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王妃、二度目の神託を受ける
しおりを挟む「まぁ、勇者様がそのようなことを? とりあえず、この宮には自由に出入りできないようにしておきましょう」
ナターシャからの報告を聞いて、呆れ交じりのため息が零れた。
もともと高くはなかった勇者の評価を、更に下方修正しなければならないようだ。
魔王も生まれていないのに無理やり行われた召喚だったからなのか、8代目の勇者は歴代の勇者様たちと比べると人柄に問題があるようだ。
過去にも人生経験の浅い勇者様はいた。
けれど、どの勇者様も正義感が強く、自然に周囲を思いやる優しい心の持ち主だったと、残された文献や逸話から知ることができる。
3代目と7代目の勇者様がこちらの世界に残ったのは、愛する人を得たからというだけでなく、不可抗力で人を殺してしまったからだとも言われている。
元の時間、元の場所に戻れるとしても、魔王封印の旅に出て経験したことが消えてしまうわけではない。
平和な世界で生まれ育った勇者様は、召喚された後、命がけで魔物を倒して、時には盗賊などとも戦うことになる。
瀕死になれば、神の祝福が受けられる最寄りの神殿に転移させらるので死ぬことこそないけれど、戦いになれない内は死にかけることも珍しくない。
平和な世界に戻って、元通りに生きていく自信がなくなったとしても仕方がないことだ。
勇者様の心を守るため、勇者様の旅についていく者たちは、勇者様が人を殺さずに済むよう細心の注意を払う。
そして、私たちの世界のために戦ってくださる勇者様に最大限の感謝をして、どの国でもできる限りの支援を行う。
次第に、勇者様を召喚しなくてもいいように自分たちの世界は自分たちで守ろうという意識が芽生えて、初めてこちらに残られた3代目の勇者様の召喚からは、次の召喚までの時間が少しずつ長くなっていった。
数年前に身罷られた7代目勇者様の尽力もあって、瘴気の溜まりにくい魔王が生まれない世界が築かれていたというのに、世界の人々の努力を無にするような愚かな召喚が執り行われてしまった。
召喚陣を持つフルクバルト神聖国の王妃として、愚かな召喚を止めることができなかったことが悔しくてならない。
しかも、今回の召喚には一人の少女が巻き込まれてしまった。
勇者と違って、もう生まれ故郷に帰還することができない哀れな少女。
主神様が少女の行く末を思い、心を痛められるのも当然のことだ。
様々な神話や神託、主神様との邂逅を語る勇者様たちの手記から、主神様が異世界の勇者様の手を借りることでしか世界を救えないことを気に病まれていることは、広く知られていた。
お優しい主神様が、巻き込まれて帰ることすらできない異世界の少女のことで、どれだけ心を痛めておられるのか、想像するに余りあった。
深夜を過ぎた頃、ようやく執務を終えて寝台に入った。
王がこの宮に通ってきたのは、数えるほどの回数しかなく、一人で寝るのが当然のこととなっている。
それを寂しいと思わないわけではないけれど、あの好色な王に抱かれるくらいなら、一人で休んだ方がずっとマシだ。
長年婚約者がいたとはいえ、当然のことながら清い身でフルクバルトに嫁いできた。
所謂初夜に、義務的に訪れてきた王は、大国の姫であった私に劣等感を持っていたようで、まるで辱めるかのように私を抱いた。
王になるために仕方なく受け入れた王妃だと、一生愛することなどないと、蔑まれながらの行為は悪夢でしかなかった。
だから、嫉妬から王を独占した側妃のおかげで王が訪れなくなったことには、心から感謝した。
そのおかげで、心無い王の言葉や振る舞いでつけられた傷から、立ち直る時間を得ることができたのだから。
あのような下劣な男のために、傷つきたくなどなかった。
傷ついた姿を見せることどころか、傷ついていると知られることさえも嫌だった。
王はよく、『気味の悪い黒髪の可愛げがない女』と私を評するけれど、私の黒髪は勇者様の子孫であることを示すものだ。
心が折れそうなとき、鏡に映る自分の姿を見るだけで、敬愛する7代目勇者様を思い出して心が慰められた。
側妃が先に懐妊して、欲を持て余した王が再びこの宮を訪れるようになった時は、王の相手をするのが辛かったけれど、悪夢のような初夜からは時間が経っていたので、何とかやり過ごすことができた。
