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本編

5.貴方とならどこまでも

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「大使、ご無事ですか」



 グレンが明かりとともに現れ、イルサは少し落ち着いた。



「大丈夫だ」



 大使の表情はわからないが、すくなくとも怪我をしている様子はない。



「ご無事でよかった。――今逃げたものを部下が追っています」



 グレンの声は少しだけ和らいだ。

 大使を狙った男はかくれていたのだ。

 しかし



(これだけだろうか)



「イルサ、気をつけろ」

「わかっています」



 グレンの言葉に返事をしつつ、イルサはボックス席から下を覗き込む。

 下の観客たちは、明かりを持った従業員にみえるものたちに誘導され、移動している。



「大使、王宮に戻りましょう」

「そうだな」



 話す声に、イルサは振り向く。その瞬間だった。

 爆発音、次いで床の振動。イルサは慌ててボックス席の手すりにつかまり、グレンが大使をかばい周囲を見渡した。



「爆発だ!出口が。火も放たれた!!」



 下から聞こえた声にイルサはグレンと目を合わせた



「どうします?裏口から逃げますか」



 グレンは考えるように視線を大使にむける。



「大使が狙いと考えると、先に様子を見たほうがいいかもしれない」

「私に何か出来ることはないですか?」



 イルサはグレンに声をかけた。

 今回のオペラ鑑賞では、イルサは護衛の頭数に入っている。グレンたち護衛は一部犯人を追ったため、人数が減っている。ここはイルサも護衛に数えたほうがいいだろう。



「いや」



 グレンがためらうように口を開閉する。



「グレン」



 横から声がした。



「お前」

「大使は女連れ、とみんな知っているだろうからな。陽動なら彼女と僕が行く」



 イルサは話した男を見た。休憩時間にグレンに話しかけていた男だった。彼の服の袖には血がついている。

 見ている間に、小さな明かりのなか、男の髪の色が黒に代わった。そして、闇の中。金色に瞬く左目。



「……!」

「な、なんだきみは顔が、いや、髪も、瞳も!!」



 大使の声に、イルサは自分の見たものが嘘ではないと知った。



「聞いたぞ。スーベの悪魔が今はトルトニアに属していると。噂は本当だったのか」



 大使の震える声。

 スーベの悪魔?イルサは初めて聞いた言葉に眉を顰める。



「いやですね、大使。――この世に悪魔なんていませんよ」



 暗くて顔がわからない。

 でも、声は、匂いは。

 おかしいと思ってたのに。

 イルサのことを過剰に心配する。

 ――死んだと、聞いていたのに。



「レイ……?」



 イルサはつぶやいた。

 自分でも、何故その名前が出てくるのかわからない。それでも。

 もう、彼の姿は変わりきっている。イルサの横にいるベルン卿とうり二つの姿。



 彼は何も言わず、にこりと笑った。



  ◇◇◇



 ベルン卿にしか見えないレイは、イルサとともに劇場を速足で歩いていた。

 本物のベルン卿は既にグレンとともに裏口を目指している。そのまま脱出後は一旦、近くにあるリチャードの別宅に行くことになっている。

 イルサとレイは正面から出て、王宮を目指すことになっている。



 ――実は皇帝が暗殺されたとの連絡が入ったんだ。



 別れる前、イルサにグレンは説明した。



 ――ベルン卿は皇帝と近しく、権力も財力もある。



 帝位簒奪者にとっては、生きていることは不安要素になる。しかし、まだ一報だ。正式な発表も、具体的な情報も何もない中で騒ぎ立てるわけにもいかず、大使は今日のところは何事もなかったように動くのが最善との話になったのだ。



 ――しかし、思ったより敵の動きが早かった。まさか、夜のうちにベルン卿の暗殺に乗り出すとは



 ――ベルン卿の護衛が敵とつながっていたようだ。連れてきた護衛のうち、3人の姿が見えないらしい。



 3人ともベルン卿に顔も、家すらも名前も知られている。

 その3人は今、ベルン卿がこの国にいて帝国の仲間と連絡を取る前に片をつけないと、自分達の状況が悪くなることは知っているはずだ。

 ベルン卿が死ねば、この国の警備体制についても問われかねない。



 ――大使を安全なところに連れ出す必要がある。







「落ち着け皆のもの!騒ぎ立てるな」



 レイは今、大使の服を着ている。顔も髪も何もかもが大使と同じだ。

 レイが来ていた従業員の服は、大使が着ており、そちらは髪型を変えて紛れている。



 計画はこうだ。

 レイが大使の振りをして、観客の前で騒ぐ。

 イルサは大使の振りをしたレイの側につく。

 大使はその間に、従業員の振りをして観客を誘導しつつ脱出する。

 グレンたち護衛は大使の護衛をする。



(それにしても)



