80 / 89
最終章 崩壊都市
神様に愛されぬモノ
しおりを挟む
暴走した神魔法が、高熱水の渦となって、鉄人に襲いかかった。
結界に閉じ込められた鉄人は、逃げることができず、魔法を直接受ける。
結界の中はマグマのような、異常な光を放ち、すべてのものを溶かし、燃やし尽くす。
黒い焦げが、結界の外にまで広がっていった。
異臭が辺りに漂ってくる。
「ぐわあああああああぁ!」
鉄人の甲高い悲鳴が響いてきた。
全身に魔力を受け、抵抗することができない。
魔力の中に埋もれていく。
「……うっ」
アゲハはその場に、膝を下ろした。
呼吸が浅い。
全身を巡る、神脈を止めた影響がきているのだ。
――動けない。神脈を止めちゃったから、息も苦しい……死にそう。
アゲハは意識を保つため、鼻から酸素を深く吸い込む。
このような状態になったのは、初めてではないため、対処方法は知っていた。
昔、初めてこの魔法を放ったときは、その場で気絶してしまったのだ。
朧に助けられたが、ゲンコツを一発くらってしまった。
だいぶ落ち着き、鉄人の方を見ると、結界の外に赤い水が飛び散っている。
――まずい。魔法が強力すぎて、結界の外にでちゃってる。逃げないと……。
逃げようとしたアゲハは、目を丸くした。
「おのれっ! おのれっ!」
鉄人はまだ生きていた。
鋼鉄の拳で結界を、何度も、何度も、殴りつけている。
あの魔力をくらって、まだ動けることに、アゲハは本気で驚いていた。
結界はびくともしていない。
アゲハは少し笑い、
「無駄だよ。どんな強力なエコーズでも、絶対に結界の外にはでられない。そこがあなたの墓場……えっ?」
「おのれっ! おのれっ! おのれぇぇぇ!」
鉄人の渾身の一撃が、結界にヒビを入れた。
アゲハは目の前の出来事が信じられず、唖然と亀裂を見つめている。
――……嘘。そんなはずない。絶対にエコーズは結界を壊せない。結界に入れるのは、私しかいないはず……!
アゲハはあることに気づいた。
魔法が結界の外に漏れている理由。
そこに気づけば、結界にヒビが入った原因を見つけるのは簡単だった。
「そうか。月の玉の効力が、弱ってるんだ」
アゲハの脳裏に浮かぶ。
カンタロウからもらったとき、月の玉は黒く変色していた。
前に、そろそろ替えどきだと聞いたことがある。
鉄人や魔法が原因でヒビが入っているのではなく、結界を張る能力が無くなりつつあるのだ。
「うおおおおおおおおお!」
鉄人はさらに結界を殴りつけた。
結界のヒビがどんどん大きくなる。
魔法も結界の外に流れだし、土や草花を熱湯で焦がし始めた。
熱風がアゲハの髪を、チリチリと炙り上げる。
――逃げないと、魔法が漏れて、大爆発を起こしちゃう。だけど、まだ鉄人を倒せていない。
アゲハは迷う。
「小娘ぇぇぇ!」
鉄人が大きく拳を振り上げると、結界に強力な一撃をくわえた。
ヒビが、結界の全体を覆い始める。
――駄目だ。もう限界!