優秀なお医者様だった7代目勇者様のおかげで、女性が妊娠しやすい時期というのを淑女教育の一環で学んでいたことがとても役に立った。
おかげですぐに子を授かることができたので、嫌悪しか感じない王に抱かれる苦痛を何度も味合わずに済んだ。
側妃と遊んでいたい王は、私が執務の肩代わりをすることを殊の外喜んだので、私は国と結婚したのだと思うことにしている。
国という名の夫についてくる小姑だと思えば、色呆けた愚王も贅沢で高慢で下品な側妃も受け入れられないことはない。
王族として生まれ育った以上、個人の幸せを追求することができないのは幼いころから覚悟していた。
心から愛していた幼い頃からの婚約者を、結婚の半年前に亡くした時、政略結婚でありながら愛し合えるという奇跡はもう起きないだろうと思っていた。
愛する人を失ってしまった私は、次の結婚相手など誰でもよかった。
だけど、親友の婚約者をあてがわれそうになったので、国内での結婚は諦めて、いくつかあった国外の縁談の中からフルクバルト神聖国を選んだ。
フルクバルト神聖国の先王が病の身で私の母国までやってきて、王女でしかなかった私に頭を下げ、王妃として迎えたいのだと請われたので、愛しい人を亡くして抜け殻の様だった私でも役に立つのならと思ってしまったのだ。
先王から事情を聞いていたし、少し調査しただけで深い関係の恋人がいることが判明したから、仲睦まじい関係を築くことなど最初から望んでいなかったけれど、せめて共に国を治めるものとして、尊敬しあえる夫婦になれたらと思い嫁いできた。
けれど、その思いは踏みにじられ、王と私の関係は冷めきったものだ。
王にとって私は、面倒な執務を代わりに片づけてくれる便利な女でしかない。
王になるために私を娶ることを自分で選んだというのに、そんなことはすっかり忘れて、愛し合う二人の間に立ちふさがる障害扱いしている。
最近は側妃にそそのかされて、側妃の産んだ王女を王位につけたいと考えているようなので、フルクバルトとは比べ物にならないほどの大国の後ろ盾を持った私と息子のエヴァリストを目障りに思っていることを隠さなくなってきた。
エヴァリストが幼い頃、何度も暗殺者を差し向けてきて、そのせいで周辺諸国の評判を落としてしまったというのに懲りないことだ。
自分の手を汚したくないからか、国王派の貴族を唆したり、重臣たちを味方に取り込もうとしたりしたけれど、思うように事が進まなかったようだ。
側妃の実家は男爵家なので、後ろ盾としてはまったく頼りにならないし、愚行を繰り返す王に見切りをつけた数少ない国王派も中立派に鞍替えし始めている。
計画通りにならないことで、私やエヴァリストに対する八つ当たりが激しくなり、それを鬱陶しく思って放置している間に、本神殿の神殿長とよからぬ企みをしていた。
神託で勇者召喚を強行しようとしているという情報を得たときには既に遅く、召喚は執り行われた後だった。
幸いだったのは、主神様の介入があったことだろうか。
8代目勇者が帰還した後、勇者召喚の魔法陣は消えてなくなると主神様が教えてくださった。
勇者召喚の魔法陣を持つ唯一の国というアドバンテージがなくなれば、王の野望は潰え、失脚することだろう。
今でさえ、王を幽閉するべきという意見もあるくらいだ。
王の愚かな行いで勇者召喚の陣を失うことになったと知られれば、暗殺すらあり得る。
取り立てて豊かなわけでもないフルクバルトから勇者召喚の魔法陣がなくなってしまえば、あとは衰退するばかりだ。
今まで勇者召喚の陣があったから見逃されていただけで、貴族の一部は神に選ばれた国の民という選民意識が強く他国の者を見下しているので、フルクバルトの評判はいいものではない。
8代目勇者が旅に出たときに、不必要に他国と揉めないように、今後は外交により力を入れていかなければならない。
国の将来を思うと、問題だらけで頭が痛くなってくる。
あれこれ考えすぎて普段はなかなか寝付けないのに、今日は目を閉じると不思議なほどすぐに眠りに引き込まれた。
「あぁ、ようやくやってきたね」
聞き覚えのある少年の声で意識がはっきりとする。
いつのまにか、以前、主神様の神託をいただいたときと同じ場所にいた。
歴史を感じさせる書物がたくさん収められた書棚だらけの、執務室のような部屋だ。
慌てて跪き、主神様に祈りを捧げるときと同じように両手を組む。
隣には神官長のヴィクトリアス様もいらっしゃった。
