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最終章 崩壊都市

絶対神界

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 固い岩の中で、カンタロウはまだ意識があった。

 ――体が……動かない……。

 手が、足が、腰が、首が、折り曲げることも、持ち上げることも、何もできない。

 ――呼吸が……苦しい……。

 気道に、重い何かが乗っている。

 それに押し潰され、息をするのが辛い。

 いや、自分が息をしているのかさえ、わからない。

 ――俺は……死ぬ……のか?

 目の前に広がるのは、暗い闇。

 鼻に、死臭の臭いがする。

 口から入ってくるのは、鉄のような味がする血。

 肌に触れている岩の、感触がしてこない。

 記憶に、過去の走馬燈が走っている。

 ――ああ……そうだ。


 父と剣の修行をしている記憶が、蘇ってきた。まだ自分は小さい。


 生きていた父は、大きく、優しい笑みを浮かべている。

 ――父さんに……習ったっけ。

 カンタロウの手が動いた。

 ――アレは……どうやったっけ。

 カンタロウは視線を上にむける。

 小さな光があった。





「カンタロウ……」

 アゲハは、その場に座り込んだ。

 両目からは、透明な涙が、とめどなく流れ続ける。

 絶望感に支配され、起き上がる気力さえ、わいてこない。


「……ここまでか」


 鉄人の歩みが止まった。

 カンタロウを埋めた岩が動かないことを確認すると、踵を返す。

 何かが崩れる音がした。

「うん?」

 鉄人が再び後ろを振りむくと、そこには、血に染まったカンタロウが立っていた。

 左腕が、妙な方向に曲がっている。

 意識が混濁しているのか、虚ろな瞳で、鉄人とは別の方向を眺めていた。

「ほう。よくぞここまで戦った。称賛に値する」

 カンタロウは鉄人の言葉にも、まったく反応しない。

 何かをぶつぶつとつぶやいている。

 鉄人は、大きく息を吐き、

「だが、もはや立っているのもやっとではないか?」

 カンタロウが一歩、歩んだ。

 足がふらつき、別の方向へとむいてしまった。

 その姿を見た鉄人は、同情的な目を、敵にむけ、

「いいだろう。お前を安息の地へ送ってやる。神とやらがいる世界へと、行くがいい」

 鉄人の鋼鉄の足が、カンタロウにむかって、小さな岩を砕いた。


「待って!」


 アゲハが鉄人にむかって、大きく叫ぶ。



「お願い! カンタロウを殺すのなら、私を殺して!」



 アゲハの言葉に鉄人の重い足が、ピタリと止まった。

 シオンは驚き、

「お姉たん……」

「私は、私はこの世界に、いらない存在だから……だからお願い。カンタロウを助けて……。お願い……します」

 アゲハは鉄人にむかって、腰を下ろし、額に土をつけた。

 もう自分のプライドなど、どうでもよかった。

 敵に情けを請ってでも、カンタロウを助けたかったのだ。

 シオンもその隣で、意味はわかっていないだろうが、アゲハと同じく、鉄人にむかって額を土につける。

 二人とも必死で、カンタロウを助けようとしていた。


「――わかった」


 鉄人は二人に見むきもしなかったが、そう一言言った。

 希望がアゲハの顔を、明るくさせる。



「あの小僧を殺した後――お前達もすぐに殺してやる。三人仲良く、死ぬがいい」



 鉄人の言葉に、アゲハは一瞬で奈落へと突き落とされた。

 自分が死ぬことに対してではない。

 鉄人が、カンタロウを助ける気がないということに、目の前が真っ暗になる。

 鉄人の赤い両目は、狂気の輝きで光っていた。

 一度敵と認識した者は、肉がなくなるまで破壊する。

 敗北者の言うことなど、もはや聞く耳すら持たない徹底さ。

 常軌を逸していた。

 カンタロウの刀を持った指が、ピクリと動く。



「恨むのなら、己の無力さを恨めよ! 小僧!」



 鉄人は素早くカンタロウの前に立つと、顔に鉄の拳を入れる。

 カンタロウは風となり、分散してしまった。

「また風の分身か! 我に同じ手はつうじん!」

 動きを読み、鉄人はすぐに居場所をつかむ。

 カンタロウは、隣に移動しただけだった。

 正面をむく前に、鉄人の拳が、カンタロウのお腹に入り、そして貫いた。

 ――手応えあり!

