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最終章 崩壊都市
マリアの嫉妬
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*
旅立ちが始まって、四日後。
剣帝国南東、結界都市コラーダ。
数千規模の人口が住む都市に、朝方、カンタロウ達が到着した。
この都市は、夜中は月の都レベル5を発動させるなど、安全性の向上に努めていた。
町の中では多民族国家らしく、亜人や妖精が普通に通りを歩いており、どちらかというと人間が多い。
武器や防具、珍しい食料など、商業も活性化し、宿場も連なっている。
カンタロウが普段着ている和装の格好をした武人がいるのも、剣帝国ならではの光景だ。
カンタロウ、アゲハ、マリア、ツバメは、料理店の外でお昼ご飯を食べていた。
卵を使ったサラダに、野菜のスープ、パンと久しぶりのごちそうだ。
他にも食事に来たお客でいっぱいで、すでにテーブルに空きはなかった。
マリアは丁寧に、パンにスープを乗せ、食事を進めている。
アゲハも意外にマナーが良く、マリアと同じ食べ方をしていた。
ツバメだけはガツガツ食事を口に運び、すでに食べ物はなかった。
カンタロウは食事が進んでおらず、まだ何も手をつけていない。
「ふぅ。さすが都市だね。結界も、最新式の月の都レベル5を発動できるみたいだし。上流階層のお嬢様もいっぱいいるじゃないかい。うへへへへっ」
暇になったツバメは、道を歩く女性達を、いやらしい目つきで眺めていた。
旅など無縁そうな、綺麗な洋服を着た女性が多い。
口紅や化粧もきちんとされている。日傘をさし、優雅に整備された道を歩く。
「ツバメさん。ヨダレ、でてますよ」
マリアは清潔な布で口を拭い、ツバメに注意する。
「おっと、失礼。お嬢様」
ツバメは手にコップを取ると、お茶をぐびっと飲み込んだ。
「このお茶腐ってるね。マリア、そっちのお茶くれよ」
「嫌ですよ。これ、私が飲んでいるんです」
「いいからおくれよ」
「間接キス狙いでしょ? 絶対に無理です」
ツバメの意図がわかるのか、マリアは決して妥協しなかった。
「ちぇ」ツバメは口を尖らした。
「カンタロウ君。大丈夫? 調子悪そうだけど?」
食事を終えたアゲハが、まだ少ししか食べていない、カンタロウのことを気にし始めた。
顔を見る限りは普段通りで、調子が悪そうには見えない。
しかし、どこか気迫がない。
後ろでカンタロウを見た女性達が、手で口を隠しながら噂し合っているのを、気にもしていない所はいつもどおりだ。
「ああ、大丈夫だ。母さんと別れて、もう十四日だが――まだ耐えられる」
「カンタロウ君。まだ四日」
アゲハがカンタロウにツッコむ。
ホームシックの兆候が出始めているのか、すでに日付の感覚がおかしくなりつつあった。
「ツバメさん。あと何日で着きますか?」
マリアが食事を終え、ツバメに今後の予定を聞いてみる。
「そうだねぇ……。あと七日で着くかね。まっ、ちょっと剣帝国から離れるだけさね」
ツバメはそう答えた。
「そうか。あと一年か……」
「カンタロウ君。七日」
アゲハのカンタロウツッコみ二回目。
すでに耳までおかしくなっていた。
カンタロウが椅子から立ち上がり、
「トイレに行ってくる」
都市の公園にある、公衆トイレにむかう。
店のトイレは人が多く、列を作っているからだ。
カンタロウは歩く途中、足同士がぶつかったり、壁に手をついたりと、調子の悪さは表情ではなく体にでていた。
「ふらついてる、ふらついてる」
アゲハは両手に顎を乗せ、カンタロウの様子を見守っている。
「かなりきてますね。お食事も進んでいませんし……」
マリアは心配そうに、残された食事を見つめた。
「なあ、カンタロウっちって、いつもああなのかい?」
「まあ母、ヒナゲシと離れるといつもああだね。そろそろ、幻聴とか幻覚とかが見えだすよ」
「それ、ひどすぎでないかい? 病院行ったらどうなんだい?」
アゲハからカンタロウの病状を聞き、ツバメも、心配になってきていた。
「私が代わりになって、あげられればいいんですけど……」
「何マリア? 何言っちゃってんの?」
アゲハがマリアに細い視線をむける。
「そうだよマリア。恋しまくってんじゃないか」
ツバメもマリアに、アゲハと同じ視線をむけた。
「マリアがぁ。ヒナゲシママの代わりにぃ。カンタロウ君に甘えられたいってことねぇ」
「ママになりたいだなんて、やだよほんとに。夜たっぷり、甘えられたらいいじゃないさ。ザ・お母さんプレイだよぉ」
二人の冷やかしに、マリアの頬が赤く染まり、
「やめてください二人とも。お母さんプレイってなんですか?」
「そうだよ。なんなの? お母さんプレイって?」
アゲハが意味のわからない単語に、反応した。
「やれやれ。まだお子ちゃまには早いけど、ヒントをあげようかね。――哺乳瓶を……」
槍の刃が、ツバメの前で踊った。
「ツバメさん。地獄へ行きますか?」
マリアが笑いながら、ツバメにむかって槍をむけている。
「やだよマリア。ちょっとしたジョークじゃないかい」
ツバメは必死で、マリアの怒りを静めていた。
二十分が経過した。
カンタロウはまだ帰って来ない。
食事はすでに下げられている。支払いも終わった。
アゲハは暇なので、長い金髪を、指でグルグルこね、
「遅いね。カンタロウ君」
「本当だよ。もう十分以上たってるね。大の方にしても遅いよ」
ツバメは貧乏ゆすりをしている。
マリアは白い髪を、櫛で綺麗にとかしていた。そして、櫛を花柄の小物にしまうと、顔を上げる。
「まさか、道の途中で、幻覚を追いかけてるんじゃ」
「ありうるな。それ」
マリアに言われ、アゲハは椅子から立ち上がる。
ツバメも立ち上がり、
「ちょっと公衆トイレに行ってみるかい?」
「はい。行ってみましょう」
マリアは深くうなずく。
三人は料理店を後にし、公園にむかった。
公園は料理店のすぐ近くにあった。
透き通った水の上にある、石でできた橋を渡ると、森のような木が植えられている公園につく。
緑の絨毯で、市民がお弁当を食べたり、日向ぼっこをしている。
雲はなく、晴天で、しかも風も穏やかなのだから、今日は人がかなり多かった。
すぐに公衆トイレを見つけると、ツバメは遠慮なく男子トイレに入っていった。
アゲハも入ろうとしたが、マリアに慌てて止められる。
男の悲鳴が聞こえた後で、ツバメがトイレからでてきて、
「トイレにはいなかったよ」
「大の方にも?」
「大の方にも。おっさんしかいなかった」
アゲハの問いに答える。
「まさか、覗いたんですか?」マリアはツバメのデリカシーのなさに、貧血を起こしそうになった。
アゲハは両手を腰にやり、天を見上げて、
「やっぱ幻覚追いかけてんじゃん。もう、めんどくさいなぁ」
「とっ、とにかく、探しましょ」
立ち直ったマリアに言われ、三人はカンタロウを探すことにした。
しばらく公園内を歩いていると、石の道から外れた所に、お花畑が続いていた。
ツバメが何となく、花を眺めていると、見覚えのある後ろ姿が立っている。
気になり、道から土の地面に乗りだし、近づいていくと、刀を持った男の剣士が、三人の女に囲まれていた。
「あっ! いたいた! いたよ! カンタロウっちが!」
ツバメは二人を呼ぶために、叫んだ。あの後ろ姿は間違いなく、カンタロウだ。
アゲハが反応し、
「えっ? どこに?」
「ほらっ、あそこ」
ツバメが指さす方向に、確かにカンタロウがいた。しかし、カンタロウを囲む女達には見覚えがない。
三人はとりあえず、木の影に隠れて様子を見ることにした。
「本当ですね。でも……」
「女に囲まれてるね」
マリアとアゲハも、カンタロウの状況に気づいた。
カンタロウを囲む三人の女達は、フリフリなドレスに、丸くリボンのついた靴、手には日傘を持っている。
どの品物も高級品で、綺麗な色が輝いている。
どう見ても、庶民や旅人ではない服装だ。
三人とも若く、カンタロウと同年齢ぐらいだった。
「綺麗なお洋服……」
マリアが羨ましそうに、女達を眺めた。
「ありゃ上流階級のお嬢様方だねぇ。世間知らずが。見た目がちょっといい男に盛っちゃってさ。羨ましいじゃないか! カンタロウっち!」
ツバメが嫉妬を遠慮なく、口にだした。
様子を見てみると、カンタロウは女達を避けようと、必死で首を振っている。
しかし、金色の髪をした女は、毅然とした態度で、カンタロウに話しかけていた。
他の二人は、その様子を見守っている。
カンタロウの困惑した表情が見える。
「――助けなきゃ。カンタロウ様を」
マリアは背に持っている、槍に手をやった。目がギラついている。
「マリア。槍に手をかけるの、とりあえずやめよう」
アゲハは冷静に、マリアの凶行を止める。
「なんでカンタロウっち。あんな所にいるんだい?」
ツバメはふと、疑問に思った。
公衆トイレから、お花畑まで、だいぶ距離がある。料理店はここから反対側だ。
「母親の幻覚、追いかけてたんじゃないの?」
アゲハは正解をすぐに答えた。
「すごいねその幻覚。すさまじい力だよ。あっ! やばいよ! 女がカンタロウの手を引っ張ってる! このままじゃ、お持ち帰りされちまうよ! カンタロウっちの純血が汚されちまう!」
ツバメが興奮して叫ぶ。
金髪の女が、カンタロウの腕をつかんでいる。
驚いたカンタロウは、もう一方の腕で拒否しているが、今度は黒髪の女がその腕をつかんだ。
最後には、茶色の髪の女が、カンタロウを誘導すべく腰に手を置いている。
三人とも見知らぬ男に、触れることに抵抗はなく、むしろ嬉しそうな笑顔だ。
「やっぱり、ヤルしか……」
マリアは槍の柄を、ギュッと握りしめた。体全体から、どす黒いオーラが流れる。
不気味な風が、マリアの体から流れた。
「マリア、だから槍に手をかけないでってば」
アゲハはマリアの暴走を、必死でなだめる。
「ああっ! カンタロウっちが!」
ツバメが絶望的な声を上げた。
カンタロウは三人の女達に、どこかに連れ去られようとしている。
女より力の強い男だが、持病のためか、抵抗する力が弱い。
ズルズルとどこかへ、カンタロウは運ばれていく。
「やばいね、これは。カンタロウ君。持病でまるで力が入ってない。あれ? でもこのパターンて、普通女の子なんじゃないの? 女の子が凶悪な男共に、囲まれるアレなんじゃないの? なんか逆じゃね?」
アゲハは妙なパターンに、疑問符が頭についた。
「あたしが行ってやるよ。任せな」
ツバメは木から飛びだすと、三人の女達にのっしのっしとむかっていき、
「ちょっと待ちな! あんた達!」
大きな声に、三人の女達がビクッと震える。
カンタロウはその声が、ツバメのものだとすぐに気づいた。
「あら? どちら様ですの?」
金髪の気の強そうな女が、ツバメをいぶかしげに見つめる。
カンタロウの腕を、一番最初に握った人物だ。
細く、綺麗な眉に、物怖じしない眼光、気品が表情からもあふれている。
「……ツバメ」
カンタロウの弱々しい声が聞こえる。
ツバメは助けにきたぞと言わんばかりのウインクをして、
「そいつをどうするつもりだい?」
「えっ? あっ、ああ。カンタロウさんのことね。この方少し調子が悪そうなので、私のお屋敷に案内しようと思っただけですわ」
カンタロウを助けようとしていたのだ。
好意も含まれているのだろう。
カンタロウを見つめる目が、どこか優し気だ。
「そうかい。あたしの名前はツバメ。あんた達は?」
ツバメが女達の名前を求めてきた。女達はお互い目を合わせたが、相手が名乗っているのに、名乗らないわけにはいかない。
「私はセルシアですわ」
金髪の女が名乗った。
「私はセリナです」
茶色の髪の女が、笑顔で名乗る。弓形の眉、細く大人びた目、落ち着きのある女性だ。
「私は、リリ」
黒髪の女が、セルシアの背中に隠れ、名乗った。斜めの眉から、気の強そうな印象を受けるが、性格は臆病のようだ。警戒心を露わにしている。
「よし。お前達、よく聞きな。その男は、あたしの犬一号さ! あたしはその男の飼い主さね。さあ、離れな!」
どうやらツバメの作戦は、犬とその飼い主路線でいくようだ。
自分を親指でさし、強烈な自己主張をした。
三人の女性達は、目をパチクリさせる。
「……お前」
カンタロウの頭の血管が、あと少しで切れそうになった。
「本当ですか?」
セリナが、カンタロウの顔色をうかがう。しかし、カンタロウは頭の中が真っ白になり、何も答えられない。
三人のお嬢様は、ツバメの言うことを信じてしまった。
「かわいそう。助けなきゃ」
リリがセルシアに訴える。恐らく、犬とは奴隷のことだと思われているのだろう。
「そうですわね。わかりました。私が彼を買いましょう」
セルシアが一歩、ツバメの前にでた。
「……えっ?」
「おいくらかしら?」
「ちょ、本気かい?」
「嘘なんて、つきませんよ」
「……よし、売った!」
ツバメは商談が成立し、グッと拳を握りしめた。
「おっ、お前な……」
カンタロウは初めて、ペットとして売られていく、子犬の気持ちがわかった。
「うわっ、商談成立しちゃったよ」
木の影に隠れていたアゲハは、ツバメ達の会話をすべて聞いていた。
「ツバメさんて、本物の馬鹿なんですね」
マリアは呆れきっていた。
「じゃ、次は私だな」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。へぇきへぇき」
アゲハは木からでると、自信満々で三人の女性達の前に立ち、
「ちょっと待て。その女は詐欺師だ。お金を渡しちゃ駄目だよ」
「えっ? そうでしたの?」
財布を開きかけたセルシアの手が、ピタリと止まる。
「なっ、何言いだすんだい! そういうあんたは何者なんだい?」
ツバメは嘘がバレ、犯罪者のように慌てふためいた。
「私はアゲハ。その男の、愛人だ!」
アゲハの予想では、これで女達は泣きながら諦めて帰るだろうと思っていた。
自分の美貌の前に、男を差しだすと考えているのだ。
これは過剰な自信がなければ、できない行為である。
「…………」
「…………」
「…………」
女達は予想に反して、きょとんとするばかりで、何の反応もなかった。
「あっあれ? どうしたの? うわっ!」
急にセリナとリリが、アゲハに抱きついてきた。アゲハは何が起こったのかわからず、困惑している。
「可愛い子!」
「やだ、愛人だって! そんなにお兄さんを独占したいの?」
カンタロウの妹だと思われているようだ。
人間の多い都市で、獣人の女の子は珍しい。
アゲハの見た目は、この都市では可愛らしいお人形さんのように見えていた。
「可愛い妹さんね。獣人?」
「……そうだな」
カンタロウはセルシアに、アゲハは自分の妹だと認めた。すでにもうどうでもいい気持ちになっていた。
「違う! 私は妹じゃなくって、って、誰がお前の妹だっ! 助けろカンタロウ君!」
アゲハの叫びは、カンタロウの耳には入っていなかった。
――アゲハさんがやられてしまった……私が何とかしなきゃ……。
マリアは大きく深呼吸すると、木からでていき、女達の前に立ち、
「失礼します。使いの者達の、ご無礼をお許しください」
丁寧な言葉を使い、品のある態度を見せる。
誰もがマリアに注目した。
マリアの白い髪が、風に揺れ、美しく光る。凛とした茶色の瞳が、女達を映した。
「あなたは?」
セルシアはマリアに、ただならぬ雰囲気を感じ、表情を引き締めた。
「私の名前はマリア・ルーベンス。この者達の主人です。そしてその方は――私の婚約者です」
マリアの声が、カンタロウの耳に入る。
「えっ?」
カンタロウはつい、マリアに視線をむける。
「ねっ、カンタロウ様」
優しい瞳で、マリアは笑っている。
「……ああ、そうだ」
カンタロウはマリアの意図を読み、そう答えた。
「私達、旅をしてまして、この都市は初めて来たのです。都市を見学してましたら、どうやら私の婚約者が迷子になってしまいまして。それで、使いの者に探させていたのです」
マリアの言うことは、すべて嘘だ。しかし、その淀みのない口調から、嘘を発見するのは難しかった。
ツバメとアゲハも、何も言えず、動向を見守っている。
「そうでしたの……それじゃ、お誘いするわけにはいきませんわね」
「残念だね。せっかく、お気に入りの男性を見つけたのに……」
セリナとリリが、セルシアの様子を覗き見る。
どうやら一番カンタロウに好意的だったのは、セルシアのようだ。
恐らくカンタロウに、最初に声をかけたのも、セルシアなのだろう。
セルシアは静かに、日傘を下ろした。
「婚約者がいるのでしたら、仕方ありませんわね。ご無礼を失礼致しました」
丁重にお詫びするセルシア。
「いいえ」
マリアは静かに、それに答えた。
「カンタロウさん。また今度、一緒にお茶を飲んでくださる? もちろん、マリアさんや皆様も誘って」
「ああ、心配してくれて、ありがとう」
カンタロウは嬉しそうに、セルシアにニコリと笑う。
その笑顔を見たセルシアは、一瞬、悲しそうな表情をし、
「良い婚約者ですわね。お幸せになってくださいまし」
「ええ。ありがとう」
「それでは」
セルシアは踵を返すと、カンタロウ達とは反対の方向に去っていった。
セリナとリリも、その後ろを追いかける。
両目を腕でこすっているセルシアに、セリナは優しく背中をなでていた。
「……あれは、本気の恋だったんだねぇ。カンタロウっち、末恐ろしい男だよ」
ツバメはカンタロウの、女をすぐに本気にさせてしまう、鬼のようなモテ方に身震いした。
「もう! どうしてこんな所に来たの!」
アゲハはかっかして、カンタロウに大声で問いつめた。
自分が愛人として相手にされなかった、八つ当たりも入っている。
「気づいたら、ここにいたんだ。この花は確か、母の好きな花に似ているなと。そんな話を、あの子としてた。――好きだって言ってくれたよ、あの子も、この花が」
カンタロウの言い分を聞き、アゲハは言葉をつまらせてしまった。
それは中心が黄色く、小さな白い花びらを咲かせた、カモミールの花だった。
お花畑には、カモミールが一番奥に植えられていた。
他の花と比べると、地味な印象があるからだろう。
どうしてセルシアが、この花を好きだと言ったのか、去ってしまった以上、理由を知ることは二度とできなかった。
「マリア」
「はい?」
「すまない。助かったよ」
カンタロウはマリアに頭を下げた。
「いいえ。どういたしまして」
マリアもカンタロウと同じく、頭を下げていた。
「よっ! 婚約者同士。再会のチューしたらどうだい?」
「なっ、何を言ってるんですかっ!」
ツバメが二人をからかうと、マリアはいつもの態度に戻り、真っ赤になった。
カンタロウは力なく笑い、
「少し。休んでいくよ。宿屋に先に帰っててくれないか?」
「大丈夫なの? また幻覚とか見ない?」
カンタロウのそばに、アゲハがすぐに近寄る。
「大丈夫だ。さっき――本物の母を見たからな」
「それ幻覚!」
アゲハがノリツッコミ。
カンタロウは、重度のホームシック状態になっていた。
「もう! こんな所にいたら、またやっかいなことに巻き込まれるだろ! ほら」
「うん?」
アゲハはカンタロウの前に、片手を差しだしている。
「ほらっ、宿屋に行くぞ。そこでもう寝てろ」
「――そうだな。すまん」
カンタロウはアゲハのやりたいことがわかり、その手を取った。手袋をしているが、小さく細い指であることがわかる。
アゲハはカンタロウの大きな手を握ると、嬉しそうに白い歯をだして笑った。
マリアはその様子を、ぼんやりと見つめている。
「ふふん。じゃ、行こう」
「ああ」
「あと次からは妹じゃなく。愛人て言えよ」
「嫌だ」
「じゃ、母さん。もしくはママでもいいぞ」
「もっと嫌だ」
二人は手を繋ぎ合い、宿屋へと歩いていった。
「おやおや。元の鞘に収まったようだね。カンタロウっちも、アゲハには気を許してるみたいだし」
「……そう……ですかね?」
マリアの苦しそうな声に、ツバメは驚き、その表情を覗いてみた。
マリアはツバメから顔を隠していた。
両目は湿っており、手はお互いを握り締め合っている。
視線は前に行く二人を、必死で見ないようにしている。
体は小刻みに震え、歩くのも辛そうだった。それは、何かに一生懸命耐えているように見えた。
――やれやれ。この子。本気で嫉妬してるよ。
ツバメは困ったように、頭をポリポリかいた。
旅立ちが始まって、四日後。
剣帝国南東、結界都市コラーダ。
数千規模の人口が住む都市に、朝方、カンタロウ達が到着した。
この都市は、夜中は月の都レベル5を発動させるなど、安全性の向上に努めていた。
町の中では多民族国家らしく、亜人や妖精が普通に通りを歩いており、どちらかというと人間が多い。
武器や防具、珍しい食料など、商業も活性化し、宿場も連なっている。
カンタロウが普段着ている和装の格好をした武人がいるのも、剣帝国ならではの光景だ。
カンタロウ、アゲハ、マリア、ツバメは、料理店の外でお昼ご飯を食べていた。
卵を使ったサラダに、野菜のスープ、パンと久しぶりのごちそうだ。
他にも食事に来たお客でいっぱいで、すでにテーブルに空きはなかった。
マリアは丁寧に、パンにスープを乗せ、食事を進めている。
アゲハも意外にマナーが良く、マリアと同じ食べ方をしていた。
ツバメだけはガツガツ食事を口に運び、すでに食べ物はなかった。
カンタロウは食事が進んでおらず、まだ何も手をつけていない。
「ふぅ。さすが都市だね。結界も、最新式の月の都レベル5を発動できるみたいだし。上流階層のお嬢様もいっぱいいるじゃないかい。うへへへへっ」
暇になったツバメは、道を歩く女性達を、いやらしい目つきで眺めていた。
旅など無縁そうな、綺麗な洋服を着た女性が多い。
口紅や化粧もきちんとされている。日傘をさし、優雅に整備された道を歩く。
「ツバメさん。ヨダレ、でてますよ」
マリアは清潔な布で口を拭い、ツバメに注意する。
「おっと、失礼。お嬢様」
ツバメは手にコップを取ると、お茶をぐびっと飲み込んだ。
「このお茶腐ってるね。マリア、そっちのお茶くれよ」
「嫌ですよ。これ、私が飲んでいるんです」
「いいからおくれよ」
「間接キス狙いでしょ? 絶対に無理です」
ツバメの意図がわかるのか、マリアは決して妥協しなかった。
「ちぇ」ツバメは口を尖らした。
「カンタロウ君。大丈夫? 調子悪そうだけど?」
食事を終えたアゲハが、まだ少ししか食べていない、カンタロウのことを気にし始めた。
顔を見る限りは普段通りで、調子が悪そうには見えない。
しかし、どこか気迫がない。
後ろでカンタロウを見た女性達が、手で口を隠しながら噂し合っているのを、気にもしていない所はいつもどおりだ。
「ああ、大丈夫だ。母さんと別れて、もう十四日だが――まだ耐えられる」
「カンタロウ君。まだ四日」
アゲハがカンタロウにツッコむ。
ホームシックの兆候が出始めているのか、すでに日付の感覚がおかしくなりつつあった。
「ツバメさん。あと何日で着きますか?」
マリアが食事を終え、ツバメに今後の予定を聞いてみる。
「そうだねぇ……。あと七日で着くかね。まっ、ちょっと剣帝国から離れるだけさね」
ツバメはそう答えた。
「そうか。あと一年か……」
「カンタロウ君。七日」
アゲハのカンタロウツッコみ二回目。
すでに耳までおかしくなっていた。
カンタロウが椅子から立ち上がり、
「トイレに行ってくる」
都市の公園にある、公衆トイレにむかう。
店のトイレは人が多く、列を作っているからだ。
カンタロウは歩く途中、足同士がぶつかったり、壁に手をついたりと、調子の悪さは表情ではなく体にでていた。
「ふらついてる、ふらついてる」
アゲハは両手に顎を乗せ、カンタロウの様子を見守っている。
「かなりきてますね。お食事も進んでいませんし……」
マリアは心配そうに、残された食事を見つめた。
「なあ、カンタロウっちって、いつもああなのかい?」
「まあ母、ヒナゲシと離れるといつもああだね。そろそろ、幻聴とか幻覚とかが見えだすよ」
「それ、ひどすぎでないかい? 病院行ったらどうなんだい?」
アゲハからカンタロウの病状を聞き、ツバメも、心配になってきていた。
「私が代わりになって、あげられればいいんですけど……」
「何マリア? 何言っちゃってんの?」
アゲハがマリアに細い視線をむける。
「そうだよマリア。恋しまくってんじゃないか」
ツバメもマリアに、アゲハと同じ視線をむけた。
「マリアがぁ。ヒナゲシママの代わりにぃ。カンタロウ君に甘えられたいってことねぇ」
「ママになりたいだなんて、やだよほんとに。夜たっぷり、甘えられたらいいじゃないさ。ザ・お母さんプレイだよぉ」
二人の冷やかしに、マリアの頬が赤く染まり、
「やめてください二人とも。お母さんプレイってなんですか?」
「そうだよ。なんなの? お母さんプレイって?」
アゲハが意味のわからない単語に、反応した。
「やれやれ。まだお子ちゃまには早いけど、ヒントをあげようかね。――哺乳瓶を……」
槍の刃が、ツバメの前で踊った。
「ツバメさん。地獄へ行きますか?」
マリアが笑いながら、ツバメにむかって槍をむけている。
「やだよマリア。ちょっとしたジョークじゃないかい」
ツバメは必死で、マリアの怒りを静めていた。
二十分が経過した。
カンタロウはまだ帰って来ない。
食事はすでに下げられている。支払いも終わった。
アゲハは暇なので、長い金髪を、指でグルグルこね、
「遅いね。カンタロウ君」
「本当だよ。もう十分以上たってるね。大の方にしても遅いよ」
ツバメは貧乏ゆすりをしている。
マリアは白い髪を、櫛で綺麗にとかしていた。そして、櫛を花柄の小物にしまうと、顔を上げる。
「まさか、道の途中で、幻覚を追いかけてるんじゃ」
「ありうるな。それ」
マリアに言われ、アゲハは椅子から立ち上がる。
ツバメも立ち上がり、
「ちょっと公衆トイレに行ってみるかい?」
「はい。行ってみましょう」
マリアは深くうなずく。
三人は料理店を後にし、公園にむかった。
公園は料理店のすぐ近くにあった。
透き通った水の上にある、石でできた橋を渡ると、森のような木が植えられている公園につく。
緑の絨毯で、市民がお弁当を食べたり、日向ぼっこをしている。
雲はなく、晴天で、しかも風も穏やかなのだから、今日は人がかなり多かった。
すぐに公衆トイレを見つけると、ツバメは遠慮なく男子トイレに入っていった。
アゲハも入ろうとしたが、マリアに慌てて止められる。
男の悲鳴が聞こえた後で、ツバメがトイレからでてきて、
「トイレにはいなかったよ」
「大の方にも?」
「大の方にも。おっさんしかいなかった」
アゲハの問いに答える。
「まさか、覗いたんですか?」マリアはツバメのデリカシーのなさに、貧血を起こしそうになった。
アゲハは両手を腰にやり、天を見上げて、
「やっぱ幻覚追いかけてんじゃん。もう、めんどくさいなぁ」
「とっ、とにかく、探しましょ」
立ち直ったマリアに言われ、三人はカンタロウを探すことにした。
しばらく公園内を歩いていると、石の道から外れた所に、お花畑が続いていた。
ツバメが何となく、花を眺めていると、見覚えのある後ろ姿が立っている。
気になり、道から土の地面に乗りだし、近づいていくと、刀を持った男の剣士が、三人の女に囲まれていた。
「あっ! いたいた! いたよ! カンタロウっちが!」
ツバメは二人を呼ぶために、叫んだ。あの後ろ姿は間違いなく、カンタロウだ。
アゲハが反応し、
「えっ? どこに?」
「ほらっ、あそこ」
ツバメが指さす方向に、確かにカンタロウがいた。しかし、カンタロウを囲む女達には見覚えがない。
三人はとりあえず、木の影に隠れて様子を見ることにした。
「本当ですね。でも……」
「女に囲まれてるね」
マリアとアゲハも、カンタロウの状況に気づいた。
カンタロウを囲む三人の女達は、フリフリなドレスに、丸くリボンのついた靴、手には日傘を持っている。
どの品物も高級品で、綺麗な色が輝いている。
どう見ても、庶民や旅人ではない服装だ。
三人とも若く、カンタロウと同年齢ぐらいだった。
「綺麗なお洋服……」
マリアが羨ましそうに、女達を眺めた。
「ありゃ上流階級のお嬢様方だねぇ。世間知らずが。見た目がちょっといい男に盛っちゃってさ。羨ましいじゃないか! カンタロウっち!」
ツバメが嫉妬を遠慮なく、口にだした。
様子を見てみると、カンタロウは女達を避けようと、必死で首を振っている。
しかし、金色の髪をした女は、毅然とした態度で、カンタロウに話しかけていた。
他の二人は、その様子を見守っている。
カンタロウの困惑した表情が見える。
「――助けなきゃ。カンタロウ様を」
マリアは背に持っている、槍に手をやった。目がギラついている。
「マリア。槍に手をかけるの、とりあえずやめよう」
アゲハは冷静に、マリアの凶行を止める。
「なんでカンタロウっち。あんな所にいるんだい?」
ツバメはふと、疑問に思った。
公衆トイレから、お花畑まで、だいぶ距離がある。料理店はここから反対側だ。
「母親の幻覚、追いかけてたんじゃないの?」
アゲハは正解をすぐに答えた。
「すごいねその幻覚。すさまじい力だよ。あっ! やばいよ! 女がカンタロウの手を引っ張ってる! このままじゃ、お持ち帰りされちまうよ! カンタロウっちの純血が汚されちまう!」
ツバメが興奮して叫ぶ。
金髪の女が、カンタロウの腕をつかんでいる。
驚いたカンタロウは、もう一方の腕で拒否しているが、今度は黒髪の女がその腕をつかんだ。
最後には、茶色の髪の女が、カンタロウを誘導すべく腰に手を置いている。
三人とも見知らぬ男に、触れることに抵抗はなく、むしろ嬉しそうな笑顔だ。
「やっぱり、ヤルしか……」
マリアは槍の柄を、ギュッと握りしめた。体全体から、どす黒いオーラが流れる。
不気味な風が、マリアの体から流れた。
「マリア、だから槍に手をかけないでってば」
アゲハはマリアの暴走を、必死でなだめる。
「ああっ! カンタロウっちが!」
ツバメが絶望的な声を上げた。
カンタロウは三人の女達に、どこかに連れ去られようとしている。
女より力の強い男だが、持病のためか、抵抗する力が弱い。
ズルズルとどこかへ、カンタロウは運ばれていく。
「やばいね、これは。カンタロウ君。持病でまるで力が入ってない。あれ? でもこのパターンて、普通女の子なんじゃないの? 女の子が凶悪な男共に、囲まれるアレなんじゃないの? なんか逆じゃね?」
アゲハは妙なパターンに、疑問符が頭についた。
「あたしが行ってやるよ。任せな」
ツバメは木から飛びだすと、三人の女達にのっしのっしとむかっていき、
「ちょっと待ちな! あんた達!」
大きな声に、三人の女達がビクッと震える。
カンタロウはその声が、ツバメのものだとすぐに気づいた。
「あら? どちら様ですの?」
金髪の気の強そうな女が、ツバメをいぶかしげに見つめる。
カンタロウの腕を、一番最初に握った人物だ。
細く、綺麗な眉に、物怖じしない眼光、気品が表情からもあふれている。
「……ツバメ」
カンタロウの弱々しい声が聞こえる。
ツバメは助けにきたぞと言わんばかりのウインクをして、
「そいつをどうするつもりだい?」
「えっ? あっ、ああ。カンタロウさんのことね。この方少し調子が悪そうなので、私のお屋敷に案内しようと思っただけですわ」
カンタロウを助けようとしていたのだ。
好意も含まれているのだろう。
カンタロウを見つめる目が、どこか優し気だ。
「そうかい。あたしの名前はツバメ。あんた達は?」
ツバメが女達の名前を求めてきた。女達はお互い目を合わせたが、相手が名乗っているのに、名乗らないわけにはいかない。
「私はセルシアですわ」
金髪の女が名乗った。
「私はセリナです」
茶色の髪の女が、笑顔で名乗る。弓形の眉、細く大人びた目、落ち着きのある女性だ。
「私は、リリ」
黒髪の女が、セルシアの背中に隠れ、名乗った。斜めの眉から、気の強そうな印象を受けるが、性格は臆病のようだ。警戒心を露わにしている。
「よし。お前達、よく聞きな。その男は、あたしの犬一号さ! あたしはその男の飼い主さね。さあ、離れな!」
どうやらツバメの作戦は、犬とその飼い主路線でいくようだ。
自分を親指でさし、強烈な自己主張をした。
三人の女性達は、目をパチクリさせる。
「……お前」
カンタロウの頭の血管が、あと少しで切れそうになった。
「本当ですか?」
セリナが、カンタロウの顔色をうかがう。しかし、カンタロウは頭の中が真っ白になり、何も答えられない。
三人のお嬢様は、ツバメの言うことを信じてしまった。
「かわいそう。助けなきゃ」
リリがセルシアに訴える。恐らく、犬とは奴隷のことだと思われているのだろう。
「そうですわね。わかりました。私が彼を買いましょう」
セルシアが一歩、ツバメの前にでた。
「……えっ?」
「おいくらかしら?」
「ちょ、本気かい?」
「嘘なんて、つきませんよ」
「……よし、売った!」
ツバメは商談が成立し、グッと拳を握りしめた。
「おっ、お前な……」
カンタロウは初めて、ペットとして売られていく、子犬の気持ちがわかった。
「うわっ、商談成立しちゃったよ」
木の影に隠れていたアゲハは、ツバメ達の会話をすべて聞いていた。
「ツバメさんて、本物の馬鹿なんですね」
マリアは呆れきっていた。
「じゃ、次は私だな」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。へぇきへぇき」
アゲハは木からでると、自信満々で三人の女性達の前に立ち、
「ちょっと待て。その女は詐欺師だ。お金を渡しちゃ駄目だよ」
「えっ? そうでしたの?」
財布を開きかけたセルシアの手が、ピタリと止まる。
「なっ、何言いだすんだい! そういうあんたは何者なんだい?」
ツバメは嘘がバレ、犯罪者のように慌てふためいた。
「私はアゲハ。その男の、愛人だ!」
アゲハの予想では、これで女達は泣きながら諦めて帰るだろうと思っていた。
自分の美貌の前に、男を差しだすと考えているのだ。
これは過剰な自信がなければ、できない行為である。
「…………」
「…………」
「…………」
女達は予想に反して、きょとんとするばかりで、何の反応もなかった。
「あっあれ? どうしたの? うわっ!」
急にセリナとリリが、アゲハに抱きついてきた。アゲハは何が起こったのかわからず、困惑している。
「可愛い子!」
「やだ、愛人だって! そんなにお兄さんを独占したいの?」
カンタロウの妹だと思われているようだ。
人間の多い都市で、獣人の女の子は珍しい。
アゲハの見た目は、この都市では可愛らしいお人形さんのように見えていた。
「可愛い妹さんね。獣人?」
「……そうだな」
カンタロウはセルシアに、アゲハは自分の妹だと認めた。すでにもうどうでもいい気持ちになっていた。
「違う! 私は妹じゃなくって、って、誰がお前の妹だっ! 助けろカンタロウ君!」
アゲハの叫びは、カンタロウの耳には入っていなかった。
――アゲハさんがやられてしまった……私が何とかしなきゃ……。
マリアは大きく深呼吸すると、木からでていき、女達の前に立ち、
「失礼します。使いの者達の、ご無礼をお許しください」
丁寧な言葉を使い、品のある態度を見せる。
誰もがマリアに注目した。
マリアの白い髪が、風に揺れ、美しく光る。凛とした茶色の瞳が、女達を映した。
「あなたは?」
セルシアはマリアに、ただならぬ雰囲気を感じ、表情を引き締めた。
