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最終章 崩壊都市

シオンと外へ

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 缶詰の中身は、肉や野菜、果物が入っており、かなりの高級食材だった。

 金属製の容器には、製造年月日と、食品の名前が印字されている。

 缶詰なので食品の保存がよく、一口食べてみると、味が舌で広がった。

「なかなかいけるね。この缶詰」

「ああ。いいもの食べてるな」

「あっ……」

 おいしい食べ物を食べて、気持ちが落ち着いてきたのか、アゲハの目から涙がこぼれた。

 カンタロウは驚き、

「泣いているのか?」

「安心したら、涙でてきちゃった」

 アゲハは指で涙を拭う。

「ほんの数時間前も、たっぷり泣いていたしな」

 鉄人との戦闘で、アゲハはカンタロウのために大泣きしていた。

 カンタロウはしっかりと覚えている。そのおかげで、最大限の力を発揮することができた。

 アゲハは耳たぶまで、真っ赤になり、

「あっ、あれを見てたの? あれはちょっと感情が高ぶってつい……って、うわっ!」

 アゲハが小さく悲鳴を上げた。

 カンタロウは、アゲハ以上に、号泣していて、

「どうした?」

「いや、どうしたじゃないよ。引くぐらい泣いてるんですけどっ! お前がどうしたっ!」

「これを食べていると――母の料理が、恋しい」

「ああ、ホームシックね。しょうがないなぁ」

「笑いたければ、笑うがいい」

 カンタロウは手で口を押さえ、しくしくと母を思い出し泣きしている。

 さっきまで、殺し合いをしていた人物とは思えない。

 アゲハはそれを見て、妙な安心感を感じ、

「いや、笑わないよ。別にもう慣れたし」

 小さく笑うと、シオンの方を見てみる。

 シオンは、開けた缶詰に手をだしていなかった。

 アゲハは首をかしげ、

「シオン、食べないの?」


「お姉ちゃんは、お腹すいてないの。みんなビネビネにあげてるの」


 シオンはカンタロウたちに開けてもらった缶詰を、ビネビネに渡している。

 ビネビネは遠慮なく、缶詰の中身を頬張る。

 シオンは幸せそうに、それを眺めていた。


 ――えっ?