アゲハは魔法の暴走を止めるため、赤眼化した。
テファの神文字が、弱々しく右頬に光る。
神脈が全身を巡り、魔法の効力を無くすことができる。
神魔法の暴走が、停止した。
同時に月の玉が壊れ、結界が消失した。
中で暴れ回っていた魔力が、天高くまで噴きだす。火山のようだった。
「きゃあああああ!」
アゲハは爆風で、吹き飛ばされた。
体格が小さいため、体が宙に浮き、遠くまで投げだされる。
木にぶつかり、背中を強打した。鎧に亀裂が入る。
アゲハの意識が回復していく。
鼻腔に焦げた臭いが入ってくる。
暑い熱気が、皮膚を刺激する。
白い煙が喉に入り、アゲハはその場でむせて咳込み、
「うっ……ごほっ、ごほっ」
小結界を張った地面に、大きく黒い穴ができている。
木々にはまだ、魔法の火が燃えているものもある。
隕石でも落ちてきたかのような、凄惨な跡だった。
「森が、消し飛んでる……こんなに神魔法ってすごかったんだ」
アゲハは立ち上がると、ふらふらと鉄人を探し始めた。
黒い穴に近づいていくと、熱気を吐きだしている。
「熱い……。近寄れない」
アゲハが遠くにある研究所の方を見てみると、建物は半壊していた。
結界はまだ空高く張られている。
どうやら、吸収式神脈装置は地下にあったため、まだその活動を停止していないようだ。
曇り空から降る小さな雨は、まだこの土地に到達していない。
鉄人の気配を探ってみるが、どこにも存在しなかった。
「さすがに死んだか。はあ。これで二度目だけど、朧先生がいたら怒られちゃうな」
幼少のとき、アゲハは同じ魔法をエトピリカで放った。
自分が神脈を自由にコントロールできる体質だと気づいて、試したくなったのだ。
そのせいで、エトピリカのすぐ近くにあった小さな無人島は、跡形もなく消し飛ばされた。
それが原因で、朧からきつく、二度としないと誓わされたが、今回は目をつぶってもらうことにした。
「さて、カンタロウ君の所に行こ。早く行かないと、私の体力が尽きちゃう……」
アゲハの後ろで何か、音がした。
土が掘り返されるような音。
アゲハは何気なく後ろを振りむくと、黒い物体が立っていた。
「えっ?」
「ふんっ!」
アゲハの鎧に衝撃が走った。
耳に鉄が砕ける音がする。
鎧の残骸が、目の前を踊る。
背中に激痛が走った。
視線は空をむいていた。
何者かに殴り飛ばされ、岩に背中をぶつけ、自分が空に弾かれていることに、意識が追いついた。
――えっ? 何?
地面に倒れたアゲハは、何が起こったのかわからず、きょとんとした。
「――やってくれたな。小娘。この鉄人。久しぶりに死を感じたぞ」
黒いものが口を開いた。
鉄人だとわかった。
全身から、黒い土が落ちている。
――鉄人……どうして……!
鉄人の後ろに、人一人分ぐらい入れる、穴が開いている。アゲハはそれを見て、鉄人が穴を掘って、ここまで逃れたことを知った。
冷静に分析できたのは、最初だけだった。
「ああああああああああああっ!」
アゲハは激しい痛みで、その場にのた打ち回った。
悲鳴が無意識に、口からでてくる。
その後にでてきたのは、真っ赤な血。
「げほっ! がはっ! おえっ!」
血が呼吸をふさぐ。アゲハはたまらずその場で吐血する。
骨が体を支えてくれない。
目に見えているものが、白く濁る。
激痛が止まらず、アゲハの精神を侵食していく。
――何? 何? 何? 何? これは何?
アゲハに、ガクンと暗い、何かが落ちてきた。
痛みを感じなくなった。力も抜けてきた。
――やばい! 痛みを感じない! やばい! これはやばい!
アゲハは必死で、意識を保とうとする。
再び痛みと吐血が襲いかかってくる。
地獄の棘に刺され続けているような、終わりのない拷問。
「ああっ! いあああああああっ! きぃあああああああああっ!」
アゲハは仰向けになり、口から血を吐き続け、涙を流しながら叫んだ。
「――これは悪かった。一撃でしとめ損ねたな。まあいい。すぐそこに行って、トドメをさしてやる」
鉄人がゆっくりと、地面を踏みしめ、アゲハに近づいてくる。
その言葉だけは、なぜか鮮明に、耳に入ってきた。
――駄目! 駄目! 私は死ねない! カンタロウ君を! シオンを! 護らなきゃ!
