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第一話 伯爵令嬢セーラの困惑

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「ユーゴ様が国を離れてから何ヶ月かしら。もう帰ってこないんじゃない?捨てられたのね、可哀想に」

 水溜まりに尻もちをするセーラを仲間たちと嘲笑う。微塵も可哀想とは思っていないカロリーヌに言い返すことはしない。言い返すとさらに嫌がらせをされる。

「さっさと消えればいいのに」

 今日は水溜まりの日だったか。下着まで濡れて気持ちが悪い。立ち上がると、馬車寄せに向かった。背後でクスクスと楽しそうである。

 ジュラベール伯爵家の令嬢であるセーラ。嫌がらせをされている理由は三年前に国内最強と謳われている若い騎士のユーゴが、伯爵家の養子となったことから始まる。

 孤児であるユーゴはめきめきと騎士団で実力をつけると、ついには各国から忍び込んでいたスパイのほとんどを一人で殲滅させた。
 近隣諸国からスカウトが来ている動向を把握した国の上層部は、後ろ盾をつけることで騎士の流出を防ぐことにした。そして人の良さで有名な穏健派の筆頭である伯爵家の養子にさせた。

 そこでユーゴとセーラは出会った。ユーゴが十八才、セーラが十六才の時だった。ユーゴは伯爵夫妻にすぐに心を許し、伯爵夫妻の性格をそのまま受け継いだセーラともすぐに打ち解けた。
 養子となった直後から、熱狂的なユーゴのファンである同じ女学院に通う子爵令嬢のカロリーヌから嫌がらせをされるようになった。同じ家で暮らしていることが相当不服だったらしい。
 隠していたがすぐに知られてしまい、ユーゴが可能な限り送迎して牽制してくれるようになったが、女学院内でされるいじめは防ぐことが出来ない。さらに、送迎されるセーラに腹を立てたカロリーヌはいじめを加速させた。

 女学院内で物が無くなるのは当然、目立たないところに怪我をするのも数え切れない。月に一度は雨の日に突き飛ばされては、水溜まりに転ばされる。下級貴族だが、なぜか学院内では優遇されていたため、教師に訴えても解決まで至らなかった。

 陰湿ないじめにうんざりするも、ユーゴがその度に家で激怒しては慰めてくれた。教師の態度から、伯爵家から抗議をしないと解決は難しいだろう。しかし大事にはしたくなかったため、親には言わなかった。
 ユーゴは守ってやらねばと言う気持ちが恋心に変化したのかもしれない。送迎が始まってすぐに告白された。最初は断ったが熱烈なユーゴに絆され、セーラもユーゴが好きになった。

 女学院から出てきたカロリーヌに交際宣言がされてセーラへのいじめは一時落ち着いた。ユーゴに直接釘を刺された後、カロリーヌはあろうことか王太子に目星を定めたらしい。仕事の父に付いて王宮に上がっては、王太子と会えるように四苦八苦していると噂を聞いた。

 ユーゴが養子になった際に、娘には手を出さないでくれよと冗談めいて笑っていた父の言葉に、なんとなく父母には二人の関係を内緒にした。
 それでも仲を深めた。一年ほど交際をする中で、街に出かけてはデートを重ね、何度も口付けを交わした。同じ家に住んでいるからこそ、家人達の目があり中々体を重ねるまでは至らなかった。

 転機が訪れる。王女が隣国に輿入れすることになり、ユーゴがその際の護衛騎士に選ばれた。ユーゴは何かの焦燥感に煽られたのか、深夜にセーラの寝室にやってきては伯爵夫妻や侍女の目を盗んで体を重ねた。初めての経験に当然痛く、気持ち良さはあまり分からなかったが、中でたっぷりと精子を注がれ、ユーゴが興奮してくれていることが嬉しかった。
 帰ってくるまでおよそ一ヶ月と聞いていた。すぐに戻ってくるから、という言葉を残してユーゴは任務に向かった。

 直後に一通の手紙が届いた。アレクサンダー王太子殿下との婚約についての手紙にセーラは驚いた。
 王太子殿下は昔から憧れの存在である。むしろ自分だけではなく、令嬢であればだれもが一度は王太子妃になることを夢見るのではないだろうか。それほどに美しく勇ましい。自信家なところがあるが、それに見合うだけの賢さと強さがあった。

 数カ国の言語を操り直接外交を繰り返し、ここ数年で一気に近隣諸国との関係が改善されている。
 公務で街に出ていたアレクサンダーを狙い潜んでいたスパイに気づき、忍び持っていた短剣で急所をついた話は有名だ。横領していた貴族を全て暴いては容赦なく牢に入れ島流しの制裁をしたことも民の支持を得ている理由の一つだろう。
 その反面、実力者を重宝する。貴族や資産家の息子が管理職を占めていた騎士団を、実力社会へと改革した。庶民であっても正当に評価するのは騎士団だけには留まらず、王宮への調度品は優秀な若者の作品がいくつも置かれており、若者が活躍出来る場を増やす取り組みをしている。
 見目の良さではない、実力が内から湧き上がるような圧倒的なオーラと、自信が揺るがない強い瞳に、女は一目で恋に落ち、男はあっという間に崇拝するのだ。
 セーラは年に数回、社交パーティで会う程度だったが、拝見できるだけで有難いと、金色に輝く髪を、群がる令嬢の外側からただ眺めた。幼少期から少し交流があった自分を見つけては毎回話しかけてくれる優しさも好ましいと感じている。