 アゲハは、何も食べないシオンのことが心配になる。

 カンタロウも、食べていた缶詰を置いた。

 アゲハは真剣な表情になり、



「ねえシオン――いつから食べてないの?」



「う~んとね。いつだったっけな? いつかは思い出せないけど。この形のものは食べてないよ」

 シオンの言うことから、アゲハは想像するに、合成獣化してから、何も食べていないのだろう。


 ――それって、もう数ヶ月前から……。


 アゲハの言葉がつまった。

「シオン。いつも何を食べてるんだ?」

 カンタロウが代わりに、シオンに質問する。

「お姉ちゃんはね、別に食べなくていいの。それにこの形のものは、食べれないの。だからいらない」

 シオンは首を横に振り、また缶詰をビネビネに渡した。

 缶詰の中身は腐っておらず、食物の独特の匂いもする。

 現に、動物のビネビネは差しだされた缶詰を、遠慮なく食べているので、新鮮であることは間違いない。


「カンタロウ君……」

「……ああ」


 アゲハとカンタロウは、何も言えなくなった。

 アゲハは缶詰を地面に置くと、シオンの後ろに回った。

 シオンの背中についている、骨の翼のことが気になったからだ。

 鳥や蛇、魚や動物の骨が重なっているので、それは近くで見ると、意外に複雑な形をしていた。

「ねえシオン。この骨。とれないの?」

「とれない。だから寝るとき、うつ伏せに寝ないといけないの」

「ちょっとごめんね」

 アゲハはシオンの翼の骨を、少しいじってみた。


「痛い! 痛いよぉ!」


 シオンは、突然泣き叫び始めた。

 アゲハは慌てて、ぱっと手を離し、

「ああっ、ごめんごめん。ごめんね。お姉たんが悪かった。よしよし」

「ううっ、ぐすっ」

 アゲハは本気で痛がっているシオンの頭をなで、一生懸命慰めた。

「ああ、痛かったねぇ、ごめんね、シオン。だから神獣とか、呼ばないでね」

 シオンが泣きやむと、アゲハはカンタロウの方をむいた。その表情は、困惑している。

「駄目だ。身体と完全に融合してて、痛覚まであるみたい」

「やっかいだな……」

 カンタロウは腕を組んで、考え込んだ。

「ねえ、お姉たん」

「うん? なあに?」



「シオンて――どんな形してるの?」



 シオンは小さく首を傾げた。

 アゲハの表情が固くなる。

 カンタロウも、息をつまらせた。

「……シオンは、あなたのお名前だよ?」


「ううん。違うよ。お姉ちゃんは、お姉ちゃんだよ。シオンって、形じゃないよ」


 アゲハの言葉に、ぶんぶん頭を横に振るシオン。

 幼女らしく、可愛い表現方法が、恐ろしい現実を突きつめてくる。

 隣でビネビネが、真っ赤な目をして、「ニャー」と鳴いた。

 ――自分の名前を、忘れてるのか?

 カンタロウは混乱して、まともな答えがでてこない。

 ――この子、知的障害がでてるんだ。

 カンタロウに比べ、アゲハは冷静だった。冷静だけに、絶望感が早くから、胸の奥を支配していく。

「……そういえば、マリアを見ても、何の反応もしなかったな」

 カンタロウは思い出す。

 その答えはたった一つ。


 マリアのことを、自分の姉だと認識していないのだ。


 シオンの頭の中で、家族は別の異物へと変化しているのである。

「……カンタロウ君」

「…………」

「ねえ、カンタロウ君」

「あっ、ああ。どうした?」

 アゲハの声がようやく聞こえ、カンタロウは振りむいた。

 ぎょっと驚く。

 アゲハの表情は、今にも泣きそうな顔になっていて、


「――どうしよぉ?」


 碧い瞳に、涙が溜まっている。

 顔が悲しげに歪んだ。

 シオンのことを思いあまり、感情が押さえられなくなっているのだ。

 カンタロウはアゲハのために、必死で何かないか考えた。そして、一つの答えにたどり着き、


「そうだ。ユアンなら治せるかもしれない」

「ユアンって、あの魔帝国のお医者さん?」


 ユアンは、ヒナゲシの目の担当医をしている、魔帝国の医者だ。

 前髪をオールバックにし、眼鏡をかけた精悍な顔つきが思い浮かぶ。

 腕はいいのか、スズやヒナゲシからかなり信用されている。

 カンタロウはアゲハを慰めようと必死で頭を働かせ、

「ああ。俺の敵で、金にうるさい奴だが、腕は確かだ。あいつなら、何とかしてくれるかもしれない」

「ほんと?」

 アゲハは目に溜まった、涙を指で拭う。

「大丈夫だ。金さえ積めば、なんでもするからな」

「でも、カンタロウ君。お金あるの?」

 カンタロウの言葉がでなくなった。視線を地面に落とし、

「……ない」

「じゃあ……」

「借金する。何、シオンの治療代ぐらい、すぐに稼げる。俺に任せろ」

 カンタロウが笑って、胸を叩いた。

 口角は微妙に引きつっている。

 目も泳いでしまっている。

 無理して笑っているのが、丸わかりだ。

 アゲハはその態度の意味を、すぐに察し、

「もう、それしか方法はないか……わかった。私もお金をだしてやる。もしカンタロウ君が駄目になっても、義父から借りるよ」

 義父からお金を借りるには、いろいろとめんどうな手続きがある。

 カンタロウ一人ではなく、自分も責任を背負っていく覚悟を、アゲハは決めた。

 二人で何かを行うことに、少しだけ喜びを感じていた。

「……すまん」

 小さく頭を下げるカンタロウ。

「いいよ。私に任せろ。よしっ! そうと決まったら、急いで帰るぞ!」

 アゲハは悲しみから一転、明るくなっていき、声を張り上げた。

「ねえ。シオ……じゃなかった。お姉ちゃん。今からここをでるけど、いい?」

「えっ? お外にでるの?」

「うん」

 シオンは微妙だが、アゲハから目をそらした。乗り気ではないようだ。

「嫌?」

「ううん。違うの。お外、怖いの。剣を持ったお兄たん達が、お姉ちゃんやビネビネにひどいことするの。泣いて謝っても、許してくれないの」

 シオンの言うお兄たん達とは、マリアの上司が雇った傭兵達のことだ。

 シオンによってパンドラック・ミクスをかけられ、狂人化し、カンタロウ達を襲った武装集団である。

 カンタロウとアゲハはそのことを思い出し、彼等がシオンを見て、『何を』したのか、嫌な想像が浮かんだ。


「お姉ちゃん、いっぱい謝ったんだよ? ごめんなさい、ごめんなさいって。でも、お兄たん達笑って……」


「もういい!」


 カンタロウはつい悲鳴のような、声を上げてしまった。

 シオンはビクリと震え、後ろに下がってしまう。

「カンタロウ君……」

 アゲハに名前を呼ばれ、カンタロウの頭が冷えていく。

「あっ、ああ。悪かった。シオン……じゃなかったな。お姉ちゃんか。俺達と外にでよう? 何、大丈夫だ。お前を泣かそうとする奴は、このお兄たんがやっつけてやる。絶対にお前を守る。だから、大丈夫だ」