アゲハは叫びながらも、体を起こそうと必死になる。
痛みよりも、死の恐怖が勝ったのだ。
体は言うことを聞いてくれず、足が動かない。
――動いて! お願い! 神様! 神様! お願いします! 一生のお願いです!
アゲハは必死で祈った。
信じてもいない、神様にむかって。
都合がいいとわかっていても、誰かにすがらざるおえなかった。
――私は死ねない! 自分がどうして神脈を持って生まれたのか! 出生の意味だってわかってないのにっ!
アゲハの口に血の味と、鼻水の味と、涙の味がする。
自分の今の形相を、鏡で見続ける自信はない。
生への執着を、頭の中で吐き続け、身体に力を入れる。
――お願いです神様! 一瞬でいい! ほんの数秒でもいい! 私に、カンタロウ君とシオンを護らせて!
その願いが叶ったのか、アゲハは立つことができた。
鉄人は驚き、足を止め、
「ほう?」
「まも……るんだ……。ごほっ! わたし……が……ふたり……を」
アゲハは足をふらつかせながらも、二本足で立ち、鉄人を見据え、
「だっ……て……」
剣を持つ手の、震えが止まらない。
涙が、とめどなく、地面を濡らす。
足下にできた血の水が、波紋を流す。
――この国で、この大陸で、この世界で……檻の中に閉じ込められた、絶望的な孤独を……。
アゲハの脳内に光景が浮かぶ。
このコスタリア大陸で見てきた、エコーズへのどす黒い感情。
大帝国の実験農場で見た、ゴーストエコーズ達を飼育している現場。
幼い頃、自分が持っていた純粋な人間への憧れが、粉々に砕かれた瞬間。
だけど、ようやく信じられる人間に出会った。
自分の存在意義を見失い、エコーズ以外の者は敵だという認識を逆転させた人。
カンタロウ。
同じ種族である人に阻害された人間と出会って、封印されていた自分の心を、探しだすことができた。
――やっと、理解し合える人に……出会ったんだ……。
アゲハの視界がゆがみ、
「あっ……」
うつ伏せに倒れる。
――動けない。
アゲハの筋肉が反応しない。
言葉が、途切れた。
聞こえたのは、鉄人が隣に立つ音。
「終わりだな。小娘。いや、名前を聞いておくべきだったな。女の身でありながら、よくぞここまで戦った。この鉄人、お前の意志の強さに感服したぞ」
鉄人の言葉は、アゲハの耳に入っていなかった。
ただ、笑いだけが、こみ上げてくる。
――ははっ、死ぬんだ。私。そりゃそうだよね。私は、神様に愛されていないんだから。
アゲハの生への執着が、諦めに変わったとき、なぜか妙な安らぎがある。
アゲハはその奇妙な感情で、あふれていた。
「せめてものお礼だ。苦しまぬよう、一撃でその頭を潰してくれる」
鉄人が拳を強く握った。
アゲハはカンタロウのことを思い出し、
――カンタロウ君。君といろんな所、一緒に旅したけど。本当に楽しかった。最初は君を騙すつもりだったけど。もう、そんなのどうでもよくなってた……あっ、そっか。
アゲハは自分の感情に気づいた。
「さらばだ。気高き獣人の娘よ」
頭の上では、鉄人が拳を振り上げている。
アゲハは微笑んでいた。
死の恐怖から逃避するために、笑ったのではない。
純心な想い。
――君と一緒にいたときに感じた安らぎ……あれを、『幸せ』って、いうんだ。
アゲハの頬に、透明な涙が流れる。
『アゲハ』