「あの子のことを保護してくれてありがとう、王妃」
主神様のお礼の言葉に畏まりながらも、同時に偉大な存在に褒めていただいた誇らしさを感じる。
こうして主神様にお言葉をいただけるのも、レーナ様のおかげだ。
だけど、レーナ様を襲った不幸を考えると、主神様にお言葉をいただける栄誉など投げ捨ててしまいたくもなる。
いたいけな少女の不幸の上に成り立つ栄誉など、何の意味もないものだ。
召喚が為されてしまった以上、フルクバルト神聖国の王妃として、私は私にできる限りの方法でレーナ様を守り、償っていくしかない。
「もったいないお言葉です。元はといえば、私共が召喚を止められなかったために起こった不幸ですから、精一杯尽くさせていただきます」
今日は夜会があって遅くなったから、私が部屋を訪れた時、レーナ様は既にお休みになっていた。
昼間の勇者とのやり取りで恐怖を感じられたからか寝つきが悪かったそうなので、起こさないようにお顔は見ずに部屋に戻った。
サーシャからお礼の言葉を伝えられ、人柄の良さが感じ取れた。
レーナ様と直接言葉を交わせる時が、今から楽しみでならない。
「王や王女だけでなく、勇者からも守ってやってほしい。これはあの子にも話していないけれど、あの子は勇者に番を殺されたことがあるんだ。番を殺され、無理やり奪われたのが最初の始まり。そのあと何度も死んで生まれ変わって、そのたびに勇者に迫られ囲われて、番を殺された記憶はないのに本能で勇者を拒んでしまっていたんだ。何度生まれ変わっても、あの子だけが自分の思い通りにならないから、勇者はあの子に対する執着を強めていった」
主神様のお話で、ただの幼馴染という関係ではなかったのだと知ることができた。
詳しく語られるレーナ様の転生前のお話は悲惨なもので、鎖に繋がれ監禁されるだけならばまだマシで、酷い時には、レーナ様は家族や友人を目の前で嬲り殺しにされていたそうだ。
なぜそのような男が勇者として召喚されたのか不思議に思ったけれど、勇者はあちらでは神の愛し子らしい。
神が愛した娘が死産した子の魂だったために、神の寵愛を受け続けていたそうだ。
勇者の邪魔にしかならないレーナ様の番の魂は、二度と巡り合うことがないように神によって消滅させられた聞いて、痛ましさを感じた。
主神様のおっしゃる番は、獣人族が感じ取ることができる唯一無二の存在と同じようなレーナ様の運命の相手で、何度生まれ変わっても必ず巡り逢うことが定められていたそうだ。
レーナ様にとって大切な存在を、邪魔になるからと消滅させてしまうなんて、異世界の神は無慈悲だ。
人族である私は番がどういうものか知ることはないけれど、半身とも思い愛した人を失う痛みは知っている。
あまりにも早すぎる別れだったけれど、出逢わなければよかったと思ったことなど一度もない。
レーナ様は、愛する人と出逢うことさえ奪われているのだと思うと、気の毒でならなかった。
愛する人がいなくても人は生きていける。
けれどそれがどれだけ寂しいことか、私はよく知っている。
「あの子は、何度生まれ変わっても番と出逢うことができず、誰も愛せないまま勇者に囚われて、不幸な人生ばかりを歩んできたんだ。手に入れても愛されず満たされない勇者は、転生した記憶もないのにあの子に執着し続けていた。でも、それももう、終わりだけどね」
主神様はレーナ様と勇者の縁を切ることに、尽力するお考えのようだ。
私もレーナ様が幸せになるように手を尽くすことにしよう。
「あの子が僕のところにいるときに、あの子に絡みついた悪縁は祓っておいたから、以前のような何をしても勇者に繋がるといった強制力はなくなった。今度は、あの子の方が神の愛し子だからね。あの子の意志が最優先される」
心なしか、主神様のお声が弾んでいるようだ。
レーナ様のことを、それだけ気に入っておられるのだろう。
「今回二人を呼んだのは、お願いしたいことがあったからなんだ。勇者の旅に、あの子も同行させてほしい。それから、神官長も旅に同行して、あの子を守ってあげて。神殿からも同行者が出るのはいつものことだから、そう難しいことではないだろう?」
まさか、勇者の修行の旅にレーナ様を同行させようなどと、主神様が考えておられるとは思わなかった。
今、こうしてお話しいただかなければ、レーナ様が旅に出ずに済むように取り計らっていたことだろう。
