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その煌めきから目を逸らす

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「どうかわたくしのことはこの城の庭に転がる小石と思って下さいませ。貴方あなた様のお気を引くような事は、私には何一つございませんので」

 仕事を褒めて頂くのはこれで何度目だろう。

 彼はわたしのような何でもないただの小間使いにも、柔らかく微笑みかけ、お言葉を与えて下さる。

 わたしはそのことに深く感動し、しかし自分の立場を弁え謙虚に礼をする。

 毎回それの繰り返しだ。

 彼は困ったように続けた。

「謙虚さは貴女の美徳ですが、小石とは思えません」
  
 それではわたしはどうすれば良いのだ。何の取り柄もないわたしは彼の視界に入ることさえ厚かましいというのに。

「シェラさん、どうか私の目を見てくださいませんか」

 彼に呼ばれた名は、まるでわたしのものではないように尊いものに聞こえた。



 どんよりとした雲が空を覆う。まだ夜の帳は下りていないというのに、陽は遮られ重く薄暗い。

 雨は降りそうで降らない。そんな天気の中、わたしは真白いシーツを取り込んでまわっている。

 何のことはない、わたしのいつもの仕事ルーチンワークのひとつ。
 
 ここエスター城のあらゆる雑務がわたしの仕事だ。洗濯物、料理の配膳、掃除、庭の手入れの手伝い。

 まず新米のわたしが手を付け、どうにもならない時は他の仕事を任されている先輩方の手を借りる。

 先週は庭の花の植え替えを庭師と共に行い、今日のように雨が降りそうな時は急いで洗濯物を取り込んでまわる。

 些細ささいでいて、忙しない。それが城主のローズ様が今のわたしに与えて下さった仕事なのだった。
 
 何とか雨が降る前に、とシーツと衣類を取り込み終える。

 一息つくとふと視界の端に赤い布がたなびくのが見えた。

 城の東にある来客用の数室は、いまルイン様しかお使いになっていない。

 どうやらルイン様の赤いマントが、薄曇りの中干されたままになっているようだ。

 お客様のお世話係にはまだ早いわたしは、ルイン様の洗濯物を取り込むどころかお部屋に伺うことすら許されていない。ルイン様のお世話係はメイド長が務めているはずだ。

 しかし、遠目で見ただけでもわかる高級な布地を、雨風に晒すわけにはいかない。 

 きっとルイン様はおでかけになっているのだろう。

 わたしはルイン様のお部屋に向かう。担当のメイドの方に相談しようとするが誰にも会わずに目的地に着いてしまった。

 きっとルイン様は不在で、ほかのメイドたちも忙しいのだ。わたしがマントを取り込むことくらい、なんてことはない。しかし、いざ扉の前に立つと躊躇ためらわれる。

 わたしのようなものがルイン様のお使いになられるお部屋に入ってしまって良いのか――。

 この場にいることが急に出過ぎたことのように思え、ノックをしようとした手を止める。

 やはり、だめだ――。

 恐らく、本当に、洗濯物を取り込む程度のことはルイン様は快くお許しになられる。

 しかしそれではいけないのだ。

 わたしは身分の低い小間使いであることを理由に、勇気を出せない自分を肯定した。

 そそくさとその場を去ろうとした時、
 
  
「シェラさん?」


 背後から掛けられた声に、思わずびくりと肩が跳ねる。わたしがこの声を聞き間違えるわけがない。ゆっくりと振り返ると、その藍色に煌めく目を丸くしたルイン様のお姿があった。


「どうされたのですか。私に何かご用でしょうか?」

「……いえ、あの。洗濯物、が」

「ああ、マントを干していますね。もしかして雨を気にしてくださいましたか」


 ルイン様はいつも誰にでも丁寧な言葉で話される。

 遠い国から国客として呼ばれ、城主のローズ様と対等に話すことができる魔法騎士であるというのに、身分の上下を感じさせない物腰の柔らかさで接してくださる。

 濡れたような漆黒の髪に、深い慈愛を含んだ瞳はいかにも高位の存在であることを思わせる。彼は誰からにも好かれていた。

 もちろんわたしも例外ではない。


「わざわざ有難うございます。お忙しいでしょうに、端の部屋にまで来ていただいて」

「いえ、そんなことは……」

 思えば魔法騎士であるルイン様には、雨が降らないことが分かっていたのかもしれない。やはり余計なことだったかと自分の行動を悔い、ルイン様の肩のあたりに視線を彷徨わせる。

 わたしはルイン様の美しい瞳を見れなかった。

 遠くからなら何度も見つめたその瞳が、わたしを見るともうだめなのだ。

 すべてを見透かされているのかもしれない。

 わたしのこの、許されない想いも。

「貴女は些細なことにも気が回るのですね」

「それが私の仕事です」

「ええ、そうですね。……ところで、もうすぐ雨が降るようです」

「お時間をとらせてしまい失礼いたしました」

 わたしは深々と礼をし、踵を返す。

 高鳴る胸を押さえ、早足でその場を去る。せっかく、ルイン様がお声をかけて下さったのに。

 暗く空を覆い隠す雲はわたしの心情を表しているようだった。

 結局、マントをそのままにしてしまった。ルイン様が自ら取り込まれるかもしれない。彼の手を煩わせることになってしまった。

 わたしは本当にだめな人間。

 急に窓を叩きはじめる水の粒。
 ルイン様の言うとおり、強い雨が始まった。
  
 泣きたいのはこちらの方だわ。
  
 気の重くなる激しい雨はしばらく続いた。

 翌朝。日の登らない内に起き、城内の様々な朝の支度をするのもわたしの仕事だ。

 しかし昨日から続く雨は、その仕事をそれとなく妨害してくる。

 窓を開けて空気の入れ替えをするのにも、雨粒が吹き込まないようにしなければならない。
  
 しばらく仕事をしているとザワザワと風が強く騒がしくなってくる。

 もしかしたらこのまま嵐になるのかもしれない。
  
 わたしは簡単なローブを被り、雨の降る中庭に出た。

 そこにはローズ様の好まれる花々が植えられている。 

 普段なら勝手に手を出すことは庭師に止められているのだが、嵐が来るとなると話は別だ。

 雨風から花を守るために、硬い布で花壇を覆う。

 布の端の一方を留め、ぐるりと花壇の縁をまわり、反対側も同じように留める。

 花壇の数だけそれを繰り返し、終わる頃にはローブから水が染み込みスカートから雫が滴っていた。
 
 朝のうちに気が付いて良かった、これでローズ様の花はなんとか守れるだろう。
 
 わたしは冷え切った手を擦り合わせ、城内に戻ろうとした時だった。


「シェラさん!?」


 目を向けた先にはローブも着ずに雨の中を駆けてくるルイン様のお姿があった。


「やはり貴女でしたか、こんなに濡れて」

「ルイン様、何故こちらへ」

 わたしはずぶ濡れの姿を見られたことが恥ずかしくなり思わず俯いてしまう。

 わたしと違ってルイン様は雨の中を駆けてもちっとも濡れていない。

 ルイン様の肩を見ると、雨粒がそこに落ちる前にするりと避けていく。

 どうやら濡れない魔法がかかっているらしい。
 
 ルイン様は赤いマントを広げ、事もあろうにわたしの濡れた体をそこに収めようとした。

「ルイン様おやめください、濡れてしまいます!」

「私は濡れないようになっているんです。それより貴女が、」

「私はもう戻るだけですからどうかお気遣いなく」

「そういう訳にはいきません」

 ぴしゃりと言い切られわたしは言葉を失った。これ以上拒否するのはむしろ失礼にあたる。

 わたしは恐る恐る体を縮こませ、ルイン様のマントの下に入った。

「申し訳ありません、魔導書グリモアがあれば貴女自身を濡れぬようにできるのですが、部屋に置いてきてしまいました」

「謝らないでください。魔力を使ってまでそうして頂いたら、私は困ってしまいます」

 なぜこの方はわたしにまで優しくして下さるのだろう。何度も考えるが分からない。

 これまでで一番近い距離に呼吸すら止まってしまう。

 自分の心音と雨音だけに意識を集中させようとぎゅっと目を瞑ると、ふと思い出が蘇る。

 そういえば、以前もっと近くなったことがあったんだ。

「シェラさん、私たちが初めて会った日のことを覚えていますか」

 わたしはルイン様のその言葉に目を見開いた。

 まさに今、その時のことを思い出したからだ。

「あの日も雨が降っていました」

「ええ、もちろん覚えております。大変お世話になりましたから……」

 もしかしたらその時も、ルイン様は濡れない魔法を使っていたのかもしれない。

 あの時は必死すぎて、細かいことをよく覚えていないのだ。

 勿体無いことをしたと常々思う。

 城内に着き急いでマントから出るわたしを、藍色の瞳が追う。

「あの日から私は貴女のことを尊敬しています」

 いきなり何を言い出すのか。魔法を学ぶ者の中でもほんの一握りしか名乗ることを許されない魔法騎士のおひとりが、こんなどこにでもいる小娘を尊敬しているなどと。
 
 わたしは相変わらずその目を見れないまま、伏し目で礼をする。

「私など、何もできません。私の方こそ貴方様を尊敬しております」

「何もできないなどというものではありませんよ。貴女はこんなに仕事に身を尽くしている」

「ですが、魔法を使える方から見たら、至極簡単なお仕事です。……魔法が使えたら、便利なのでしょうね」

「魔法に興味がありますか?」

 ルイン様のそのお言葉に思わず顔を上げる。それを肯定ととったのか、ルイン様は真面目な表情をされる。

「私でよければ教えます。貴女の都合の良い時に私を訪ねて下さい。仕事終わりでも、休日でも構いません。どんな魔法に興味がありますか」

 あまりにも急な話にわたしは思わず口元に手をやり息を飲む。

「そんな! いえ、ルイン様のお手を煩わせるわけには」

「私がしたいのです。来て下さい。貴女を待っていますね」

 そう言って去って行く背を、わたしは呆然と見送ることしかできなかった。




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