どこからか、カンタロウが自分の名を呼ぶ声が聞こえてきて、そっと振りむいた。
アゲハの顔つきは――『幸せ』な感情で、満たされていた。
鉄人の鋼鉄の拳が、アゲハの頭に入った。
アゲハの身体が、魚のように、ビクッと跳ね上がる。
大地が地割れ、砂埃が空高く舞い上がった。
アゲハは少しけいれんしたが、すぐにそれはやんだ。
赤い血が大地を染め上げる。
「お前の――冥福を祈ろう」
鉄人は強敵のために、黙祷を捧げていた。
結界に閉じ込められた鉄人は、逃げることができず、魔法を直接受ける。
結界の中はマグマのような、異常な光を放ち、すべてのものを溶かし、燃やし尽くす。
黒い焦げが、結界の外にまで広がっていった。
異臭が辺りに漂ってくる。
「ぐわあああああああぁ!」
鉄人の甲高い悲鳴が響いてきた。
全身に魔力を受け、抵抗することができない。
魔力の中に埋もれていく。
「……うっ」
アゲハはその場に、膝を下ろした。
呼吸が浅い。
全身を巡る、神脈を止めた影響がきているのだ。
――動けない。神脈を止めちゃったから、息も苦しい……死にそう。
アゲハは意識を保つため、鼻から酸素を深く吸い込む。
このような状態になったのは、初めてではないため、対処方法は知っていた。
昔、初めてこの魔法を放ったときは、その場で気絶してしまったのだ。
朧に助けられたが、ゲンコツを一発くらってしまった。
だいぶ落ち着き、鉄人の方を見ると、結界の外に赤い水が飛び散っている。
――まずい。魔法が強力すぎて、結界の外にでちゃってる。逃げないと……。
逃げようとしたアゲハは、目を丸くした。
「おのれっ! おのれっ!」
鉄人はまだ生きていた。
鋼鉄の拳で結界を、何度も、何度も、殴りつけている。
あの魔力をくらって、まだ動けることに、アゲハは本気で驚いていた。
結界はびくともしていない。
アゲハは少し笑い、
「無駄だよ。どんな強力なエコーズでも、絶対に結界の外にはでられない。そこがあなたの墓場……えっ?」
「おのれっ! おのれっ! おのれぇぇぇ!」
鉄人の渾身の一撃が、結界にヒビを入れた。
アゲハは目の前の出来事が信じられず、唖然と亀裂を見つめている。
――……嘘。そんなはずない。絶対にエコーズは結界を壊せない。結界に入れるのは、私しかいないはず……!
アゲハはあることに気づいた。
魔法が結界の外に漏れている理由。
そこに気づけば、結界にヒビが入った原因を見つけるのは簡単だった。
「そうか。月の玉の効力が、弱ってるんだ」
アゲハの脳裏に浮かぶ。
カンタロウからもらったとき、月の玉は黒く変色していた。
前に、そろそろ替えどきだと聞いたことがある。
鉄人や魔法が原因でヒビが入っているのではなく、結界を張る能力が無くなりつつあるのだ。
「うおおおおおおおおお!」
鉄人はさらに結界を殴りつけた。
結界のヒビがどんどん大きくなる。
魔法も結界の外に流れだし、土や草花を熱湯で焦がし始めた。
熱風がアゲハの髪を、チリチリと炙り上げる。
――逃げないと、魔法が漏れて、大爆発を起こしちゃう。だけど、まだ鉄人を倒せていない。
アゲハは迷う。
「小娘ぇぇぇ!」
鉄人が大きく拳を振り上げると、結界に強力な一撃をくわえた。
ヒビが、結界の全体を覆い始める。
――駄目だ。もう限界!
