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本編

3.師匠が猫になったのですが

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「師匠が猫、猫が師匠……!」



 ルリは台所の椅子に座り、頭を抱えていた。

 師匠(猫)はおとなしくその姿を眺めている。

 アーロは、魔法使いだが、同時に騎士でもある。騎士の家系に生まれ、魔力の強さから先代賢者に預けられ、魔法を学び、同時に騎士としても修行を積んだという。

 そして、賢者となる前から剣聖と呼ばれ、様々なところで人助けをしていた。



 賢者に敵はいない。不可侵の存在なのだ。失ってもいいことがない存在なのだ。

 しかし、師匠の過去を考えると、もしかしたら賢者以前に何かした相手からの報復かもしれない。



(いやでも、わからない……昔ヘンデリク様に聞いた話だと賢者に敵対したものが全くいなかったわけではないらしいし……)



 戦乱の時代、世界の調停のために存在する賢者の干渉を良しとしない国や集団も少なからずいたらしい。

 今は平静の時代だが、その残党、もしくは新勢力がいないとも限らない。



(いやでも、その場合真っ先に武闘派の師匠を襲うかなぁ……)



 実際猫になってしまっているわけだから何とも言えない部分はあるが。

 ともかく、アーロが生きているのは間違いない。そこは安心できる。――猫だが。



「ししょうがねこ……」



 足元でにゃーにゃー師匠(猫)が鳴いている。

 意思疎通、どうしよう。

 ルリはまず、師匠に言い聞かせた。



「師匠、はい、いいえで答えられる質問をしますよ。にゃーが一回ではい、にゃーにゃーと二回でいいえですよ」



「にゃー」



「もとに戻れますか?」



「にゃにゃ」



「……何故その姿になったのか心当たりはありますか」



「にゃ、……にゃん」



 地面を見つめる師匠(猫)。

 これは心当たりがありそうだ。ルリは目を細めた。



「……ともかく、はい、いいえでは話が成り立たないので、もう早く元の姿に戻ってもらうしかないですね……」



「にゃん!」猫はおおきくうなずいた。



「――しかし、姿を変える魔法って私得意じゃないんですよね……。そもそも師匠だって苦手のはずだし」



「にゃ」



「……南東の賢者さまってそういうの得意じゃないですか?連絡とれます?」



 賢者仲間のことをあげると、師匠(猫)は「にゃ!!!」と毛を逆立てて首をふる。



「恥ずかしいんですね」



「にゃ……」視線をそらしながら、師匠(猫)は鳴いた。



 とはいっても、賢者仲間以外の魔法使いに聞く方が恥ずかしい。

 ルリは「よし」と手をたたいた。最初から分かっていたことではあるが、道は一つだ。



「――ヘンデリク様に手紙を書きます。ヘンデリク様しかいないですよね、もうこれ。師匠がどれだけ怒られるかはわからないですが」



 ルリの言葉に師匠(猫)はうつむいて、小さく「にゃん」と鳴いた。





  ◇◇◇





 ルリが手紙を書いて、風の精霊に預けてから数日後、屋敷の玄関のベルがなった。

 この屋敷のベルがなるのは、食材を運びに定期的にやってくる近所の何でも屋か、ヘンデリクくらいである。

 何でも屋は昨日に来たばかりだし、これは彼に違いなかった。

 ルリが玄関にたどり着く前に、ドアが開く音がした。



「ひさしいな、ルリ。変わりないか」



「はい。かわりないです。――私は。ヘンデリク様もお変わりないようでよかったです」



 白髪に褐色の肌、赤い瞳。とがった耳にすらりとした姿から、彼が精霊の上位種、エルフであることがわかる。その中でもハイエルフと呼ばれる存在にあたる彼は、外見は20歳そこそこに見えても年齢は500歳を超えるという。

 事実、彼は数百年を支えた先々代の賢者だった。

 先代賢者に称号が映ってから、自由気ままに旅を続けていた彼は、先代がなくなった後も弟子の弟子である、師匠と、その弟子のルリを支えてくれている。



 ――ヘンデリクがいるせいで未だに師匠は師匠としてぬるい部分があるのでは?と自分も甘やかされている自覚のあるルリは考えていた。



 「で。あのバカは今回何をしでかしたのだ?」



 首をかしげるヘンデリクに、ルリは「ちょっとお待ちください」と声をかけ、師匠の部屋に向かう。



「にゃーー」ベッドに逃げ込み震える猫の首をつかみ、ルリはヘンデリクのもとに向かう。



 つかまれたあとはもう暴れない。アーロはそういうところは聞き分けがいいのだ。



「お願いします!!師匠を人間に戻してください……!!!」



 ヘンデリクは猫をつかんだルリと師匠(猫)を呆然とみた。



(ヘンデリク様が驚くほどの魔法なのか!?)



