2 / 61
プロローグ
取引
しおりを挟む「変ねぇ、どう見ても幸せになる要素しかないのに、どうしてこうなっちゃうのかしら?」
心底不思議でならないといった響きの、綺麗な女の人の声で覚醒した。
慌てて体を起こすと、果てのない真っ白な空間にいるようだ。
地面はまるで綿雲のようで、ふかふかとしていて座り心地がよかった。
あまりにも心地よかったから、もう一度寝転んでしまいたいという欲求を抑えきれず、また寝転んで、心地いい感触を味わうようにゴロゴロとしてしまう。
「君さ、寝転ぶ前にやることがあるんじゃない? もっと慌てるとか、ここがどこか聞くとか、『テンプレきたー!!』って歓喜するとか」
呆れ顔でいくつかの例を出してくれたのは、真っ白なワンピースを着た女の人だった。
スタイルはよく、寝転んだ状態で見える脚もすらっとしていてとても綺麗だ。
脚を見られていることに気づいたのか、服で隠すように座りこまれてしまった。
スカートの中まで覗くつもりはなかったから、事故防止という意味ではよかったけれど、脚が見えなくなったのはちょっと残念。
友達にはよく性欲なさそうって言われたけれど、俺だって17歳の高校生なんだから、そういった欲求がまったくないわけじゃない。
母親をはじめとして、周りにいる女が微妙だったせいで、彼女とか作る機会はなかっただけで、それなりの知識と経験はある。
父さんの親友の貴士さんに、何事も経験だと、酒煙草も含めた悪い遊びは一通り何でも教えてもらっていた。
その知識と経験のおかげで余裕があったので、女の子に興味がなさそうに見えていたのかもしれない。
友達と街を歩いていればナンパされることもあったけれど、肉食系の女子は苦手だったので、いつもお断りしていたのも、興味がなさそうに見えた原因の一つだろう。
ちなみに、酒も煙草も一度試しただけで懲りて、未成年のうちに手を出すものじゃないなと思った。
酒の飲み方は成人してから改めて教えてもらうことになっていたけれど、約束が果たせなかったなぁ。
「とりあえず、慌てても仕方がないし、ここがどこかは聞かなくても教えてもらえそうだし、それなら、多分ここでしか味わえないふわふわもこもこを堪能するのを優先していいかなぁって。……これ、気持ちいいよねー。こういうクッションとか布団がほしい」
ふかふかに埋もれたまま、ゴロゴロし続けていると、興味を引かれたように女の人も寝転んだ。
長くて綺麗な銀色の髪が散って、とても綺麗だ。
こうして見ると、現実ではありえないほどに綺麗な人だなぁ。
すべてを見透かすような澄んだ青の瞳がとても印象的で、今はふかふかの感触を確かめるように頬を摺り寄せる仕草がちょっと可愛い。
「確かに、気持ちいいわね。ベッドに使ってみようかしら?」
検討するように床を手のひらで撫でているのを見て、いいなぁ~と羨ましく思ってしまう。
こんなに寝心地のいいベッドなら、きっと毎日気持ちよく眠れるだろう。
「コホン! このままじゃ話ができないわ。ソファを作ってあげるから、ちょっとそこに座りなさい」
羨まし気な俺の視線に気づいたのか、女の人は誤魔化すように咳払いした後、勢いをつけて立ち上がった。
そこと示された場所を見れば、いつのまにか座面の白い木製のソファが置いてある。
しぶしぶ立ち上がってソファに移動すると、ソファの座面は床と同じふかふかの素材でできていた。
いいなぁ、これ、欲しいなぁ。
ひじ掛けのついた一人用のソファに埋もれるように座り、背もたれに体を預けた。
何だかこれ、小さい頃、父さんが膝に抱いてくれた時みたいな幸せな気持ちになる。
どこよりも安心で安全な、とっても暖かい場所を思い出したら、自然に笑みが零れた。
「ねぇ、俺、死んだんだよね? 父さんは無事? 悲しみ過ぎて、おかしくなったりしてない?」
ソファの上で膝を抱えながら聞いてみた。
父さんのことだから、悲しみを振り切るように仕事に励んだりすると思うけど、それはそれで体を壊さないか心配だ。
それに、妻が息子を殺したとなれば、周囲の騒がしさは相当なものだろう。
「残念だけど、君は死亡しました。君のお父さんは、泣いてとても悲しんでいたけれど、周囲に支えてくれる友人がいるから大丈夫よ。離婚して、しばらくは海外で仕事をすることになるわ。ちゃんと長生きして、それなりに幸せになるから安心しなさい」
俺が死んでからどれだけ時間が経っているのかわからないけれど、さらっと父さんの今後の人生を説明されて、ちょっとだけ驚いた。
そっけない口調なのに何となく励まされている気がして、膝に顔を埋めたままくすっと笑う。
「それなりにって、微妙じゃない?」
俺が軽く突っ込むと、大げさなジェスチャーで肩を竦められた。