アゲハは魔法の暴走を止めるため、赤眼化した。
テファの神文字が、弱々しく右頬に光る。
神脈が全身を巡り、魔法の効力を無くすことができる。
神魔法の暴走が、停止した。
同時に月の玉が壊れ、結界が消失した。
中で暴れ回っていた魔力が、天高くまで噴きだす。火山のようだった。
「きゃあああああ!」
アゲハは爆風で、吹き飛ばされた。
体格が小さいため、体が宙に浮き、遠くまで投げだされる。
木にぶつかり、背中を強打した。鎧に亀裂が入る。
アゲハの意識が回復していく。
鼻腔に焦げた臭いが入ってくる。
暑い熱気が、皮膚を刺激する。
白い煙が喉に入り、アゲハはその場でむせて咳込み、
「うっ……ごほっ、ごほっ」
小結界を張った地面に、大きく黒い穴ができている。
木々にはまだ、魔法の火が燃えているものもある。
隕石でも落ちてきたかのような、凄惨な跡だった。
「森が、消し飛んでる……こんなに神魔法ってすごかったんだ」
アゲハは立ち上がると、ふらふらと鉄人を探し始めた。
黒い穴に近づいていくと、熱気を吐きだしている。
「熱い……。近寄れない」
アゲハが遠くにある研究所の方を見てみると、建物は半壊していた。
結界はまだ空高く張られている。
どうやら、吸収式神脈装置は地下にあったため、まだその活動を停止していないようだ。
曇り空から降る小さな雨は、まだこの土地に到達していない。
鉄人の気配を探ってみるが、どこにも存在しなかった。
「さすがに死んだか。はあ。これで二度目だけど、朧先生がいたら怒られちゃうな」
幼少のとき、アゲハは同じ魔法をエトピリカで放った。
自分が神脈を自由にコントロールできる体質だと気づいて、試したくなったのだ。
そのせいで、エトピリカのすぐ近くにあった小さな無人島は、跡形もなく消し飛ばされた。
それが原因で、朧からきつく、二度としないと誓わされたが、今回は目をつぶってもらうことにした。
「さて、カンタロウ君の所に行こ。早く行かないと、私の体力が尽きちゃう……」
アゲハの後ろで何か、音がした。
土が掘り返されるような音。
アゲハは何気なく後ろを振りむくと、黒い物体が立っていた。
「えっ?」
「ふんっ!」
アゲハの鎧に衝撃が走った。
耳に鉄が砕ける音がする。
鎧の残骸が、目の前を踊る。
背中に激痛が走った。
視線は空をむいていた。
何者かに殴り飛ばされ、岩に背中をぶつけ、自分が空に弾かれていることに、意識が追いついた。
――えっ? 何?
地面に倒れたアゲハは、何が起こったのかわからず、きょとんとした。
「――やってくれたな。小娘。この鉄人。久しぶりに死を感じたぞ」
黒いものが口を開いた。
鉄人だとわかった。
全身から、黒い土が落ちている。
――鉄人……どうして……!
鉄人の後ろに、人一人分ぐらい入れる、穴が開いている。アゲハはそれを見て、鉄人が穴を掘って、ここまで逃れたことを知った。
冷静に分析できたのは、最初だけだった。
「ああああああああああああっ!」
アゲハは激しい痛みで、その場にのた打ち回った。
悲鳴が無意識に、口からでてくる。
その後にでてきたのは、真っ赤な血。
「げほっ! がはっ! おえっ!」
血が呼吸をふさぐ。アゲハはたまらずその場で吐血する。
骨が体を支えてくれない。
目に見えているものが、白く濁る。
激痛が止まらず、アゲハの精神を侵食していく。
――何? 何? 何? 何? これは何?
アゲハに、ガクンと暗い、何かが落ちてきた。
痛みを感じなくなった。力も抜けてきた。
――やばい! 痛みを感じない! やばい! これはやばい!
アゲハは必死で、意識を保とうとする。
再び痛みと吐血が襲いかかってくる。
地獄の棘に刺され続けているような、終わりのない拷問。
「ああっ! いあああああああっ! きぃあああああああああっ!」
アゲハは仰向けになり、口から血を吐き続け、涙を流しながら叫んだ。
「――これは悪かった。一撃でしとめ損ねたな。まあいい。すぐそこに行って、トドメをさしてやる」
鉄人がゆっくりと、地面を踏みしめ、アゲハに近づいてくる。
その言葉だけは、なぜか鮮明に、耳に入ってきた。
――駄目! 駄目! 私は死ねない! カンタロウ君を! シオンを! 護らなきゃ!
