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最終章 崩壊都市
鉄人
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四人は森の中に入り、奥へと進んでいた。
研究所へ続く道は、まだなんとか雑草に隠されておらず、かろうじて見える。
冷たい風が森の枝をそよがせ、草花を揺らした。
気温の低下に、鳥や動物達の活動が悪くなっているためか、鳴き声や物音が聞こえなくなっていた。
森では、壊れた柵や家屋にあるような家具が、草むらや土に埋まっている。
枝にも藁や縄が引っかかっていた。
結界の中に、信者達の家や農場があったのだろう。
「そろっと行くんだよ。北西に研究所はあるらしいからね。ゴーストエコーズに見つかったらやっかいだ」
ツバメは道に咲く野草を踏み潰しながら、周りの警戒を怠らない。
「無理だ。奴等の縄張りに入れば、すぐに神獣を召還してくる」
カンタロウは首を振る。
ゴーストエコーズの縄張りは、目に見える所にはない。
いつ神獣を召還され、攻撃されるかはわからない。
「だから慎重に行くんだよ」
「まあまあ。私に任せろ」
アゲハが、ツバメとカンタロウの間に入ってきた。
「何か考えがあるのかい?」
「アゲハはエコーズの臭いがわかるらしいんだ」
カンタロウがアゲハの特殊能力を、ツバメに教える。
正確には、エコーズのみの気配がわかるだけなのだが、詳しくはカンタロウも知らなかった。
ツバメは感心し、
「さすが獣人だね。頼りにしてるよ」
「あいよ」
アゲハは三人の前にでていくと、体の神経を集中させた。
マリアはカンタロウの隣に近づくと、横顔をチラリと覗く。
カンタロウは真剣な表情をしているが、そこにはまだ余裕が感じられた。
マリアの手が、ググッと握り締められた。
――神様ごめんなさい。私に嘘をつかさせてください。
マリアは緊張からか、呼吸が荒くなり、頬が赤く染まっていく。
不謹慎な考えは押さえるべきなのだろうが、シオンを奪還するまでが勝負だ。
ここでチャンスを逃せば、二度とこんな状況は訪れない。
マリアは唾を飲み込み、
「カンタロウ様。そのっ、腕を、腕を貸していただけませんか?」
「どうした?」
マリアの緊張で震えた声に、カンタロウは少し驚いた。
「怖いので……あの……駄目ですよね」
チラチラと、下からマリアが視線を送ってくる。表情を見ると、緊張と不安があらわれていた。
カンタロウは、マリアの言うことを信じた。マリアが、自分に恋しているとは、夢にも思っていなかった。
「いいよ」
「ありがとうございます」
マリアは必死で、嬉しくて叫びたい気持ちを抑え、カンタロウの腕を取った。
「大丈夫か?」
「はい。平気です。かなり落ち着きました」
「そうか。よかった」
何も知らないカンタロウは、安堵の表情をマリアに見せた。
マリアはその顔から、自分は受け入れられていると思い、身を腕に寄せ、
――細いけど、固くて強い腕……すごく幸せ。
頬を腕にくっつかせ、胸に寄せる。
カンタロウの匂いが鼻孔に入ると、精神が安定していくのがわかる。
マリアにとって、初めての経験だった。
ツバメはマリアの上気し、恍惚とした表情に、細い視線をむけ、
――おいおいマリア。やめてほしいねぇ。あたしゃお前にだけは、手をだしたくないんだから。
ツバメはマリアに、何か苦言を言おうか悩んだが、自分の言葉が恋する者に受け入れられるとは思えない。
自分に対するマリアの信頼度は、ゼロに等しい。
ツバメはアゲハを焚きつけることにし、
「なあ、マリアを止めないのかい?」
「どうして? カンタロウ君にくっついてるだけじゃん」
アゲハはすでに、マリアの行動に気づいているようだ。その気がないように、振る舞っている。
ツバメはさらにつっこみ、
「お前はアレを見て、何とも思わないのかい?」
「別に」
アゲハの声は明らかに、不機嫌そのものだった。
――一人は素直で、もう一人は全然素直じゃないよ。顔にモロでてるし。
ツバメは困ったように、頭をポリポリかいた。
「ねえツバメ」
突然、アゲハがツバメの名前を呼んだ。
「あん?」
ツバメはぞんざいな返事を返す。
「どうしてマリアってさ。カンタロウ君とくっつこうとするの?」
「へっ? 好きだからじゃないのかい?」
アゲハの変な質問に、ツバメは目をパチクリさせる。
「そっか、マリア。カンタロウ君のこと、好きって言ってたもんね。でもなんで、好きならくっつくの?」
「おいおい。お前は恋愛偏差値初等部だね。そりゃ、好きな人に触れられたら、女は喜ぶもんなのさ」
「えっ、そうなの?」
「そうさ。アゲハはカンタロウに、触れたいと思わないのかい?」
「う~ん。触れたいと思う」
アゲハはツバメに正直な気持ちを話した。
「なら好きなんじゃないかい?」
「ええっ、そうだったの? 私、何とも思わないけど? それに私はすでに、出会って一分でふられたぞ」
初めてカンタロウと出会ったアダマスという都市で、アゲハは即行でふられていた。
ふられた理由は、カンタロウがマザコンだからだ。
母しか愛していないと、いまだ耳に残っている。
「ふられた? ……じゃ、逆に言うけど。あたしに触れられたらどう思う?」
「剣で刺したいと思う」
「そうだろ。嫌いな人にはそう思うだろ。ということは、好きな人には、触れたいと思ってるってことさね。って、ちょっとひどくない? あたしはアゲハのこと、大事にするよ?」
ツバメはアゲハに嫌われていることがわかり、少し泣きそうだった。
――う~ん。わかんないや。好きって、どんな気持ちなんだろ?
アゲハはツバメの言葉が耳に入らず、好きという感情について考えていた。
ツバメとアゲハの後ろで、カンタロウは森に目を光らせていた。
森は静寂に包まれ、何の音もしてこない。
この静けさが、逆に不安をかき立てる。
――……変だ。森がやけに静かだ。本当にゴーストエコーズがいるのか?
カンタロウの歩みが止まった。何かの気配を感じたからだ。
「どうかしました? カンタロウ様?」
カンタロウの腕を持つ、マリアがいち早く、変化に気づいた。
――すごい汗?
マリアの手に、カンタロウの汗が流れた。
腕から、体温が急上昇していることがわかる。
カンタロウの呼吸も、薄く、浅くなっていた。
「うっ!」
その刹那、アゲハが地面に座り込んだ。
「うん? おいおい、いったいどうしたんだ……!」
ツバメがすごい形相で、後ろを振りむいた。
マリアだけ三人の変化に追いつけず、オロオロし、
「ツバメさん? アゲハさん? カンタロウ様も……いったいどうした……」
「ツバメ! アゲハを頼む!」
「えっ? きゃっ!」
カンタロウは両手で、素早くマリアを持ち上げると、森の木の影に隠れた。
マリアは成されるがまま、抱き抱えられ、木の影でカンタロウと密着する。
「アゲハ! あたしにつかまりなっ!」
ツバメはアゲハを背負うと、同じく森の木の影に隠れた。
「かっ、カンタロウ様……あっ、あの……いったい何が……」
「しっ!」
カンタロウはマリアに人差し指を、口に当てた。
「えっ?」
マリアがカンタロウの顔を覗くと、額からいくつもの汗が流れている。
相当緊張しているのだ。
マリアはようやく異様な殺意と圧力感を感じることができた。
――何? この体が押しつぶされるような威圧感……何かが来る。
マリアが木の影から、威圧感の正体を覗いてみた。
黒い何かがやってくる。
一つ歩いただけで、地響きが聞こえてくるような、重量感が耳に響く。
黒い影から、血のような二つの赤い光が見えた。
――両目が赤い。そんな……あれは、エコーズ。
マリアは目を見開いた。
ガタイが大きく、全身を黒い鎧で包んでいた。
顔まで覆った兜から、赤い両目が鋭く動く。
黒い鎧から大きな棘が、肩や腕から突きでており、まるで何者も寄せつけない鉄壁の壁のようだった。
軽く踏みつけた太い枝は、無惨に残骸を飛び散らせる。
――なんだ? アイツは? 殺気だけで、体が硬直した。こんなことは初めてだ。
カンタロウは必死で気配を隠す。
黒い者は赤い目で、森の中をグルリと見回している。
目以外は黒い鋼鉄なので、口や顔つきで表情を読みとることは不可能だった。
鎧が唸る音が、森の中を響き渡る。
――なんてこったい。あれは十神人の一人、鉄人。
ツバメは鎧の中央、胸のヒビを見て、そのエコーズの名前は鉄人だとわかった。
他の部分は綺麗に形づくっているのに、胸の辺りの鎧だけは、なぜか修繕していない。
――すごい気配。一瞬で体が動けなくなった。アレが戦争時、朧先生や咎人と一緒に戦った、鉄人。
アゲハは声をださないように、必死で口を手で押さえた。
――まずいな……。鉄人は確か、三代目コウダ様の傘下に入らなかったエコーズ。私のことは知ってるだろうけど、言うこと聞きそうにないなぁ。どうしてこんな森へ……。
アゲハがいろいろと考えているうちに、鉄人はどこかに行ってしまった。
後に残ったのは、地面をえぐられたような足跡と、飛び散った木の破片だけだった。
どこからか人の悲鳴のような、風の声が聞こえてくる。
「……行ったようだね」
ツバメが木の影からでてきた。
「ぷはっ、はあっ」
ツバメの後から、アゲハが息を大きく吐いた。
緊張からか、呼吸がうまくできなかったようだ。
必死で肺の中に、酸素を取り入れている。
「とんでもない殺気だな……」
カンタロウは木の幹に手をつくと、その場に座り込む。
「あの、あれはいったい……」
マリアは気配を察知する感度が鈍く、あまり鉄人の影響は受けていないようだ。
異常事態が発生していることは、皆の様子からわかった。
「十神人の一人、鉄人さ。百年以上生きたエコーズで、一代目コウダと一緒に、このコスタリア大陸を支配しようとした、十人のエコーズの一人さね。まだ生きてたんだねぇ」
ツバメはカンタロウの隣に行くと、木を背にし、座り込んだ。
「アレが噂の十神人か……初めてだ。こんなに体が震えたのは……」
カンタロウの顔から、ポタポタと汗が落ちていく。
相当な緊張状態だったらしい。
まだ瞳に、動揺が浮かんでいる。
「どうりでゴーストエコーズが、姿を見せないわけだよ。あんなのがいるなんて、聞いてないっての」
アゲハは呼吸を整えると、カンタロウやツバメと同じく、地面に座り込んだ。
同じエコーズ同士だけあって、四人の中で一番気配を察知する能力が優れている。
精神的ダメージが大きい。
まだ顔を上げられないのか、膝の中に埋めたままだ。
「あの、そんなにすごい相手なんですか?」
マリアだけが、普通にしゃべることができていた。
「すごいも何もないよ。十神人の中でも、朧、竜人、鉄人はケタ違いの戦闘能力を誇ってたからね。三闘神と呼ばれててね。たった三人で、いくつもの国を潰しちまったぐらいなんだから」
「そんな……でも、そんなのぜんぜん聞いたことない」
ツバメが鉄人の暴威を教えても、マリアにはまったく実感がわかなかった。
生まれてきたときからずっと、三闘神や鉄人など、そんな話聞いたことがなかったからだ。
戦争は終結しているためなのか、現在はエコーズの話をする者も少ない。
「そうだろうね。あの三人は、今では隠居生活を送ってるからね。人間の男に負けて以来」
アゲハがようやく顔を上げた。
汗で頬についた金髪を、手で拭っている。
「あんなのに勝てた奴がいたのか?」
カンタロウが息を飲んだ。ツバメとマリアも、アゲハに注目する。
「うん。確か、フリーの雇われハンターで、男だったみたいだよ。しかも人数はたった一人。鉄人は胸を破壊され、竜人は肺を潰され、朧は瀕死の重傷を負わされて、三人とも戦線離脱しちゃったんだよ。まあその後、一代目コウダが神脈結界でやられちゃって、戦況は一気にエコーズ不利になったみたいだけど」
アゲハは髪型を整えている。
朧から聞いた話だった。
そういう事情から、朧は人間嫌いになり、戦争時は自分を倒した男を追い続けていた。
しかし、どこを探しても見つからなかったようだ。
「へぇ……アゲハ、詳しいじゃないか。あたしは鉄人が胸に怪我をしてるってのは聞いたことあるけど、人間の男一人で、三闘神を倒したってのは、聞いたことないよ」
「えっ? そうなの?」
アゲハがツバメを見ると、きょとんとした表情をしていた。
カンタロウも、目を丸くして、注目している。
マリアも二人と同じような目で、見つめていた。
アゲハは居心地の悪さを感じ、詳しく教えてしまったことを後悔した。
「あたしが聞いたのは、三人とも神脈結界にやられたって教えられたけどね。まっ、歴史は塗り替えられるものさ。案外、あんたの言ったことが正しいかもね」
「ははっ……そうかな?」
アゲハは誤魔化すために、苦笑していた。ただ、一つだけ、ツバメの言葉が気になった。
――歴史の、書き換え……。
戦争が終わって、まだ二十年ほどしかたっていないのに、すでに人々の記憶は改ざんされつつあった。
朧当人が言ったことのほうが、歴史としては正しいのだろう。
しかし、神脈結界の絶対性の方が、強く、人々の頭に残ってしまっている。
そう、結界がある以上、平和は永遠に続くのだという思い込み。
何度聞いても、アゲハにとって、それは笑い話にしかならなかった。
「あんな化け物がいるんじゃ、今後苦しいね。どうする? それでもやるかい? あんた達」
ツバメはカンタロウとアゲハに、改めて仕事の確認をとった。
アゲハは口を閉じ、黙っている。
すぐに顔を上げたのは、カンタロウで、
「当然だ。早くマリアの妹を助けないとな」
それに続いて、アゲハも顔を上げ、
「まっ、乗らないけどね」
二人の意志が確認でき、マリアが頭を下げ、
「……ありがとうございます。二人とも」
「ああ、急ごう」
カンタロウは深呼吸すると、立ち上がった。
ツバメも、それに続き立ち上がり、
「それじゃ、行こうかね」
ツバメが先頭を歩き始めた。
その後ろを、カンタロウとマリアが歩く。
アゲハは胸に手を置いていた。ドクドクと心臓の鼓動が速くなっている。
目に見えないナイフをむけられているような、異様な緊張感を感じているからだった。
――何事もなければいいけど……。
アゲハの嫌な予感が大きくなる。
太陽が雲に隠れ、四人の黒い影が、薄く見えなくなっていた。
研究所へ続く道は、まだなんとか雑草に隠されておらず、かろうじて見える。
冷たい風が森の枝をそよがせ、草花を揺らした。
気温の低下に、鳥や動物達の活動が悪くなっているためか、鳴き声や物音が聞こえなくなっていた。
森では、壊れた柵や家屋にあるような家具が、草むらや土に埋まっている。
枝にも藁や縄が引っかかっていた。
結界の中に、信者達の家や農場があったのだろう。
「そろっと行くんだよ。北西に研究所はあるらしいからね。ゴーストエコーズに見つかったらやっかいだ」
ツバメは道に咲く野草を踏み潰しながら、周りの警戒を怠らない。
「無理だ。奴等の縄張りに入れば、すぐに神獣を召還してくる」
カンタロウは首を振る。
ゴーストエコーズの縄張りは、目に見える所にはない。
いつ神獣を召還され、攻撃されるかはわからない。
「だから慎重に行くんだよ」
「まあまあ。私に任せろ」
アゲハが、ツバメとカンタロウの間に入ってきた。
「何か考えがあるのかい?」
「アゲハはエコーズの臭いがわかるらしいんだ」
カンタロウがアゲハの特殊能力を、ツバメに教える。
正確には、エコーズのみの気配がわかるだけなのだが、詳しくはカンタロウも知らなかった。
ツバメは感心し、
「さすが獣人だね。頼りにしてるよ」
「あいよ」
アゲハは三人の前にでていくと、体の神経を集中させた。
マリアはカンタロウの隣に近づくと、横顔をチラリと覗く。
カンタロウは真剣な表情をしているが、そこにはまだ余裕が感じられた。
マリアの手が、ググッと握り締められた。
――神様ごめんなさい。私に嘘をつかさせてください。
マリアは緊張からか、呼吸が荒くなり、頬が赤く染まっていく。
