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本編

2.お仕事は突然に

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 次の日、イルサはそわそわしながら職場に向かった。

 休み中全然落ち着かなかった。

 酒の失態なんて人生で初めてだ。レイに恥ずかしいところを見られてしまった。

 非常にいたたまれないが、あちらはあちらで見なかったこととしている。

 となると、ただひたすらに何もなかったという顔をするしかないのである。

 つまり、家にいると、とても恥ずかしい。



 ――つらかった……。



 イルサは出不精なので、外に遊びに行くことはほとんどない。

 そして、定期的に出かけるアンネと違い、レイもイルサと同じくらい出不精なのか、だいたい家にいるため、逃げ場がなく。

 さりとてどこにいくにも思いつかず、結局家で何事もなかった顔をして、じりじり過ごすしかなかったのだ。



「おはようイルサ」



 いつもと変わりない元気な声であいさつしながらエレンナが出勤してきた。

 イルサは「おはようございます」と返答しつつ、エレンナに近づいた。



「変なことを聞くようですが――そ、その、一昨日のこと、覚えてますか?」

「え、うん。……うーん?」



 いつもと同じ調子でエレンナは首をかしげた。

 エレンナはいいのだ。上司とはいえ付き合いは長いし、色々助けられているので、今更恥ずかしいことはない。

 いま知りたいのは、あの夜自分がレイに何をいっていたのかだった。



「朝起きたらもう貴方はいなかったわね。あ、さっき、ここに来る途中グレンと会ったけど怒られたわ。寮で騒ぎ過ぎたって。ごめんねぇ……私も覚えてないくらいだから本当騒いじゃったのね」

「そ、そうですか」



 レイのことを覚えていないならそれでいいか、そう思ったイルサだったが、



「あ、思い出した!黒髪の彼!あなたのところの執事でしょあれ!」

「ぐ」



 思い出されてしまった。



(私のやぶ蛇………)



 イルサが落ち込む中で、気づかずエレンナは続ける



「確かにあんなイケメンが家にいたら家でお酒のみにくいわね」

「もともとそんなに飲まないから大丈夫ですよ」

「はいはいそうね、今回は私が飲ませちゃったんだものねぇ。でも、彼どこかでみたことがある気がするんだけど……気のせいかしら」

「彼は住み込みで働いているので、街かどこか、外で見かけたことがあるんじゃないですか?」

「そうかも。かっこいいし、記憶に残ったのね、きっと」



 エレンナはそれ以上つっこまなかったので、イルサははすこし安心した。

 しかし。



(レイが、イケメン……)



 レイの外見のことを他人から言われたのは始めてだ。エレンナが覚えているということは他の同僚達もレイの顔を覚えているかもしれない。

 何となく、違和感を覚えてしまう。



(なんでだろう、レイにだって普通の生活があるのに)



