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最終章 崩壊都市
絶対神界
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*
固い岩の中で、カンタロウはまだ意識があった。
――体が……動かない……。
手が、足が、腰が、首が、折り曲げることも、持ち上げることも、何もできない。
――呼吸が……苦しい……。
気道に、重い何かが乗っている。
それに押し潰され、息をするのが辛い。
いや、自分が息をしているのかさえ、わからない。
――俺は……死ぬ……のか?
目の前に広がるのは、暗い闇。
鼻に、死臭の臭いがする。
口から入ってくるのは、鉄のような味がする血。
肌に触れている岩の、感触がしてこない。
記憶に、過去の走馬燈が走っている。
――ああ……そうだ。
父と剣の修行をしている記憶が、蘇ってきた。まだ自分は小さい。
生きていた父は、大きく、優しい笑みを浮かべている。
――父さんに……習ったっけ。
カンタロウの手が動いた。
――アレは……どうやったっけ。
カンタロウは視線を上にむける。
小さな光があった。
*
「カンタロウ……」
アゲハは、その場に座り込んだ。
両目からは、透明な涙が、とめどなく流れ続ける。
絶望感に支配され、起き上がる気力さえ、わいてこない。
「……ここまでか」
鉄人の歩みが止まった。
カンタロウを埋めた岩が動かないことを確認すると、踵を返す。
何かが崩れる音がした。
「うん?」
鉄人が再び後ろを振りむくと、そこには、血に染まったカンタロウが立っていた。
左腕が、妙な方向に曲がっている。
意識が混濁しているのか、虚ろな瞳で、鉄人とは別の方向を眺めていた。
「ほう。よくぞここまで戦った。称賛に値する」
カンタロウは鉄人の言葉にも、まったく反応しない。
何かをぶつぶつとつぶやいている。
鉄人は、大きく息を吐き、
「だが、もはや立っているのもやっとではないか?」
カンタロウが一歩、歩んだ。
足がふらつき、別の方向へとむいてしまった。
その姿を見た鉄人は、同情的な目を、敵にむけ、
「いいだろう。お前を安息の地へ送ってやる。神とやらがいる世界へと、行くがいい」
鉄人の鋼鉄の足が、カンタロウにむかって、小さな岩を砕いた。
「待って!」
アゲハが鉄人にむかって、大きく叫ぶ。
「お願い! カンタロウを殺すのなら、私を殺して!」
アゲハの言葉に鉄人の重い足が、ピタリと止まった。
シオンは驚き、
「お姉たん……」
「私は、私はこの世界に、いらない存在だから……だからお願い。カンタロウを助けて……。お願い……します」
アゲハは鉄人にむかって、腰を下ろし、額に土をつけた。
もう自分のプライドなど、どうでもよかった。
敵に情けを請ってでも、カンタロウを助けたかったのだ。
シオンもその隣で、意味はわかっていないだろうが、アゲハと同じく、鉄人にむかって額を土につける。
二人とも必死で、カンタロウを助けようとしていた。
「――わかった」
鉄人は二人に見むきもしなかったが、そう一言言った。
希望がアゲハの顔を、明るくさせる。
「あの小僧を殺した後――お前達もすぐに殺してやる。三人仲良く、死ぬがいい」
鉄人の言葉に、アゲハは一瞬で奈落へと突き落とされた。
自分が死ぬことに対してではない。
鉄人が、カンタロウを助ける気がないということに、目の前が真っ暗になる。
鉄人の赤い両目は、狂気の輝きで光っていた。
一度敵と認識した者は、肉がなくなるまで破壊する。
敗北者の言うことなど、もはや聞く耳すら持たない徹底さ。
常軌を逸していた。
カンタロウの刀を持った指が、ピクリと動く。
「恨むのなら、己の無力さを恨めよ! 小僧!」
鉄人は素早くカンタロウの前に立つと、顔に鉄の拳を入れる。
カンタロウは風となり、分散してしまった。
「また風の分身か! 我に同じ手はつうじん!」
動きを読み、鉄人はすぐに居場所をつかむ。
カンタロウは、隣に移動しただけだった。
正面をむく前に、鉄人の拳が、カンタロウのお腹に入り、そして貫いた。
――手応えあり!