 カンタロウの肉片が地面へ飛び散る。

 赤い血が噴水のように、吹き上がった。

 鈍い音がし、骨がバラバラに砕かれる。


「やだぁ! カンタロウ!」


 悲鳴を上げ、アゲハは涙を拭うことすら忘れ、カンタロウの元へと走ろうとする。

 シオンと植物型神獣が、懸命に止めた。

 アゲハの容体は相当悪く、今動けば傷が開いてしまう。


「カンタロウ! いやぁ!」


 パニックとなったアゲハは、シオンや神獣を押しのけてでも、カンタロウの元へ行こうとしていた。

「お姉たん! 駄目! 行っちゃ駄目!」

 シオンは泣きながら、それを必死で押さえていた。

「さて……」

 鉄人がカンタロウの体から、腕を抜こうとしたとき、後ろで気配を感じた。

 何かと思い、首を曲げると、カンタロウが立っていた。

 青い顔をして、一瞬幽霊と見間違えそうになる。

「なっ……」

 鉄人の言葉がつまった。



「――そうだ。こう、教わったんだ」



 カンタロウはそうつぶやき、居合腰の姿勢になった。

 鞘にしまった刀を寝かせ、柄に右手を乗せる。

 右手の甲には、国章血印、夜刀の紋章が浮かび上がっていた。

「馬鹿な! 確かに手応えは……」

 鉄人の腕から、細かい岩が崩れ落ちた。

 カンタロウだと思ったものは、ただの岩屑だった。形を失うと、無機物へと変化していく。

 ――神魔法? まさか、あの女と同じ、荊棘魔法か!

 鉄人は第二系統神魔法、荊棘魔法だとようやく気づいた。



 カンタロウの居合術は発動していた。



 右斜め上にむかって、鈍い光りを放つ剣筋が線を引き、鉄人の体にむかう。

 カンタロウの右目に何かの紋様が光り、右半身の神脈筋が、赤い線となり輝いていた。

 右頬にあるはずの神文字『テト』は消失し、赤い神脈筋の一部となっている。

 ――なんだ? 体の右半身に、赤い神脈筋が見える。頬の神文字も、神脈筋に変化した。それに、右目のあの紋様……赤い、花か?

 鉄人が急激な変化に思考を巡らせている間、すでに刀はその鉄の鎧を切り裂いていた。


 カンタロウの腕が振り上がり、刀の切っ先が天へとむけられている。


 二人は立ち尽くしたまま、何も起きなかった。


「――ふん。残念だったな。我にそんな、刀はつうじん」


 鉄人の体に痛みはない。

 刀は、鉄人の鎧に勝てなかったのだ。

 カンタロウの赤眼化が自動的に解除され、右半身にあらわれた奇妙な赤い神脈筋や、右目の赤い花の紋様も消えた。

 アゲハは呆然と、その様子を眺め、

 ――えっ? ちょっと待って。

 違和感に気づく。

 数分前に鉄人が腹を貫いた、カンタロウが魔法による偽物なら、神の力である第二系統神魔法ということになる。

 風神の力が、第一系統神魔法だとする。

 自分が見た、『もう一つの神の力』は何なのか?

 ――分身が、荊棘魔法だとしたら、カンタロウ君の『結界切り』は……まさか。

 アゲハは開いた口を閉じられなかった。

 赤眼化所持者は、たった一つだけ、神魔法を持てる。

 最高でも、荊棘魔法である二つだけだ。


 それなのにカンタロウは、『三つ目の神魔法』を発動している。


 つまり、『結界切り』は、絶対に有り得ない力なのだ。


 カンタロウは動かず、鉄人を虚ろな瞳で見つめている。

 刀を持った腕が、力を失い、腰に落ちた。

 手に持っていた刀が離れ、地面に転がる。

 すべての力を使い果たしたのだ。

「最後の攻撃か? これで終わりだ!」

 鉄人の腕が、大きく振りかぶった。

 本気の一撃で、頭を潰すつもりだ。

 足を踏みしめ、カンタロウの顔めがけて、拳が振り下ろされる。


 ――なっ!