 いったいレイは何者なんだ。

 いや、イルサはどこかで気付いていた。

 しかし、それはあまりに都合のよい希望だったから、気付かない振りをしていたのだ。

 だって。それに。



(もしそうなら。なんで私にまずいわなかったんだろう)



 今までの経過を考えると、リチャードもグレンも彼のことを知っていたはずだ。

 何しろわざわざ嘘までついて彼を従者として、"レイ"としてイルサのもとにおくりこんだのだ。



「――イルサ嬢」

「はい」



 出口をふさぐ、がれきが取り払われ、人が通れるだけの空間ができあがった。

 大使――レイはイルサの手をつかんだ。



「いこう」

「……はい」



 聞かない。今はまだ。ここを出るまでは。逃げ果せるまでは。

 でも、聞きたい。

 イルサは泣きそうな気持ちで唇をかむ。

 そうならば。そうであれば。

 同じように手をつかまれても、イルサは違和感などわかない。ただ、うれしいだけだ。

 触れ合えることが、彼が生きていることが。

 レイに連れられ、イルサはオペラハウスの外にでた。

 人であふれ、泣き声が聞こえる。振り返ればオペラハウスの火は徐々に広まっているように見えた。

 無事、外に出ることができてイルサは気がゆるみそうになった。しかし、まだ何も解決していないのだ



「――いくぞ」



 レイはイルサの手をつかんだまま、辻馬車に手を挙げる。

 そして、彼は駆け寄ってきたグレンに向かって、周囲に聞こえるように「城に帰る」とつたえた。



「そんな、護衛はどうなさるおつもりですか!」



 グレンの言葉に、「早く王宮に戻るだけだ」と返し、そのまま、馬車にのる。イルサもレイに続いて馬車にのりこむ。



「私が、つきそいます」

「……たのんだ。無事を祈る」



 グレンは低い声でいった。



「はやくだせ。王宮へむかえ」



 レイの言葉に辻馬車の御者はあわてて手綱を操り、馬を走らせる。

 イルサは馬車が走り出してから、自分がまだレイと手をつないだままだったことに気づいた。



「……あの」



 はなそうとしても、彼は手の力を緩めない。おまけに、素知らぬ顔で、手を指同士が絡めるようにつなぎ直してしまう。

 イルサは顔が赤くなるのを感じながら、レイに声をかけた。



「どうした」

「どうしたもこうしたも」



 意地悪だ。

 思い出せば、彼は王立学校で再会してから徐々にイルサに意地悪になった。

 いわせたいことがあっても、あえて自分から直接いうことなく、外堀を埋めてイルサからいわせるのだ。



「……その」

「いわなくていい」



 レイはイルサの耳元に顔をよせる。



「――今の僕はベルン卿だ」

「……そう、ね」



 これ以上顔が赤くなりようがないところまで赤くなっているだろう。

 陽動なのにこんなに状態でいいんだろうか。

 どうしていいかわからず、つないだ手に力を入れた瞬間だった。



「――!」

「うわぁっ」



 パンパンと続く銃声。御者の悲鳴。

 馬のいななきが夜道に響く。



「――きたか」



 レイはすぐに切り替え、馬車の後ろをみた。

 イルサも気をつけつつ、ふりかえると、馬が2頭、馬車をおいかけていた。



「おい、左へ回れ!」

「そんな、王宮から離れますよ!?」

「かまわん、川に向かえ。この方向に行けば軍の詰め所があるはずだ。ここからならそちらのほうが近い!」



 レイの言葉に御者はうなずき、手綱を引いた。

 大きく馬車がゆれ、イルサは壁につかまる。



(手は)