「私の名前はマリア・ルーベンス。この者達の主人です。そしてその方は――私の婚約者です」
マリアの声が、カンタロウの耳に入る。
「えっ?」
カンタロウはつい、マリアに視線をむける。
「ねっ、カンタロウ様」
優しい瞳で、マリアは笑っている。
「……ああ、そうだ」
カンタロウはマリアの意図を読み、そう答えた。
「私達、旅をしてまして、この都市は初めて来たのです。都市を見学してましたら、どうやら私の婚約者が迷子になってしまいまして。それで、使いの者に探させていたのです」
マリアの言うことは、すべて嘘だ。しかし、その淀みのない口調から、嘘を発見するのは難しかった。
ツバメとアゲハも、何も言えず、動向を見守っている。
「そうでしたの……それじゃ、お誘いするわけにはいきませんわね」
「残念だね。せっかく、お気に入りの男性を見つけたのに……」
セリナとリリが、セルシアの様子を覗き見る。
どうやら一番カンタロウに好意的だったのは、セルシアのようだ。
恐らくカンタロウに、最初に声をかけたのも、セルシアなのだろう。
セルシアは静かに、日傘を下ろした。
「婚約者がいるのでしたら、仕方ありませんわね。ご無礼を失礼致しました」
丁重にお詫びするセルシア。
「いいえ」
マリアは静かに、それに答えた。
「カンタロウさん。また今度、一緒にお茶を飲んでくださる? もちろん、マリアさんや皆様も誘って」
「ああ、心配してくれて、ありがとう」
カンタロウは嬉しそうに、セルシアにニコリと笑う。
その笑顔を見たセルシアは、一瞬、悲しそうな表情をし、
「良い婚約者ですわね。お幸せになってくださいまし」
「ええ。ありがとう」
「それでは」
セルシアは踵を返すと、カンタロウ達とは反対の方向に去っていった。
セリナとリリも、その後ろを追いかける。
両目を腕でこすっているセルシアに、セリナは優しく背中をなでていた。
「……あれは、本気の恋だったんだねぇ。カンタロウっち、末恐ろしい男だよ」
ツバメはカンタロウの、女をすぐに本気にさせてしまう、鬼のようなモテ方に身震いした。
「もう! どうしてこんな所に来たの!」
アゲハはかっかして、カンタロウに大声で問いつめた。
自分が愛人として相手にされなかった、八つ当たりも入っている。
「気づいたら、ここにいたんだ。この花は確か、母の好きな花に似ているなと。そんな話を、あの子としてた。――好きだって言ってくれたよ、あの子も、この花が」
カンタロウの言い分を聞き、アゲハは言葉をつまらせてしまった。
それは中心が黄色く、小さな白い花びらを咲かせた、カモミールの花だった。
お花畑には、カモミールが一番奥に植えられていた。
他の花と比べると、地味な印象があるからだろう。
どうしてセルシアが、この花を好きだと言ったのか、去ってしまった以上、理由を知ることは二度とできなかった。
「マリア」
「はい?」
「すまない。助かったよ」
カンタロウはマリアに頭を下げた。
「いいえ。どういたしまして」
マリアもカンタロウと同じく、頭を下げていた。
「よっ! 婚約者同士。再会のチューしたらどうだい?」
「なっ、何を言ってるんですかっ!」
ツバメが二人をからかうと、マリアはいつもの態度に戻り、真っ赤になった。
カンタロウは力なく笑い、
「少し。休んでいくよ。宿屋に先に帰っててくれないか?」
「大丈夫なの? また幻覚とか見ない?」
カンタロウのそばに、アゲハがすぐに近寄る。
「大丈夫だ。さっき――本物の母を見たからな」
「それ幻覚!」
アゲハがノリツッコミ。
カンタロウは、重度のホームシック状態になっていた。
「もう! こんな所にいたら、またやっかいなことに巻き込まれるだろ! ほら」
「うん?」
アゲハはカンタロウの前に、片手を差しだしている。
「ほらっ、宿屋に行くぞ。そこでもう寝てろ」
「――そうだな。すまん」
カンタロウはアゲハのやりたいことがわかり、その手を取った。手袋をしているが、小さく細い指であることがわかる。
アゲハはカンタロウの大きな手を握ると、嬉しそうに白い歯をだして笑った。
マリアはその様子を、ぼんやりと見つめている。
「ふふん。じゃ、行こう」
「ああ」
「あと次からは妹じゃなく。愛人て言えよ」
「嫌だ」
「じゃ、母さん。もしくはママでもいいぞ」
「もっと嫌だ」
二人は手を繋ぎ合い、宿屋へと歩いていった。
「おやおや。元の鞘に収まったようだね。カンタロウっちも、アゲハには気を許してるみたいだし」
「……そう……ですかね?」
マリアの苦しそうな声に、ツバメは驚き、その表情を覗いてみた。
マリアはツバメから顔を隠していた。
両目は湿っており、手はお互いを握り締め合っている。
視線は前に行く二人を、必死で見ないようにしている。
体は小刻みに震え、歩くのも辛そうだった。それは、何かに一生懸命耐えているように見えた。
――やれやれ。この子。本気で嫉妬してるよ。
ツバメは困ったように、頭をポリポリかいた。
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