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最終章 崩壊都市
破壊されたシオン
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四人は地下を上がると、部屋を一つ一つ調べていた。
部屋の中は割れたガラス、ホコリが積もった机、実験器具など、乱雑で荒れている。
人が建物に入った形跡もなく、足跡すら見つからない。
窓という窓に、植物が張り付いているため、昼間なのにたいまつがなければ、何も見えなかった。
「この部屋にもいないねぇ……」
ツバメが部屋の中に明かりを灯してみるが、ネズミ一匹見つからない。
静寂が施設を支配している。
人の呼吸する音ですら聞こえない。
「本当にこの施設に、信者やクロワって奴、いるの?」
「いるはずなんだけどねぇ」
「人の気配しないんだけど? 間違った情報なんじゃないの?」
「そんなはずは、ないんだけど……」
アゲハに何度もつっこまれ、ツバメは自信なさ気に答えた。
「俺の背中にくっついている奴が、偉そうに言うな。お前は猿か」
アゲハはカンタロウの背中に、ぴったりとくっついていた。お化けが怖く、人肌が恋しいのだ。
「いいじゃん。怖いんだもん」
アゲハはカンタロウの背中に顔を当て、ぐりぐり動かした。
「まったく」
カンタロウは、非常に迷惑そうな顔をする。
「本当に怖がりなんですね。なんだか、アゲハさんって意外に可愛らしいです。ふふっ」
マリアはアゲハのもう一つの一面に、微笑ましさを感じていた。
いつも偉そうなことを言っている姿との、ギャップが大きいからだ。
子供っぽくて、とても可愛らしい。
お兄さんにしがみつく、恐がりな妹のようだ。
アゲハはマリアにそんなことを言われ、耳の先まで真っ赤になった。
「ちっ、違うよ! 私は怖いんじゃなくて、よくわからないものに、恐怖を感じてるの!」
「それを怖いって言うんだぞ」
「うるさい!」
アゲハはカンタロウの背中を上ると、頭をポカポカと叩いた。
「あたた、頭を叩くな」
カンタロウが怒ってアゲハをつかまえようと手を後ろにやるが、うまくかわされている。
「ふふっ、まあまあ、お二人とも」
マリアはそんな二人を、落ち着かせようとしている。仲間としての連帯感を感じられ、居心地がいいようだ。
「うん?」
部屋を調べていたとき、ツバメが何かに気づいた。
廊下に赤く、太い線が引かれている。
時間がたっているのか、どす黒く腐り、変な臭いがした。
「何? 何かいるの?」
「おっ、お前、首を……」
アゲハはカンタロウの首に腕を回し、全力を込める。
カンタロウは青い顔で、必死でアゲハの腕を叩いた。
アゲハがカンタロウから離れた。
ツバメは廊下についた液体を、手に取ってみる。
指からポロポロと崩れている。乾いて、固まっているようだ。
ツバメはペロッとそれをなめ、
「これは……血だね」
「血って……人のですか?」
マリアの言葉がつまる。和やかな雰囲気が、急速に錆びて、剥がれ始めた。
「人のだ。動物のじゃない」
長年の経験と勘からわかるのか、専門家ですら難しい血の特定を、ツバメは判定してみせた。
嘘くささは感じられない。
誰もがツバメを疑わなかった。
「廊下の奥から、続いているな」
カンタロウは液体の流れや引きずった跡から、血の主がどこに移動したかを、読みとることができた。
ツバメは視線を向け、
「奥へ行ってみようか?」
「ああ、ここまで古いと、かなり時間はたっているけどな」
カンタロウはすぐに同意した。
フリーのハンターだけあって、ツバメはマリアと違って動揺はない。頼もしさすら感じる。
「アゲハ、エコーズの気配はするか?」
カンタロウは一応、アゲハにエコーズの存在の確認を取る。
「ううん。今の所ない」
アゲハは自信を持って、首を横に振った。
「他のは?」
「それは、まあ、ないね」
他の気配については、アゲハは曖昧だった。
四人は血を追いかけて、二階に上っていった。
廊下では、おびただしい赤黒い液体が、天上、壁、ドア、窓にまで飛び散っていた。
