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最終章 崩壊都市

パンドラック・ミクス

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 カンタロウはマリアを追いかけて、廊下を走っていた。


 研究所の廊下は、植物が窓に張り付いているため、隙間から入り込む薄い光しかない。

 白いホコリが、光に反射して空に舞い上がっている。

 走る足音が、大きく反響してくる。


 手にはたいまつを持っているが、それでも植物の茎や蔓に足を取られそうになった。



「マリア……」



 カンタロウはマリアを完全に見失った。


 気配を感じるため、走る足を止める。

 耳に全神経を集中し、物音を探っていく。

 ある部屋から、女の低い声が聞こえてきた。


 カンタロウは、その部屋に入った。


 部屋の中は木製の机や椅子が、乱雑に置かれてあった。

 食器やコップが、地面に投げだされている。

 部屋をゆっくりと歩いていると、壊れた椅子のむこう側に、白い髪の少女が見えた。

 床には、たいまつが転がっている。



「うっ、ううっ……」



 マリアは口を押さえ、部屋の角で嗚咽を漏らしていた。


 妹の死を、はっきりと見てしまったのだ。もう、シオンが生還する希望はない。

 カンタロウは声をかけようか、どうか、迷ったが、勇気をだして近づくことにした。

 この施設にマリアを一人にしておくことが、危険だと思ったからだ。ただ、慰めの言葉は、何一つ思い浮かばない。



「マリア……」



 カンタロウが声をかけると、すぐに反応した。ゆっくりと振りむく。



「カンタロウ……様……」



 マリアの茶色の瞳から、涙が幾度も流れていく。


 カンタロウは、頭の中が真っ白になり、何も言うことができなかった。

 悲しさが伝染し、言葉を失う。

 マリアの表情を直視することができず、つい目をそらす。


「おっ……」


 唐突に、カンタロウの体に、軽い衝撃が走った。

 マリアが抱きついてきたのだ。

 カンタロウの背中に、両手の温もりを感じる。


「ごめんなさい……迷惑なのはわかってます……だけど……私……耐えられない」


 マリアはカンタロウの胸に顔を埋め、泣き続けた。

 カンタロウは少し躊躇したが、マリアを優しく抱きしめた。髪が手に、さらさらと流れていく。



「俺でよかったら――いっぱい泣けばいい」



 カンタロウの精一杯の気持ちだった。





 ツバメとアゲハは、実験室でカンタロウとマリアの帰りを待っていた。


 二人を追いかけてもよかったのだが、迷う可能性もあったため、ここはカンタロウを信じて待つしかなかった。

 月の氷は完全に故障し、いくらボタンを押しても録画を再生しなかった。

「マリアの奴、大丈夫かね? 心配だなぁ」

 ツバメはうろうろと、腕を組んで、室内を歩き回っている。

「大丈夫だよ。カンタロウ君が行ってるし。女には優しいし」

 アゲハは椅子に座り、一見落ち着いているように見えるが、足のゆすりが苛立ちを隠せないでいた。

「そうだねぇ。カンタロウっちって、ちょっと偉そうな所あるけど、何か男っぽくないっていうか、ガツガツいかない所があるからね。マリアみたいなタイプは合うかもね」

「…………」

 ツバメが二人の関係について語ると、急にアゲハは黙り込む。

「何か浮かない顔だね。二人の関係が気になるかい?」

「別に」

 アゲハはツバメに顔もむけず、一言で、言葉を切ってしまった。

 ツバメは息を吐くと、アゲハの前に立ち、



「あんたさ。カンタロウっちの前で、泣いたことある?」



「ないよ。なんで?」

「女の涙は男の心を動かす武器ってことさ。そんな態度だと、カンタロウっち取られちまうよ。女ってのは、女同士で競争しちまうもんなんだからさ」

 ツバメはカンタロウとマリアが一緒になるのを応援していない。

 組織の一員というモラルもあるが、多少個人的な感情も含まれているのだろう。

 当人には伝わっていないが、マリアのことを思って言っているのである。

「これが私のキャラだもん。変えようがないよ。それに、カンタロウ君を取られるって、どういうこと?」

 アゲハがツバメを椅子から見上げた。その碧い瞳から、好奇心と、疑問が浮かんでいる。

 ツバメはその宝石のような瞳に、吸い込まれそうになり、体を横へむけ、

「言ったとおりだよ。他の女に取られるってこと」

「取る? それって、自分のものにするってこと?」

「まあ、そういうことかな?」

「じゃ、例えるのなら、マリアはカンタロウ君を自分のものにしたいの?」

 アゲハに直接そう言われると、うなずくしかない。

「そうだと思うけどね」

 ツバメは遠回しに言うことをやめ、はっきりと口にだした。

「違うよ」

「えっ?」

「マリアはカンタロウ君を、自分のものにしたいんじゃない。カンタロウ君が好きなだけだよ。マリアの態度を見てても、おかしい所ないじゃん」

 アゲハはきちんと理解していた。

 マリアがカンタロウに好意的であることを。

 アゲハはマリアに嫉妬したり、羨んだりすることがない。それは、カンタロウを恋愛相手だと見ていないことになる。

「そっ、それはそうなんだけどさ」

 ツバメはまじまじとアゲハを見つめ、戸惑った。

 アゲハはカンタロウのことを、好きなものだと思っていたからだ。

 違っていたという割には、不機嫌な態度から、根拠を集めるのは難しい。



「だったら別にいいじゃん。ツバメの言ってること、意味わかんない」



 アゲハは視線を床に落とすと、話すのをやめてしまった。



 ――う~ん。この子とは、なんだか男女関係の話になると、つじつまが合わないねぇ。



 ツバメはどうしていいかわからず、頭を手でかく。


 仕方のないことだった。

 目の前にいる相手が、男女の色恋沙汰とは無縁の種族であることを、知らないのだ。


 アゲハの心の中は、他人が思っている以上に葛藤し、本人もどうしていいかわかっていないのだ。

「……ん?」

 ツバメが反応した。

 細い廊下から、物音が聞こえた。

 アゲハの耳が、ピクリと動き、




「さっき、何か物音しなかった?」




「ああ、したね。マリアとカンタロウっちかい?」

 ツバメも気づいていた。二人して暗い廊下を見つめるが、何もでてこない。

「なんだろ?」

 アゲハは立ち上がると、暗い廊下にむかって歩んでいく。音はそれ以上、何も聞こえない。

「気をつけなよ」

 ツバメが一応、声をかけた。



「えっ? 何か言っ」



 アゲハはツバメの言葉が聞き取れず、後ろをむいた。

 金髪の髪が、はらりと落ちていく。

 考えるのに時間はかからなかった。




「くっ!」




 アゲハは素早く、その場から逃げだした。

「どうしたんだい? アゲハ?」



「ツバメ! 敵だ!」



「へっ?」

 たいまつの明かりに、鈍く何かが光った。

 錆びた剣だった。

 色の剥げ落ちた鎧を着た何者かが、二人の前に立っている。




「くはぁ……」




 それは白い息を吐くと、赤い両目を二人にむけた。

 白い歯がギシギシと、摩擦する音が聞こえる。

 皮膚が腐食しているのか、血の通った色をなしていない。



「両目が赤い! ゴーストエコーズか?」



 ツバメは剣を持つと、それにむかって構える。


 ――違う。エコーズの気配はしなかった。これは……。


 アゲハは激しく動揺していた。

 この大陸で、その術を使うのは、死刑を覚悟した者のみ。

 禁忌とされた術。




「パンドラック・ミクスだ」




 アゲハが術の名前を言ったと同時に、それは牙を剥きだして襲いかかってきた。





 カンタロウとマリアは、長椅子に座っていた。

 マリアの嗚咽もやみ、だいぶ落ち着いたようだ。

 たいまつの火が、パチパチと静寂な空間に響いている。

 壁に二つの影が、寄り添って揺れていた。


「ごめんなさい。だいぶ、落ち着きました」


 マリアは両手を膝に置くと、小さく言った。

「そうか。良かった」

 カンタロウはその隣で、たいまつの火を見つめている。



「…………」

「…………」



 しばらく、二人とも何もしゃべらなかった。

 口を最初に開いたのは、マリアで、

「ねえ、カンタロウ様」

「ああ」




「シオンは――死んだのでしょうね」




 あの月の氷の映像を見る限りでは、確実にシオンは死んでいる。

 試験管の中で、大量に飛び散った血液。

 普通の人間であれば、もはや生きてはいない。

「……そう……」

 カンタロウはそれだけ言うと、口をつぐんだ。

「そうだな」とは、はっきりと言えなかったのだ。

 マリアの表情を見やってみる。





「それでは、仕方ないですね」





 マリアはあっさりとしていた。

 声に淀みはない。

 感情の変化が、急激に変わった。



 ――仕方、ない?



 カンタロウは異様な違和感がした。

 妹を失った悲しみが、もうその顔つきからは感じ取れない。

 カンタロウの背筋に冷たい何かが、神経を凍らせていく。

「シオンのことは諦めました。あの子もこうなることが、運命だったのでしょう」

 ――マリア?

「きっと幸せだったと思います。少しでも、女神に近づけたのだから」

 ――マリア、いったい。

「シオンはいなくなりましたけど、私の気持ちは変わりません。カンタロウ様と一緒にいたいという気持ちです。帰りましょ。あなたの家へ」

 ――何を、言ってるんだ?