 カンタロウは腰を下ろし、シオンの目を真っ直ぐ見た。その瞳に、偽りはなかった。

 シオンの今の状況が、幼少期の自分と重なり、つい頭に血が上ってしまったようだ。守るという言葉に、嘘など一つもなかった。

 シオンは顔を上げると、黒い瞳を純粋な瞳で見つめ、

「……ほんと?」

「ああ。俺に任せろ」

 カンタロウは白い歯をだして、明るく笑った。

 優し気な表情を、アゲハは久しぶりに見た気がした。自分自身の決意も、強固なものとなっていく。

 二人でならやれると、信じられるようになった。

「うん。まあマザコンのお兄たんは頼りないかもしれないけど、このお姉たんがいるから大丈夫だ。大船に乗ったつもりでいろ」

 ドンと、自分の胸を叩くアゲハ。

「親思いのお兄たんだ。このちっこいのよりかは、俺の方が役に立つ」

「誰がちっこいのだ。失礼な。こう見えても、私は人としての器は大きいんだ」

「胸は小さいのにか?」

 カンタロウはさりげなく、嫌味をつぶやいた。

「おらっ!」

「ぐわっ!」

 アゲハはカンタロウに脇腹パンチで報復する。

「おっ、お前……器が大きいんじゃ、なかったのか?」

 脇腹に手をやり、カンタロウは座り込んだ。

「大きいよ――剣で刺さず、手で君を殴ったことが」

 アゲハは拳を握りしめ、地面にひれ伏したカンタロウを、異様な笑顔で見下ろした。

 シオンは、クスクスと笑いだし、

「お兄たんも、お姉たんも、仲いいね。お父さんとお母さんみたい」

 アゲハとカンタロウは顔を見合わせ、

「お父さんと、お母さんか。ふふっ」

「そうだな。父と母は、こんな感じなのかもな」

 アゲハは、親がそもそもいないため、具体的な想像はできなかったが、この状況は嫌いではなかった。

 カンタロウは昔、父と母が一緒にいた頃を思い出し、懐かしい感じになる。



「わかった。お姉ちゃん。お外にでる」



 シオンは外にでる決断をした。

 二人は自分に危害を加えないと信頼したようだ。

 案外楽しみなのか、わくわくしている。

 カンタロウは刀を持ち、

「よし。それじゃ、行くか?」

「待って。ビネビネも連れて行きたい」

「いいぞ。一緒に行こう。俺達は家族だもんな」

「うん」

 シオンはビネビネに、自分についてくるよう話した。

 ビネビネは言葉がわかったのか、「ニャ」と一声鳴く。

 カンタロウは不思議な猫だなと、二人のやりとりを見て思った。


 ――家族……か。


 アゲハの気分はとても良かった。

 家族がどんなものなのか、意味はまったくわからない。

 カンタロウとシオンが自分と一緒にいるのは、心地が良い。

「あっ、でもカンタロウ君。ユアンって人? 魔帝国に帰ったんじゃないの?」

「いや、まだ帰ってないはずだ。剣帝国のグランデルで、母さんの父親に会って、お金をもらった後、遊んで帰るからな」

「そっか。後、旅の途中、シオンとの寝床はどうしよ?」

「町へはアゲハが行ってくれ。俺はシオンと、町の外で待ってる。野宿でもするさ」

「それなら、私も一緒にいるよ。買い物するときだけ、町へ行くから。それでいいでしょ?」

「まあ、アゲハがそうしたいのなら、それでいいよ」

「うん」

 アゲハとカンタロウがうなずき合う。

 今後の段取りも決まり、いよいよ外にむかうときがやってきた。

「決まりっと。あっ、そだ。お姉ちゃんのその服。汚いから、新しいの買ってあげる」

 アゲハは善意で言ったつもりだったが、シオンは首を横に振った。


「ううん。いい。この服は――お姉ちゃんのお姉ちゃんが作ってくれたの。だから着てる」


 白いワンピースは、マリアがシオンのために作ったものだった。

 泥や土で汚れ、端も切れているが、シオンは大切に着ていたようだ。

 アゲハはそれを聞くと、微妙な顔つきになった。


 ――お姉ちゃんのお姉ちゃん……マリアのことか……。


 カンタロウの顔つきも沈んだ。

 ゴーストエコーズとなった妹を、殺そうとしたマリア。

 だが、それは姉が妹に対する、愛情ゆえの行動かもしれない。そう思うと、カンタロウは悲しくなり、表情が暗くなる。

「そっか。わかった。大事にしようね」