いったい何十人もの人間から出血したのか、想像すらできない。
遺体は骨まで動物に運ばれたのか、小さな白い破片しか残っていなかった。
「うわっ、ひどいね。血がそこらじゅう飛び散ってるよ。ここは惨劇の館かい?」
ツバメが鼻をかく。
濃い植物の匂いで気づかなかったが、辺りから異様な臭いが漂ってくる。
ツバメはたいまつをむけながら、たまらずあいている手で鼻をつまんだ。
天井から水滴が、血のように滴り地面で弾ける。
「……シオン」
マリアは泣きそうな顔つきで、妹の名前をつぶやいた。
四人が奥へと進むと、ある部屋の前にたどりついた。
「血はどうやら、この部屋から続いているようだね」
ツバメが血の行き先を示した。
ドアは粉々に破壊されている。
斜めに傾いた名札には、『中央監視室』と書かれてあった。
中に入ると、四角の画面のディスプレーがあり、それは表面が破壊され、中身が覗いている。
すぐ前にあるキーボードも、二つに砕かれていた。
職員が座る椅子は逆さになっていたり、壁に突っ込んでいたりと、散々な扱いだ。
引っかき傷や乾いた血が、床に多くの線を残している。
この施設に入り込んだ動物達が、遺体を巣に運んでいった跡なのだろう。それ以外の怪物かもしれない。
マリアはそれを見て、身震いが抑えられなかった。つい、カンタロウの腕を、握り締めてしまう。
カンタロウはマリアの気持ちを察し、特に何も言わなかった。
「ここは、中央監視室だね」
「なんだ? それは?」
「吸収式神脈装置を起動させるための、制御室さ。ここで遠隔操作して、装置を動かすんだ」
ツバメはよく知っているのか、カンタロウにすらすらと監視室について説明する。
「へぇ。ここがそうなんだ?」
アゲハも始めて見るようだ。
前に吸収式神脈装置を見たので、地下の装置は驚かなかったが、中央監視室は初見だった。
普通は警備員がいるほど厳重で、一般人の立ち入りは許可されていないからだ。
どこの都市や町でもそうである。
「でも、無惨なぐらい破壊されてますね」
マリアが落ち着いてきたのか、カンタロウから離れて、機械に触れたりしてみる。
キーボードを押してみても、何の反応もしない。
「これじゃ、使い物にならないね。やっぱり直接装置を起動させて正解だったよ」
ツバメは両手を後頭部にやり、部屋を見回していた。
「あの扉は何だ?」
カンタロウが部屋の奥にある、扉に気づいた。
防火扉になっているのか、鉄製でやけに分厚い。
アゲハが扉を開いてみると、狭い通路が続いていて、
「細い廊下だね。いかにも怪しいわ。これ」
マリアが廊下を見下ろしてみて、
「血はこの奥に続いてますね」
廊下にはびっしりと、赤黒い乾いた血の跡がついていた。
引きずった跡を見ると、奥からでてきたようだ。
中央監視室にたどりつき、惨劇が起きた。
ここまでは四人とも想像できたので、誰も口を開くことはなかった。
ツバメを先頭として、その細い廊下を歩いていく。
秘密の部屋はすぐに見つかった。
血はその部屋からでてきていた。
ツバメが見回しながら、
「うわっ、狭いし薄暗い部屋だねぇ。ここにも機械あるし」
部屋の天井は低く、圧迫感を感じる。
机がいくつかあり、その上にはホコリをかぶったモニターがあった。
外に通じる窓がないため、どうやら照明のみで部屋を照らしていたようだ。
たいまつの明かりが、奥の闇まで届かなかった。
アゲハが部屋の端まで歩いて行く。
その後ろには、マリアがついてきていた。
部屋の奥の方には、透明のガラスがあり、それは何かを閉じ込めるように、壁になっている。
アゲハが光る物を踏み、
「何、これ? 床にガラスの破片がすごい」
「この透明の壁のガラスでしょうか?」
マリアがガラスの破片を拾ってみる。とても分厚く、壊れた透明の壁に合わせてみると、ピッタリだった。
マリアは不思議に思い、
「どうしてここだけ、透明の壁を作ったんでしょうか?」
「たぶん、この部屋を観察できるようにしてたんじゃない?」
アゲハが崩れた透明の壁から、たいまつを入れてみて、
「うわっ! 床、血塗れじゃん。何があったんだろ?」