カンタロウの肉片が地面へ飛び散る。
赤い血が噴水のように、吹き上がった。
鈍い音がし、骨がバラバラに砕かれる。
「やだぁ! カンタロウ!」
悲鳴を上げ、アゲハは涙を拭うことすら忘れ、カンタロウの元へと走ろうとする。
シオンと植物型神獣が、懸命に止めた。
アゲハの容体は相当悪く、今動けば傷が開いてしまう。
「カンタロウ! いやぁ!」
パニックとなったアゲハは、シオンや神獣を押しのけてでも、カンタロウの元へ行こうとしていた。
「お姉たん! 駄目! 行っちゃ駄目!」
シオンは泣きながら、それを必死で押さえていた。
「さて……」
鉄人がカンタロウの体から、腕を抜こうとしたとき、後ろで気配を感じた。
何かと思い、首を曲げると、カンタロウが立っていた。
青い顔をして、一瞬幽霊と見間違えそうになる。
「なっ……」
鉄人の言葉がつまった。
「――そうだ。こう、教わったんだ」
カンタロウはそうつぶやき、居合腰の姿勢になった。
鞘にしまった刀を寝かせ、柄に右手を乗せる。
右手の甲には、国章血印、夜刀の紋章が浮かび上がっていた。
「馬鹿な! 確かに手応えは……」
鉄人の腕から、細かい岩が崩れ落ちた。
カンタロウだと思ったものは、ただの岩屑だった。形を失うと、無機物へと変化していく。
――神魔法? まさか、あの女と同じ、荊棘魔法か!
鉄人は第二系統神魔法、荊棘魔法だとようやく気づいた。
カンタロウの居合術は発動していた。
右斜め上にむかって、鈍い光りを放つ剣筋が線を引き、鉄人の体にむかう。
カンタロウの右目に何かの紋様が光り、右半身の神脈筋が、赤い線となり輝いていた。
右頬にあるはずの神文字『テト』は消失し、赤い神脈筋の一部となっている。
――なんだ? 体の右半身に、赤い神脈筋が見える。頬の神文字も、神脈筋に変化した。それに、右目のあの紋様……赤い、花か?
鉄人が急激な変化に思考を巡らせている間、すでに刀はその鉄の鎧を切り裂いていた。
カンタロウの腕が振り上がり、刀の切っ先が天へとむけられている。
二人は立ち尽くしたまま、何も起きなかった。
「――ふん。残念だったな。我にそんな、刀はつうじん」
鉄人の体に痛みはない。
刀は、鉄人の鎧に勝てなかったのだ。
カンタロウの赤眼化が自動的に解除され、右半身にあらわれた奇妙な赤い神脈筋や、右目の赤い花の紋様も消えた。
アゲハは呆然と、その様子を眺め、
――えっ? ちょっと待って。
違和感に気づく。
数分前に鉄人が腹を貫いた、カンタロウが魔法による偽物なら、神の力である第二系統神魔法ということになる。
風神の力が、第一系統神魔法だとする。
自分が見た、『もう一つの神の力』は何なのか?
――分身が、荊棘魔法だとしたら、カンタロウ君の『結界切り』は……まさか。
アゲハは開いた口を閉じられなかった。
赤眼化所持者は、たった一つだけ、神魔法を持てる。
最高でも、荊棘魔法である二つだけだ。
それなのにカンタロウは、『三つ目の神魔法』を発動している。
つまり、『結界切り』は、絶対に有り得ない力なのだ。
カンタロウは動かず、鉄人を虚ろな瞳で見つめている。
刀を持った腕が、力を失い、腰に落ちた。
手に持っていた刀が離れ、地面に転がる。
すべての力を使い果たしたのだ。
「最後の攻撃か? これで終わりだ!」
鉄人の腕が、大きく振りかぶった。
本気の一撃で、頭を潰すつもりだ。
足を踏みしめ、カンタロウの顔めがけて、拳が振り下ろされる。
――なっ!