 アゲハはそう言いつつも、服の洗濯だけはしようと思った。

「うん!」

 シオンは大きくうなずいた。

 出口に向かうアゲハが手を挙げ、

「何ボサッとしてるの? 行くよ。カンタロウ君」

「……ああ。行こう」

 カンタロウは過去よりも前に進む決断をし、暗い表情をやめ、顔を引き締めた。

 地下通路を歩いている途中、シオンがアゲハとカンタロウの手を握ってきた。

 小さな温かい手が、大きな手に包み込まれるように、つかまってくる。

 ビネビネは、三人の後ろをついてきていた。


「お姉たんとお兄たんの手、温かい」


 シオンは楽しそうにスキップしている。どこか遊技場に連れていかれる子供のようだ。

「そっかそっか。へへぇ」

 アゲハの表情は、ゆるゆるだった。

「どうした? 何笑ってるんだ?」

「何かいいねぇ。こういうの」

 アゲハにそう言われ、カンタロウは、父と母に手を繋がれ、歩いていた頃のことを、鮮明に回想し、


「――そうだな」


 幸せだった日々は終わった。

 される側だった自分が、いつの間にか、してあげる立場になっている。苦痛ではなく、新しい楽しさ。

「お兄たんとお姉たんと一緒、一緒、楽しいなぁ」

 シオンは小さくジャンプして、二人にもたれかかった。腕に、シオンの体重がかかる。

 アゲハは少しだけ、よろめき、

「わっと。こら。お姉ちゃん、引っ張らないの」

「ははっ、はしゃぎすぎて転ぶなよ」

 アゲハとカンタロウは、はしゃいでいるシオンを受け止めながら、通路の出口へとむかっていった。





 地下通路の階段を上り、しばらく廊下を歩いていると、出入り口の扉がある部屋についた。

 通路の入り口は、緑のコケや植物で覆われており、鉄の扉は茶色く錆びついている。

 カンタロウが力任せに引っ張ると、扉が開いた。

 部屋は物置として利用していたのか、シャベルや鍬などの農具が置かれてあった。

 三人が外にでると、雨がポツポツと降っていた。

 カンタロウの結界切りにより、吸収式神脈装置が自動停止しているのだ。

 神脈結界は消失している。

「うわっ、雨まだ降ってるね」

 アゲハが空を見上げると、ちぎれ雲となっており、太陽が薄く見える。

 雨量も激しくなく、もうすぐやみそうな気配だ。

 わざわざ濡れるより、ここで待っていたほうがよさそうだった。

 カンタロウが曇った空を見上げ、

「しばらくここで、雨がやむのを待ってるか」

「そだね……あっ」

 アゲハが小さく、声を上げた。



 ――この気配……。



 異様な気配が近づいてくる。

 この感じは、つい先ほどまで、嫌というほど刺激されたものだ。

 緊張感が高まり、脈拍が激しく動く。

「どうした? アゲハ……」

 呆然としているアゲハに、声をかけるカンタロウ。

 すぐにアゲハがどうしてそうなったか、知ることができた。

 嫌な気配が、チリチリとカンタロウの肌を刺激する。

 シオンの目に脅えが走り、アゲハの服をつかんだ。


 パシャ、パシャと水溜まりを弾きながら、誰かが近づいてくる。


 三人を見つけると、細い目をむけ、卑しい笑いをし、




「おやおやぁ? ようやく結界がなくなって、中に入ったってぇのに、鉄人のダンナの気配がねぇな?」




 尖った、男の声が響いてくる。

「誰だ!」

 カンタロウは声を荒立てた。

 神経に触る口調。暗い灰色の髪。狐のような、狡猾そうな表情。

 長髪の髪を、しっぽのように、後ろでまとめている。その姿は、もはや人間からは遠い。


「あっ……あっ……」


 アゲハは言葉をつまらせたまま、なかなか口を開けない。

 目の前の人物から、視線を外せないまま、シオンを抱き寄せる。唇が乾き、瞳孔が泳ぎ、体が小さく震えている。

 カンタロウは異常な脅えに驚き、

「アゲハ?」

 アゲハの様子がおかしい。

 ここまで脅えている姿を見たのは、今日で二度目。

 カンタロウの胸に、気持ちの悪い液体が流れる。

 アゲハの瞳孔が揺れ、



「あれは……十神人の一人【一尾】」



 カンタロウの目が、見開き、

 ――十神人? 鉄人クラスのエコーズか?