透明の壁のむこう側は、赤黒い血ですさまじい状態になっていた。
天井や床、壁と、容赦なく飛び散っている。
たいまつの火に気づいたのか、小さな虫達が、一斉に音をたてる。
マリアはその音に驚いて、ついたいまつを落としそうになった。
昆虫の絨毯を見たアゲハは、さすがに虫の王国に足を入れるのをためらった。
さらにたいまつを伸ばしてみると、壁際に三つの大きな試験管があった。
左右の二つは無事なようだが、真ん中の試験管は、元の形がわからないぐらい破壊されている。
内部から何かでてきたのか、ガラスの破片が、前の方に散らばっていた。
液体が排水溝に流れた跡が、とても生々しい。
「アゲハさん。あれはなんだったんでしょうか?」
マリアが試験管に注目する。
「う……ん。あの大きな試験管に、何か入れてたんじゃない? 熊一頭ぐらいは、入れそうだからね。それが内側から破壊して、外に飛びでたって感じだよね」
「では、何がでてきたんでしょうか?」
「わかんない。ただ、血の量からして、そいつがここの信者達を殺していった。もしかしてクロワももう……」
アゲハは、口を閉ざした。マリアが悲しそうな表情をしていたからだ。
妹のシオンがどうなったか、最悪の展開を想像したのだろう。
二人の間に、沈黙が流れた。
「おいっ、これは?」
カンタロウが何かを発見した。
それをきっかけに、アゲハとマリアはそこから離れることにした。
ツバメもカンタロウの元へとむかう。
「おやっ? 本当だね。どれどれ」
ツバメがカンタロウから、物を受け取る。
丸い形で、表面は鏡のように滑らかだ。
大きさは人の頭より少し大きく、厚さは五センチぐらい。
下にはボタンが取り付けてある。
ツバメは物を見回し、
「これは『月の氷』だね。起動エネルギーに神脈を使っている魔道具だ」
「動くのか?」
「ちょっと待ちな。ここを押してと、よし、動くよ」
カンタロウに見せるように起動。
月の氷から映像が映しだされた。
カンタロウはそれを見て、目を丸くし、
「すごいな。売ればお金になりそうだ」
「月の氷は貴重品だからね。それこそ数が少ないんだよ。もしあれだったら、持って帰ればいいんじゃないか?」
「いいのか?」
「あたしのじゃないからいいよ」
ツバメはあっさり承諾。
カンタロウは借金返済のため、お金が必要だ。
売れそうな物があれば、なんでも持って帰って売っていた。
たまにスズやヒナゲシのために、使えそうな物を持って帰っていた。
月の氷はどこか故障しているのか、映像がたまに乱れる。
画面に白い線が何本も入っていた。
何とか映像の内容は確認できる。
画面には、試験管が映しだされていた。
四人の男が、ベッドを運んでいる。
ベッドには女の子が寝かされていた。
「あっ、あのベッドに寝かされてる女の子」
マリアが何かに気づき、
「シオン!」
妹の名前を叫ぶ。
シオンの髪はマリアと同じく白く、服はビーナスメイクの信者の服を着せられていた。
顔立ちはやはり幼く、背丈も小さい。
肌もマリアと同じく白く、姉妹であることを強く感じさせられる。
「あれがマリアの妹か。というか、この映像は何なんだ?」
「記録映像だよ。つまり、過去の出来事を、映像として録画できるんだ。ほら、日付があるだろ? これは、半年前ぐらいだね」
「すごい魔道具だな」
カンタロウはツバメから聞く月の氷の性能に、感嘆の声を上げた。
シオンは眠ったまま、試験管の中に入れられると、何かの液体が充満していく。
液体の色は、赤い。
試験管は真ん中を使用しており、両隣の試験管には何も入っていない。
透明な壁のむこう側にあった物と、まったく同じだ。
マリアはとても嫌な予感がし、両手で自分の体を抱きしめる。
「いったい何をしてるんだ?」
カンタロウがしゃべると同時に、月の氷から音声が流れた。
『これより……を開始……。この……が成功すれば、我々ビーナスメイク……飛躍と発展を期待でき……』
「なんだ? この声は?」
カンタロウはどこから声が聞こえてくるのかわからず、キョロキョロと辺りを見回す。
「クロワ様……」