カンタロウの顔まで、あと数センチの所で、鉄人の腕が止まった。
本人の意志で止めたのではない。
体が動かなくなったのだ。
「なんだ? 我の拳が動かない? いやっ、力が入らない!」
鉄人の兜から、透明な水滴が落ちた。
鉄人はそれを、赤い目で見つめ、
――汗? この我が? いや、違う。
水滴の正体は、空から降ってきた雨だった。
黒い雲から、ポツポツと落ちてくる。
鉄人の鎧を濡らしていたのだ。
――ただの雨か……いや、そんな馬鹿な!
鉄人は慌てて空を見上げた。
この土地に雨が降るなど、あってはならないからだ。
それなのに、間違いなく透明な水滴は、天から降ってくる。
「結界によって雨など落ちてこなかったというのに、なぜ……まさか!」
鉄人は天を見上げる。
雨と一緒に、白い粉のようなものが、軽やかに落ちてきていた。雪のようだった。
アゲハが手の平を広げると、その白い粉は、手の中ですぐに消えた。
シオンも両手を広げ、その白い粉を全身で受け止めた。雪で遊ぶ子供のように見えた。
白い粉は、結界の残骸。
「結界が消えた……この小僧によって切られたのか?」
そう考えると、恐怖が鉄人に襲いかかってきた。
現実のものとなり、鎧に斜め一線の亀裂が走った。
ちょうどその跡は、カンタロウの刀が切りつけた部分と一致している。
「うっ、おおおおおおおおおおおっ!」
鉄人の口から、赤い血が吐きだされた。全身から力が抜け、立つ力がなくなっていく。
鉄人は、悲痛な雄叫びを上げ続けた。
アゲハは放心状態で、その様子を眺めている。
「『結界切り』は、第二系統神魔法なんかじゃなかったんだ。第三系統神魔法。どんな賢者や達人ですら到達できなかった領域。神の領域に到達した者――『絶対神界』」
昔教わった伝説の魔法、『絶対神界』。
その『最強の魔法』をできる者はおらず、アゲハですら真面目にそんな話聞きもしなかった。
それが――一人の少年によって、実現された。
「そんな馬鹿な! この鉄人が人間に! ぐはあっ!」
鉄人の黒い鎧が砕け散った。
黒い皮膚で覆われた体が、外界へとさらされる。
壊された鎧は、地面に到着する前に消失した。
――この世界で、たった一人。カンタロウだけが使える技。
アゲハは無意識に、指を口にくわえていた。
鉄人の赤い目が、カンタロウを睨む。
カンタロウは一歩も動かず、その場に立ち尽くし、様子を眺めている。
鉄人はふらつきながらも、手を伸ばし、
「この……鉄人が……また……人間など…………に」
手は、カンタロウに触れることなく、その横を通り過ぎ、その場に倒れた。
――ほしい。カンタロウ。私は、あなたがほしい。
アゲハの身体が、燃えるように熱くなっていた。
奥底から、激しい飢えを感じ、心臓がドクドクと高鳴る。
カンタロウにかけ寄り、その体を逃がさないように抱きしめたくなる。
カンタロウはふらりと、その場に仰向けに倒れた。
顔に、冷たい雨が落ちてくる。
空は曇り、太陽をすっかり隠してしまっていた。
――危なかった。あと少し、遅かったら、顔が吹き飛んでいたな。
カンタロウの頬に流れる冷たい感触が、今を生きているという実感を与えてくれる。
水分を含み、こびりつく土が、なぜかとても心地よく感じる。
口の中に入ってきた雨を、ゴクリと飲み込んだ。
耳の近くで、誰かが立っていた。アゲハとシオンだ。
「カンタロウ君。やったじゃん」
アゲハは抱きつきたい衝動を我慢し、顔のそばで腰を下ろした。
「ああ……なんとかな」
アゲハとシオンが無事なことに、カンタロウは自然と笑みがこぼれた。
二人は恐怖と緊張から解放され、しばらく笑い合った。
「お兄たん! すごい! お姉ちゃんがなでなでしたげる」
シオンがカンタロウの頭を、力いっぱいなでる。
「ふっ……ありがとな……シオン」
カンタロウの中で、何かが切れた。両目を閉じると、意識がなくなる。気絶したようだ。
「お疲れ様――カンタロウ君」
アゲハは愛おしそうに、カンタロウの黒髪と頬を、手でなでていた。
固い岩の中で、カンタロウはまだ意識があった。
――体が……動かない……。
手が、足が、腰が、首が、折り曲げることも、持ち上げることも、何もできない。
――呼吸が……苦しい……。
気道に、重い何かが乗っている。
それに押し潰され、息をするのが辛い。
いや、自分が息をしているのかさえ、わからない。
――俺は……死ぬ……のか?
