暗闇の家

因幡雄介

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 妻と娘とすごす日々はとても充実していた。

 ペットは一生世話をしなければならないが、人間は成長して自立していく。

 それが妻と子にもあらわれてきた。

 言葉をおぼえ、複雑な動作ができるようになり、太陽を嫌がらなくなった。

 髪を自分で切る、川で体を洗うこともできる。

 娘の腕ははえて、すっかり普通の女の子だ。

 妻にいたっては、脳みそと頭蓋骨と筋肉と皮膚が再生し、生前の顔に戻っていた。目玉の再生はうまくいっておらず、黒い瞳が白くにごってしまっているが。

 家族との生活が元に戻っていくのがうれしい。

 私は車を走らせ、大型ショッピングセンターに向かっていた。

 必需品を買うためだ。

 いつか家族と買い物にでもいこう。

 家電製品を売っているテナントを通りすぎようとしたとき、ニュースが流れた。

 女子大生がこの付近で行方不明になっていると、アナウンサーが言っている。

 気になったので、液晶テレビを見ていると、警察は携帯電話があった場所を探しているようだ。

 私が彼女から奪ったやつだ。

 スマートフォンはていねいにアルコール消毒し、家からかなり遠い所に捨てておいた。

 わざと人に見つかるようにもしておいた。

 海側の端にある、私たちの家を訪ねてこないように。

 スマホを見つけた一般人、女子大生の両親、友達とインタビュー映像が映っていく。

 死体は見つからないよ。

 私たちがおいしくいただいたのだから。

 骨は砕いて魚の餌だ。

 作業は地下空洞でやったから、彼女は誰にも見つからず、ひっそりと……。

 ――そういえば。

 もうすべて燃やしてしまったのだが、彼女のリュックサックには、妙な物があった。

 聖書だ。

 あれは、どこかで、見たことがあるような……。

 頭痛がしてきた。

 考えるのはよそう。

 すべて、終わったことだ。

 私は口笛を吹きながら、車に乗って家に帰った。

 娘が、腕が生えて稼働力が上がったせいで、興奮して庭でほえている。

 私を見るとかけよってきて、

「ぱーぱー」

「こらこら。そんなにはしゃいだら、せっかく治った腕がもげるぞ」

 私は買い物袋を掲げながら笑う。

 どうせ家には誰も来ない。

 地元の人間や不動産屋でさえ。

 もし人間がきたら、娘が捕まえ、妻が料理するだけだ。

 私は娘の頭をなでると、家の中に入った。

 妻は鍋料理をしていた。

 金属製の鍋から、何かの手足が見える。

 野良犬か、猫を、切り刻んで突っ込んだか。

 肉の焦げた良い匂いが充満していた。

「火を消し忘れるなよ」

「あーいー」

 私が一応注意しておくと、妻は手を振って応えてくれた。

 机に買い物袋を置き、コーヒーでも作ろうとガスコンロに火を入れる。

 沸騰した水を、コーヒーの粉が入ったコップに入れた。

 香ばしい匂い。

 香りを楽しむために、動物臭い一階から逃れて、二階へと上がる。

 天窓のある部屋に入り、苦さを味わっていると、海洋生物が描かれた壁紙がはがれていた。

 元に戻そうと手をかけたとき、黒い文字を見つける。

 気になり壁紙をはがしてみた。

『すべてうそだった だまされるな 死者の書を持ち いあ いあ くとぅるふと唱えよ 真実が見える』

 汚く、乱暴な字。

 慌てて書いたのか?

 前に住んでいた住民の字か?

 くとぅるふ?

 私は少し迷ったものの、一階へと歩み出す。

 家族が再生されつつあるため、心によゆうができたのだと思う。

 暖炉に置いてある、死者の書を手に取った。

 ついでに暖炉の中に捨てた聖書も掘り出してみた。

 死者の書と、聖書を比較しようと思ったからだ。

 ほぼ燃えてしまっている聖書を開いたとき、違和感がした。

 外国語だし、文字は何を書いているのかわからない。

 ただ、挿絵だけはわかった。

 絵は清廉潔白な天使たちではなかった。

 海洋生物を模した『怪物』だ。

 異様な触手、二本足で立つ魚人、太いハサミを持つ巨大なカニ。

 日本の妖怪とは違った、生々しい化け物たち。

 ページをめくればめくるほど、燃えて完全な形ではないが、気味悪さがただよってくる。

 ――あの女子大生が持っていた聖書……。

 そうだ。

 これだ。

 この『怪物の書』だ。

 あれは聖書じゃない。

 聖書を偽造したものだ。

 私は吐き気がして、頭を手で押さえた。

 死者の書を手に取る。

 この頭痛から解放されたくて、

「いあ いあ くとぅるふ」

 つい唱えてしまった。

 全身に威圧感。

 ――なんだ?

 自分の体に突き刺さる感情。

 喜び?

 愛?

 怒り?

 悲しみ?

 違う。

 これは恐怖だ。

 嫌な予感がする。

 私は妻と子がいる台所に向かう。

 音がする。

 何か食べているのか?

 台所の前で、私はあぜんとして立ち尽くした。

 二つの何かが、イスに座って、食卓にある真っ黒いモノを食べている。

「ぱーぱー」

「あーなーたー」

 二つの何かが、何かを言った。

 ――あれは、なんだ?

 私は動揺し、後ろに一歩引き下がった。

 見たこともない生き物だ。

「どーしーたー」

「どーしーたー」

 二つのそれがイスから立ち上がった。

 私は顔を引きつらせ、その場から逃げ出す。

 階段を駆け上がり、二階の部屋のドアを閉めた。

 しまった。

 外に出ればよかった。

 パニックを起こして、逃げ場のない所に隠れてしまった。

 ドアの鍵を閉めて、何が起こっているのか、冷静に考える。

「ぱーあー」

「あーあーたー」

 二つの何かがドアを手でたたいている。

 不規則に、粘液を飛び散らせながら。

 私が冷静さを失うと、壁がざわめき始めた。

 地下の壁を走り回っていたネズミだ。

 なぜ二階まで上がってきたんだ。

 うるさい。やめてくれ。

 私はドアのそばで座り込む。

 ――……?

 音がやむ。

 ドアをたたく音も、壁の中を走る大量のネズミも。

『ありがとう ありがとう 人間よ』

 何かが私の頭の中で話しかけてくる。

 男なのか、女なのかわからない、中性的な産声。

 私の心がざわめく。

『くとぅるふ われを生み出した創造の神 われらは人間と時間を共有しない もしその名を口にしなかったら 死者の書を通じてわれの耳に届かなければ 永遠の眠りに落ちるところであった われは今こそ役目を果たそう お礼を言う 人間よ そして お別れの時だ』

 悲しげな口調で、それは言った。
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