マリアがその声の主の名前を、つぶやいた。
「どうやら声も、録音できるようだね」
ツバメがカンタロウに、説明してやる。
シオンが入っている試験管に、液体が満たされた。
液体の中で、何か泡のようなものが、蠢いている。
男がそれを確認し、後ろにむかって手を上げた。
画面から消えていく。
『少女にはある……をしておいた。これで、彼女は、永遠に自分が女神であると、認識できるであろう。我々にとって女神とは、すべてにおいて平等に接しなければならないのだ』
クロワは音声だけを、記録しているようだ。自分の姿を、画面には映していない。
『我々が崇拝するリブラとは、魂の葬送を意味する。魂に……はない。そこには、悪も、善も存在しない。すべて女神の慈愛により、彼等を救ってやらねばならない。これが完成すれば、我等の教義は世界全土に広がる。人は神を、女神を信じるようになる。なぜなら、人は本物の神を見ることになるからだ』
自己陶酔した者の声だ。
自分のやることはすべて崇高で、低俗なものを嫌う性格なのだろう。
良い方向にむかえばいいが、悪い方向にむかったとき、たちの悪いものへと変化する。
『さあ、準備は……実験開始』
試験管の中の液体が、真っ赤な光を発光させた。
眩しく、映像を見ていた四人はたまらず目を細める。
シオンがどうなったのかは、光が邪魔してまったくわからない。
『どうし……なに……た?』
クロワの緊張した声が聞こえてきた。
音声が途切れ途切れになっている。
映像もさらに白い線が増え、見えずらくなった。
月の氷は、壊れかけているようだ。
『少女……試験管……エラー……発生しています!』
『ゴーストエコーズ……出現……神脈が急速に低下!』
『馬鹿な……神脈がなくなって装置がトリップ……結界消失……』
「なんだ? どうした?」
「何か起こったみたいだね? 音声が聞き取りずらいよ」
カンタロウとツバメが耳をすましても、何を言っているのか理解できない。
「……シオンが」
マリアが妹の名前を、小さく呼んでいる。
映像に注目すると、試験管から液体が漏れだし、床を赤黒く染めていた。
液体のなくなった試験管の内部から、シオンが両手で何度も、何度もケースを叩いている。
何か事件が起き、意識が覚醒したのだ。
「あの子。起きてる。必死でケースを叩いてるみたいだけど」
アゲハも、シオンの異常事態に気づいた。
「ちょっと待ちな。こういうときはね。こうするといいのさ」
ツバメが月の氷の角を、手で叩いてみる。すると映像が綺麗に映り、音声も鮮明になった。
『いだい! いだいよぉ! お姉ちゃん! マリアお姉ちゃん! 助けて! いだいぃぃぃ!』
すべてがはっきりとなった。
シオンが、悲鳴を叫んでいる姿が。
白かった髪は血に染まり、絶望的な表情で、何度もマリアの名前を泣き喚く。
四人は言葉を失い、呆然とした。
「しっ、シオン……」
ただ、マリアだけが、映像に手を伸ばした。
本物のシオンはいない。
過去の映像なのだから。
しかし、手をださないわけには、いかなかった。
『がばっぁ!』
マリアが手で映像に触れる前に、シオンは事切れた。
試験管の壁から、手がズルリと落ちていく。
最後の断末魔は、マリアの脳の奥深くまで刻まれてしまった。
『おのれ……敗だ。どうして……女は……ゴーストエコーズを生み……? ……完璧な神を作ることが、気に入ら……? 何? この施設に神獣……?』
映像も、音声も途切れた。
ツバメも、これ以上、月の氷を直そうとは思わなかった。
誰もが口を閉じる中、マリアだけは動揺を隠しきれず、月の氷から一歩、また一歩離れていく。
「いや……いやっ、シオン! うっ……」
マリアは口を押さえると、廊下に飛びだしていった。
「マリア!」
ツバメがマリアを追いかけようとすると、カンタロウが止め、
「俺がマリアを連れ戻す! ここにいてくれ!」
「わかったよ! 必ず連れ戻しておくれ」
「ああ!」
カンタロウはマリアを追いかけて、廊下の奥へと消えていった。
――それにしてもクロワの奴。いったいどんな方法で、女神を生みだすつもりだったんだい?