目の前に広がるのは、暗い闇。
鼻に、死臭の臭いがする。
口から入ってくるのは、鉄のような味がする血。
肌に触れている岩の、感触がしてこない。
記憶に、過去の走馬燈が走っている。
――ああ……そうだ。
父と剣の修行をしている記憶が、蘇ってきた。まだ自分は小さい。
生きていた父は、大きく、優しい笑みを浮かべている。
――父さんに……習ったっけ。
カンタロウの手が動いた。
――アレは……どうやったっけ。
カンタロウは視線を上にむける。
小さな光があった。
*
「カンタロウ……」
アゲハは、その場に座り込んだ。
両目からは、透明な涙が、とめどなく流れ続ける。
絶望感に支配され、起き上がる気力さえ、わいてこない。
「……ここまでか」
鉄人の歩みが止まった。
カンタロウを埋めた岩が動かないことを確認すると、踵を返す。
何かが崩れる音がした。
「うん?」
鉄人が再び後ろを振りむくと、そこには、血に染まったカンタロウが立っていた。
左腕が、妙な方向に曲がっている。
意識が混濁しているのか、虚ろな瞳で、鉄人とは別の方向を眺めていた。
「ほう。よくぞここまで戦った。称賛に値する」
カンタロウは鉄人の言葉にも、まったく反応しない。
何かをぶつぶつとつぶやいている。
鉄人は、大きく息を吐き、
「だが、もはや立っているのもやっとではないか?」
カンタロウが一歩、歩んだ。
足がふらつき、別の方向へとむいてしまった。
その姿を見た鉄人は、同情的な目を、敵にむけ、
「いいだろう。お前を安息の地へ送ってやる。神とやらがいる世界へと、行くがいい」
鉄人の鋼鉄の足が、カンタロウにむかって、小さな岩を砕いた。
「待って!」
アゲハが鉄人にむかって、大きく叫ぶ。
「お願い! カンタロウを殺すのなら、私を殺して!」
アゲハの言葉に鉄人の重い足が、ピタリと止まった。
シオンは驚き、
「お姉たん……」
「私は、私はこの世界に、いらない存在だから……だからお願い。カンタロウを助けて……。お願い……します」
アゲハは鉄人にむかって、腰を下ろし、額に土をつけた。
もう自分のプライドなど、どうでもよかった。
敵に情けを請ってでも、カンタロウを助けたかったのだ。
シオンもその隣で、意味はわかっていないだろうが、アゲハと同じく、鉄人にむかって額を土につける。
二人とも必死で、カンタロウを助けようとしていた。
「――わかった」
鉄人は二人に見むきもしなかったが、そう一言言った。
希望がアゲハの顔を、明るくさせる。
「あの小僧を殺した後――お前達もすぐに殺してやる。三人仲良く、死ぬがいい」
鉄人の言葉に、アゲハは一瞬で奈落へと突き落とされた。
自分が死ぬことに対してではない。
鉄人が、カンタロウを助ける気がないということに、目の前が真っ暗になる。
鉄人の赤い両目は、狂気の輝きで光っていた。
一度敵と認識した者は、肉がなくなるまで破壊する。
敗北者の言うことなど、もはや聞く耳すら持たない徹底さ。
常軌を逸していた。
カンタロウの刀を持った指が、ピクリと動く。
「恨むのなら、己の無力さを恨めよ! 小僧!」
鉄人は素早くカンタロウの前に立つと、顔に鉄の拳を入れる。
カンタロウは風となり、分散してしまった。
「また風の分身か! 我に同じ手はつうじん!」
動きを読み、鉄人はすぐに居場所をつかむ。
カンタロウは、隣に移動しただけだった。
正面をむく前に、鉄人の拳が、カンタロウのお腹に入り、そして貫いた。
――手応えあり!