 婚約の手紙に驚いていると、父である伯爵が昔から決まっていたんだよと漏らした。衝撃の事実に言葉が出なかった。父はユーゴとの関係を知らないが、今更とてもじゃないが言い出せなかった。誰に相談出来る訳もなく、手紙に記載されている日時に親である伯爵夫妻と共に王宮に上った。



「よく来てくれた」

 王家の者しか使えない豪華絢爛のサロンに招待されると、陛下と王妃、アレクサンダーが待ち構えていた。陛下と王妃も美しいが、圧倒的なアレクサンダーの美貌に圧倒される。年々逞しくなり男らしさが増している。ユーゴを忘れて見惚れてしまった。

 親同士が和やかに談笑する間、アレクサンダーがにこやかだが強い眼差しで見つめてくる。目を逸らせる訳もなく、ぎこちない笑みで返す他なかった。

「去年の舞踏会以来の一年ぶりだな、元気にしていたか?」
「覚えていただき光栄です、お陰様で元気にしておりました」
「もちろん、覚えている。セーラと踊るのが一番楽しかった」

 お世辞と分かっていても、頬を赤らめてしまった。殿下に楽しかったと言われてただただ嬉しい。

「少し庭を歩いてきなさい」

 親同士だけで会話をしたい、という意味と認識して立ち上がる。殿下も立ち上がると当たり前のように腕を差し出される。そっと手を添えると、サロンを出た。

 そうして短い期間で何度か王宮を訪問し、婚約の話が進んだ。アレクサンダーと少しは緊張せずに話せるようになった。
 今まで挨拶の延長のような会話しかした記憶がないが、博識なアレクサンダーと会話するのは楽しかった。加えて、意外にも優しかった。話し合いの日に月のものが重なり体調が良くなかったセーラに気づくと、さりげなく連れ出して親の話し合いが終わるまで医療室で休ませてくれた。

「無理はしないでおくれ、セーラの体が一番大切だ」

 そう言って横になっている自分の頭を撫でられた時はどうしようもなくときめいてしまった。

 そうして家に帰るとユーゴのことを考えては罪悪感で胸が押しつぶされそうだった。数回、会話を重ねただけで、アレクサンダーに惹かれてしまっている。王宮の庭では歩調を合わせて歩いてくれて、毎回帰り際にはささやかなプレゼントを渡してくれる。帰ってからも自分を思い出してほしいと。アレクサンダーにそんなことを言われて嬉しくないわけがない。

 ユーゴは一ヶ月を過ぎても帰ってこなかった。あちらで良い女性が出来たのではと、噂話が流れた。その頃にまたいじめが再開された。相変わらずカロリーヌが主体となっている。やっかいな番犬がいなくなったと、前回にも増して愉快で堪らないと笑っている。

 ユーゴは予定していた一ヶ月どころか、二ヶ月経っても帰ってこなかった。このままだと婚約してしまう。アレクサンダーに惹かれていることも事実だが、まだユーゴが好きな自分も確かにいた。

 いよいよ婚約となり、式の日取りが決まったため、婚約発表の日取り決めの話し合いが行われた。暗い顔をしていたらしいセーラをアレクサンダーがサロンから気分転換にと自室に誘ってくれた。

 たわいも無い話をしていると、侍女とメイドを下がらせた。
 二人きりになると、王太子がソファに座っていたセーラの隣に座り、膝に置いていた手を上から包んでくれた。

「セーラ、これから私達は夫婦になるんだ、君のその暗い顔の理由を聞かせてほしい。悩み事を共に解決させてくれ」

 言える訳がない。ユーゴと付き合っているなど。でもそのユーゴは帰ってこない。どうしたらいいかわからない。涙が溢れそうになると、アレクサンダーが口を開いた。

「責めている訳じゃないことを前提に聞く。ユーゴか?」

 驚いて顔を上げる。明らかに知っている口ぶりだった。

「なぜ……」
「ユーゴが、君を送迎していることは知っている。君の暗い顔と合わせれば、すぐに辻褄が合う。付き合っているのか?」

 責めている訳じゃないとは言われたが、恐ろしくて萎縮してしまう。付き合っているどころか、もう体を重ねてしまっている。王太子妃にはなれない。

「申し訳ありません」

声が震える。

「謝ることはない、婚約を聞かされる前に交際していたのだろう。それを責めたりしない。むしろ離れ離れにして申し訳ないな。俺がいかせたんだ。大切な王女には信頼できる騎士を連れていかせたかった。そのせいで君に寂しい想いをさせてしまったのか」

 王太子に頭を撫でられると優しい力で王太子の肩に頭をもたれかけるように導かれる。そのまま頭を撫でられる。

「俺にその、寂しさを埋めることはできないか?」
「そんな、アレクサンダー様……」

 頭を撫でる手とは反対の手の甲が頬を撫でた。そのままゆったりと顎に手をかけられ、上を向かされた。
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