 カンタロウの顔まで、あと数センチの所で、鉄人の腕が止まった。

 本人の意志で止めたのではない。

 体が動かなくなったのだ。

「なんだ? 我の拳が動かない? いやっ、力が入らない!」

 鉄人の兜から、透明な水滴が落ちた。

 鉄人はそれを、赤い目で見つめ、

 ――汗? この我が? いや、違う。

 水滴の正体は、空から降ってきた雨だった。

 黒い雲から、ポツポツと落ちてくる。

 鉄人の鎧を濡らしていたのだ。

 ――ただの雨か……いや、そんな馬鹿な!

 鉄人は慌てて空を見上げた。

 この土地に雨が降るなど、あってはならないからだ。

 それなのに、間違いなく透明な水滴は、天から降ってくる。


「結界によって雨など落ちてこなかったというのに、なぜ……まさか!」


 鉄人は天を見上げる。

 雨と一緒に、白い粉のようなものが、軽やかに落ちてきていた。雪のようだった。

 アゲハが手の平を広げると、その白い粉は、手の中ですぐに消えた。

 シオンも両手を広げ、その白い粉を全身で受け止めた。雪で遊ぶ子供のように見えた。

 白い粉は、結界の残骸。

「結界が消えた……この小僧によって切られたのか?」

 そう考えると、恐怖が鉄人に襲いかかってきた。

 現実のものとなり、鎧に斜め一線の亀裂が走った。

 ちょうどその跡は、カンタロウの刀が切りつけた部分と一致している。



「うっ、おおおおおおおおおおおっ!」



 鉄人の口から、赤い血が吐きだされた。全身から力が抜け、立つ力がなくなっていく。

 鉄人は、悲痛な雄叫びを上げ続けた。

 アゲハは放心状態で、その様子を眺めている。



「『結界切り』は、第二系統神魔法なんかじゃなかったんだ。第三系統神魔法。どんな賢者や達人ですら到達できなかった領域。神の領域に到達した者――『絶対神界』」



 昔教わった伝説の魔法、『絶対神界』。

 その『最強の魔法』をできる者はおらず、アゲハですら真面目にそんな話聞きもしなかった。


 それが――一人の少年によって、実現された。


「そんな馬鹿な! この鉄人が人間に! ぐはあっ!」


 鉄人の黒い鎧が砕け散った。

 黒い皮膚で覆われた体が、外界へとさらされる。

 壊された鎧は、地面に到着する前に消失した。

 ――この世界で、たった一人。カンタロウだけが使える技。

 アゲハは無意識に、指を口にくわえていた。

 鉄人の赤い目が、カンタロウを睨む。

 カンタロウは一歩も動かず、その場に立ち尽くし、様子を眺めている。

 鉄人はふらつきながらも、手を伸ばし、


「この……鉄人が……また……人間など…………に」


 手は、カンタロウに触れることなく、その横を通り過ぎ、その場に倒れた。

 ――ほしい。カンタロウ。私は、あなたがほしい。

 アゲハの身体が、燃えるように熱くなっていた。

 奥底から、激しい飢えを感じ、心臓がドクドクと高鳴る。

 カンタロウにかけ寄り、その体を逃がさないように抱きしめたくなる。

 カンタロウはふらりと、その場に仰向けに倒れた。

 顔に、冷たい雨が落ちてくる。

 空は曇り、太陽をすっかり隠してしまっていた。

 ――危なかった。あと少し、遅かったら、顔が吹き飛んでいたな。

 カンタロウの頬に流れる冷たい感触が、今を生きているという実感を与えてくれる。

 水分を含み、こびりつく土が、なぜかとても心地よく感じる。

 口の中に入ってきた雨を、ゴクリと飲み込んだ。

 耳の近くで、誰かが立っていた。アゲハとシオンだ。

「カンタロウ君。やったじゃん」

 アゲハは抱きつきたい衝動を我慢し、顔のそばで腰を下ろした。

「ああ……なんとかな」

 アゲハとシオンが無事なことに、カンタロウは自然と笑みがこぼれた。

 二人は恐怖と緊張から解放され、しばらく笑い合った。

「お兄たん! すごい! お姉ちゃんがなでなでしたげる」

 シオンがカンタロウの頭を、力いっぱいなでる。

「ふっ……ありがとな……シオン」

 カンタロウの中で、何かが切れた。両目を閉じると、意識がなくなる。気絶したようだ。



「お疲れ様――カンタロウ君」



 アゲハは愛おしそうに、カンタロウの黒髪と頬を、手でなでていた。
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