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雪の季節【その1】 《現代怪談》

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 真っ白な雪が降る山を、雪女は登っていた。


 服装は白地の着物だ。

 薄い紫の帯を胴部に巻きつけ、白足袋に草履で、柔らかな雪の道をシャナリシャナリと歩く。

 目指しているのは山小屋だ。


「ん?」


 丸太で建てられた濃茶色の小屋が見えてきたとき、なかに気配を感じた。

 いる。獲物が。

 ペロリと唇をなめる。ごちそうに、喉が鳴る。


 興奮を抑え、小屋の前に立ち、扉を開ける。

 暖かそうだが十畳ほどの広さしかなく、暖房など何もない。

 獲物の絶望する姿を想像するだけでも、体が大きく震える。


「誰だ?」


 しゃがれた声が響いてくる。

 男がひとりなかにいた。

 丸太の壁に背を当て、両足を前に投げ出し、うつむいて座っている。

 弱っているようだ。


 赤のスキーウエアに、ニット帽をかぶっている。

 まだ新しい。

 スキーブーツをはいている所から、おおかた慣れない雪山でスキーをしていて、コースから外れたのだと予想できる。


 男に近づき、口の両端が切れるぐらいニヤリと笑ってみせ、


「誰でもいい。お前たち人間は、私たちを妖怪と呼ぶし、化け物とも呼ぶ。雪女、とでも言っておこうか」


 正体を明かした。

 死ぬまで、たっぷりと精気を奪うからだ。

 ずっとそうしてきたし、これからも同じ行為が続くだろう。


「妖怪? ……ははっ、妖怪か」


 体力がないくせに、男は笑っていた。


 パターンは二つ。

 冗談だと思ってひきつった笑みを浮かべるか、幻だと思ってポカンとするか。

 現在社会に、妖怪がいるとは信じられていない。

 恐怖を感じさせることができるのは、殺す間際が多かった。


 今度のパターンは過去に例がない。警戒する。


「なぜ笑う?」

「妖怪なら、ちょうどいい。それにすら、すがりたい」


 男は顔すら上げられず、口だけが開き、



「頼む。娘を助けてくれ」

「娘?」



 初めて気づいた。

 男のとなりには、少女がいる。

 大人の陰に隠れていて、見えなかった。


 少女は小さなスキーウエアを着ていた。

 六歳か、七歳ぐらいだろう。

 気絶したように、眠っている。

 顔に生気は、すでにない。



「頼む」



 男は正座し、凍えた腰を無理やり折ると、額を床につけた。

 土下座。

 死にたくないと悲鳴を上げることはあっても、救ってくれと頼まれたのは初めての経験だ。


 動揺する。



「この子を助けてくれるのなら、俺の命をくれてやる。好きにすればいい。娘を、助けてくれ」



 命を捨てる覚悟なのだろう。


 男を見下ろす。

 小さな少女のほうにも視線をやった。



「娘はかわいいか?」

「そうだ」

「この娘のために、命を捨てるか?」

「そうだ」



 男は断言した。

 親が子を守ろうとする姿に感銘を受ける。同情が生まれた。

 腰を下ろし、男と少女の頬に手を添える。



「何を?」



 象牙のような手を見て、男がつぶやく。



「いちどだけだ」

「えっ?」

「いちどだけ助けてやる。ここには来るな。このことは誰にも言うな。約束できるか?」

「ああ、約束する」

「いいだろう」



 山小屋の出口に向かう。ドアを開け、出て行く瞬間ほほ笑んでしまい、



「かわいいな。お前の娘は」



 なぜ、そんなことをしゃべったのかわからなかった。



「死んだ妻も、そう言っていた」



 男は口を緩めていた。
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