カンタロウの肉片が地面へ飛び散る。
赤い血が噴水のように、吹き上がった。
鈍い音がし、骨がバラバラに砕かれる。
「やだぁ! カンタロウ!」
悲鳴を上げ、アゲハは涙を拭うことすら忘れ、カンタロウの元へと走ろうとする。
シオンと植物型神獣が、懸命に止めた。
アゲハの容体は相当悪く、今動けば傷が開いてしまう。
「カンタロウ! いやぁ!」
パニックとなったアゲハは、シオンや神獣を押しのけてでも、カンタロウの元へ行こうとしていた。
「お姉たん! 駄目! 行っちゃ駄目!」
シオンは泣きながら、それを必死で押さえていた。
「さて……」
鉄人がカンタロウの体から、腕を抜こうとしたとき、後ろで気配を感じた。
何かと思い、首を曲げると、カンタロウが立っていた。
青い顔をして、一瞬幽霊と見間違えそうになる。
「なっ……」
鉄人の言葉がつまった。
「――そうだ。こう、教わったんだ」
カンタロウはそうつぶやき、居合腰の姿勢になった。
鞘にしまった刀を寝かせ、柄に右手を乗せる。
右手の甲には、国章血印、夜刀の紋章が浮かび上がっていた。
「馬鹿な! 確かに手応えは……」
鉄人の腕から、細かい岩が崩れ落ちた。
カンタロウだと思ったものは、ただの岩屑だった。形を失うと、無機物へと変化していく。
――神魔法? まさか、あの女と同じ、荊棘魔法か!
鉄人は第二系統神魔法、荊棘魔法だとようやく気づいた。
カンタロウの居合術は発動していた。
右斜め上にむかって、鈍い光りを放つ剣筋が線を引き、鉄人の体にむかう。
カンタロウの右目に何かの紋様が光り、右半身の神脈筋が、赤い線となり輝いていた。
右頬にあるはずの神文字『テト』は消失し、赤い神脈筋の一部となっている。
――なんだ? 体の右半身に、赤い神脈筋が見える。頬の神文字も、神脈筋に変化した。それに、右目のあの紋様……赤い、花か?
鉄人が急激な変化に思考を巡らせている間、すでに刀はその鉄の鎧を切り裂いていた。
カンタロウの腕が振り上がり、刀の切っ先が天へとむけられている。
二人は立ち尽くしたまま、何も起きなかった。
「――ふん。残念だったな。我にそんな、刀はつうじん」
鉄人の体に痛みはない。
刀は、鉄人の鎧に勝てなかったのだ。
カンタロウの赤眼化が自動的に解除され、右半身にあらわれた奇妙な赤い神脈筋や、右目の赤い花の紋様も消えた。
アゲハは呆然と、その様子を眺め、
――えっ? ちょっと待って。
違和感に気づく。
数分前に鉄人が腹を貫いた、カンタロウが魔法による偽物なら、神の力である第二系統神魔法ということになる。
風神の力が、第一系統神魔法だとする。
自分が見た、『もう一つの神の力』は何なのか?
――分身が、荊棘魔法だとしたら、カンタロウ君の『結界切り』は……まさか。
アゲハは開いた口を閉じられなかった。
赤眼化所持者は、たった一つだけ、神魔法を持てる。
最高でも、荊棘魔法である二つだけだ。
それなのにカンタロウは、『三つ目の神魔法』を発動している。
つまり、『結界切り』は、絶対に有り得ない力なのだ。
カンタロウは動かず、鉄人を虚ろな瞳で見つめている。
刀を持った腕が、力を失い、腰に落ちた。
手に持っていた刀が離れ、地面に転がる。
すべての力を使い果たしたのだ。
「最後の攻撃か? これで終わりだ!」
鉄人の腕が、大きく振りかぶった。
本気の一撃で、頭を潰すつもりだ。
足を踏みしめ、カンタロウの顔めがけて、拳が振り下ろされる。
――なっ!