 イルサが見ているレイは“仕事をしている”レイだ。紹介元が従兄とはいえ、イルサはれっきとした彼の雇い主であり、家族でも何でもないのだ。

 だから、おとといの件も仕事のうちに過ぎない。

 当たり前だ。なのに、何故自分はさみしさを感じるのか。



「あ、それより、そういえばイルサ、あなたチェドリン宰相補佐に呼ばれていたわよ」

「リチャードに?」

「ええ、たぶん今度くる帝国大使の話だと思うけど」



 エレンナの言葉にイルサは首を傾げた



  ◇◇◇



 部屋のドアをたたき、声をかける。



「近衛第三部隊補佐官イルサ・ミルリッサです」

「はいれ」



 返事を聞き、イルサは部屋にはいった。

 華美ではなく、豪奢でもないが、威厳のある部屋だった

 部屋の奥には一人の男がいた。現宰相の長男であり、次期ジェスタッド公爵でもあるリチャード・チェドリン。

 イルサの従兄である。

 彼はイルサと同じく金髪に薄青の瞳であり、実際に顔立ちも似通っている。

 イルサとリチャードが並んでいれば10人中10人が二人を兄妹だと思うだろう

 二人の外見は似ている。とても似ているのだ。



 イルサとリチャードの関係は難しい。



 まず、イルサの母とリチャードの母は姉妹だ。

 由緒正しい伯爵家に生まれた彼女らは非常に仲の悪い姉妹であり、結婚前は二人で金髪に薄青の瞳の美男子であった公爵を挟んで争っていた。

 最終的に姉であるリチャードの母が公爵を射止め、嫁ぎ、妹であるイルサの母は家で遠縁の優秀な青年を入り婿を迎えた。

 結婚してからも二人は常に何かしらで諍いをしていたという。

 そんな関係の中、誰が初めに引き金をひいたのかは、今や誰にもわからない。

 リチャードが生まれ、数年後イルサの母が生んだのは夫の茶髪とも自身の茶髪とも異なる金髪に、夫の茶色の瞳とも自身の黄みがかった緑の瞳とも異なる薄青の瞳の娘。

 これは先に子を生んでいた姉の子と同じ色彩だった。

 生まれたばかりのイルサをみて、妹は息をのんだ。そして、婿も、姉妹の両親――伯爵夫婦も息を飲んだ。

 この子の父親は誰なのか。疑いは晴れることはなく、当事者である公爵もイルサの母も黙ったままだった。

 イルサの母はイルサを生んだ後、産褥で死んだ。

 遺された入り婿は書類上はイルサを娘のままとしたが、家族としての愛情を向けることはなかった。

 そして、公爵は口をつぐみ続け、リチャードの母はイルサを目の敵にしている。

 体面上は従兄妹同士であるリチャードとイルサはそれぞれもそのようにふるまっている。

 しかし、これは公然の秘密といっても差し支えないほど、知られている話だ。





 リチャードはイルサを見るとすこしだけ緊張を緩めたようだった。



「君に頼みたいのは、今度視察にくる大使の通訳だ」

「何故私なのでしょうか。そもそも帝国の方であれば、通訳などいらないのでは?」



 イルサは首を傾げた。

 帝国で使われる言語はこの国で使われるものと違う。だが、帝国の言語はこの大陸の共通言語ともいえるほど広まっているものだ。

 この国でも、一定以上の教養を持つものであれば、当たり前のように話すことができる。

 リチャードも何なら国王以下王族も当たり前のように帝国語を話すことができるのだ。

 イルサは言語に秀でる。基本的に女性王族の護衛を任務とする第三部隊だが、他国の位の高い女性が訪問してきたときも護衛する。

 その際イルサが通訳をするのは普通だ。しかし、今回の帝国の大使については第三部隊への要請は来ていない。

 つまり、大使は女性ではないはずだ。

 男性で、帝国の人間であれば、イルサでなくても十分に対応できる。

 わざわざ近衛の一員であるイルサを通訳としてそばに置く必要がない。



「――実はその、あちらの指定だ」

「指定?」



 言いにくそうに言葉を絞り出したリチャードにイルサは更に首をかしげた。



「君の話を聞いている、と。そして、その上で、是非頼りにしたいと先方が」

「私の話ですか?」



 理由もさながら原因も分からない。

 イルサはただの官僚だ。帝国大使なる人がイルサのこと知っている等、どういった理由なのか。



「君のお父上と何度かやり取りをされたことがあるとかで……。そのとき、彼に独身の娘がいると聞いたとか。で、今はお互いに独身で婚約者もいないならいいだろうといってきかないんだ」

「独身だからいいだろうとは?」



 イルサは顔をしかめる。



「――女性は花だ、花をつれて視察出来たら非常に気分がいいから君がいいと。四回結婚して愛人もいる、子供も12人。有名な恋多きベルン卿にいつのまにか見染められていたんだよ。君は」



 リチャードの言葉にイルサは顔をひきつらせた。



  ◇◇◇



 イルサが去った後、リチャードは大きなため息をついて椅子に座り込んだ。

 リチャードとて、従妹にこのような仕事をさせるのは嫌だ。しかし、だからといって遠ざけるわけにもいかない。

 噂のベルン卿が無類の女好きだが、彼は賢い人間だ。そしてわきまえている。でなければ、激しかったという帝国の帝位争いを、無傷で乗り越え、疑り深い皇帝から厚い信頼を得ることが出来るわけがない。

 リチャードが集めた情報では、彼の女性に対する行動はロマンチスト故と考えられた。行き過ぎのきらいもあるが、彼は女性を押し倒すことよりも口説くことに力を入れている。ゆえに、恋多き男なのだ。面倒ではあるが、それを理由に彼にイルサを近づけなくていい理由にはならない。

 更に、状況が良くないのだ。

 嫌だと拒否するには帝国――ラル=メラルダの力は強すぎる。

 隣国――スーベ王国とこの国――トルトニア王国との戦いが終わり、3年。

 市井や経済状況はだいぶ落ち着いた。しかし、まだまだ、戦の爪痕は残っている。

 ベルン卿は帝国内でも外交や商売に関しては大きい権限を持っているという話だ。

 イルサの父が彼女の存在を漏らしたのもただの日常的な会話の流れのうちだろう。彼はイルサに対する情を見せることはないが、彼女に何かを強いるようなたちが悪い人間でもない。つまり、これはただの大使が知人の娘にあってみたいという好奇心に過ぎないのだろう。