アゲハは叫びながらも、体を起こそうと必死になる。
痛みよりも、死の恐怖が勝ったのだ。
体は言うことを聞いてくれず、足が動かない。
――動いて! お願い! 神様! 神様! お願いします! 一生のお願いです!
アゲハは必死で祈った。
信じてもいない、神様にむかって。
都合がいいとわかっていても、誰かにすがらざるおえなかった。
――私は死ねない! 自分がどうして神脈を持って生まれたのか! 出生の意味だってわかってないのにっ!
アゲハの口に血の味と、鼻水の味と、涙の味がする。
自分の今の形相を、鏡で見続ける自信はない。
生への執着を、頭の中で吐き続け、身体に力を入れる。
――お願いです神様! 一瞬でいい! ほんの数秒でもいい! 私に、カンタロウ君とシオンを護らせて!
その願いが叶ったのか、アゲハは立つことができた。
鉄人は驚き、足を止め、
「ほう?」
「まも……るんだ……。ごほっ! わたし……が……ふたり……を」
アゲハは足をふらつかせながらも、二本足で立ち、鉄人を見据え、
「だっ……て……」
剣を持つ手の、震えが止まらない。
涙が、とめどなく、地面を濡らす。
足下にできた血の水が、波紋を流す。
――この国で、この大陸で、この世界で……檻の中に閉じ込められた、絶望的な孤独を……。
アゲハの脳内に光景が浮かぶ。
このコスタリア大陸で見てきた、エコーズへのどす黒い感情。
大帝国の実験農場で見た、ゴーストエコーズ達を飼育している現場。
幼い頃、自分が持っていた純粋な人間への憧れが、粉々に砕かれた瞬間。
だけど、ようやく信じられる人間に出会った。
自分の存在意義を見失い、エコーズ以外の者は敵だという認識を逆転させた人。
カンタロウ。
同じ種族である人に阻害された人間と出会って、封印されていた自分の心を、探しだすことができた。
――やっと、理解し合える人に……出会ったんだ……。
アゲハの視界がゆがみ、
「あっ……」
うつ伏せに倒れる。
――動けない。
アゲハの筋肉が反応しない。
言葉が、途切れた。
聞こえたのは、鉄人が隣に立つ音。
「終わりだな。小娘。いや、名前を聞いておくべきだったな。女の身でありながら、よくぞここまで戦った。この鉄人、お前の意志の強さに感服したぞ」
鉄人の言葉は、アゲハの耳に入っていなかった。
ただ、笑いだけが、こみ上げてくる。
――ははっ、死ぬんだ。私。そりゃそうだよね。私は、神様に愛されていないんだから。
アゲハの生への執着が、諦めに変わったとき、なぜか妙な安らぎがある。
アゲハはその奇妙な感情で、あふれていた。
「せめてものお礼だ。苦しまぬよう、一撃でその頭を潰してくれる」
鉄人が拳を強く握った。
アゲハはカンタロウのことを思い出し、
――カンタロウ君。君といろんな所、一緒に旅したけど。本当に楽しかった。最初は君を騙すつもりだったけど。もう、そんなのどうでもよくなってた……あっ、そっか。
アゲハは自分の感情に気づいた。
「さらばだ。気高き獣人の娘よ」
頭の上では、鉄人が拳を振り上げている。
アゲハは微笑んでいた。
死の恐怖から逃避するために、笑ったのではない。
純心な想い。
――君と一緒にいたときに感じた安らぎ……あれを、『幸せ』って、いうんだ。
アゲハの頬に、透明な涙が流れる。
『アゲハ』
どこからか、カンタロウが自分の名を呼ぶ声が聞こえてきて、そっと振りむいた。
アゲハの顔つきは――『幸せ』な感情で、満たされていた。
鉄人の鋼鉄の拳が、アゲハの頭に入った。
アゲハの身体が、魚のように、ビクッと跳ね上がる。
大地が地割れ、砂埃が空高く舞い上がった。
アゲハは少しけいれんしたが、すぐにそれはやんだ。
赤い血が大地を染め上げる。
「お前の――冥福を祈ろう」