ツバメが考え込んでいると、月の氷がまた映像を流した。
アゲハが映像を眺めていると、おかしなことに気づき、
「あれ?」
映像の上半分は壊れてしまい、画面が歪み見えない。
注目したのは、下半分の映像だ。
試験管から赤黒い液体が流れる床を、白い足の何かが歩いている。
それにくっついて、大きな見たこともない魚が、ビチビチと跳ね回っているのだ。
さらに、赤く、両目のない大蛇も、ウネウネと気味悪く床を這っている。
どこからか、奇妙な鳥の鳴き声がした。
――魚に、蛇? それに、鳥? そんな生き物、いなかったはずなのに。
刹那、魚と蛇が、アゲハの方をむいた。
映像が途切れた。
あとは何も映しだされず、月の氷は完全に壊れてしまった。
ツバメが異様な様子に気づき、
「どうしたんだい?」
「うっ、ううん……なんでもない……」
アゲハの心臓は、止まることなく、動き続けていた。
部屋の中は割れたガラス、ホコリが積もった机、実験器具など、乱雑で荒れている。
人が建物に入った形跡もなく、足跡すら見つからない。
窓という窓に、植物が張り付いているため、昼間なのにたいまつがなければ、何も見えなかった。
「この部屋にもいないねぇ……」
ツバメが部屋の中に明かりを灯してみるが、ネズミ一匹見つからない。
静寂が施設を支配している。
人の呼吸する音ですら聞こえない。
「本当にこの施設に、信者やクロワって奴、いるの?」
「いるはずなんだけどねぇ」
「人の気配しないんだけど? 間違った情報なんじゃないの?」
「そんなはずは、ないんだけど……」
アゲハに何度もつっこまれ、ツバメは自信なさ気に答えた。
「俺の背中にくっついている奴が、偉そうに言うな。お前は猿か」
アゲハはカンタロウの背中に、ぴったりとくっついていた。お化けが怖く、人肌が恋しいのだ。
「いいじゃん。怖いんだもん」
アゲハはカンタロウの背中に顔を当て、ぐりぐり動かした。
「まったく」
カンタロウは、非常に迷惑そうな顔をする。
「本当に怖がりなんですね。なんだか、アゲハさんって意外に可愛らしいです。ふふっ」
マリアはアゲハのもう一つの一面に、微笑ましさを感じていた。
いつも偉そうなことを言っている姿との、ギャップが大きいからだ。
子供っぽくて、とても可愛らしい。
お兄さんにしがみつく、恐がりな妹のようだ。
アゲハはマリアにそんなことを言われ、耳の先まで真っ赤になった。
「ちっ、違うよ! 私は怖いんじゃなくて、よくわからないものに、恐怖を感じてるの!」
「それを怖いって言うんだぞ」
「うるさい!」
アゲハはカンタロウの背中を上ると、頭をポカポカと叩いた。
「あたた、頭を叩くな」
カンタロウが怒ってアゲハをつかまえようと手を後ろにやるが、うまくかわされている。
「ふふっ、まあまあ、お二人とも」
マリアはそんな二人を、落ち着かせようとしている。仲間としての連帯感を感じられ、居心地がいいようだ。
「うん?」
部屋を調べていたとき、ツバメが何かに気づいた。
廊下に赤く、太い線が引かれている。
時間がたっているのか、どす黒く腐り、変な臭いがした。
「何? 何かいるの?」
「おっ、お前、首を……」
アゲハはカンタロウの首に腕を回し、全力を込める。
カンタロウは青い顔で、必死でアゲハの腕を叩いた。
アゲハがカンタロウから離れた。
ツバメは廊下についた液体を、手に取ってみる。
指からポロポロと崩れている。乾いて、固まっているようだ。
ツバメはペロッとそれをなめ、
「これは……血だね」
「血って……人のですか?」
マリアの言葉がつまる。和やかな雰囲気が、急速に錆びて、剥がれ始めた。
「人のだ。動物のじゃない」
長年の経験と勘からわかるのか、専門家ですら難しい血の特定を、ツバメは判定してみせた。
嘘くささは感じられない。
誰もがツバメを疑わなかった。
「廊下の奥から、続いているな」
カンタロウは液体の流れや引きずった跡から、血の主がどこに移動したかを、読みとることができた。
ツバメは視線を向け、
「奥へ行ってみようか?」
「ああ、ここまで古いと、かなり時間はたっているけどな」
カンタロウはすぐに同意した。
フリーのハンターだけあって、ツバメはマリアと違って動揺はない。頼もしさすら感じる。
「アゲハ、エコーズの気配はするか?」
カンタロウは一応、アゲハにエコーズの存在の確認を取る。
「ううん。今の所ない」
アゲハは自信を持って、首を横に振った。
「他のは?」
「それは、まあ、ないね」
