃだめよ?」


 顔色を確かめるように手を伸ばしかけて、化粧室の前とはいえ、人目があることを思い出した。
 軽く変装をしているとはいえ、正体がばれると騒ぎになる可能性もあるし、名残惜しいけれど身体を離す。


「優美花の顔を見られたから、少し元気になったよ。僕の可愛いお姫様、そんなことより、今日はデートなの? 相手の男はどんなやつ? ちょっと、挨拶に行こうかなぁ?」


 最初はにこやかだったのに、私が男連れだと想像しただけで複雑な気持ちになってしまったのか、顔は笑顔のまま、声だけが不穏になっていく。
 父は本名で仕事をしているから、変装をしていても、挨拶をされたらさすがに正体がばれてしまう。
 それに、杉野とは微妙な関係で、今日のこれがデートなのかははっきり言えないので、そんな状態で父親を紹介なんてできない。


「同期とご飯食べてただけだから。もう、これあげるから、挨拶は我慢して」


 バッグに忍ばせていた、杉野にあげるはずだったパウンドケーキを取り出して父に押し付けると、わかりやすく頬が緩む。
 私の作るお菓子を、いつも一番喜んでくれるのは父だ。


「仕方がないから誤魔化されてあげるよ。優美花、男は狼だからね、気を付けるんだよ? 優美花は梨華さんよりも綺麗だから、心配で仕方がないよ」


 女優の母よりも綺麗なんてありえないのに、親馬鹿すぎる。
 でも、すぐに自信喪失する私の心を支えてくれるのは、際限なく与えられる父の愛情なのだ。
 一緒に暮らせなかったけど、でも、ちゃんと愛されているのだと感じることで、両親に捨てられたと思わずにいられた。
 上手くいかないことや、嫌なこともたくさんあるけれど、それを補って余りあるほどに私は恵まれている。


「またメールするね。逢えて嬉しかった」


 随分杉野を待たせてしまったことに気づいて、父と別れ、慌てて席に戻る。
 戻ってみると、杉野は小声で電話をしている最中だった。
 仕事の連絡かと思い、できるだけ音を立てないように席に着くけれど、「おやすみ、陽菜ちゃん」と、電話の最後に呼びかける声で、仕事の電話ではないのがわかってしまった。
 浮かれていた幸せな気持ちに冷や水を浴びせられたような気分で、既にテーブルに届いていたデザートに手を付ける。
 ジェラードは溶けかけていて、随分長い間待たせてしまったのだと知らされた。


「待たせてごめんなさい。偶然、知人にあって近況を話していたら、遅くなってしまったの」


 待たせた私が悪いのだからと、顔を俯けたまま謝る。
 今、杉野がどんな顔をしているのか、怖くて見ることはできなかった。


「遠目にも目立つ、かっこいい雰囲気の人だったな。戻ってくるのが遅いから様子を見に行ったんだけど、親し気だったから声が掛けづらくてさ」


 父といるところを見られていたのだとわかったけど、何と言えばいいのかわからない。
 誤解されているような気がしたけれど、知人だと言ってしまったから、今更、実は親子なんですなんて言えないし、下手な嘘は言いたくなくて口を噤むしかなかった。


「杉野も、田辺さんと仲がよさそうね。恋人だって噂を聞いたわ」


 父のことを説明することもできないくせに、彼女と電話をしていたことが引っかかって、可愛げのないことを言ってしまう。
 噂がデマであることを知っているのに、私って馬鹿だ。


「恋人じゃないけどさ、あれだけ一途に慕われると無下にできないっていうか。可愛いとは思ってしまうよ。……瀬永は、俺と陽菜ちゃんが恋人かもしれないって思ったのに、どうして俺の誘いに乗ったんだ?」


 やっぱり、田辺さんのこと、可愛いって思っているんだ。
 ショックで涙が浮かんでしまったけれど、溢れさせないように瞬きをしてごまかす。
 もう、手遅れなのかな?
 まだ恋人ではないというだけで、杉野は彼女のことが好きなの?


「……杉野が誘ってくれたのが嬉しかったから。だから、ここにいるの。杉野がどんな気持ちで誘ってくれたのかわからないけど、私は嬉しかったから」


 一瞬だけ、諦めてしまいそうになった。
 でも、いつもみたいに諦めて、好きな気持ちを押し殺してしまうのは嫌で、勇気を出して顔を上げ、まっすぐに杉野を見つめた。
 たった一言、好きだと言えない自分がもどかしくて、それでも、何とか想いを伝えたくて、ただ見つめることしかできない。
 杉野は私の強すぎる眼差しに驚いたのか、迷うように視線を彷徨わせて、けれどもすぐに何かを決意したような表情で私を見つめる。


「俺も、誰に誘われても断る瀬永が、俺の誘いに乗ってくれたのが嬉しかった。……少しは特別なんじゃないかって浮かれてたから、瀬永がすげぇかっこいい人と親しげなのを見て、へこんだんだ。俺にとってお前は、高嶺の花っていうか、近くにいても手を伸ばせない、そんな相手だからさ。一応、俺の方が年上なのに、かっこ悪すぎて嫌になる」


 話しているうちに、杉野の耳が少しずつ赤くなっていく。
 拗ねたように視線を逸らす仕草とか口調で、照れているのだと伝わってきて、杉野にとって少しは特別な存在なのかもと自惚れそうになる。
 同じ気持ちなんだろうか?
 さっきまで落ち込んでいたのが噓みたいに気持ちがふわふわとして、好きって言われたわけでもないのに、とても幸せだと思った。
 

「とりあえず、行くぞ! もう遅いし、送ってく」


 私が席を外していた間に支払いを済ませていたようで、席を立った杉野が私の手を取って、有無を言わさず歩いていく。
 店の外に出て、エレベーターに乗り込む間も杉野はずっと黙ったままで、けれど、私の手を離すことはなかった。
 手を繋がれただけ、ただそれだけのことにドキドキとさせられて、頬が火照ってくる。
 よく考えてみたら、家族以外の人と手を繋いだのは、中学の時に付き合った先輩くらいで、自分のあまりの経験のなさに恥ずかしさが増していく。
 経験豊富と噂される私が、実はキスの経験さえほとんどないとか、誰も信じてくれないだろう。
 私の見た目が清純とか純情とか、そういう言葉と程遠いことは、さすがに自覚している。


「杉野。私を送ったら遠回りでしょう? ここからならタクシーで帰れるし、送ってくれなくても大丈夫よ?」 


 駅に向かって歩き出した杉野に、可愛げがないかなと思いながらも声をかけた。
 終電まではまだ時間があるけれど、私を送っていたら杉野が家に帰りつくのが遅くなってしまう。
 明日も普通に出勤しなければいけないから、少しでも体を休めてほしかった。
 営業の業務でどれだけ気力や体力を使うか、近くで見ているだけでも十分にわかる。
 週明けの月曜の内からあまり疲れさせたくない。


「じゃあ、タクシーで送ってく。心配して気遣ってくれるのは嬉しいけど、こういう時くらい素直に甘えろよ。デートの後、大事な女を送りもしないで放り出すとか、無理だから」


 前を見たまま、杉野が思いがけないことを言うから、それ以上反論なんてできなかった。
 杉野がデートだと思ってくれてたんだと思うと、嬉しいけど恥ずかしくて、頬が火照っていく。
 抱きついてしまいたいような衝動を堪えて、繋がれたままの手をぎゅっと握った。
 


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