 そんな彼の希望を、リチャード個人の私情で退けることは難しい。

 もちろん、彼女が望まないことなどわかっている以上、通訳以上のことをさせるつもりは毛頭ない。

 そのためにイルサのみならずリチャード自身も大使にぴったりとついているつもりなのだ。

 実際ひきつった顔のイルサも了承した。お互いに理解しているのだ。

 けれども、



「イルサに何か余計な仕事を回すつもりですか?」

「――いつのまに」



 リチャードが声の方向をむいた。

 そこにいたのは黒髪の男だった。

 長身で均整のとれた体。顔立ちは整い、人間味がないほどだ。

 それだけでもじゅうぶん人の目をあつめるだろうが、それだけではない

 彼の左目は金色に光り輝いている。



「落ち着きなさい」

「あなたにはイルサのことを守るよう頼んだはずです」

「人の話を聞きなさい」



 ため息。



「大使は強引だが悪人ではないし、暴力的な行為を選ぶ人間ではない。今回も何を期待してるのか知らないが、きっと単純に知人の娘にあってみたいというものに過ぎないだろう。中途半端にイルサを遠ざけて、逆に熱くなられても困る。大使の女性遍歴を調べたが、イルサは外見はともかく性格が彼好みではないよ。彼は激しい女性が好きだからね。イルサは穏やか過ぎる。私も大使の滞在中は彼のそばにいるつもりだから、イルサを彼を二人きりになどするつもりはないよ」



 リチャードは「というかそもそもお前だって常についてるつもりなんだからかわりないだろう」と心の中で思ったが詳しくは突っ込まないことにした。

 男はその答えを聞いて、表情も変えずに小さくためいきをついた。そして、現れた時のように消えるように立ち去った。



(知ってるよ)



 リチャードは消えた男の残像を見るように視線を置いたまま、イルサのことを思う。

 父と母たちの汚点。その実立派に育った。

 彼女の幸せを願っている。

 しかし、彼女が幸せを得るためには一つ大きな試練を乗り越えなければいけない。





 三年前の戦争の際、レイモンドはリチャードの小隊に属していた。

 戦争は隣国スーベから仕掛けられたものだ。

 王女しかいないこの国は王の次に王女を即位する法律を立てた。そこに、反対したのがスーベだった。

 女王は認めぬ。我が国の王族もそちらの王族の血を引いているのだから、我が国の王弟を次代の王とし、王女はその妃にすればよい。

 横暴な話にトルトニアは拒否をした。

 そして、戦争が始まった。

 結局のところ、王位を継ぐことのできない隣国の王弟の暴走に近いものだったと思われた。しかし、続く戦となり、徐々にそれは広がっていく。

 敵の王弟は戦の将となり、何度もぶつかりあったが、最終的にリチャードたちが追い詰めることとなった。



 ――いい加減に投降しろ。投降すれば命までは奪わない。



 部下を全て殺され、崖っぷちに追い詰められた将はリチャードの言葉に笑って答えた。



 ――俺に勝てばお前が王女をめとるのだろう?



 将はやけに輝く金の目をしていた。視線があい、リチャードは目を細めた。

 王位の話はまだ決定していない。しかし、確かにリチャードは王女の婿候補に上がっている。



 ――悪魔と取引をした以上、引くことはできない。せめて、貴様にも呪いを分けてやろう。



 王弟は笑いながら、自分の胸に短刀を突き刺した。



 ――何を……!



 突然の行動に周囲が凍り付く。金の目がより輝き、彼の体から黒い影のような、得体のしれない気配が立ち上がる。

 リチャードが部下に下がるよう伝える直前、視界の端で誰かが走りだした。

 彼はぶつかるように王弟につかみかかり、もみ合った末、がけから落ちる。

 一瞬の出来事だった。



 ――貴様ぁあ!!!



 遠ざかる王弟の声。リチャードは慌てて馬から降り、がけに向かう。

 深い谷底の向こうは滝だ。



 ――今のは……。



 何があったのか、よくわからない。しかし、何かが起きて、リチャードたちは救われたのだ。そう確信した。



 ――今のはレイモンドです。



 後ろから固い声でグレンが言った。

 レイモンド。イルサの幼なじみ。



 ――そんな。



 部下に優劣はない。一人足りとて失いたくはない。しかし、その中でもレイモンドはどうしても特別なものがある。

 生存は絶望的だ。こんな崖から落ちてしまうなど。生きているとはとうてい思えない。



 ――イルサになんて伝えれば。



 グレンの声にリチャードは唇を噛んだ
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