「勇者から離しておいた方が、レイナ様の身の安全が図れるのではありませんか?」
ヴィクトリアス様が、私が疑問に思ったことを先に尋ねてくださった。
私の宮ならば結界があるのだし、勇者が旅に出た後ならば、レーナ様も気やすく外出できるようになるだろう。
旅に同行するよりは、よほど安全に思う。
「旅に同行するという名目で、他の国々をあの子に見せたいんだ。勇者が帰還した後、あの子が自由に暮らせるように、移住先を探せるようにしたいんだよ。それに、近くにいた方が経験値を受け取りやすいからね。勇者が戦って得た経験値の7割は、あの子に流れるようになってる。離れていても効果はあるけれど、どうせなら近くにいた方が効果が高い。神官長を同行させるのは、神殿長の手のものにあの子が害されないようにするためだよ。神殿側からの人員は、神殿長の息がかかっていない者を厳選してほしい」
主神様はレーナ様のために色々と手を打っているようだ。
レーナ様に自動的に経験値が流れるといった話は、これまで搾取されるばかりだっただろうレーナ様の気持ちを慮ると、胸がすっとする思いがした。
レーナ様が移住先を探されるのは寂しいけれど、フルクバルト神聖国では本神殿の力が強すぎるので、我が国にお住まいになれば、本神殿にレーナ様を利用されるかもしれない。
そんなことにならないようにと、主神様はお考えなのだろう。
「それから、王妃。この妖精の鍵を、あの子に渡してほしい。王妃の宮に出入りするのを制限しても、出入り自由な王が勇者を連れ込むこともできる。あの子の部屋を作っておいたから、この鍵を使わせて、安心して休めるようにしてあげて。王の目的を考えれば、勇者をあの子に嗾けることはないと思うけれど、愚か者の考えることは理解できないからね、予想外のことが起きるかもしれない。念のために妖精の鍵を使っておけば、あの子の寝室には誰も入れなくなる」
主神様に差し出された鍵を、恭しく受け取った。
琥珀色の宝石がついた妖精の鍵はきらりと輝いて、目を奪われるほどに美しかった。
私も大国の姫として育ったから妖精の鍵を所持しているけれど、これほど大きな宝石がついた鍵は見たことがない。
妖精の鍵の宝石の大きさは、部屋の格を示していると言われている。
主神様のレーナ様に対する寵愛が知れるというものだ。
「必ずお渡しします。侍女からレーナ様の寝つきが悪かったと聞いていますので、主神様からいただいた妖精の部屋で休めるようになるとわかれば、きっと安心なさるでしょう。勇者の旅にも安心して送り出せます」
旅に同行するときに乗るのは箱馬車だから、その扉に妖精の鍵を使えば、レーナ様には安全な空間で休んでいただくことができる。
昔と比べると街道は安全になってきたようだけど、治安の悪い場所もあるから、妖精の鍵は何よりの贈り物だ。
「あの子にあんなに恐ろしい思いをさせるなんて、あの猿勇者め! 早々に色仕掛けに負けて、欲望に溺れた勇者なんて初めてだよ。過去の勇者たちは、いずれ帰る身で無責任なことはできないって、誘惑されても身を慎むような子ばかりだったから。今までの勇者たちと似たような時代から来ているのに、あの貞操観念の違いはどういうことだろうね? あれであの子を婚約者だなんて言い張るんだから、本当に理解できないよ」
主神様はたいそうお怒りのようで、勇者に対するお言葉が止まらない。
同じ男性として思うところがおありなのか、主神様のお言葉にヴィクトリアス様も深く頷いていらっしゃる。
私も召喚されて一週間ほどだというのに、既に王が差し向けた侍女に手を付けたと聞いて呆れてしまったけれど。
王女ともなれば結婚までは清い身でいなければならないので、王女の宮に部屋があっても、王女には手を出していないようだけど、それも時間の問題だろう。
王と王女は勇者を篭絡するつもりでいるので、むしろ勇者に手を出させることで、責任を取らせて結婚に持ち込むかもしれない。
その後、主神様といくつかの打ち合わせをして、ふと気が付いた時には朝になっていた。
手には主神様から預かった妖精の鍵が握られたままで、これを直接レーナ様に届けるために、朝食を一緒にとれないかとお伺いを立てることにした。
主神様の恩恵か、溜まっていた疲労は完全になくなっていて、いつになく気力が満ちたまま朝の支度をするのだった。
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