鉄人は強敵のために、黙祷を捧げていた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】元・おっさんの異世界サバイバル~前世の記憶を頼りに、無人島から脱出を目指します~
コル
ファンタジー
現実世界に生きていた山本聡は、会社帰りに居眠り運転の車に轢かれてしまい不幸にも死亡してしまう。
彼の魂は輪廻転生の女神の力によって新しい生命として生まれ変わる事になるが、生まれ変わった先は現実世界ではなくモンスターが存在する異世界、更に本来消えるはずの記憶も持ったまま貴族の娘として生まれてしまうのだった。
最初は動揺するも悩んでいても、この世界で生まれてしまったからには仕方ないと第二の人生アンとして生きていく事にする。
そして10年の月日が経ち、アンの誕生日に家族旅行で旅客船に乗船するが嵐に襲われ沈没してしまう。
アンが目を覚ますとそこは砂浜の上、人は獣人の侍女ケイトの姿しかなかった。
現在の場所を把握する為、目の前にある山へと登るが頂上につきアンは絶望してしてしまう。
辺りを見わたすと360度海に囲まれ人が住んでいる形跡も一切ない、アン達は無人島に流れ着いてしまっていたのだ。
その後ケイトの励ましによりアンは元気を取り戻し、現実世界で得たサバイバル知識を駆使して仲間と共に救助される事を信じ無人島で生活を始めるのだった。
※この作品は「小説家になろう」さん、「カクヨム」さん、「ノベルアップ+」さん、「ノベリズム」さんとのマルチ投稿です。
サクリファイス・オブ・ファンタズム 〜忘却の羊飼いと緋色の約束〜
たけのこ
ファンタジー
───────魔法使いは人ではない、魔物である。
この世界で唯一『魔力』を扱うことができる少数民族ガナン人。
彼らは自身の『価値あるもの』を対価に『魔法』を行使する。しかし魔に近い彼らは、只の人よりも容易くその身を魔物へと堕としやすいという負の面を持っていた。
人はそんな彼らを『魔法使い』と呼び、そしてその性質から迫害した。
四千年前の大戦に敗北し、帝国に完全に支配された魔法使い達。
そんな帝国の辺境にて、ガナン人の少年、クレル・シェパードはひっそりと生きていた。
身寄りのないクレルは、領主の娘であるアリシア・スカーレットと出逢う。
領主の屋敷の下働きとして過ごすクレルと、そんな彼の魔法を綺麗なものとして受け入れるアリシア……共に語らい、遊び、学びながら友情を育む二人であったが、ある日二人を引き裂く『魔物災害』が起こり――
アリシアはクレルを助けるために片腕を犠牲にし、クレルもアリシアを助けるために『アリシアとの思い出』を対価に捧げた。
――スカーレット家は没落。そして、事件の騒動が冷めやらぬうちにクレルは魔法使いの地下組織『奈落の底《アバドン》』に、アリシアは魔法使いを狩る皇帝直轄組織『特別対魔機関・バルバトス』に引きとられる。
記憶を失い、しかし想いだけが残ったクレル。
左腕を失い、再会の誓いを胸に抱くアリシア。
敵対し合う組織に身を置く事になった二人は、再び出逢い、笑い合う事が許されるのか……それはまだ誰にもわからない。
==========
この小説はダブル主人公であり序章では二人の幼少期を、それから一章ごとに視点を切り替えて話を進めます。
==========
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
そんな言葉から始まった異世界召喚。
呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!?
そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる