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雪の季節【その3】 《現代怪談》

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 一カ月たった。


 雪江に、小さな赤ちゃんが誕生していた。

 清潔な布にくるまれ、腕のなかでスヤスヤと眠っている。

 身長は四十八センチ、体重は四キログラム。性別は女の子。


 名前は雪江の『雪』という字を取って、小雪と名付けた。

 家族が増えるので、3LDKのマンションを引っ越そうかと考える。

 気の強い母が、「ウチにきなさいよ」と誘ってくれるのも考慮に入れている。


 若妻は、夫の両親との同居を嫌がるようだが、雪江と母は仲が良い。

 両親がいないから、他人の母親との関係にあつれきを感じないのだろう。

 母親がふたりになったようで気を使う。


 小春は小学校だ。冬休みは終わっていた。


 ベランダに通じる窓から、灰色の雲をながめていた。

 今年の一月は異常に寒い。

 四階から外をながめると、白い雪がわが物顔で降り積もっている。


「赤ちゃん、暖かい」


 雪江は抱いている小雪の寝顔に、優しい笑顔を向けた。

 付き合っていた頃の無邪気な態度は息を潜め、おとなしい母親になっている。


「寒いな。雪が降ってる」


 息を吐いただけで、窓の表面が曇った。

 子供の頃、これに絵を描いて遊んでいたのを思い出す。


「暖房強くしようか?」


 雪江は首を横に振り、


「ううん。いい。これぐらいがちょうどいいから」

「そうか」


 とめどなく降り続ける雪をながめていると、あのできごとがよみがえってきた。

 現実ではあり得ないような、昔読んだ童話に似た奇妙な物語。



「雪江」

「んー?」




「雪が降る日にさ、俺、妙な経験したんだ」



 雪が妖精のように踊ると、窓に当たってくる。警告を発しているように思えた。





「どんな経験?」





 しばらく間をおいて、雪江が話の内容を聞いてくる。





「あれは、こんな雪が降る日だった――」





 二年前、小春とスキー教室に、上司の付き合いで行った日。

 ふたりはコースを外れて、雪山で迷ってしまったこと。

 奇妙な山小屋を見つけたが、暖房器具がまったくなく、絶望してしまったこと。

 死にかけたとき、雪女に出会い、助けられたこと。

 救助隊がやってきて、無事保護されたこと。

 山小屋は誰が建てたのかわからず放置されていたこと。

 免許証の入った財布を落としてしまい見つからなかったこと。


 にどとあの山には行かないと誓ったこと。


 全部話し終えた。沈黙が続く。





「どうしてそんな話を、私に?」





 雪江が静かに口を開いた。





「君が俺たちの家族だからだ。小春もなついてくれた。話しておきたかった」





 悪気はなかった。

 雪女との約束も覚えている。

 秘密を話して、雪江との絆を深めたかった。


 ふたりでやっていくのだから。





「悲しいわ。春永」





 雪江から出た、予想外の言葉。

 肩に、白雪がすっと降ってきた。窓はきちんと閉めているはずだ。





「えっ?」





 着物姿の女が立っていた。

 白地の着物に、薄い紫の帯。

 格好を忘れたくとも、脳に刻まれている。

 女の白い髪が、風もないのに、フワリと浮かび上がった。





「雪江?」





 目を見張った。


 唐突なできごとに、脳の思考回路が働かない。

 妻の黒い髪が白い髪へ、小麦色の肌が白い肌へ、黒い瞳が獣のような赤へ。

 間違いなく雪江だった。





「しゃべってはいけないと言ったのに。約束を破りましたね」





 心臓を凍えさせるような、冷たく、感情のない声。

 現実感がなく、ぼうぜんとしていた。

 赤ん坊は、床の上に寝かされていた。


 雪江は白い手をのばす。

 頬の皮膚にふれた。

 ぞっとするような、冷ややかな体温。


 蛇ににらまれたカエルのように、逃げることはできない。





「しょうがない人」





 クスクスと、雪女が笑う。花が咲いたような笑顔は、間違いなく雪江だった。

 意識が元に戻る。





「雪女のおきて。秘密をしゃべった者は、必ず殺さなくてはならない。だけど私はあなたのことを愛してしまった。殺せない」





 雪江は手を離すと後ろを向いた。おなかを痛めて産んだ赤子がいる。





「私は家族というものを知らなかった。雪女は雪の精。子供を産み、育てるという行為を知らない。初めて自分の子供を見た」





 雪江は小雪に近づき腰を下ろした。純粋な寝顔。紫の唇が優しくほほ笑み、





「子供ってかわいいね」





 冷たくなった体温でふれるのは嫌なのか、雪江はながめるだけだった。

 背中を抱きしめる。彼女の体は氷そのものだったがどうでもよかった。





「行かないでくれ! ひとりにしないでくれ!」





 知っている。

 正体を明かした雪女がどうなったか。

 童話でなんども聞かされ、なんどもテレビで物語を見た。


 雪江は腕に手を置いた。春の息吹のように暖かかった。





「子供に毛布をかけてあげてくださいな。凍えてしまいます。暖かく、してあげてね」





 声が消えた。

 氷のような、冷たさも消えた。

 愛する人の気配も、いなくなっていた。





「雪江?」





 春永の腕のなかには、何もなかった。

 フローリングの床には、大きな水たまりができている。



 溶けてしまった雪江なのか、自分の涙なのか、わからなくなっていた。
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