「仕方がないわ。最愛の君がいないんだもの。大切なピースが欠けたままじゃ、完全に幸せにはなれないわ」
そっか、俺がいないと、父さんは100パーセント幸せにはなれないのか。
幸せになってほしいという気持ちがあるのに、それを嬉しいと思ってしまう自分もいて、複雑な気分だ。
あまり悲しみ過ぎないでほしいけれど、俺のことを、忘れないでほしい。
俺のことは忘れて幸せになってなんて殊勝なことは、絶対に言えない。
「やっぱり変ね。それほどに愛されていて、こんなに不幸な死に方をしてしまうなんて。容姿端麗、頭脳明晰、何をやらせても人並み以上に器用にこなす上に、性格にも難なし。女性不信をこじらせても仕方がない環境にいたのに、呆れるくらいに素直よね、君。それだけハイスペックで、年齢問わずの友達も多くて、客観的に見て不幸になる要素なんてまったくないのに、幸せな人生を歩めなかったというのが不思議で仕方がないのよ。だから、君、私の世界で生き直してみない? 異世界転生っていうより、異世界転移ね。その姿のまま、人生をやり直してみるのはどうかしら?」
最初はぶつぶつと、まるで呟くかのように言っていたのに、段々と声が力強くなる。
賞賛の言葉が並ぶと気恥ずかしくて、何だか落ち着かなかった。
それにしても、『私の世界』ってどういうことだろう?
ライトノベルなんかでよくある展開だと、この女の人は異世界の女神様ってことになるのかな?
「俺、生まれ変わっても父さんの子供になりたいから、違う世界に行くのはちょっと……」
死にたかったわけじゃないし、やり直してみるのは魅力的だけど、生まれ変わりとかあるのなら、異世界に行ってしまえば、異世界で生まれ変わることになるかもしれないし、それはちょっと嫌だ。
どんなに強く望んだって、父さんの子供に生まれ変わることはできないのかもしれないけれど、可能性は残しておきたい。
「生まれ変わったとしても記憶はないんだから、確かめようはないじゃない。それでも、人生をやり直す事よりも、奇跡的な可能性の方を選ぶの?」
まっすぐに真意を問いただすように見つめられたので、俺もまっすぐに見つめ返した。
確かに、奇跡を信じて地球で輪廻の輪に入るのは、自己満足でしかないのかもしれないけれど、それでも父さんとの繋がりをなくしたくなかった。
トラブルだらけだった俺の人生を、俺が不幸だと感じなかったのは父さんがいてくれたからだ。
だから俺は、生まれ変わっても父さんと同じ世界で生きたい。
「頑固な上に超ファザコンね。しかも、一方通行じゃないところが厄介だわ」
俺の決意が固いことが、答えを聞かなくてもわかったのか、呆れたようにため息をつかれる。
残念ながら、ファザコンは俺には誉め言葉だ。
「でも私は、君が私の世界でどう生きるのか見てみたいのよね。だから、取引をしない? 君が私の世界に来てくれるのなら、君のお父さんが亡くなった時、私の世界に転生させるわ。そして、生まれ変わった君と確実に親子になるようにしてあげる。地球で生まれ変わりを待つよりも、ずっといいと思うんだけど、どうかしら?」
熱心に誘われて、訝しく思いながら首を傾げた。
どうしてそこまでして俺を転移させたいんだろう?
俺にはまったく損がないから、異世界に行くのもいいかもしれないと思うけれど、話がうま過ぎて、何か変な落とし穴があるんじゃないかと逆に心配になる。
「そんな目で見ないで。好奇心が満たされるというだけでなく、私にだってメリットはあるのよ。まず、君はそのままでも十分に強いもの。一見細いけれど、変質者対策で結構鍛えてるでしょう? だから、冒険者としても十分にやっていけるわ。それに手先が器用で、料理だけでなく、手芸でもなんでもこなすでしょう? 冒険者が嫌なら、料理人や商人としてやっていく能力も持ち合わせているわ。大きな能力を与えなくても、一人で十分に生き抜いてくれる人材は貴重なのよ。それに、いつかお父さんが生まれ変わった時のためにと思えば、住環境や食事の改善も苦にならないでしょう? 平和で安全な暮らしのための魔道具を開発してくれてもいいのよ? 庶民ではなかなか食べられない甘味を広めてくれてもいいし、温泉とか便利な日用雑貨とか、地球の文化をひろめてくれてもいいわ」
俺が訝しく思ったのが伝わったのか、慌てたように言葉を重ね始めた。
だけど、重ねれば重ねるほどに、ただ、要望を伝えられているような気がしてくる。
つまり、これから俺が行く世界は、食事があまり美味しくなくて、お風呂も中々入れなくて、危険もある世界のようだ。
ライトノベルでよくあるタイプの異世界だと思えば、そこまで拒否感はないけれど、まさか本当に何の能力も与えられずにそのまま飛ばされるんだろうか?