 一尾の細い目をよく見てみると、赤い宝石のような目が、ランランと輝いている。

 相手が本家のエコーズだということがわかった。

 この異常な気配も、鉄人ほどではないが、カンタロウの体に重りを乗せる。

「あれぇ?」

 一尾は首を、コキコキと鳴らした。シオンを指さす。

「そこの変な珍獣。もしかして、女神か? と、いうことは、鉄人のダンナ、人間のガキにやられたってことか?」

 一尾がカンタロウとアゲハを見渡す。

 二人は何も答えず、動向をうかがっている。

 沈黙が流れたが、一尾はすべてを理解したのか、額に手をやり、

「おいおい。本当か? あの鉄人が人間に……年は取りたくねぇなぁ。また人間にやられちまうなんて。これだから老骨のエコーズは使えねぇ」

 一尾が大きく、首を回す。ゴキリと骨が折れるような、大きな音がし、


「まっ、いいや。おいガキども。その失敗作を俺に渡しな。早くしねぇと、鉄人のダンナみたいに優しくはしねぇぞ。あの方は目的さえ手に入れば、それ以上手だしはしないが、俺は違うからな」


 シオンはすがるような目で、カンタロウを見上げた。

 カンタロウは、優しく微笑み、


「……断る」


 雨の中、カンタロウは一尾にむかって、外にでる。

 冷えた雨が、頬を伝い、顎から落ちていく。

 折れた左腕の包帯に、透明な水が容赦なく染み込んだ。

「『断る』? ちょっと待て。『断る』って言ったのか? 俺の正体を知って? その怪我で?」

 一尾は表情にはださないが、驚いているようだ。さっきまでの軽い声が、獣のように響く。

「そうだ。お前にシオンは渡さない」

「おいおい。本気か? お前、本気で言ってるのか? その化け物ために、命投げだすってのか?」

 カンタロウは一尾に、それ以上、何も答えない。

 一尾は小さく、舌打ちする。

「アゲハ」

 カンタロウは後ろにいるアゲハに、話しかけた。

「…………」

 アゲハは呆然としていて、自分の名前を呼ばれていることに、まだ気づかない。

 カンタロウは声を少し上げ、

「アゲハ、しっかりしろ」

「はっ、私……意識が飛んでて……」

「俺がアイツを足止めしておく。アゲハは、シオンと一緒に逃げろ」

「えっ……」

 アゲハの思考が、真っ白になり、

 ――ここに、残るつもりなの?

 カンタロウはここに残り、一尾と戦うつもりなのだ。

 アゲハとシオンを逃がす気なのだ。

 己を犠牲にし、死ぬ覚悟で。

「でもっ」

「何も言うな――シオンと、行ってくれ」

 カンタロウの覚悟は決まっていた。だから、アゲハに何も言わせなかった。


 死の恐怖に揺るがないためだ。



「はあ。お前、俺の嫌いなタイプだ。生意気なガキは、お仕置きしなきゃぁな――現実ってやつを、教えてやるよ」



 一尾は口を開くと、歌のような声を上げた。

 ハウリング・コールだ。

 カンタロウ、アゲハ、シオンの周りから、神獣が飛びだしてくる。


 神獣の形はとても歪で、身体は熊のように大きかった。


 口から鋭い牙がはえ、三つの頭を持ち、お尻には、尻尾が一つだけある。

 二本の腕は、あまりにも図太く、指から刃物のような爪が光った。

 何十体も召還され、大きく雄叫びを上げる。



「ウオオオオォ!」

「グオオオ! グルルルル」

「フウウウ!」




 雨が震え、地面に落ちる前に、バラバラに壊れた。

 ――十神人クラスの神獣。

 圧倒的な威圧感に、カンタロウから熱い汗が落ちる。




「ソードやアーマーなんかの、単純な神獣だと思うなよ少年。――痛みすら忘れさせてやるよ」




 これから起こる惨劇を楽しむかのように、一尾は薄笑いを浮かべていた。
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