 レイとの手はすでに離れている。



「――イルサは銃は?」

「もっていません……」



 イルサのドレスには銃も剣も隠すところなどないのだ。



「だろうね。これを」



 レイから銃を渡され、イルサは息をのむ。



「わ、私あんまり撃ったことがなくて……!」

「大丈夫だ。それは空砲。攪乱と、あと、人の注意を引きつけるのが目的だよ、こんなこともあろうかと」

「……!!」



 レイは唖然としたイルサにかまわず、馬車から身をのりだし、2発撃った。

 一発を一人に命中させたが、撃たれて転げ落ちる男をよけて、残る一人は追いかけてくる。

 イルサも銃をみせ、撃つ。

 追っ手は馬に身を隠す。が、すぐに体を起した。

 しかし、度重なる銃声に人々は気づいたのか、暗かった家々に明かりがともっていく。



 馬車が川沿いにさしかかった

 道の先に明かりが見える。軍の詰め所だ



「あとすこし……!」

「レイ!!」



 イルサは馬車に追いつかんとする男をみて、レイに声をかけた。

 男は銃を構え、そして、



「……!」



 銃声のあと、川沿いの手すりから石が落ちた。馬車の車輪が落ちたそれを踏む。

 辻馬車は空中に浮いた。



「あ……!」



 バランスをくずしたイルサは馬車の外に投げ出される。そして、



「イルサ……!」



 暗闇。水音。

 イルサは川に落ちた。



  ◇◇◇



 ――あなたはころすにはおしいわ。こころのつよいひと。つよきたましいのもちぬし。

 ――いまの宿主よりも、とってもおいしそう。



 水のなか。ひびく声。

 つややかで、あでやかな、悪魔のささやき。



 ――しにたくない。



 ――では、魂をちょうだい?いかしてあげる



 ――おまえにはやりたくない。もう渡すべき相手は決めている。



 ――そうなの。ざんねん。でも、死にたくはないんでしょう?



 ――ああ



 ――そうね、じつはありがたくはおもっているの。

 ――私はスーベの王家の血筋にとらわれ、魂をしばられて……、久々に自由になったと思えば、王になるために力をかせだとか……ばっかみたい。

 ――だからねぇ、あなたが私をたすけてくれたともいえるの。



 ――じゃあ、見返りとして助けてくれ。



 ――いやね、すこしはいじわるさせて。



 悪魔は金の瞳を細めて微笑む。



 ――あなたが魂をささげたひとが、あなたの姿が変わっても魂にきづいてくれるかどうか。それだけでいいのよ。

 ――せいかいすれば、あなたはじゆう。

 ――しっぱいしたらわたしが魂をもらってあげる。

 ――よろしくね、あなた。



  ◇◇◇



 人ではないほどの美しさの女の顔を見た気がした。

 水中、息ができない。

 泳げないわけではない。しかし、こんな着飾った姿で水に落ちるのは想定外だ。布地が水を吸い、身動きできない。



 ――せっかくアンネががんばってくれたのに



 現実逃避のように、頭にそんなことばが浮かぶ。

 ここで、死ぬんだろうか。



 ――ずっと、死んでもいいとは思っていた。



 積極的な気持ちではない。ただ、自分以外の誰かを自分の命を以って救うことが出来るのであれば、それでもいいと思っていた。

 母の裏切り、父の失望、誰かを愛することの不確実さ、誠実であることの難しさをイルサは知っている。

 ただ。

 レイモンド。

 彼はいつだって、イルサのそばにいた

 お互い、他に居場所がなかっただけだ。でも、それでも、長年一緒にいた事実は、彼がイルサを追いかけてきてくれた事実はかわらない。

 ――彼ならば

 そのすこしの希望も潰えた

 しかし、すこし安心した気持ちもあったのだ。

 彼は死んだことでイルサのなかで完璧になった。

 彼はもうイルサのなかにだけいる。

 でも。

 長い夜と、誕生日

 彼のことを思い出すのだ。



「――イルサ!!!」



 声が聞こえた気がした。

 イルサは眼をあけた。水中。ゆがむ視界。

 そこに、誰かいる



 ――レイモンド



 願うならば、最期にそれだけは伝えたかった。

 あのとき、いうべきだったこと。



 イルサはのばされた彼の手に自分のそれをのばす。

 触れて、強く握られた手。こんなに息が苦しくて、つらくて、死にそうなのに。それだけで安心した。

 彼の顔が近づく。



 ――レイモンド、好き。愛してる。ごめんね



 つぶやいた声は泡となり消える。

 近づいた顔が唇で重なった。

 レイモンドの顔は視界がゆがんでも見えない。

 でも、彼は笑った気がした。
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