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5.彼にだって初心な瞬間はある

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 カーテンの裏側では、室内の明かりがカーテン越しにしか届かない。もそもそ暗い室内の明かりはカーテンを通せばなおのこと。そんな、うす暗闇の中でも、彼女の姿は焼き付くようにジョシュの目に刻まれた。

 ジョシュは何も言えずにただ彼女を見ていた。

 彼女もまた、ジョシュを見ていた。



「あ、あの」



 声すらも、やけに耳に残る。その繊細な響きに胸が高鳴る。

女はなにかいおうと思ったようだった。しかし、口は開閉するばかりで言葉を出さない。

 ジョシュはといえば、その唇の動きを見守るだけで精一杯だった。



(何か、いわないと)



 愛嬌の良さを自称ずるだけあって、女と話に困ることはいままでなかった。

 取り留めのない話をして、相手をほめて。親しげに女が笑うようになったら、空気になればこっちのものだった。

 しかし、だめだ。

 相手に何を言っていいかわからず、見つめ続けるなんて、初めてのことだった。言うべきことはあるはずなのに。

 二人が見つめ続けていた、そのときだった。



「……!」



「……!ひゃ」



 ただでさえ暗い室内の明かりがすべて消えた。

 思わず、ジョシュは彼女の腕のあったあたりに手を伸ばし、さわったそれをつかんだ。



「な、なにが」



「静かに」



 混乱した様子の彼女の声に、かぶせるようにいう。

 息を飲んだ彼女を引き寄せる。

 身じろぎしたが、彼女は最初のときのように電撃を加えることもなく、されるがままだった。

 耳を澄ませばカーテンの向こうは落ち着いた様子だ。ばたばたと参加者たちが動き回る音も聞こえない。少しあわてる気配もするが、すぐに近くの誰かに落ち着かされるらしく、静かになる。

 そして、独特なにおいが漂ってきた。



(そういう演出なのか)



 なるほど、暗闇に入って思う存分楽しめと言うことか。

 ジョシュは状況を把握し、落ちついた。



「前もあったな。……君はここに迷い込んだだけか」



 やっといつものペースに戻ってきた気がする。少し固い口調なのはまぁ、許される範囲だろう。



「……自分で来ましたが、確かに迷っているといわれればそうかもしれませんね」



「ここが”いかがわしいほう”の仮面舞踏会と知ってか?」



「い、いかがわしい?!」



「静かに」



 女の声があわてた様子でやはり迷い込んだだけと悟る。



「ここに隠したあしゅ――いや、女からは何か聞いたか」



「ええと。初心者向けではないから状況がわかるまでここで観察しなさいと……」



「そうか」



 詳しい話はしていなかったようだ。まぁ、そうか。少し納得し、どうしようか悩む



「君がここで何が起こっているのか知っていて、それを楽しみたいというのならばいっさいじゃまはしない――といいたいところだが、どうやら何も知らずにはいりこんだようだな。いかがわしいことに興味があるならば別だが、間違いできたのならば、俺と来い。さっさとぬけだすぞ」



「………あなたは、ここにいかがわしいことをしにきたのではないのですか」



「は?」突然の彼女の疑うような口調に思わず間の抜けた声を上げる。



「別に貴方がいかがわしいことをしていようと私に関係はないのですが。私に気を使って外に出なくてもいいのですよ。私だってイイ大人です。こんな状況、理解できた以上はさっさと自分で解決できますから」



 彼女の腕を掴んだままだった手が彼女の反対の手で捕まれた。ジョシュの手を自分の腕からはなそうとしているようだった。その細さと力の弱さに笑いそうになる。

 こんな細腕で、弱い力で強気な言葉。なかなかおもしろい女性のようだ。



「……騎士として君みたいな女性を一人で返すわけにはいかないな。そうだ。名前を教えてくれ。名前がわからないと君を呼べない」



「……ええと」



 ためらう様子で彼女の手がジョシュの指にかけられたままで止まる。



「……もしかして気付いていないのですか」



「何が?前にあったのは覚えているぞ」



 何を気付くというのか。確かに前にあったことがあるが、そのようなニュアンスではないような。

もしや彼女は緑の騎士団の騎士かとも思ったが、緑の騎士団の女性騎士といえば、そんじょそこらの男よりも冷静で世慣れている。この女性はどうみても世慣れている様子ではない。



「何でもないです……。好きに呼んだらいいんじゃないですか」



ため息とともに投げやりな言葉が返ってくる。



「いや、是非名をききたい。というか、君は俺のことをしっているのか?もしや以前あの時以前に会ったことが?」



 知り合いまではいかずとも、顔くらいはみたことがあるのだろうか。ジョシュは記憶をたどる。しかし、彼女のような銀髪に紅の瞳、今にも溶けて消え去りそうな儚げな美女をみた覚えがない。そもそも、みたら忘れないだろう。