 ヘンデリクはそれこそ世界有数の魔法使いであり、賢人である。

 彼が知らない魔法なんてそんざいしないはず。彼がこれを溶けなければ師匠は猫のままなのか―――

 ルリが怖くなった瞬間、ヘンデリクは口元を手で押さえ、うつむいた。



(え)



 そして、



「正気なのかお前たち!!!!!これが!?ねこ!?ねこだっていうのか!??はっは、うっ、ぶははは!!!メリンダが憤死するぞ!」



 あの冷静沈着なヘンデリクが大爆笑していた。

 ルリは目を丸くする。ルリに抱かれた師匠(猫)は力なくうなだれている。



「はーー、はーーーーーいや、すまない、いや本当に、ここ数百年で一番笑ったな。いやもう、人生で一番笑った。」



 ヘンデリクは咳ばらいをする。

 しかし、その瞳はどうみても笑いが滲んでおり、ルリは(エルフって薄情っていうけど本当なんだな)と思った。

「ちょっと待っていろ」





  ◇◇◇





 ヘンデリクは師匠(猫)を連れて、仕事場の方に向かった。



 置いてけぼりのルリは、食堂にむかい、お湯をわかす。



 茶葉を選びながらルリはつぶやく。







「……大丈夫かな」







 ヘンデリクの爆笑は不安になったが、彼は悪人ではない。



 困っていれば助けてくれるだろう。



 爆笑していた以上、そこまで、深刻なものではないのではないかと思うのだけど。







「せめて言葉は通じるようになるといいな」







 この数日、ルリと師匠は話すことができなかった。



 師匠の仕事場から見つけ出したタイプライターをつかって、意思疎通は問題なくなったものの。



 仕事も生活も、送るだけであればそこまで問題はなかった。



 師匠の代わりにルリが書類を代筆するのも、魔具や薬を作成するのはよくある話だし。



 このまま、師匠が猫でも問題はない、のかもしれない。



 でも。



 ルリはため息をついた。



 話せないのはさみしい。頭を撫でられないのはさみしい。恥ずかしいけど、ハグができないもの、さみしい。







 ――結局、恥ずかしくはあれど、どれも嫌いではないのだ。







 ティーポットに茶葉を入れつつ、ルリは思う。







(師匠が人間に戻ったら、話し合おう。今後のこと)







 もやもやした気持ちをすっきりさせるためにはそれしかない。



 心を決めたルリだったが、そのためには師匠が人間に戻らないと話が始まらない。



 ヘンデリクと師匠はどうだろう?



 耳をすますと、まだヘンデリクと師匠は上にいるようだ。



 そういえば。ふと左手をみる。



 ここ最近ばたばたしていたので、あんまり気にしていなかったけど。



 左手の小指。なんか指輪がはまってるのはいつからなんだろう……。







 ピューと音が鳴り、お湯が沸いた。







 ルリは慌てて火を止める。



 ――その瞬間にはもう、ルリの頭から指輪のことは消えていた。











 ◇◇◇











 ヘンデリクは薄暗い部屋の中で男と向き合っていた。



 長身、筋肉のついた均整の取れた身体。灰色の髪、新緑の瞳。端正な顔。



 そして、額に8つの角をもつ星。







 ――北東の賢者、アーロ。二つ名は剣聖。







 ルリの師匠であり、ヘンデリクの弟子の弟子。その人だった。



 今は落ち着かない様子で椅子に座っている。



 彼の前でヘンデリクはその前で机にもたれて立っていた。







「で」口火を切ったのはヘンデリクだった。







「貴様は、ルリに何をした」







「……」視線を逸らすアーロ。







「ルリが、師匠が猫に!と手紙を送ってきたとき、我は心配したのだ。何かあったのかとな。まぁお前も大人で賢者として立派に勤めを果たしている。しかし、世の中何があるかわからないからな。何かあれば力になろうとここに来てみれば、なんだ?貴様」







 ヘンデリクはトントンと机をたたいている。



 アーロは威圧感及び罪悪感で死にたくなった。







「貴様が猫になったのではない。――ルリがお前を猫としか認識できないんじゃないか」











  ◇◇◇











 ヘンデリクが屋敷についたとき、やっときた!とばかりに喜ぶルリ――がヘンデリクの前に連れてきたのは、非常に後ろめたい顔をしたどうみても猫にはなっていないアーロだった。



 アーロの右手をつかんでいるのに、彼女は師匠がねこに!ねこに!という。



 目は真剣だが、どこか夢見る表情でもある。



 ヘンデリクはすぐに理解したようだった。



 アーロが初めて見るハイエルフの大爆笑後、アーロをつかんだヘンデリクの目は笑っていなかった。



 ――殺してくれ……



 アーロは恥ずかしさで地面に埋まりたかった。











「きちんと説明するように」







 ヘンデリクは幼いころのアーロがこの屋敷を小火で燃やしそうになった時と同じ顔をしていた。







「はい……」



 アーロは長身を縮こませてうなずくしかなかった。
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