半目でじーっと、何かを訴えるように見つめると、うろうろと視線を彷徨わせ、仕方がなさそうにため息をつかれた。
「……チートは無理だけど、少しなら能力もつけられるわ」
黙ったまま見つめるだけの俺に焦れたのか、渋々といった様子で切り出される。
別に勇者になりたいわけじゃないから、俺だってチートな能力は必要ない。けれど、17年かけて培ってきたものを、それなりに生かせるようにしてほしいと思う。
そうでなければ、見知らぬ世界で一人で生き抜くのは大変だし、わざわざ異世界に行く必要もない。
「向こうの一般人が17年かけて手に入れる知識を補えるように、鑑定の能力は欲しい。後はできれば異空間の収納スキルか、収納できるアイテムみたいなものも。言葉が通じないのは困るから、文字の読み書きはできるようにしてくれ。後は向こうで着ていても違和感のない服と、生活資金くらいでいい」
文字の読み書きなど、日本で生まれ育った17歳ならば当たり前にできることは、向こうでもできるようにしてもらわないと困るから、しっかりと要求しておいたけど、そのほかは最低限にしておいた。
もしかしたら、収納系のスキルやアイテムは無理かもしれないけど、それならそれで何か手段を考えるしかない。
魔道具があるらしいから、頑張れば自分で作れるようになるかもしれないし。
「それだけでいいの……?」
俺の要求が予想外だったようで、真意を探るように見つめられるけど、裏は何もない。
求めてばかりの母さんを見て育ったから、多くを望んだって切りがないって、その際限なさや虚しさを知ってるだけだ。
「スキルみたいなものを持ってなければ戦えないとか、そういうわけじゃなさそうだし、十分だろ。魔法があるのなら、できるだけ色々使えたら嬉しいけど、使えなくても何とかなるだろうし、無理は言わない。こっちとは常識が違うだろうから、説明書みたいなものがあると嬉しいけど、無理なら1から覚えるからいいよ」
物価とか常識がわからないと、だまされてもわからないだろうから、その辺は何とか学習できるといいんだけどな。
勉強は嫌いじゃないから、1から学ぶこと自体はたいして問題じゃない。
「欲がないわね。世界情勢とか物価とか常識とか、他にもスキルの使い方や旅の仕方なんかが学べるように、しばらくの間生活する場所と教師を一人用意するわ。ここで教えてあげてもいいんだけど、魂だけの状態は無防備だから、できるだけ早く体を作ってしまいたいのよ。教師として派遣するうちの執事は優秀だから、安心して何でも教えてもらうといいわ」
最後、執事の話をするとき自慢げだったから、よほど優秀な人なんだろう。
神様の執事だから、人とは限らないけれど。
「わかった。じゃあ、しばらくの間、執事さんを借りるね。多分、次に逢うのは俺が死んだときなんだろうけど、見ててくれるんでしょ? 日本で生きてる時の俺も、どうやら見られてたみたいだし」
神様だから人の一生なんて簡単に見られるのかもしれないけど、でも、それにしてはやけに詳しかった気がするし、多分、俺がここに呼ばれたのは偶然じゃなくて、ずっと前から見られていたから、そのせいなんじゃないかと思う。
見ているだけで手を出せないから、俺が死んで、手を出せるようになってすぐ、ここに呼んでくれたんじゃないのかなぁ?
真意を測るように見ると、視線を合わせないようにそっぽを向いているけれど、ほんの少し頬が赤らんでる。
神様なのに可愛いなぁって、ちょっとにやけてしまった。
やっぱり、女の子は可愛いのがいい。
「ちょっと綺麗だからって、自意識過剰ね! み、見てなんかいないんだからっ! 扉を作ったから、さっさと行きなさい。……今度は、幸せになって、長生きしなさいよ」
素直じゃない神様に笑ってしまいながら、目の前に現れた扉に向かって歩き出す。
呟くように付け加えられた言葉は、何故かしっかりと届いて、俺は背を向けたまま神様に大きく手を振った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
615
1 / 3
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる