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第2章 雲隠れの里

コオロギ

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 森の中、樹皮が縦方向に深く割れ目のある高木の下に、黒いフードを頭からかぶった男が、一人座っていた。


 灰色の小太りのウサギが、男に近づいていく。

 男は手をだすと、ウサギを誘い、頭をなでた。

 フードで隠れた表情から、小さな笑みがこぼれている。



「ヤッホー」



 人の声を聞き、ウサギは慌てて逃げだした。

 男は赤い目を、素早くむける。


「あなたが私の監視役?」


 アゲハが男のすぐそばに立った。

 緑の深い森に、風にそよぐ金髪はよく目立つ。

 男は警戒心からか、すぐにフードで表情を隠した。



「……お前の名前は?」

「アゲハ」

「国章血印は?」

「このとおり。盲目の蛇」



 アゲハは赤眼化すると、男に右手の甲を見せる。確かに盲目の蛇が描かれていた。

 男はそれを凝視すると、納得したのか、かぶっているフードを脱ぎ、




「確かに。僕の名前はコオロギだ。よろしくね。奇跡の子」




 コオロギは右手の甲に刻まれた、盲目の蛇をアゲハに見せた。


 コオロギの声は低いが、水のように澄んでいる。

 両目は赤く、柔和な目つき。眉は穏やかに線を引き、人の良さそうな表情。

 顔つきは幼く、まだ大人びていない。人型のエコーズだ。


 アゲハはコオロギに、見た目だけで好印象をもち、


「その国章血印は? あなたも赤眼化できるの?」


 エコーズは、赤眼化することができない。

 だから国章血印は刻めない。

 だが、コオロギは、明らかにエコーズと同じ臭いがする。

「違うよ。僕のはコウダ様によって作られた、特別製だ。僕達エコーズは神脈がないから、君のように地上の神脈を吸収できない。この赤い眼は紅姫感染発症者の特徴だ。ただの病人さ」

 声のトーンが落ちた。

 アゲハは、落ち込んだコオロギの肩をバシバシ叩き、

「暗いよチミィ。病人だなんて言わないの」

「あたた……」コオロギは痛そうな顔をしたが、怒るどころか、嬉しそうに笑う。

「でも若いよね。生存年齢はいくつ?」


 アゲハの言う生存年齢とは、エコーズの年齢のことだ。

 単純に、生きた年数のことをさす。


「三十だ。君より二歳ぐらい年上かな」

「へぇ。ほぼ同年齢じゃん。どうして君みたいな若い子が、私の監視役なの?」

「古い人だと、人間に敵意を抱いちゃうからだよ。だからコウダ様は僕を選ばれた。まあ、この年格好だと、人間の年齢で、まだ十代前半ぐらいかな」

「なるほど。揉め事が嫌だってわけね」

 アゲハはコオロギのいる木に、腰を下ろす。

「初めて君のことを見るよ。本当にエコーズなの?」

 コオロギは碧い瞳にむかって言った。


「うん。間違いないよ」

「すごいね。神脈を持つエコーズなんて、見たことない。僕達は神様に愛されていないものだとばかり、思っていたのに」



「別に良いことばかりじゃないよ。不便なときもある。エコーズ同士、仲間だと思われないときもあるしね」



 アゲハは高揚のない声で、つぶやくように言った。

「……そっか。君も大変なんだね」

「もう、慣れたよ。それより、今日は何の用なの?」

 アゲハが要件をせかす。

 コオロギは少し間をおき、




「ゴーストエコーズを作りだしている者の暗殺。その進捗状況を聞きに来た」




 ゴーストエコーズを生みだしている者を殺す。

 アゲハの任務。緩んだ顔が、一気に引き締まる。

「……まだわからない。前に言葉をしゃべるゴーストエコーズに会ったけど、何も聞けずに死んじゃった」

「えっ? まともに言葉をしゃべったの? ゴーストエコーズが? それは珍しいね」

 ゴーストエコーズが、まともに言語をしゃべることはない。

 言葉を繰り返すだけの存在だ。

 コオロギは驚きの声を上げた。

「うん。まっ、まだそんなとこ」

 アゲハはそれだけ言うと、情報を切った。



 ――ゴーストエコーズを生みだしている者が、結界に入れるかもしれない、っていうのは、まだ伏せとこ。根拠ないし。



 言語をしゃべるゴーストエコーズ、カインは元人間だった。



 神脈結界の中にずっといたため、ゴーストエコーズを作れる者は、結界の中に入れる人物だと推測できる。

 しかし、直接見たわけではないし、カインの口からも聞けなかった。

 下手な情報を与えて、混乱を招くことは避けたい。


「そのゴーストエコーズがいた町へ行って、ちょっと調べてくれるかな?」


 アゲハはコオロギに、情報を書いた紙を渡した。

「わかった。あとは何かない?」

「あとは……あっ、そうだ。蝦蟇って知ってる?」

「ああ、壊滅した組織の名前だね」

「そこにいた影無っていう奴、結界都市アダマスを襲おうとしたみたいだけど、追いつめたら自殺しちゃった」

「影無……ああっ! 蝦蟇の幹部クラスだったエコーズだよ。何か不正を起こして、組織から外されてたみたいだけどね。だから処刑をまぬがれたんだ」

「そんなにすごい奴だったの?」

 アゲハは影無を、大物だとは思っていなかったので、目をパチクリさせた。

「戦闘的な特殊能力を持ってたでしょ? だから、『暗殺リスト』に載ってて、君と同じ盲目の蛇を持つ、討伐部隊が探してたんだ」

「へぇ。ぜんぜん知らなかった」


 エコーズは個人主義者が多く、種族の危機に敏感だ。

 罪を犯したエコーズには、容赦ない制裁が待っている。

 数少ない同種であっても、公然と処刑される。


「それはいいニュースだよ。ハンターになって初の快挙なんじゃない?」

「そういえばそうだね。まだハンターとして、そんなに仕事してないけど」


 アゲハが旅にでたのは、つい半年前のことだ。

 獣人の義父は、可愛い子でも危険な旅をさせよという教えだったので、すぐに了承してくれた。

 ただ、義父の子供達にはかなり反対されたが、それを押し切って、外の世界にでたのだ。


「ちゃんとコウダ様に伝えておくよ。他は?」

「特になし」

「そう。それじゃ、僕はこの場から離れるけど、危険だと感じたら逃げるんだよ。あとは精鋭部隊がやってきて、処理してくれるから」

「うん」

 コオロギは立ち上がると、アゲハに視線をむけた。表情は虚ろだった。



「この世界では、人間は七割。あとは亜人。僕達エコーズはその中で、一割もいない。数も一万人以下だ。君一人でも死なれると、僕達は絶滅へとむかってしまう」



「おおげさだよ」

「ははっ、それじゃ、がんばってね」

 コオロギは屈託のない笑みを見せると、その場から去っていった。

「……なんか、いい雰囲気のエコーズ」

 アゲハは立ち上げると、大きく背伸びした。



「さてと、飯でも食いに行くか」



 仲間のエコーズとの密談が終わり、アゲハはカンタロウの家へと帰っていった。
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