「いいえ、赤の他人です。いっさい関係ありません。貴方のことなど全く持って存じ上げません」



「しかし、君は――」彼女のとりつく島もないかたくなな声に確実に何かあると確信する。



「そんな話をしている場合ではないのではないですか。それとも、これが貴方の口説き方なのですか」



「口説、いや、そういうつもりじゃ」



「では私の名前は聞かずともいいでしょう。ここからでるなら早くしましょう。貴方にもやることはあるでしょうから」



「――そうか。とりあえず、俺はジョシュだ」



 とげとげしい言葉にはなじろみながら、ジョシュは名を聞くことをあきらめ、自分で名乗った。あきらめたのは、いったん、だが。



(ここから挽回するにはどうしたものか)



「ともかく、ここから抜け出よう。出口はある。ただでるだけならば問題ないだろう」



 伯爵夫人の行動を思い出す。

 給仕に声をかけ抜け出せばいい。まぁ、声をかけて出口を聞かずとも、彼女の向かった方向はみた。――いけるだろう。

 ちらりと彼女の方をみる。獣人の血を濃く継ぐために、すでに瞳は闇になれていた。

 都合のいいことにここにいるのは男女1人ずつだ。



「いくぞ」



「あっ」



 彼女の手を引いて歩き出す。

 カーテンの裏から出て、人をかき分ける。



「……なんかこれ」



「なるほどな」好きモノにはたまらない施行だろう。しかし、その手の趣味がなければ気分が滅入るだけだ。ジョシュは腕を引きながら彼女に声をかける。「気分は大丈夫か」



「……はい」



 かすかにふるえる女の声に腕を引き、抱き寄せる。彼女は何もみえていない様子だったが、抵抗はない。暗闇でもにおいや音は変わらず届くため、察したのだろう。

 獣人の血を引く目は闇になれるのが早い。ジョシュは部屋を一望し、悪趣味な惨状にため息をつきたくなった。

 そこかしこで男女が折り重なり、ぐじゅぐじゅといった下品な音がひびく。そこに愛はない。肉欲だけだ。恥じらいもなく服を脱ぎあい、獣のようにむさぼりあう。

まったく、楽しそうで何より、などと皮肉気に思う。



(確かに“俗悪”がすぎるな)



 どうやら、部屋を見る限り問題となっている”何も知らないで来てしまった一般人“という被害者はジョシュのそばにいる女性だけのようだ。もしくは、緑の騎士団にそうそうに救出されているか、このヒトビトのなかにいるか。――救われている。そうであると願おう。

 個人個人でやっていればいいものを、だいだいと仮面舞踏会と銘打って違法薬剤まで使って行うせいで捕まるのだ。

 ジョシュにだってしっかり性欲はあるつもりだが、さすがにこういう趣味はない。こういうことは秘めやかに行うから、楽しいのであって、みんなで行ってみんなで愉しいなどというのは好みではない。まったく興奮するにも難しい。

 はずなのだが。



(甘ったるいにおい……東洋で焚かれる香か)



 どうやら、媚薬を焚くにしても、その量が半端ではない。効能はさほど強くはないだろう。娼館で焚かれる程度の合法ぎりぎりのものだ。しかし、腕に抱く女の柔らかさがあいまって、熱が高まる感覚があった。

 長くいるのはあまりいいことではないな。まだ冷静の範疇でそう思う。



「いくぞ」



「……」



 うなずく気配がした。



(緑の騎士団はどこにいったんだ……)



 始まって早々とはいえ、どうやら結構盛り上がっているような気がするのだが。今のうちに検挙してしまえばいいものを。

 部屋の中の人の数は最初にみたときよりも少なく感じた。からまり合う人をよけ歩きつつ、ジョシュは周りを見渡す。

 ほかに部屋が有るのかもしれない。

 参加者たちは己の快楽に耽るのに夢中で、ジョシュたちには気にもとめない。

 難なく伯爵夫人の向かっていたドアにたどり着き、あける。



「廊下が……」



「どうやら、まだ先は長そうだな」



 部屋の中とは違い、廊下には頼りないがたいまつが灯されていた。廊下は良くともドアが並び、抱き合う男女や薄くあいたドアの向こうから嬌声が聞こえる。

 まぁ、しかし、出ていこうとするジョシュたちをとがめるようなものはいないようだった。単純にジョシュたちが一組のカップルだと思われているからかもしれないが、見張りと思われるものも特に見当たらない。



(媚薬はこのたいまつから香っているのか)



 すんすんとにおいをかぎ、ジョシュはため息をつきそうになった。しかし、これだけではなさそうだ。人々の目が曇っていたのはやはり薬入りの酒のせいだろう。



(酒の効能はなかなかのもののようだな)



違法薬剤を飲んで行う性行為は非常に興奮するものだという。しかし、それで人生を壊すほどの探求心はない。興味本位で飲まなくてよかった。

はやく、こんな空気の悪いとこを出たい。



「こっちだ」



「……失礼しました」



 歩き出すと女は、ジョシュに抱き寄せられるままだった体をそっと離した。

 残念に思いつつも、ジョシュは女に目配せし、再び歩き出す。

 部屋の前を通るたびに、嬌声が聞こえ、女を振り返ればびくりと肩をふるわせている。

 その初な様子にジョシュは思わず声をかける。



「君は結婚相手を捜しにここにきたつもりなんだよな」



「貴方には関係ありません」



「それはそうだが――」



 キッと女はジョシュをにらんだ。

 どうしてこうも冷たい対応をとられるのか。ジョシュが鼻を押さえたまま、視線をさまよわせたそのときだった。



「――だれか――助け――!」



 悲鳴が聞こえた。二人の足が止まる。



「今、声が」



「ここで待ってろ」



 ジョシュは考える前に声の方に走り出した。



「ま、待ちませんよ!私もいきます」



「きてどうする!?」



「出来ることはありますから!」



「……気をつけろよ」



 むしろ、廊下において何か変なことに巻き込まれるよりは一緒にいた方がいいかもしれないと考え直し、ジョシュはついてくる女から視線をはずした。

 それに少し忘れていたが、彼女は魔法使いだ。最悪自分の身くらい自分で守れるだろう。



「こっちか」



 廊下の角を曲がると、何かがぶつかる音が聞こえた。

 ドアに手をかけ、耳を澄ます。



 ――やはりここだ。



 ジョシュは女と目で合図した。そして、ドアを蹴破る。まぁ、例え部屋を間違えたとしても、緑の騎士団に罪は擦り付けようと思いつつ。



「――何をしてる」



「な」



「じゃまするのか」



「た、たすけて!」



 果たして、そこにいたのは仮面をかぶった男三人と、半裸で仮面もはがされた女性だった。

 大きなベッドに押しつけられるように横になった女の泣きそうな顔にジョシュは頭がスッとさえた。



「なるほどな。お互いに了承済みじゃあないようだな」



「き、貴様は誰だ!」



「ここに来た以上はここのルールに従ってもらう、それの何が悪い」



「邪魔をしてどうなるかわかっているのかっ」



 男三人はおびえ腰になりつつも、強気な姿勢を壊さない。邪魔ものが来たとはいえ男1人なら、三人で負けるわけはないとでも思っているのか。

 ジョシュは悩んだ。

 男三人、剣が有れば鞘をつけたままでもぶちのめすのは簡単だ。しかし、ここにくるに当たって剣はダメだといわれ、おいてきてしまった。どうにか、と持ってきたのも腰に隠した短剣くらいだ。

 さすがにいくら強姦魔とはいえ剣も持たない人を殺すのは騎士道に反する。となると、切れ味が持ち味の短剣で相手を殴るというのも効率が悪い。



(家具……は、使い勝手が良さそうなのがないから、ここは素手か)



 みれば男たちは鍛えてもいないようなひょろいくて動きの鈍そうなやつらばかりである。

 素手だけでどうにかなるな。と検討をつけ、では、さっさとすまそう。と思った瞬間だった。



「――邪魔をすれば、どうなるかですって」



「!?」



 ジョシュは後ろから押しのけられた。そのまま部屋に入り込み、自分を押しのけて前にでた女に呆然とする。向かい合う不埒な男たちも首をかしげる。

 女は仁王立ちで流れるような場違いに優美な動きで両手を前に突き出した。

 次の瞬間本能的な恐怖に胸が締め付けられる。空気すら凍るような気配。

 魔法が、世界をゆがませる瞬間の空気はいつも慣れない。



(まじか……!?)



 銀髪の、儚げな美女が、怒髪天だった。

 怒った顔もかわいいな、と現実逃避気味に思った次の瞬間、



「     !」



 精霊と魔法使い以外には聞き取れない高位言語の呪文が響きわたった。



「――そ、れは――やめろ!殺す気か……!」



 戦場で聞いたことがある。

 生きとし生けるもの以外のものを破壊する非常に強力で非常に戦闘では使い勝手がよく非常に役に立つ呪文は、ふつう町中では使うことができない。何故なら、



「きゃああああああ」



「ぎゃああ」



「くずれっ」



「あぶないいい!」



「――バカか!!!!!」



 空気が踊り、破壊音は音高く響いた。余波で風が家具を揺らす。床が波打ち、足下が崩れる。

その感覚の中、どうにか原因の魔法使いを捕まえ、ジョシュは叫んだ。



「ここは三階なんだぞ……!!」



「死にはしません!!」



「いや、死ぬだろうが!!!」



 地形すら破壊する大魔法は市街を確実に破壊し、その修繕費がかさむからである。

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