不謹慎な考えは押さえるべきなのだろうが、シオンを奪還するまでが勝負だ。
ここでチャンスを逃せば、二度とこんな状況は訪れない。
マリアは唾を飲み込み、
「カンタロウ様。そのっ、腕を、腕を貸していただけませんか?」
「どうした?」
マリアの緊張で震えた声に、カンタロウは少し驚いた。
「怖いので……あの……駄目ですよね」
チラチラと、下からマリアが視線を送ってくる。表情を見ると、緊張と不安があらわれていた。
カンタロウは、マリアの言うことを信じた。マリアが、自分に恋しているとは、夢にも思っていなかった。
「いいよ」
「ありがとうございます」
マリアは必死で、嬉しくて叫びたい気持ちを抑え、カンタロウの腕を取った。
「大丈夫か?」
「はい。平気です。かなり落ち着きました」
「そうか。よかった」
何も知らないカンタロウは、安堵の表情をマリアに見せた。
マリアはその顔から、自分は受け入れられていると思い、身を腕に寄せ、
――細いけど、固くて強い腕……すごく幸せ。
頬を腕にくっつかせ、胸に寄せる。
カンタロウの匂いが鼻孔に入ると、精神が安定していくのがわかる。
マリアにとって、初めての経験だった。
ツバメはマリアの上気し、恍惚とした表情に、細い視線をむけ、
――おいおいマリア。やめてほしいねぇ。あたしゃお前にだけは、手をだしたくないんだから。
ツバメはマリアに、何か苦言を言おうか悩んだが、自分の言葉が恋する者に受け入れられるとは思えない。
自分に対するマリアの信頼度は、ゼロに等しい。
ツバメはアゲハを焚きつけることにし、
「なあ、マリアを止めないのかい?」
「どうして? カンタロウ君にくっついてるだけじゃん」
アゲハはすでに、マリアの行動に気づいているようだ。その気がないように、振る舞っている。
ツバメはさらにつっこみ、
「お前はアレを見て、何とも思わないのかい?」
「別に」
アゲハの声は明らかに、不機嫌そのものだった。
――一人は素直で、もう一人は全然素直じゃないよ。顔にモロでてるし。
ツバメは困ったように、頭をポリポリかいた。
「ねえツバメ」
突然、アゲハがツバメの名前を呼んだ。
「あん?」
ツバメはぞんざいな返事を返す。
「どうしてマリアってさ。カンタロウ君とくっつこうとするの?」
「へっ? 好きだからじゃないのかい?」
アゲハの変な質問に、ツバメは目をパチクリさせる。
「そっか、マリア。カンタロウ君のこと、好きって言ってたもんね。でもなんで、好きならくっつくの?」
「おいおい。お前は恋愛偏差値初等部だね。そりゃ、好きな人に触れられたら、女は喜ぶもんなのさ」
「えっ、そうなの?」
「そうさ。アゲハはカンタロウに、触れたいと思わないのかい?」
「う~ん。触れたいと思う」
アゲハはツバメに正直な気持ちを話した。
「なら好きなんじゃないかい?」
「ええっ、そうだったの? 私、何とも思わないけど? それに私はすでに、出会って一分でふられたぞ」
初めてカンタロウと出会ったアダマスという都市で、アゲハは即行でふられていた。
ふられた理由は、カンタロウがマザコンだからだ。
母しか愛していないと、いまだ耳に残っている。
「ふられた? ……じゃ、逆に言うけど。あたしに触れられたらどう思う?」
「剣で刺したいと思う」
「そうだろ。嫌いな人にはそう思うだろ。ということは、好きな人には、触れたいと思ってるってことさね。って、ちょっとひどくない? あたしはアゲハのこと、大事にするよ?」
ツバメはアゲハに嫌われていることがわかり、少し泣きそうだった。
――う~ん。わかんないや。好きって、どんな気持ちなんだろ?
アゲハはツバメの言葉が耳に入らず、好きという感情について考えていた。
ツバメとアゲハの後ろで、カンタロウは森に目を光らせていた。
森は静寂に包まれ、何の音もしてこない。
この静けさが、逆に不安をかき立てる。
――……変だ。森がやけに静かだ。本当にゴーストエコーズがいるのか?