カンタロウの顔まで、あと数センチの所で、鉄人の腕が止まった。
本人の意志で止めたのではない。
体が動かなくなったのだ。
「なんだ? 我の拳が動かない? いやっ、力が入らない!」
鉄人の兜から、透明な水滴が落ちた。
鉄人はそれを、赤い目で見つめ、
――汗? この我が? いや、違う。
水滴の正体は、空から降ってきた雨だった。
黒い雲から、ポツポツと落ちてくる。
鉄人の鎧を濡らしていたのだ。
――ただの雨か……いや、そんな馬鹿な!
鉄人は慌てて空を見上げた。
この土地に雨が降るなど、あってはならないからだ。
それなのに、間違いなく透明な水滴は、天から降ってくる。
「結界によって雨など落ちてこなかったというのに、なぜ……まさか!」
鉄人は天を見上げる。
雨と一緒に、白い粉のようなものが、軽やかに落ちてきていた。雪のようだった。
アゲハが手の平を広げると、その白い粉は、手の中ですぐに消えた。
シオンも両手を広げ、その白い粉を全身で受け止めた。雪で遊ぶ子供のように見えた。
白い粉は、結界の残骸。
「結界が消えた……この小僧によって切られたのか?」
そう考えると、恐怖が鉄人に襲いかかってきた。
現実のものとなり、鎧に斜め一線の亀裂が走った。
ちょうどその跡は、カンタロウの刀が切りつけた部分と一致している。
「うっ、おおおおおおおおおおおっ!」
鉄人の口から、赤い血が吐きだされた。全身から力が抜け、立つ力がなくなっていく。
鉄人は、悲痛な雄叫びを上げ続けた。
アゲハは放心状態で、その様子を眺めている。
「『結界切り』は、第二系統神魔法なんかじゃなかったんだ。第三系統神魔法。どんな賢者や達人ですら到達できなかった領域。神の領域に到達した者――『絶対神界』」
昔教わった伝説の魔法、『絶対神界』。
その『最強の魔法』をできる者はおらず、アゲハですら真面目にそんな話聞きもしなかった。
それが――一人の少年によって、実現された。
「そんな馬鹿な! この鉄人が人間に! ぐはあっ!」
鉄人の黒い鎧が砕け散った。
黒い皮膚で覆われた体が、外界へとさらされる。
壊された鎧は、地面に到着する前に消失した。
――この世界で、たった一人。カンタロウだけが使える技。
アゲハは無意識に、指を口にくわえていた。
鉄人の赤い目が、カンタロウを睨む。
カンタロウは一歩も動かず、その場に立ち尽くし、様子を眺めている。
鉄人はふらつきながらも、手を伸ばし、
「この……鉄人が……また……人間など…………に」
手は、カンタロウに触れることなく、その横を通り過ぎ、その場に倒れた。
――ほしい。カンタロウ。私は、あなたがほしい。
アゲハの身体が、燃えるように熱くなっていた。
奥底から、激しい飢えを感じ、心臓がドクドクと高鳴る。
カンタロウにかけ寄り、その体を逃がさないように抱きしめたくなる。
カンタロウはふらりと、その場に仰向けに倒れた。
顔に、冷たい雨が落ちてくる。
空は曇り、太陽をすっかり隠してしまっていた。
――危なかった。あと少し、遅かったら、顔が吹き飛んでいたな。
カンタロウの頬に流れる冷たい感触が、今を生きているという実感を与えてくれる。
水分を含み、こびりつく土が、なぜかとても心地よく感じる。
口の中に入ってきた雨を、ゴクリと飲み込んだ。
耳の近くで、誰かが立っていた。アゲハとシオンだ。
「カンタロウ君。やったじゃん」
アゲハは抱きつきたい衝動を我慢し、顔のそばで腰を下ろした。
「ああ……なんとかな」
アゲハとシオンが無事なことに、カンタロウは自然と笑みがこぼれた。
二人は恐怖と緊張から解放され、しばらく笑い合った。
「お兄たん! すごい! お姉ちゃんがなでなでしたげる」
シオンがカンタロウの頭を、力いっぱいなでる。
「ふっ……ありがとな……シオン」
カンタロウの中で、何かが切れた。両目を閉じると、意識がなくなる。気絶したようだ。
「お疲れ様――カンタロウ君」
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そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
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