他の気配については、アゲハは曖昧だった。
四人は血を追いかけて、二階に上っていった。
廊下では、おびただしい赤黒い液体が、天上、壁、ドア、窓にまで飛び散っていた。
いったい何十人もの人間から出血したのか、想像すらできない。
遺体は骨まで動物に運ばれたのか、小さな白い破片しか残っていなかった。
「うわっ、ひどいね。血がそこらじゅう飛び散ってるよ。ここは惨劇の館かい?」
ツバメが鼻をかく。
濃い植物の匂いで気づかなかったが、辺りから異様な臭いが漂ってくる。
ツバメはたいまつをむけながら、たまらずあいている手で鼻をつまんだ。
天井から水滴が、血のように滴り地面で弾ける。
「……シオン」
マリアは泣きそうな顔つきで、妹の名前をつぶやいた。
四人が奥へと進むと、ある部屋の前にたどりついた。
「血はどうやら、この部屋から続いているようだね」
ツバメが血の行き先を示した。
ドアは粉々に破壊されている。
斜めに傾いた名札には、『中央監視室』と書かれてあった。
中に入ると、四角の画面のディスプレーがあり、それは表面が破壊され、中身が覗いている。
すぐ前にあるキーボードも、二つに砕かれていた。
職員が座る椅子は逆さになっていたり、壁に突っ込んでいたりと、散々な扱いだ。
引っかき傷や乾いた血が、床に多くの線を残している。
この施設に入り込んだ動物達が、遺体を巣に運んでいった跡なのだろう。それ以外の怪物かもしれない。
マリアはそれを見て、身震いが抑えられなかった。つい、カンタロウの腕を、握り締めてしまう。
カンタロウはマリアの気持ちを察し、特に何も言わなかった。
「ここは、中央監視室だね」
「なんだ? それは?」
「吸収式神脈装置を起動させるための、制御室さ。ここで遠隔操作して、装置を動かすんだ」
ツバメはよく知っているのか、カンタロウにすらすらと監視室について説明する。
「へぇ。ここがそうなんだ?」
アゲハも始めて見るようだ。
前に吸収式神脈装置を見たので、地下の装置は驚かなかったが、中央監視室は初見だった。
普通は警備員がいるほど厳重で、一般人の立ち入りは許可されていないからだ。
どこの都市や町でもそうである。
「でも、無惨なぐらい破壊されてますね」
マリアが落ち着いてきたのか、カンタロウから離れて、機械に触れたりしてみる。
キーボードを押してみても、何の反応もしない。
「これじゃ、使い物にならないね。やっぱり直接装置を起動させて正解だったよ」
ツバメは両手を後頭部にやり、部屋を見回していた。
「あの扉は何だ?」
カンタロウが部屋の奥にある、扉に気づいた。
防火扉になっているのか、鉄製でやけに分厚い。
アゲハが扉を開いてみると、狭い通路が続いていて、
「細い廊下だね。いかにも怪しいわ。これ」
マリアが廊下を見下ろしてみて、
「血はこの奥に続いてますね」
廊下にはびっしりと、赤黒い乾いた血の跡がついていた。
引きずった跡を見ると、奥からでてきたようだ。
中央監視室にたどりつき、惨劇が起きた。
ここまでは四人とも想像できたので、誰も口を開くことはなかった。
ツバメを先頭として、その細い廊下を歩いていく。
秘密の部屋はすぐに見つかった。
血はその部屋からでてきていた。
ツバメが見回しながら、
「うわっ、狭いし薄暗い部屋だねぇ。ここにも機械あるし」
部屋の天井は低く、圧迫感を感じる。
机がいくつかあり、その上にはホコリをかぶったモニターがあった。
外に通じる窓がないため、どうやら照明のみで部屋を照らしていたようだ。
たいまつの明かりが、奥の闇まで届かなかった。
アゲハが部屋の端まで歩いて行く。
その後ろには、マリアがついてきていた。
部屋の奥の方には、透明のガラスがあり、それは何かを閉じ込めるように、壁になっている。
アゲハが光る物を踏み、
「何、これ? 床にガラスの破片がすごい」
「この透明の壁のガラスでしょうか?」
マリアがガラスの破片を拾ってみる。とても分厚く、壊れた透明の壁に合わせてみると、ピッタリだった。
マリアは不思議に思い、
「どうしてここだけ、透明の壁を作ったんでしょうか?」
「たぶん、この部屋を観察できるようにしてたんじゃない?」
アゲハが崩れた透明の壁から、たいまつを入れてみて、
「うわっ! 床、血塗れじゃん。何があったんだろ?」
透明の壁のむこう側は、赤黒い血ですさまじい状態になっていた。
天井や床、壁と、容赦なく飛び散っている。
たいまつの火に気づいたのか、小さな虫達が、一斉に音をたてる。
マリアはその音に驚いて、ついたいまつを落としそうになった。
昆虫の絨毯を見たアゲハは、さすがに虫の王国に足を入れるのをためらった。
さらにたいまつを伸ばしてみると、壁際に三つの大きな試験管があった。
左右の二つは無事なようだが、真ん中の試験管は、元の形がわからないぐらい破壊されている。
内部から何かでてきたのか、ガラスの破片が、前の方に散らばっていた。
液体が排水溝に流れた跡が、とても生々しい。
「アゲハさん。あれはなんだったんでしょうか?」
マリアが試験管に注目する。
「う……ん。あの大きな試験管に、何か入れてたんじゃない? 熊一頭ぐらいは、入れそうだからね。それが内側から破壊して、外に飛びでたって感じだよね」
「では、何がでてきたんでしょうか?」
「わかんない。ただ、血の量からして、そいつがここの信者達を殺していった。もしかしてクロワももう……」
アゲハは、口を閉ざした。マリアが悲しそうな表情をしていたからだ。
妹のシオンがどうなったか、最悪の展開を想像したのだろう。
二人の間に、沈黙が流れた。
「おいっ、これは?」
カンタロウが何かを発見した。
それをきっかけに、アゲハとマリアはそこから離れることにした。
ツバメもカンタロウの元へとむかう。
「おやっ? 本当だね。どれどれ」
ツバメがカンタロウから、物を受け取る。
丸い形で、表面は鏡のように滑らかだ。
大きさは人の頭より少し大きく、厚さは五センチぐらい。
下にはボタンが取り付けてある。
ツバメは物を見回し、
「これは『月の氷』だね。起動エネルギーに神脈を使っている魔道具だ」
「動くのか?」
「ちょっと待ちな。ここを押してと、よし、動くよ」
カンタロウに見せるように起動。
月の氷から映像が映しだされた。
カンタロウはそれを見て、目を丸くし、
「すごいな。売ればお金になりそうだ」
「月の氷は貴重品だからね。それこそ数が少ないんだよ。もしあれだったら、持って帰ればいいんじゃないか?」
「いいのか?」
「あたしのじゃないからいいよ」
ツバメはあっさり承諾。
カンタロウは借金返済のため、お金が必要だ。
売れそうな物があれば、なんでも持って帰って売っていた。
たまにスズやヒナゲシのために、使えそうな物を持って帰っていた。
月の氷はどこか故障しているのか、映像がたまに乱れる。
画面に白い線が何本も入っていた。
何とか映像の内容は確認できる。
画面には、試験管が映しだされていた。
四人の男が、ベッドを運んでいる。
ベッドには女の子が寝かされていた。
「あっ、あのベッドに寝かされてる女の子」
マリアが何かに気づき、
「シオン!」
妹の名前を叫ぶ。
シオンの髪はマリアと同じく白く、服はビーナスメイクの信者の服を着せられていた。
顔立ちはやはり幼く、背丈も小さい。
肌もマリアと同じく白く、姉妹であることを強く感じさせられる。
「あれがマリアの妹か。というか、この映像は何なんだ?」
「記録映像だよ。つまり、過去の出来事を、映像として録画できるんだ。ほら、日付があるだろ? これは、半年前ぐらいだね」
「すごい魔道具だな」
カンタロウはツバメから聞く月の氷の性能に、感嘆の声を上げた。
シオンは眠ったまま、試験管の中に入れられると、何かの液体が充満していく。
液体の色は、赤い。
試験管は真ん中を使用しており、両隣の試験管には何も入っていない。
透明な壁のむこう側にあった物と、まったく同じだ。
マリアはとても嫌な予感がし、両手で自分の体を抱きしめる。
「いったい何をしてるんだ?」
カンタロウがしゃべると同時に、月の氷から音声が流れた。
『これより……を開始……。この……が成功すれば、我々ビーナスメイク……飛躍と発展を期待でき……』
「なんだ? この声は?」
カンタロウはどこから声が聞こえてくるのかわからず、キョロキョロと辺りを見回す。
「クロワ様……」
マリアがその声の主の名前を、つぶやいた。
「どうやら声も、録音できるようだね」
ツバメがカンタロウに、説明してやる。
シオンが入っている試験管に、液体が満たされた。
液体の中で、何か泡のようなものが、蠢いている。
男がそれを確認し、後ろにむかって手を上げた。
画面から消えていく。
『少女にはある……をしておいた。これで、彼女は、永遠に自分が女神であると、認識できるであろう。我々にとって女神とは、すべてにおいて平等に接しなければならないのだ』
クロワは音声だけを、記録しているようだ。自分の姿を、画面には映していない。
『我々が崇拝するリブラとは、魂の葬送を意味する。魂に……はない。そこには、悪も、善も存在しない。すべて女神の慈愛により、彼等を救ってやらねばならない。これが完成すれば、我等の教義は世界全土に広がる。人は神を、女神を信じるようになる。なぜなら、人は本物の神を見ることになるからだ』
自己陶酔した者の声だ。
自分のやることはすべて崇高で、低俗なものを嫌う性格なのだろう。
良い方向にむかえばいいが、悪い方向にむかったとき、たちの悪いものへと変化する。
『さあ、準備は……実験開始』
試験管の中の液体が、真っ赤な光を発光させた。
眩しく、映像を見ていた四人はたまらず目を細める。
シオンがどうなったのかは、光が邪魔してまったくわからない。
『どうし……なに……た?』
クロワの緊張した声が聞こえてきた。
音声が途切れ途切れになっている。
映像もさらに白い線が増え、見えずらくなった。
月の氷は、壊れかけているようだ。
『少女……試験管……エラー……発生しています!』
『ゴーストエコーズ……出現……神脈が急速に低下!』
『馬鹿な……神脈がなくなって装置がトリップ……結界消失……』
「なんだ? どうした?」
「何か起こったみたいだね? 音声が聞き取りずらいよ」
カンタロウとツバメが耳をすましても、何を言っているのか理解できない。
「……シオンが」
マリアが妹の名前を、小さく呼んでいる。
映像に注目すると、試験管から液体が漏れだし、床を赤黒く染めていた。
液体のなくなった試験管の内部から、シオンが両手で何度も、何度もケースを叩いている。
何か事件が起き、意識が覚醒したのだ。
「あの子。起きてる。必死でケースを叩いてるみたいだけど」
アゲハも、シオンの異常事態に気づいた。
「ちょっと待ちな。こういうときはね。こうするといいのさ」
ツバメが月の氷の角を、手で叩いてみる。すると映像が綺麗に映り、音声も鮮明になった。
『いだい! いだいよぉ! お姉ちゃん! マリアお姉ちゃん! 助けて! いだいぃぃぃ!』
すべてがはっきりとなった。
シオンが、悲鳴を叫んでいる姿が。
白かった髪は血に染まり、絶望的な表情で、何度もマリアの名前を泣き喚く。
四人は言葉を失い、呆然とした。
「しっ、シオン……」
ただ、マリアだけが、映像に手を伸ばした。
本物のシオンはいない。
過去の映像なのだから。
しかし、手をださないわけには、いかなかった。
『がばっぁ!』
マリアが手で映像に触れる前に、シオンは事切れた。
試験管の壁から、手がズルリと落ちていく。
最後の断末魔は、マリアの脳の奥深くまで刻まれてしまった。
『おのれ……敗だ。どうして……女は……ゴーストエコーズを生み……? ……完璧な神を作ることが、気に入ら……? 何? この施設に神獣……?』
映像も、音声も途切れた。
ツバメも、これ以上、月の氷を直そうとは思わなかった。
誰もが口を閉じる中、マリアだけは動揺を隠しきれず、月の氷から一歩、また一歩離れていく。
「いや……いやっ、シオン! うっ……」
マリアは口を押さえると、廊下に飛びだしていった。
「マリア!」
ツバメがマリアを追いかけようとすると、カンタロウが止め、
「俺がマリアを連れ戻す! ここにいてくれ!」
「わかったよ! 必ず連れ戻しておくれ」
「ああ!」
カンタロウはマリアを追いかけて、廊下の奥へと消えていった。
――それにしてもクロワの奴。いったいどんな方法で、女神を生みだすつもりだったんだい?
ツバメが考え込んでいると、月の氷がまた映像を流した。
アゲハが映像を眺めていると、おかしなことに気づき、
「あれ?」
映像の上半分は壊れてしまい、画面が歪み見えない。
注目したのは、下半分の映像だ。
試験管から赤黒い液体が流れる床を、白い足の何かが歩いている。
それにくっついて、大きな見たこともない魚が、ビチビチと跳ね回っているのだ。
さらに、赤く、両目のない大蛇も、ウネウネと気味悪く床を這っている。
どこからか、奇妙な鳥の鳴き声がした。
――魚に、蛇? それに、鳥? そんな生き物、いなかったはずなのに。
刹那、魚と蛇が、アゲハの方をむいた。
映像が途切れた。
あとは何も映しだされず、月の氷は完全に壊れてしまった。
ツバメが異様な様子に気づき、
「どうしたんだい?」
「うっ、ううん……なんでもない……」
アゲハの心臓は、止まることなく、動き続けていた。
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