「私、あなたのお母さんとお姉さんに、話したいことがあるんです。だから帰りましょ――私達の家へ」




 マリアの瞳が、笑っていた。

 涙で濡れた瞳が、紅い唇が、頬の筋肉が、まぎれもなく、カラカラと笑っている。


 カンタロウはそこに例えようのない恐怖を感じ、目を見張った。

 ゴミを捨ててすっきりしたような、そんなさっぱりとした感覚。


 マリアはまだ、カンタロウに告白を続けている。



 カンタロウの耳には、何一つ言葉が入ってこなかった。



 幼少のとき、目の前に自分がいるのに、見られることもなく、話を続ける大人達と重なった。

「カンタロウ様」

 マリアの柔らかい体に触れ、ようやくカンタロウは我に返った。

 気づくと、マリアの方から、肩を寄せてきていた。

 マリアの匂いが、柔らかな感触が、甘い息遣いが、すべての神経を逆なでし始める。



「私を――受け入れてくれますか?」



 マリアが優し気な表情をしながら、顔を近づけてくる。

 近くで見た顔つきは、女神のように美しい。

 白い髪が闇に輝き、茶色の瞳が炎のように神秘的な灯りを照らす。

「…………」

 カンタロウは動けなかった。

 拒否することも、拒絶することも。

 受け入れることも、自ら動くことも。

 これから何をするのか、さすがのカンタロウでもわかっていた。

 マリアが何を望んでいるのか、何をしたいのか、すべてわかっていた。

 ただ、自分の意志がそこにはない。

 意志がないのだから、何もすることができない。

 無機質のように、固まる。



「カンタロウ様……私……あっ」



 唇が、カンタロウの唇に触れそうになった瞬間、マリアの目が何かに気づいた。

 マリアは慌てて顔を離し、




「誰か、いる?」




 固まっていたカンタロウの体に、熱い血液が流れだす。

 感覚が戻ってきた。

 嫌な気配が部屋に充満している。



「誰だ!」



 カンタロウは気配の正体の方を見ると、そこには鎧を着、剣を持った男達が四人、幽鬼のように立っていた。

 ――あの格好は傭兵? なぜこんな所に?

 カンタロウは、椅子から立ち上がる。

「あっ、あの人達……」

 マリアが男達の顔を見て、目を白黒させた。

 カンタロウが刀の柄を手に取り、

「知り合いか?」



「えっ? あっ、いえ。確か、大使徒様が雇った、ハンターだと思います。でも、一ヶ月間、音信不通だったのに……」



 マリアが言う。


 刹那、男達がゲラゲラと笑いだした。

 口は締まりなく開き、ヨダレが垂れている。

 赤い両目は充血し、色の悪い頬が一層不気味さを醸しだしていた。








「なんだ? 誰かいると思ったら、顔のいいお兄ちゃんと、美人なお姉ちゃんじゃねぇか。豚がいるよぉ。醜い小鳥がぁ」

「俺の嫁さんと子供よりかは劣るがな。嫉妬だ! 若造が! 俺の嫁に何かするつもりだな!」

「お前の不細工な嫁なんて相手にしねぇよ。二人を殺すのか? 食べるのか? 刻むのか? 俺が好きなのは、飛んでいくことさ」

「黙れ! ワンワン、ワンワン、ワンワン、ワンワン、俺の耳で鳴くんじゃない! 黙れ! 黙れぇぇぇ! えっ? 何か言った?」








 四人の男達は、訳の分からないことを喚きながら、大声で笑い続けた。

 閑静だった施設が、喧噪の場に変わっている。

 二人は何が起こったのかわからず、動揺を隠せない。



「カンタロウ様、あの人達、両目が……」



 マリアが青ざめた。

 四人の男達全員の両目が、真っ赤になっていた。

 元は違っていたのだろう。

 マリアの声が、微妙に引きつっている。



「ああ、赤い。ゴーストエコーズか? お前等、何を言ってるんだ?」



 カンタロウが声をかけるが、四人ともまったく答えない。

 一人の男が、剣を振り上げた。





「こっ、こここっ、ここおここおこおっ、殺せぇ!」





 唾を飛ばしながら、男は戦闘を宣言した。

 右頬が赤く光り、文字があらわれる。

 赤眼化所持者なら誰でもわかる、神文字だった。




「神文字? そんなっ!」

「エコーズじゃないのか?」




 マリアとカンタロウが、あまりのことに、立ちすくんだ。

 エコーズは神文字を持てない。

 男の右頬にあらわれたのが神文字ならば、それはエコーズではない証。

 彼は正真正銘の赤眼化できる人間なのだ。







「いえぇさあぁ!」

「化け物どもがぁ! 正義の鉄槌をくれてやる!」

「金だ! お前達を殺して、嫁と子供を食わすんだぁ!」







 ハンター達が、一斉にカンタロウとマリアにむかって襲いかかってきた。

 顔はすでに正気を失っており、理性すらなかった。

 黒いカビのついた歯が、獣のように獲物にむかって噛みついてくる。



 ――いったい、何が起こってる?



 カンタロウは四人の男達にむかって、目を見開いていた。
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