カンタロウの歩みが止まった。何かの気配を感じたからだ。
「どうかしました? カンタロウ様?」
カンタロウの腕を持つ、マリアがいち早く、変化に気づいた。
――すごい汗?
マリアの手に、カンタロウの汗が流れた。
腕から、体温が急上昇していることがわかる。
カンタロウの呼吸も、薄く、浅くなっていた。
「うっ!」
その刹那、アゲハが地面に座り込んだ。
「うん? おいおい、いったいどうしたんだ……!」
ツバメがすごい形相で、後ろを振りむいた。
マリアだけ三人の変化に追いつけず、オロオロし、
「ツバメさん? アゲハさん? カンタロウ様も……いったいどうした……」
「ツバメ! アゲハを頼む!」
「えっ? きゃっ!」
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「アゲハ! あたしにつかまりなっ!」
ツバメはアゲハを背負うと、同じく森の木の影に隠れた。
「かっ、カンタロウ様……あっ、あの……いったい何が……」
「しっ!」
カンタロウはマリアに人差し指を、口に当てた。
「えっ?」
マリアがカンタロウの顔を覗くと、額からいくつもの汗が流れている。
相当緊張しているのだ。
マリアはようやく異様な殺意と圧力感を感じることができた。
――何? この体が押しつぶされるような威圧感……何かが来る。
マリアが木の影から、威圧感の正体を覗いてみた。
黒い何かがやってくる。
一つ歩いただけで、地響きが聞こえてくるような、重量感が耳に響く。
黒い影から、血のような二つの赤い光が見えた。
――両目が赤い。そんな……あれは、エコーズ。
マリアは目を見開いた。
ガタイが大きく、全身を黒い鎧で包んでいた。
顔まで覆った兜から、赤い両目が鋭く動く。
黒い鎧から大きな棘が、肩や腕から突きでており、まるで何者も寄せつけない鉄壁の壁のようだった。
軽く踏みつけた太い枝は、無惨に残骸を飛び散らせる。
――なんだ? アイツは? 殺気だけで、体が硬直した。こんなことは初めてだ。
カンタロウは必死で気配を隠す。
黒い者は赤い目で、森の中をグルリと見回している。
目以外は黒い鋼鉄なので、口や顔つきで表情を読みとることは不可能だった。
鎧が唸る音が、森の中を響き渡る。
――なんてこったい。あれは十神人の一人、鉄人。
ツバメは鎧の中央、胸のヒビを見て、そのエコーズの名前は鉄人だとわかった。
他の部分は綺麗に形づくっているのに、胸の辺りの鎧だけは、なぜか修繕していない。
――すごい気配。一瞬で体が動けなくなった。アレが戦争時、朧先生や咎人と一緒に戦った、鉄人。
アゲハは声をださないように、必死で口を手で押さえた。
――まずいな……。鉄人は確か、三代目コウダ様の傘下に入らなかったエコーズ。私のことは知ってるだろうけど、言うこと聞きそうにないなぁ。どうしてこんな森へ……。
アゲハがいろいろと考えているうちに、鉄人はどこかに行ってしまった。
後に残ったのは、地面をえぐられたような足跡と、飛び散った木の破片だけだった。
どこからか人の悲鳴のような、風の声が聞こえてくる。
「……行ったようだね」
ツバメが木の影からでてきた。
「ぷはっ、はあっ」
ツバメの後から、アゲハが息を大きく吐いた。
緊張からか、呼吸がうまくできなかったようだ。
必死で肺の中に、酸素を取り入れている。
「とんでもない殺気だな……」
カンタロウは木の幹に手をつくと、その場に座り込む。
「あの、あれはいったい……」
マリアは気配を察知する感度が鈍く、あまり鉄人の影響は受けていないようだ。
異常事態が発生していることは、皆の様子からわかった。
「十神人の一人、鉄人さ。百年以上生きたエコーズで、一代目コウダと一緒に、このコスタリア大陸を支配しようとした、十人のエコーズの一人さね。まだ生きてたんだねぇ」
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相当な緊張状態だったらしい。
まだ瞳に、動揺が浮かんでいる。
「どうりでゴーストエコーズが、姿を見せないわけだよ。あんなのがいるなんて、聞いてないっての」
アゲハは呼吸を整えると、カンタロウやツバメと同じく、地面に座り込んだ。
同じエコーズ同士だけあって、四人の中で一番気配を察知する能力が優れている。
精神的ダメージが大きい。
まだ顔を上げられないのか、膝の中に埋めたままだ。
「あの、そんなにすごい相手なんですか?」
マリアだけが、普通にしゃべることができていた。
「すごいも何もないよ。十神人の中でも、朧、竜人、鉄人はケタ違いの戦闘能力を誇ってたからね。三闘神と呼ばれててね。たった三人で、いくつもの国を潰しちまったぐらいなんだから」
「そんな……でも、そんなのぜんぜん聞いたことない」
ツバメが鉄人の暴威を教えても、マリアにはまったく実感がわかなかった。
生まれてきたときからずっと、三闘神や鉄人など、そんな話聞いたことがなかったからだ。
戦争は終結しているためなのか、現在はエコーズの話をする者も少ない。
「そうだろうね。あの三人は、今では隠居生活を送ってるからね。人間の男に負けて以来」
アゲハがようやく顔を上げた。
汗で頬についた金髪を、手で拭っている。
「あんなのに勝てた奴がいたのか?」
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「うん。確か、フリーの雇われハンターで、男だったみたいだよ。しかも人数はたった一人。鉄人は胸を破壊され、竜人は肺を潰され、朧は瀕死の重傷を負わされて、三人とも戦線離脱しちゃったんだよ。まあその後、一代目コウダが神脈結界でやられちゃって、戦況は一気にエコーズ不利になったみたいだけど」
アゲハは髪型を整えている。
朧から聞いた話だった。
そういう事情から、朧は人間嫌いになり、戦争時は自分を倒した男を追い続けていた。
しかし、どこを探しても見つからなかったようだ。
「へぇ……アゲハ、詳しいじゃないか。あたしは鉄人が胸に怪我をしてるってのは聞いたことあるけど、人間の男一人で、三闘神を倒したってのは、聞いたことないよ」
「えっ? そうなの?」
アゲハがツバメを見ると、きょとんとした表情をしていた。
カンタロウも、目を丸くして、注目している。
マリアも二人と同じような目で、見つめていた。
アゲハは居心地の悪さを感じ、詳しく教えてしまったことを後悔した。
「あたしが聞いたのは、三人とも神脈結界にやられたって教えられたけどね。まっ、歴史は塗り替えられるものさ。案外、あんたの言ったことが正しいかもね」
「ははっ……そうかな?」
アゲハは誤魔化すために、苦笑していた。ただ、一つだけ、ツバメの言葉が気になった。
――歴史の、書き換え……。
戦争が終わって、まだ二十年ほどしかたっていないのに、すでに人々の記憶は改ざんされつつあった。
朧当人が言ったことのほうが、歴史としては正しいのだろう。
しかし、神脈結界の絶対性の方が、強く、人々の頭に残ってしまっている。
そう、結界がある以上、平和は永遠に続くのだという思い込み。
何度聞いても、アゲハにとって、それは笑い話にしかならなかった。
「あんな化け物がいるんじゃ、今後苦しいね。どうする? それでもやるかい? あんた達」
ツバメはカンタロウとアゲハに、改めて仕事の確認をとった。
アゲハは口を閉じ、黙っている。
すぐに顔を上げたのは、カンタロウで、
「当然だ。早くマリアの妹を助けないとな」
それに続いて、アゲハも顔を上げ、
「まっ、乗らないけどね」
二人の意志が確認でき、マリアが頭を下げ、
「……ありがとうございます。二人とも」
「ああ、急ごう」
カンタロウは深呼吸すると、立ち上がった。
ツバメも、それに続き立ち上がり、
「それじゃ、行こうかね」
ツバメが先頭を歩き始めた。
その後ろを、カンタロウとマリアが歩く。
アゲハは胸に手を置いていた。ドクドクと心臓の鼓動が速くなっている。
目に見えないナイフをむけられているような、異様な緊張感を感じているからだった。
――何事もなければいいけど……。
アゲハの嫌な予感が大きくなる。
太陽が雲に隠れ、四人の黒い影が、薄く見えなくなっていた。
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ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
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2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
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2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
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